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syuの日記・気まま旅

気まま旅・syu散歩・富士山麓のこと、
気ままに記録しています。

御霊神社と鶴岡八幡宮

2012-01-19 | 気まま旅
いよいよ今回の旅も終了です。

鎌倉が歴史の舞台に登場したのが、1180年「源頼朝」が鎌倉入りして幕府を成立させ、武家の府となってからである。それまではへんぴな農漁村だった。
それが、鶴岡八幡宮から由比ヶ浜の「若宮大路」を中心とし、武蔵大路、小町大路、車大路、西大路、二階堂大路・・。
大路と大路を抜ける辻子、外に「七切通し」、軍の御所、御家人屋敷、社寺、商工業者が入り、馬を扱う博労座、木材を扱う材木座などが組織化した。

宗教は、臨済宗(14)の寺が多く、北条、足利氏の庇護のもとでさかえた。文学では、源実朝「金塊和集」、阿仏尼「十六や日記
吉田兼好「徒然草」、
「太平記」「義経記」、夏目漱石「こころ」川端康成「山の音」と「鎌倉文士」大仏次郎、久保田万太郎、高見順、小林秀雄、吉屋信子、等。

「鎌倉御霊神社」権五郎神社の創建年代はハッキリしないが、御霊信仰思想の広がりと鎌倉氏による 地方開発の展開を考慮すると、平安時代後期であると
推定することができる。もとは関東 平氏五家の始祖、鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の5氏の霊を祀った 古い神社。

  

神社の境内には、かながわの名木100選にもなっている「鎌倉市指定天然記念物の タブの木」がある。樹齢約350年、樹高は20メートルにもなるそう。
タブの木は、 本州から沖縄に分布する常緑高木で、照葉樹林の代表的な木であるという。

「 鎌倉・江の島七福神」距離13.211km 1 浄智寺、2 鶴岡八幡宮・宝戒寺 、3 妙隆寺・本覚寺、4 長谷寺・御霊神社 5 江ノ島弁財天。御霊神社は、福禄寿。

    

鎌倉景政は左目を敵に射られながらも屈することなく、射手を倒し帰還した。左目に突き刺さった矢を抜こうと、一人の武士が景政の顔に足をかけたところ、
景政はその非礼を叱責したと言う。この伝承から、志の成就(学業成就、必勝招来)の神徳があるとされる。
また、林羅山の考定によれば眼病平癒にも効験があるとされる。「本朝神社考」

御霊神社境内                                御霊神社本殿
    


「旅館、対遷閣」
長谷寺の参道にあって戦前の和風旅館としての佇まいをよく残している建物として貴重な存在。
特に参道に面した建物正面の外観は特徴的で、2階部分には社寺建築などに見られる高欄が設けられ、これを支える持ち送り板や2階窓の上部に
設けられた欄間窓などが独特の風格を醸しだしています。

一般公開はしていないが、現在も営業中。

                      長谷寺参道              対遷閣
    

「長谷寺」山号海光山、浄土宗、開山徳道、開基藤原房前、736年創建、観音霊場坂東33観音4番札、奈良時代十一面観音立像

長谷寺山門


「鶴岡八幡宮」
「段葛」 八幡宮に続く若宮大路中央の石を積み上げた参道、別名「置石」ともいわれる。
1182年に源頼朝が妻政子の安産を祈願して、北条時政らに命じて造らせた。

駅から八幡宮まで、碁盤の目のようにお店が並んでいる、小町通り商店街。

小町通り                                  太鼓橋
    

倒れた銀杏の跡、新しい芽は出ているが、大きな銀杏がないのは寂しい。
  

少々疲れ気味、これで松田から鎌倉の散歩は終了します。