メーデーの歴史について解説すると銘打ちつつ、総評結成以降については全労連・日本共産党サイドの視点から他の団体を批判することに終始している本。
メーデーの起源と1951年の第22回メーデーまでについては1956年に刊行された「メーデーの歴史 日本労働運動小史」の復刻版で、これに1952年以降の「総評時代のメーデー」と「全労連時代のメーデー」(連合時代ではない)について書き下ろして合体したという経緯がまえがきで説明されています。
前半3分の2の復刻部分は、「改良主義者」への批判とか、現在の日本共産党の路線よりも左翼的なトーンですが、政党よりも労働者的な視点が貫かれている感じがしますし、メーデーの歴史としての記録的な叙述をしようという意志は見えます。メーデーの起源でも8時間労働の法制化獲得のための示威運動としての位置づけが強調され、労働日に労働をしないで示威運動をすることに意味があるので休日にずらすのでは意味がないと書かれていて、なるほどと思いました。この前半は表現が過激だったりまた事実の羅列で退屈するところもあるし昔の労働関係の団体名とか説明もなしに出てきてよくわからなかったりしますが、まぁちょっと勉強にはなるかなという読後感です。
しかし、書き下ろされた後半3分の1は、冒頭で総評時代のメーデーについてとりまとめたものは皆無である(136ページ)としてメーデーの歴史を語る意義を示しながら(たぶんそういう趣旨だと思うんですが)、メーデーそっちのけで政党のことを書いている部分が少なくなく、メーデーのことも度々すっ飛ばして書きたいときのことだけ書いていて、記録としての意義にはあまり意を用いていない感じがします。内容としても総評・社会党批判が大部分を占め、全労連と日本共産党がいかに正しいかという言及が凄く鼻につきます。
日本共産党の誤りとして1964年春闘での4・17春闘統一ストへの反対をただ一つだけ指摘しています(162ページ)が、これも日本共産党が正式に自己批判しているからそう書いているんでしょうね(だいたい、これだってメーデーの話じゃないし)。
日本共産党の支持者以外は読まないという前提で書かれた本なのかもしれませんが、せめて書き下ろし部分で、メーデーの記録と労働者の視点で政党の主張は抑えて書くという姿勢がとられていれば、面白いとは言えなくても歴史の勉強になったねと思える本になったと思うのですが。
杉浦正男、西村直樹 学習の友社 2010年3月31日発行
メーデーの起源と1951年の第22回メーデーまでについては1956年に刊行された「メーデーの歴史 日本労働運動小史」の復刻版で、これに1952年以降の「総評時代のメーデー」と「全労連時代のメーデー」(連合時代ではない)について書き下ろして合体したという経緯がまえがきで説明されています。
前半3分の2の復刻部分は、「改良主義者」への批判とか、現在の日本共産党の路線よりも左翼的なトーンですが、政党よりも労働者的な視点が貫かれている感じがしますし、メーデーの歴史としての記録的な叙述をしようという意志は見えます。メーデーの起源でも8時間労働の法制化獲得のための示威運動としての位置づけが強調され、労働日に労働をしないで示威運動をすることに意味があるので休日にずらすのでは意味がないと書かれていて、なるほどと思いました。この前半は表現が過激だったりまた事実の羅列で退屈するところもあるし昔の労働関係の団体名とか説明もなしに出てきてよくわからなかったりしますが、まぁちょっと勉強にはなるかなという読後感です。
しかし、書き下ろされた後半3分の1は、冒頭で総評時代のメーデーについてとりまとめたものは皆無である(136ページ)としてメーデーの歴史を語る意義を示しながら(たぶんそういう趣旨だと思うんですが)、メーデーそっちのけで政党のことを書いている部分が少なくなく、メーデーのことも度々すっ飛ばして書きたいときのことだけ書いていて、記録としての意義にはあまり意を用いていない感じがします。内容としても総評・社会党批判が大部分を占め、全労連と日本共産党がいかに正しいかという言及が凄く鼻につきます。
日本共産党の誤りとして1964年春闘での4・17春闘統一ストへの反対をただ一つだけ指摘しています(162ページ)が、これも日本共産党が正式に自己批判しているからそう書いているんでしょうね(だいたい、これだってメーデーの話じゃないし)。
日本共産党の支持者以外は読まないという前提で書かれた本なのかもしれませんが、せめて書き下ろし部分で、メーデーの記録と労働者の視点で政党の主張は抑えて書くという姿勢がとられていれば、面白いとは言えなくても歴史の勉強になったねと思える本になったと思うのですが。
杉浦正男、西村直樹 学習の友社 2010年3月31日発行