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京都 松尾大社 造酒の神「霊泉亀の井の水」 

2020-10-31 | syu散歩
日本史で京都は、何回も戦災を受け、町全体が焼け野原に。
応仁の乱は、室町時代の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までの約11年間にわたって継続した内乱。
室町幕府管領家の畠山氏、斯波氏の家督争いから、足利将軍家や細川勝元・山名宗全といった有力守護大名を巻き込み、幕府を東西2つに分ける大乱となり、それぞれの両国にも争いが拡大した。
明応2年(1493年)の明応の政変と並んで戦国時代移行の原因と。11年に亘る戦乱は、西軍が解体され収束したが、主要な戦場となった京都全域が壊滅的な被害を受けて荒廃した。
応仁元年(1467年)に起きたことから応仁の乱と呼ばれるが、戦が続いたことにより、応仁はわずか3年で文明へと改元された。
このように、戦乱期間の大半は文明年間であったので、応仁・文明の乱とも。
両軍の大将である山名宗全や細川勝元がこの世を去っても乱はなかなか収まらず、11年にも及ぶ戦いで、京都はすっかり焼け野原になりました。
足利義政の子の足利義尚が9代将軍を継ぐことに、もはや将軍の威光はなく、中央では有力な守護大名が室町幕府の実権を握る。
権力を握りたいがための争いだったのに、足利家にとってはなんとも皮肉な結末で、 形だけとなってしまった幕府は領地も兵力もほとんど持たないまま、ひっそりと約100年後まで続きますが最後は、織田信長によって滅ぼされる。

桂川・古くは、郡名葛野川とも呼んだ。その流域に「長岡京」が造営・東の鴨川・西の桂川「貴族の舟遊び・桂山荘・桂離宮・別荘地」が出来た。
下流部には、洛南・久世の工業団地と向日市長岡京市の住宅地化進んでいった。

松尾大社 西京区嵐山宮町に鎮座
祭神ー大山くいの神・中津島姫命。   701年秦忌寸都理の創建。  王城鎮護の神として朝廷の崇敬を集め、多くの荘園が寄進され勢力を振るっていた。
氏子城は、京都市街地の3分の1を占めたと云う。中世以降は、「造酒の神」として信仰されている。「霊泉亀の井の水」を使った酒は腐らないと云い伝えられている。
重文 本殿・男神坐像2体・女神坐像1体等がある。

















「嵐山線」は、市西京区の桂駅から嵐山駅までを結ぶ阪急電鉄の鉄道路線で、沿線に嵐山などの観光地を控え、行楽客や年末年始の初詣客で賑わう。
正式な起点は桂駅だが、列車運行上は嵐山駅から桂駅へ向かう列車が下り、逆方向が上り。
停車駅 梅田駅 - 十三駅 - 淡路駅 - 茨木市駅 - 高槻市駅 - 長岡天神駅 - 桂駅 - 上桂駅 - 松尾駅(現在の松尾大社駅)- 嵐山駅


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