syuの日記・気まま旅

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山岡鉄舟と次郎長

2012-10-16 | 気まま旅
富士川にそっての旅に戻ります。

「船越堤公園」は、1988年にできた面積94000㎡の大きな公園です。船越堤には様々な植物があり、中でも約千本の桜(ソメイヨシノ・他)が有名。
船越堤の桜はワシントンのポトマックというところから里帰りした桜で、今でもワシントンのポトマック河畔の桜は毎年咲き乱れ、桜祭りが催され日米親善の
シンボルとなっている。
清水とカナダとの交歓留学記念植樹や平成18年に秋篠宮家の長男として誕生した悠仁親王殿下御誕生奉祝植樹などがされている。
散歩コースとして、地元の人々で多くの人に親しまれている。

公園入口
  

天文台(41cm反射望遠鏡・田阪鏡、旭精光製赤道儀)は、定期的に星を見る会が催されている。せせらぎの小川では夏が近づくとホタルを見ることができる。
散歩やトレーニングをしている人がたくさんいた。車椅子の方や階段が苦手な方は横にスロープが整備されている。
階段を登った所からの景色は、清水市街を眺めることができ、晴れた日は富士山が見えると云う。
紅葉の里の散歩道がある、この脇には戦時中に使われていた防空壕があった。


散歩の伯父さん元気に「おはようございます」と挨拶が
  

奥にはステージがありイベント等も行われ、花見の宴会会場でにぎわいを見せる。8月の清水港花火大会はここから花火を見ることができる。

整備された園内と濃い緑
    


「鉄舟寺」は、市清水区にある臨済宗妙心寺派の寺院、山号は補陀落山、本尊は千手観音菩薩。
飛鳥時代藤原氏の出身である久能忠仁が久能山東照宮付近に建立した。その後奈良時代の僧行基が来山して久能寺と号したという。
平安時代に入って天台宗に改められ、建穂寺と駿河を二分する勢いで栄え、1570年、武田信玄が久能山に城を作る(久能城)ため現在地に移され、
宗旨も変わり新義真言宗(真言宗根来派)に属す。

江戸時代には朱印寺領として200石余りを与えられ、多くの支坊を有したが、江戸時代後期あたりから衰退し、明治に入ると無住になって寺は荒廃してしまった。
旧幕臣で明治以降に静岡藩権大参事も務めたこともある「山岡鉄舟」が、臨済寺から今川貞山を招いて復興し、寺号も鉄舟寺と改められた。
鉄舟の書跡の遺品も多い。

鉄舟寺入口                        楼門
  

「国宝・久能寺経 法華経(久能寺経)19巻」 現存最古の一品経(法華経二十八品を一巻毎に書写したもの)。現在は東京国立博物館に寄託している。
鉄舟寺所蔵品の員数は19巻、そのうち陀羅尼品第二十六と普賢菩薩勧発品第二十八の2巻は補配本と見なされる。 なぜこのように立派な経典が都から遠く離れた地に納められたのか、は不明である。諸説として、京の戦乱を避けるため東国武士によって移された、鳥羽法皇の離宮であった安楽寿院や上皇がしばしば詣でた熊野三山と久能寺との関係性、などが挙げられている。
 
「重要文化財」 錫杖 康治元(1142年)年銘。
「県指定文化財」 木造千手観音像(観音堂)、 木造蘭陵王仮面 伝赤鶴(シャックル)作。
         高塚竹堂銅像など。

仁王像                  楼門の中                 高台にある鐘楼               
    

「山岡鉄舟」1836-88  徳川家存続に尽くした剣術家、槍術の山岡家を継ぐ、新政府軍西郷隆盛と会談し徳川家存続を訴えた。
山岡の「鉄砲突き」で恐れられていた。墓は、谷中全生庵にある。

山岡鉄舟像                              本堂と境内
    

「梅蔭禅寺」は、臨済寺妙心寺派、開山は足利時代と言われる古寺。境内には、清水次郎長と、側近の大政・小政・増川仙右エ門・お蝶夫人の墓がある。
入館料¥300円、
「侠客次郎長の墓」は幕臣から明治政府の郵政大臣を勤めた榎本武揚の書によるもの、侠客としては、全国唯一その半生の功労が認められ銅像が設置されて、
初代の銅像は太平洋戦争で供に出され、現在のものは昭和27年に堤達男氏により製作された。
背後の石垣は、駿府城を、前の池は駿河湾を表し郷里清水に根をおろした次郎長の心意気が感じられる。
次郎長博物館には黒駒の勝蔵から贈られた水晶玉・お守りの毘沙門天道中差・時計・望遠鏡・火縄銃等の遺品が展示されている。
 
                     本殿                   次郎長の墓(有料)
    


「清水次郎長」1820-93  博徒、甲州の黒駒勝蔵らと抗争、旧幕府艦隊の死体を収容し埋葬した。


「浪曲虎造さんの、森の石松」
  旅ゆけば、駿河の国に茶の香り、名題なるかな東海道、 名所古蹟の多いとこ。なかに知られる羽衣の松とならんでその名を残す、
   街道一の 親分は、清水港の次郎長の数多身内のある中で、四天王の一人で乱暴者といわれたる・・・・・・・。


境内                              清水次郎長像
  


「清水次郎長生家」は、新清水駅から歩いて20分位、次郎長生家の前は商店街になって、名前は、「次郎長通り」。
次郎長通りを歩いて行くと、次郎長生家は商店街の中に有る。商店街の一部に同化している。復元された建物ではなく、当時の生家そのままという。
生家内には、次郎長に関する展示物と、奥のほうにはお土産なども売っている。次郎長生家の裏手には巴川が流れていて、海に近い。

                      次郎長通り商店街       朝の街    
    

次回は、東海道「由井宿」方面へ。


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