限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第363回目)『素人の特権』

2024-07-28 08:37:18 | 日記
私の処女作の『本当に残酷な中国史 ― 大著「資治通鑑」を読み解く』が出版されたのは10年前のことであった。初めての出版であったので、いろいろなことに驚かされた。一例として、タイトルが作者が付けるのではなく、出版社、それも営業サイドが決めるというがよくあることを知った。それまで私は、著作の内容や訴えたいことを一番よく知っているは著者自身であるので、当然のことながらタイトルは著者が決めるものだとばかり思っていた。しかし、角川のこのタイトルは角川の一存で決められてしまい、私の本来の趣旨とはかなり外れるものであった。詮無き繰り言をいってもしかたのないことだが、このタイトルによって、私は嫌中的傾向を持った人間であるかのような印象を世間に与えてしまった。

ところが、怪我の功名というべきか、このようなタイトルであったためであろうか、中国に対して批判的言動の多いジャーナリスト・櫻井よしこさんの目にとまり、産経新聞にコメントを頂いた。わずか十数行の文章であったが、驚くことに反響は甚大で、その後、数ヶ月にわたりアマゾンでは中国史や角川SSC新書部門では第1位であることもおおく、少なくともトップ5クラスのベストセラー挙げられていた。多くの人が読まれたため、批評もプラス、マイナス面いずれも多く寄せられた。自分の本に対して投げかけられた批評を読み、世の中の評価は必ずしも著者の言いたいことに対してのものではないことが分かった。言い換えれば、著者の言いたいことを正しく理解できる読者というのはほんの一握りであり、たいていは的外れの批評をしているということだった。

誰であるかは記憶が定かではないが、私の本に対して「素人が口出しするな」との批判をする人がいた。これは、中国歴史書の古典中の古典である資治通鑑について、中国史学の素人である私のような人間が、とやかくいうことは図々しいという意味と理解される。中国古典は難しいので専門家以外の人間は正しく理解できるはずがないのであるから、素人の書くことは間違っているはずだ、との考えのようだ。

私は、同書でも率直に認めているように、文献的に正確な解釈を述べようとしているわけではない。資治通鑑の文章をすなおに漢文読解して、そこから読み取れる中国人および中国社会の断面を示しているだけである。つまり、資治通鑑の本文に記述されていることがらに対して、史的に正しいかどうかの客観的検証する歴史学の立場ではなく、書かれていることから我々は何を学びとることができるか、という極めて主観的な立場からの記述を私は意図したのである。



この2つの立場(客観的、主観的)を、例えば、新種の魚が釣った時にどう処理するかという例え話で考えてみよう。

まず、客観性を重視する専門の生物学者であれば、その魚が新種の魚であるかどうか、生態やDNAなどいろいろな面から調査するであろう。一方、釣った魚を料理人が入手したとすると、さっそく、捌いておいしい料理を作るであろう。そして、それを食べた人は「うーん、こんな美味しい魚は今まで食べたことがなかった!」を感嘆をあげるかもしれない。一方、学者に渡った珍しい魚は、細切れにされてDNA検査をされ、骨格の構造などは正確に写し取られるはしても、一向にどのような味かはわからないだろう。

これまで数多くの中国古典やギリシャ・ローマの書物を読んできた私だが、いつも人生を考える上で有意義な情報や智恵をそこから汲み取ってきた。この意味で、資治通鑑も主観的に読んできたし、そこで得たものを読者と共有したいと思っている。学者でなく、素人であることの特権はこのような自由な読み方が許されていることではないか、と私は考える。
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【座右之銘・143】『Omne, quod est honestum, id quattuor partium oritur ex aliqua』

2024-07-21 11:20:26 | 日記
『有徳の人』という言葉は耳にした時、どういった人物像を想像するだろうか?謙虚、優しさ、正直、廉直、などいろいろだろう。言うまでもなく、徳は物理の法則のように、全時代、全世界を通じて不変であるようなものではなく、時代、場所によって変わる。つまり文化背景依存である。

今なお欧米では、今から遡ること2000数百年前の、古代ギリシャ・ローマの著名な人物が行動規範(モデル)となっている。具体的には、『プルターク英雄伝』に取り上げられている、カエサル、スキピオ、アリステーデースなどが敬仰されている。



古代ローマの雄弁家キケロに「De Officiis」(義務について)という著作があり、その中に当時の人々が抱いていた有徳の具体的内容が書かれている場所がある(巻1-15)。次の文で言われているように、徳の基本は四つであるということだ。

【原文】(Sed) omne, quod est honestum, id quattuor partium oritur ex aliqua.
【私訳】徳と呼ばれるものはとりも直さず次の四つのものから出てくる。
【英訳】But all that is morally right rises from some one of four sources
【独訳】Aber alles, was ehrenhaft ist, geht aus einem der vier Teilbereiche hervor.
【仏訳】Mais tout ce qui est honnêtte vient de l'une de ces quatre sources principales :

この個所で指摘されている四つとは『賢明、正直、勇気、寛大』だ。日本で好まれている有徳の人物像といえば、理不尽に怒ることなく、愚痴ることのない好々爺のような人物を想像しがちだが、ヨーロッパでは積極的に行動する、逞しいリーダー像が浮かんでくる。こういった基準から判断すると、アメリカのトランプ前大統領は有徳人物とみなすことも、アメリカ人にとっては可能だといえよう。
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智嚢聚銘:(第60回目)『中国四千年の策略大全(その60 )・最終回』

2024-07-14 10:16:54 | 日記
前回

馮夢龍『智嚢』の最後は、『雑智』というタイトルで、《狡黠》《小慧》という2巻がある。馮夢龍は智恵のランキングは不要と考えていたようで、この『雑智』も別に智恵が劣るというカテゴリーではなく、素晴らしい智恵だが、分類しにくいものというだけの意味で、「人は小賢しい策略をバカにするが、それによって苦しめられることも多い。どんな些細な智恵も取り柄はあるものだ」と評している。

 ***************************
 馮夢龍『智嚢』【巻27 / 999 / 郭純王燧】(私訳・原文)

東海に郭純という大変孝行な息子がいた。母が亡くなったが、泣く都度、鳥や大がたくさん集まってくるという。役所から人を出して調査させたところ本当だったので、その家と村の入り口に旗を立てて顕彰した。ところがその後調べてみると、その息子は泣く都度、地面に餅を撒いたので、鳥が争って集まってくることが分かった。たびたびそういう事をしたので、鳥は息子の泣き声を聞くだけで競って舞い降りてくるようになった。何も霊験のある話ではなかった。

東海孝子郭純喪母、毎哭則群鳥大集。使検有実、旌表門閭。復訊、乃是毎哭即撒餅於地、群鳥争来食之。其後数数如此、鳥聞哭声、莫不競湊、非有霊也。
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この、親孝行を騙って世評を高めた狡賢い息子の話に対して馮夢龍は次のようなコメントを残している。

戦国時代の昔、田単が考えだしたトリックをちょっと利用しただけだ。餅を撒くのは、多少の善事になるのは確かだが、それを孝というのはどうかと思う。(田単妙計、可惜小用。然撒餅亦資冥福、称孝可矣!)

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 馮夢龍『智嚢』【巻28 / 1047 / 黠豎子】(私訳・原文)

西嶺のおばさんの家の李(すもも)は非常に甘いのでよく盗まれる。それに腹を立てたおばさんが、李の囲いの下に穴を掘り、その中に糞尿を溜めておいた。いたずら小僧が3人で李を盗みに来て、一人が垣をよじ登って入ったが、糞尿の穴にぽとりと落ちてしまった。かろうじて首だけは糞尿に浸かっていないので、残りの二人に「おお~い、この李はうまいぞ~」と呼びかけた。また一人が垣を越えたが同じように糞尿の穴に落ちてしまった。「わあ~」と泣きそうになったので、始めの小僧が慌ててその口を押えて黙らせ、残りの一人に「早く来いよ~」と何度も呼びかけたので、最後の一人も垣を越えたがこれも穴に落ちた。二人の小僧は最初の小僧をなじると「もし、3人の内、だれか一人でも穴に落ちなかったら、一生笑い者にされてしまうじゃないか」と反論した。

西嶺母有好李、苦窺園者、設穽牆下、置糞穢其中。黠豎子呼類窃李、登垣、陥穽間、穢及其衣領、猶仰首於其曹、曰:「来、此有佳李。」其一人復墜、方発口、黠豎子遽掩其両唇、呼「来!来!」不已。俄一人又墜、二子相与詬病、黠豎子曰:「仮令三子者有一人不墜穽中、其笑我終無已時。」
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これは西嶺のおばさんの落とし穴にはまった3人の悪ガキの話で、サブタイトルがズバリ「黠豎子」とついている。

この話に対して馮夢龍は次のようなコメントを残す。

悪者が「拖人下渾水」(人を水にひきずりこむ)というのはこういうことを言うのだろう。相手にも共通の弱みがあるから裏切れないという仕掛けだ。(小人拖人下渾水、使開口不得、皆用此術、或伝此為唐伯虎事、恐未然。)

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 馮夢龍『智嚢』【巻28 / 1054 / 敖陶孫】(私訳・原文)

南宋では、派閥争いが熾烈で、韓侂冑と趙汝愚が対立していた。

しかし、とうとう韓侂冑が趙汝愚を死に追いやった。太学生の敖陶孫は酒楼の三元楼に登り、趙汝愚の死を悼んで詩を作り襖に書いた。書き終わって筆をおいてからまだ酒を一、二杯も飲んでいないのに、襖は誰かに盗まれてなくなっていた。敖陶孫は韓侂冑の仕業と気づき、急いで服を替えると徳利をもって下に降りていった。その時ちょうど敖陶孫を捕縛しにきた者たちと鉢合わせになった。捕縛者たちが「敖陶孫はまだ上にいるか?」と聞いたので、敖陶孫は素知らぬ顔をして「ああ、まだ飲んでいるよ」と答えた。捕縛者たちが二階へ駆け上がると、敖陶孫は外に逃げ出し、南方へ逃亡した。韓侂冑が殺害されると、敖陶孫は都に戻ってきて科挙を受験し、トップ合格した。

韓侂冑既逐趙汝愚至死、太学生敖陶孫賦詩於三元楼壁弔之。方投筆、飲未一二行、壁已舁去矣。敖知必為韓所廉、急更衣持酒具下楼、正逢捕者、問:「敖上舎在否?」対曰:「方酣飲。」亟亡命走閩。韓敗、乃登第一。

 ***************************

敖陶孫は科挙をトップ合格するぐらいであるから、文人中の文人と言えるであろう。しかるに、ここで見られるような武人にも劣らない機敏さを備えている。1989年の天安門事件のあと、何人もの学生運動家が機敏に国外逃亡したが、それを彷彿させるようなエピソードだ。



さて、60回にわたり、馮夢龍『智嚢』の話を連載したが、今回で最終回となる。ここに掲載した話は、2022年の初旬にビジネス社から上梓した『中国四千年の策略大全』の原稿として書いたものの、出版社の意向による枚数制限のため、出版できなかった話である。本とこのWeb連載を合わせると、『智嚢』(正式名称:『智嚢補』あるいは『智嚢全集』)の短い話の(ほぼ)全てを訳したし、『智嚢』全体としても、7割程度は訳した。『智嚢』にはかなりの長文の話もあるが、律儀に訳すと、Web連載では10本ほどの分量にもなるが、ほとんどた明時代の政争関連で、とりたててきらりと光る智恵が発揮されているわけでもない話が多い。それで、本でもこのWebでも長文を除いた。

今から400年ほどにかかれた『智嚢』を読むと、いかに中国人の言動が策略的であるか、また、それとの対比で、日本人の言動がいかに策略に乏しいものであるかが痛烈に思い知らされる。この点から、手前みそにはなるが『中国四千年の策略大全』は現代日本人、とりわけ中国人と関係をもたざるを得ない人々にとって必読書だと確信している。

(了)
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百論簇出:(第281回目)『シニア・エンジニアのPython事始(その7)』

2024-07-07 10:03:10 | 日記
前回
さて、前回紹介したフランスの百科事典"Grand Dictionnaire Encyclopedique" をダウンロードして、見ようとすると、該当ページを探すのには、幾つもの難関をクリアしなければならない。まず、探し出す項目が何巻の何ページにあるかを突き止めないといけない。索引がないので、各巻に含まれる最初の項目目と最後の項目名から大体どこらあたりにあるかを推測する必要がある。このためにPDFファイルを調べていくとすると、僅か一つの項目を探すのに多大な時間を要する。

問題はそれだけに止まらず、元の紙ベースのページ番号は、テキストページだけに振られていて、図や白紙のページは番号が振られていないことだ。それで、図版などが入っていると、PDFのページと紙ベースのページ数がずれて生じてしまう。これらのことから、紙のページ数とPDFページとの対応表をつくる必要があり、ようやくここでPythonの出番となる。

この作業の概略の手順は以下の通りだ。
1.PDFファイルを各ページ毎に個別のファイルに展開する。 (pdftk の burst 機能を使用)
2. 各ページのPDFファイルを画像(jpg)ファイルに変換する。 (pdfimages で変換)
3.各ページの画像ファイルの上部、つまり、エントリー項目名とページ数が印刷されている部分の画像を切り出す。 (Imagemagick の "convert 機能を使用) (あるいは、pdftoppm を使用しても同等の結果が得られる。)
4.3.で切り出された部分画像をOCR(文字認識)解析して、各PDFページ毎に(ページ数+エントリー項目)の対応リストを作る。 (python の OCR 機能を使用 -- 詳細説明は下記)


これら一連の作業で、1.から3.までは、Web上に存在する既存のソフトをダウンロードして簡単に対応できる。難関は4.のOCRだ。



以前から欧文のOCRには、FreeOCRというソフトを使っていたが、速度の点はともかくも、文字判定精度がかなり低いのには困っていた。とりわけ、今回のような古い時代の印刷物で、PDF用紙に多少歪みがあったり、文字が不鮮明な場合、判定精度はかなり落ちる。しかたないので、以前はオンラインのOCR(https://www.onlineocr.net/ja/、https://ezocr.net/OCR)などを使っていたが、いずれも枚数制限がある上に、判定精度もそれほど高くなかった。

しかし、Pythonでプログラミングが出来るようになって、OCR関連のWeb情報を調べると、Pythonのモジュールにはかなりの精度のものもあることがわかった。とりわけ、Google のVision AI がベストだとの情報があったので、早速試してみると、確かに格段の判定精度で、人間と遜色のないレベルで、逆に非常におどろいてしまった。しかし残念ながら、枚数に制限があるのがネックだ(月間、1000回までは無料)。

以下のコードは、下記サイトを参考にして作成した。
https://qiita.com/ku_a_i/items/93fdbd75edacb34ec610

====================

# -*- coding: Shift-JIS -*-

import pyocr, sys
from PIL import Image, ImageEnhance
import os, re
import glob

global tool;
global builder;
global counter;

def init():
global tool, builder;

#Path
TESSERACT_PATH = 'C:\\Program Files\\Tesseract-OCR' #
TESSDATA_PATH = 'C:\\Program Files\\Tesseract-OCR\\tessdata' #tessdataのpath

os.environ["PATH"] += os.pathsep + TESSERACT_PATH
os.environ["TESSDATA_PREFIX"] = TESSDATA_PATH

#OCR
tools = pyocr.get_available_tools()
tool = tools[0]

#OCR
builder = pyocr.builders.TextBuilder(tesseract_layout=6)

def ocr_image(ff_image, ff_txt):
global tool, builder;

img = Image.open(ff_image);
img_g = img.convert('L') #Gray
enhancer= ImageEnhance.Contrast(img_g) #
img_con = enhancer.enhance(2.0) #

txt_pyocr = tool.image_to_string(img, lang='eng', builder=builder)
ff_out = open(ff_txt, 'w', encoding='utf-8')
ff_out.write(txt_pyocr)
ff_out.close()

def usage():
print("Usage: py -B ocr_mult.py [image*.jpg] [txt prefix]");

def exe_ocr_mult(fname_image, out_prefix):
global counter

img_files = glob.glob(fname_image);
for ffile in img_files:
counter += 1;
tmp = ffile.split(".");
fbase = tmp[0];
outf = str("%s_%s.txt" %(out_prefix, fbase));
print("[%d] [%s] outf[%s]: " %(counter, ffile, outf));
ocr_image(ffile, outf);

#################################
def main():
global counter

counter = 0;
args = sys.argv
len_args = len(args);
fname_image = args[1];

out_prefix = "jj";
if len_args < 2:
usage();
return();

if len_args >= 2:
fname_img = args[1];
if len_args == 3:
out_prefix = args[2];

init();
exe_ocr_mult(fname_image, out_prefix);

if __name__== "__main__":
main();
====================


当然これだけでは、できなくて、見出し文字のインデックスを正しく作るにはまだまだ越えなければいけない山がある。

続く。。。
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