限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・31】『不遇時無功』

2010-04-30 08:59:26 | 日記
私が最近の日本の風潮で疑問に感じるのは、『頑張れば必ず報われる』という発想である。それはたいてい『これだけ頑張ったのだから、結果は必ずついてくる』という言葉となって表現される。頑張った分(投資)だけ、効果が現れる、いわば確定利回りの投資案件のようだ。努力するのもそういった結果につられた功利性が駆動力となっているような言い方に聞こえる。

二年ほどまえに、大河ドラマ『天地人』があったが、このタイトルは、孟子の言葉にある『天時不如地利,地利不如人和』(天の時は、地の利にしかず、地の利は人の和にしかず)に由来している。この言葉は、時の運よりも、人の和、つまり集団の結集力さえあれば困難は必ず克服できる、という発想から来ているように思える。

しかし、一方の観点から言えば、こういう言葉で、わざわざ励まさないといけないほど、中国人には結集力がない、という現実があった、と私は考えている。



さて、今回取り上げた言葉、『不遇時無功』(時にあわざれば功無し)とは、上で紹介したような、『努力、人の和』など、人的な営みよりも、時の運というのが成功の決定的要因を握っていると示唆している。

この句は、漢代の書、『呂氏春秋』(巻14、首時)に見出せる。

自ら努める人は、時節が到来するまでは、堪忍自重している。そして時が至れば、それまで一般庶民であった人でも天子の位につくことだってあるのだという。そこまでドラマチックな展開でなくとも、卑近な例でいうと、種まきでも、時節に合わせないと効果が全くない。つまり、『人雖智而不遇時無功』(人は、智といえども、時にあわざれば、功無し)であるという。

いっけん、退嬰的に聞こえるこの言葉が象徴しているように、中国人の考えというのは、本来的に長期戦でどう勝つかというのが発想の原点になっているようだ。そのようなしぶとさの好例が『まぶたに蛆を生ずるも死んだふりを続けた杜根』である。

同様に、三国志や中国の歴史書にでてくる将軍で、一度や二度の敗戦で責任をとって自殺するなどという人はほとんど見かけない。いくら大敗北してもとことん逃げて、また体制を建て直して挑戦してくる、いわゆる『捲土重来』を目指している。

もっとも、中国では『権力失墜、即、生命喪失』で述べたように人の命はただ同然だったので、兵がいくら死んでも、また人民を狩り集めて戦争に追い立てることが可能だった。それでこの『捲土重来』が成り立った、という現実を忘れてはいけない。(もっとも、この『捲土重来』の主人公の項羽は『捲土重来』を断念して討ち死にしているのではあるが。)

さて、『呂氏春秋』はこの節の締めくくりに、物事の判断で一番大切なのは、緻密な分析力や物事のプライオリティづけが出来ることでなく、時を知ることだ、と述べている。
『事之難易,不在小大,務在知時』
(事の難易、小大にあらず、務めは時を知るにあり。)
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