syuの日記・気まま旅

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富岡八幡宮神社 syu散歩

2017-04-28 | syu散歩

「永代橋」 中央区と江東区で、隅田川と晴海運河の分岐点に架かる隅田13橋に一つ、橋の名は、永代島と呼んでいることにちなんでいる。
1696年ー5代将軍「徳川綱吉」の50歳を祈念して架橋したと云い、公儀入用橋であった。
囚人が伊豆7島へ送られる流人船発着所と諸国の回船が停泊し、航行したため橋脚が高く、富士山・筑波山・安房・上総等が見渡せると江戸の評判を博し
1701年、赤穂浪士が吉良邸討ち入り後、永代橋から港区の泉岳寺に向かっている。
関東大震災後、銅アーチ橋が完成している。
区の中西部地域を幕府は木材業者を置き防災上からこの永代島に移転させのが「木場」の始まり。元禄の1688~1704年・隅田川と荒川の間に約30万㎡
の沼地・周囲を土手を築き、縦横に掘割を設け貯水池としている。これが深川木場として繁栄した。
昭和49年ー東京湾岸埋め立て地に「新木場」とし移転した。ー木場角乗りは都の無形民俗文化財にー

「徳川綱吉」犬公方 1646-1709 五代将軍(35歳・家光の4男・館林15万石から)「正類憐みの令」犬公方と世人から陰口を、学問好き儒学。
綱吉も世継ぎに恵まれず甥の「家宣」を養子に迎えている。

                  門前仲町に江戸の雰囲気が


「深川」 の地名は、この辺りを開拓した「深川八郎右衛門」にちなむ。
江戸時代初期、大阪府摂津の八郎右衛門が開発し、隅田川の河口に、幕府の船を扱う御船蔵が設置された。
明暦の大火(1657)以降、木材の集積地として「深川木場」が誕生。
「深川不動尊、霊巌寺」などの寺町も形成され、江戸下町の繁栄をもたらした。明治に入り、洲崎遊郭・辰巳芸者・深川芸者と工業地帯として発展。
が、大震災・大空襲で壊滅的被害を受けた。

                 車が一台通れるかの細い道の繁華街


「門前仲町」 区西部で深川との境、首都9号線が通る。「永代寺門前仲町」が「門前中町・門仲」の起源ー永代通りよ清澄通りの交差。
「木場の角乗り」は黒船橋公園(大横川ほとり)で公開される。

                    富岡・門前仲町の中心商店街が


                    永代通り門仲商店街


都市公園の原点ー5公園は、ー太政官布告5公園ー
1、芝公園ー面積規模・約16万8500坪ー55.61ha。
2、上野公園ー〃  ・約25万2000坪ー83.16ha.
3, 浅草公園ー〃  ・約6万7800坪ー6.37ha.
4, 深川公園ー〃  ・約1万9000坪ー6.3ha.
5, 飛鳥山公園ー〃 ・約1万3500坪ー4.46ha.

「深川公園」は、現在江東区の公園、面積約1.6haー都市計画公園面積約2.22heで地区の小さい公園に過ぎない。が、隣に不動堂をあさんでいる。
テニスコート二面・児童公園・運動公園部に別れ八幡宮境内と続き緑豊かな一角になっており、明治初めに移された不動堂への参詣人も多く
門前所では、縁日や屋台も出て下町の雰囲気充分な公園となっている。明治4年頃は、すべて深川公園に指定されていたのであろう。
                        


「祭礼」は、8月15日を中心に行われ、下町風の勇み肌の祭礼として知られ、文化4年1807年、あまりの人出で「永代橋」が落橋し、数百人ご溺死の記録が残っている。
                           運動公園と首都高が


「東京市立深川図書館」跡ー区登録史跡ー
明治42年、日比谷図書館に次いでこの公園に、洋風の図書館(清澄公園に残っている。後掲載します)創立された。



「紀伊国屋文左衛門」 役人と癒着した政商・豪商 1669-1734 紀伊の生まれ。
暴風雨をついて江戸に紀州産のミカンを売りまくっり巨利を得たと伝わる。勘定奉行ー荻原重秀・御用人柳沢吉保に取り入り、幕府御用達の木材商
として、度重なる江戸の大火に乗じ巨万の財を成している。
文左衛門千両で吉原借り切っている・節分に豆の代わりに金を見いている・諸般の役人に対し接待しいろいろ演出し江戸中「紀文」の名が・
絵師・戯作者のパトロンに・・・。が40歳で材木商廃業し、晩年は財産を使い果たしている。
富岡八幡宮へ大神輿を寄贈している。(文左衛門は、清澄庭園で)

           他の公園とは、違う雰囲気が残る「深川公園」


「深川不動」 -千葉県成田不動尊の東京別院ー
元禄16年の1703年江戸に出開張し、日本橋・浅草等に安置されていたが、明治11年、現地に堂宇が建立された。
千葉まで行かなくともいいとあって、江戸庶民は富岡へ、参拝客が多く、又自動車の交通安全祈祷が盛んになった。

                 尾上菊五郎の碑などが境内に


                       見事な彫刻の堂


                       深川不動堂


「富岡八幡宮」 富岡に鎮座、   祭神ー誉田別命・ほんだわけのみことー
1627年「長盛上人」が創建。隅田川河口の砂洲永代島を埋め立てて建てられたのでー永代島八幡とも云うー

江戸三大祭、3年毎に8月15日に近い土・日の深川祭・神田明神神田祭・日枝神社の山王祭


「深川七福神」

恵比寿神が「富岡八幡宮」。
弁財天は、冬木弁天堂・福禄寿は、心行寺・大黒天は、円珠院・毘沙門天は、龍光院・福禄寿は、深川稲荷・寿老人は、深川神明宮。

1684年から約150年間行われていた「勧進相撲」記念碑横綱力士像がある。


「伊能忠敬」日本地図を作った商家の隠居 1745-1818 測量家 千葉県佐原。
天文学者の「高橋至時・16歳年下」の門下に、測量術習得ー17年間で全国測量し「大日本沿海輿地全図」を編纂した。
一歩65cm歩測・72歳で終えている。尾道で過労で倒れている、3か月の足止めを。遺骨は、遺言で、高橋至時の傍らに葬られた。

                 測量のスタートは、富岡八幡宮で祈願して。


                    「深川祭」の千貫神輿


                   水かけ神輿で知られている。


                       本番の宮入


                     町内を練り歩く出車


                      境内の案内板


                          社殿

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