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大津「日吉大社」総本宮(古事記にも)

2014-09-23 | 気まま旅

石積みの町・比叡山延暦寺門前、京阪坂本線終点駅「坂本」下車。

駅から日吉馬場、右に将軍神社・生源寺と末寺・旧竹林院、左に滋賀院門跡・学校・末寺。突き当りが早尾神社・求法寺・・鳥居・大宮橋
「日吉大社」「宇佐宮」「白山宮」「西本宮」と続き、大社右に「東本宮」その上が八王子山頂上に「三宮・牛尾宮」がある。
東本宮から山の辺の道を下ると「西教寺・明智光秀一族の墓」求法寺左に行くと坂本ケーブル乗り場(比叡山)・日吉東照宮等で、「坂本」は、見る所が多い。

「比叡山延暦寺」は、伝教大師・最澄が、比叡山に草庵を結び天台宗総本山を建てた。
織田信長により全山焼き討ち、後豊臣秀吉・徳川家康などにより復興された。(世界遺産に登録)比叡山全体に及んでおり100余りの建物がある。
東塔ー国宝・大日如来を祀る大講堂、根本中堂不滅の法灯がある。西塔ー最澄作釈迦如来本尊で三井寺金堂を移築、焼き討ちを逃れた「瑠璃堂」
横川中堂ー元三大師堂等がある。坂本からは「比叡山坂本ケーブル」がある。
「坂本」には、日吉大社・旧竹林院・公人屋敷(妻・帯刀など認められている)・明智光秀の築いた「坂本城跡」・街並みと見所多。

今回は日吉神社・工事中で休館、旧竹林院へ。
比叡山延暦寺世界文化遺産


「日吉大社」 坂本駅西約800m   八王寺山麓に鎮座する総本山

山王権現とも呼ばれている。東本宮4社・西本社3社を中止とし、古代信仰の祭祀が。八王寺山は、比叡山中腹の神体山として信仰を集めている。
山頂に磐座や牛尾宮の男神、三宮の女宮が建つ。
「祭神」ー本宮西本宮ー大己貴神・東本宮・大山咋神。
5摂社牛尾宮ー大山咋神荒魂 - 大山咋神の荒魂・樹下宮ー鴨玉依姫命・三宮宮ー鴨玉依姫命荒魂 - 鴨玉依姫命の荒魂・宇佐宮ー田心姫神・白山宮:菊理

石鳥居            大宮川に架かる大宮橋                 日吉三橋は、走井橋・二宮橋。
    

平安京遷都により、社が京の鬼門に当たる。
鬼門除け・災難除けの社として崇敬。神階としては、西本宮の祭神が、東本宮の祭神が、それぞれ正一位に。
「延喜式神名帳」では名神大社に列格した。

最澄が比叡山上に延暦寺を建立し、比叡山の地主神である当社を、天台宗・延暦寺の守護神として崇敬。
中国の天台宗の本山である天台山国清寺で祀られていた山王元弼真君にならって山王権現と呼ばれるようになったと云う。
延暦寺では、山王権現に対する信仰と天台宗の教えを結びつけて山王神道を説いた。
中世に比叡山の僧兵が強訴のために担ぎ出したみこしは日吉大社のもの。
天台宗が全国に広がる過程で、日吉社も全国に勧請・創建され、現代の天台教学が成立するまでに、与えた影響は大きい。

西本宮楼門                            本宮                   拝殿
    

「山王信仰」
比叡山麓の日吉大社より生じた神道の信仰。
日吉神社・日枝神社・山王神社などという社名の神社は、山王信仰に基づいて日吉大社より勧請を受けた神社で、
大山咋神と大物主神(または大国主神)を祭神とし、日本全国に約3,800社ある。神仏習合期には山王の愛称で親しまれ、猿を神使とする。
山王とは、日吉大社・日吉(ひえ)神社(大社)の別名。日吉神社は、もともと近江国日枝山(ひえのやま:後に比叡山の字が充てられた)の神である。

東本宮は国宝                        拝殿
    

「祭事」
山王祭(4月14日) - およそ1300年前、三輪明神が坂本に移ったとき、地元の人が大榊を奉納したのが起源とされ、祭礼の期間は、神輿上げ・大榊の神事・午の神事・献茶祭・花渡り・宵宮落とし・粟津の御供・神輿の還御・酉の神事・船路の御供まで、1ヶ月半に及ぶ。
特に山王七社の神輿の渡御は豪華であり、大榊の神事が静寂の中で行われるのと対照的であるという。

山王礼拝講(5月26日) - 万寿2年(1025年)、僧が修行もせずに僧兵としての活動ばかりしていることが嘆かれ、西本宮にて、日吉大神を祀る法華八講が開催されたことが起源と云う。
修祓や祝詞の後、法華経の問答が行われ、神仏習合の名残がうかがわれる。その他祭事は多い。

山王祭は4月
    

「最澄」 767-822 天台宗の開祖 近江国。
国分寺ー東大寺ー比叡山に登る、山林修行。唐では密教・禅を学び、帰国後、空海から灌頂を受けている。伝教大師諡号を受けている。

                        神輿収蔵庫
  

「日吉大社摂社・宇佐宮」
宇佐宮の本殿は日吉造、拝殿は3間3間、妻入形式で、東西本宮と同じであるが、この場合楼門がない。
本殿は他のと同じだが、内部は内外陣・(身舎(もや)・庇(ひさし))ともに畳敷、天井は小組格天井で、ていねいにつくられており、
内陣に神座がある。重要文化財。
                                 拝殿
    

              西本宮楼門(木造のお猿さんが門を守っている)


「求法寺走井堂」
第4世天台座主安恵和尚の里坊として創建されたものと伝えられ、のちに比叡山中興の祖といわれる第18世座主慈恵大師良源大僧正(元三大師)が
入山(12歳ころ)の折、修行の決意を固めたところから、「求法寺」と称するようになる。
走井の地名に因んで「走井堂」とも称している。 本尊は自作と伝える元三大師像(国重要文化財)。

    

境内には、境内108社・境外108社と言われ、21社は主なものであり、山王二十一社と総称される。
旧称は江戸時代までの神仏習合時代の名称である。東本宮境内の各社は、「大山咋神の家族および生活を導く神々」と説明されている。

上七社ー (山王七社) 本宮 西本宮 大己貴神 大宮(大比叡) 釈迦如来
本宮 東本宮 大山咋神 二宮(小比叡) 薬師如来 ・摂社 宇佐宮 田心姫神 聖真子 阿弥陀如来 ・摂社 牛尾神社 大山咋神荒魂 八王子 千手観音 八王子山頂 ・摂社 白山姫神社 白山姫神 客人 十一面観音 ・摂社 樹下神社 鴨玉依姫神 十禅師 地蔵菩薩 東本宮境内(妃)・摂社 三宮神社 鴨玉依姫神荒魂 三宮 普賢菩薩 八王子山頂 、、、中宮、、、、。

境内一周、約30分・700mと云う。
      

「旧竹林院」工事中
坂本の延暦寺里坊群の一つ、旧竹林院境内南西にある回遊式庭園で、面積3,300m²は里坊庭園の中で最大である。大宮川を引き込んで曲水とし、八王子山を借景として、滝組、築山、茶室、四阿などを配している。

江戸時代初期に築造された里坊の書院前庭園であるが、明治時代初頭の廃仏毀釈の影響で竹林院は衰退して土地は個人の手に渡った。現在の庭園はこの時代に改修されたものであり、近代庭園として国の名勝に指定されている。

日吉大社と隣接


「生源寺」   日吉神社の大鳥居前にある。

本尊は十一面観世音菩薩、慈覚大師の作と伝えられている。本堂は、1595年 「詮舜」が再建した。1710年 改築。
伝教大師は、神護景雲元年ー767年8月18日、生源寺の地でご誕生されたと云う。
父は、三津首百枝公、母は藤原藤子、本堂にご両親の尊像が祀られている。



「坂本駅」
市坂本四丁目に所在し、京阪電気 鉄道石山坂本線の終着駅。
駅周囲には比叡山延暦寺および日吉大社の門前町として 古くから栄えた坂本(重要伝統的建造物群保存地区)の町。

明智光秀の「坂本城跡」は、琵琶湖湖畔にある。
城は、湖の南湖西側にあり、大津市の北郊に位置。
西側には比叡山の山脈、東側は琵琶湖に面していることから、天然の要害を具えた地であったと云う。比叡山は近江国と山城国にまたがっており、
白鳥道と山中道の2つの道は両国を結ぶ道路が通じており、中世、近世において頻繁に利用され、比叡山の物資輸送のために港町として、坂本は交通の要所として繁栄した。
現在城郭の大半は宅地化され、推定地の中央には国道161号が貫通、1571年、比叡山焼き討ちの後、明智光秀に近江国滋賀郡が与えられ、織田信長の命によって京と比叡山の抑えとして築城したと云う。
宣教師の「ルイス・フロイス」は著書「日本史」にて豪壮華麗で安土城に次ぐ名城と記している。

 石積の町「坂本」から中心大津京へ。近江神宮の森が車中から、京阪「膳所・ぜぜ」駅へ。


次回は、粟津の原で戦死、武将木曽義仲・松尾芭蕉の墓所「義仲寺」へ。

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