(前回)
『智嚢』の第5章には《術智》というサブタイトルが付けられている。智嚢の書全体が策略のオンパレードであるので、この章の策略の術が特に際立っている訳でもない。しかし、馮夢龍が数多い術策のなかで関心したのがこの章に書かれているような話だとすると、中国人がどのような策略を高く評価しているかが分かるが、「誠意」を高く評価する日本人とは確かに異なることが見てとれるであろう。
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馮夢龍『智嚢』【巻13 / 505 / 孔融】(私訳・原文)
清河出身の胡常と汝南出身の翟方進はどちらも経学博士であった。胡常の方が先輩であったにも拘わらず名声は翟方進の方が上だったので、翟方進を妬んでいて何かあると議論を吹っかけて負かそうとしていた。このことに気付いた翟方進は、学生向けの講義集会があると、いつも弟子の学生を集会に送り、経書の疑問の点について胡常に質問させて、その内容を筆記させた。長らく、こういったことがあって胡常はようやく翟方進が自分を尊敬してくれていることに満足し、それ以降、学者の集まりではいつも翟方進を誉めちぎっていた。
【馮夢龍】
人を尊敬することが廻りめぐって、自分が尊敬されることになる。バカな学者はこの簡単な理屈をしらない。
清河胡常、与汝南翟方進同経。常為先進、名誉出方進下、而心害其能、議論不右方進。方進知之、伺常大都授時、〈〔謂総集諸生大講。〕〉遣門下諸生至常所問大義疑難、因記其説。如此者久之、常知方進推已、意不自得、其後居士大夫間、未嘗不称方進。
〔馮評〕
尊人以自尊、腐儒為所用而不知。
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よく「男の妬みは女の妬みより激しい」といわれるように、金だけでなく、名誉や出世など、非物質的・観念的なものがからんだ男の世界では嫉妬が一層激しくなるのは当然であろう。先輩の胡常の一方的な嫉妬を避けるために、翟方進はわざと胡常を立てることで、いつかしら胡常を自分の味方につけた。それどころか、自分の名声を一層高めるための広告塔として胡常を利用したのが、翟方進の「術智」であった。
しかし、中国人であればいつもこのような策略を繰り出せる訳ではない。たとえば翟方進と逆に、劉少奇は毛沢東の嫉妬をもろに受けてしまい、無実であるにも拘わらず、文化大革命では悲惨な監禁死に追いやられてしまった。それを思うと、周恩来は翟方進ほどうまくはいかなかったものの、ともかくも毛沢東の嫉妬をするりと躱すだけの忍耐力と策略はもっていた。この辺りの話は、『毛沢東の私生活』『周恩来秘録』『鄧小平秘録』などに詳しい記述ある。これらの本は、私の感覚からは、現代版『資治通鑑』であり、中国は2000年経っても全く変わっていないと痛感させられる。
【漢代 画像石】
次は、酒癖の悪く、すぐに怒る上司をどのように諫めるかという課題を解決した役人の話だ。
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馮夢龍『智嚢』【巻15 / 593 / 張易】(私訳・原文)
張易が歙州の判事であった時、郡の長官である宋匡業は酒癖が悪く、酔うと人を殴ったり、果ては人殺しまでしたが誰も止めだてする者がいなかった。そこで、張易が一計を案じた。宋匡業が宴会をひらくというので、行く前から酒をのんで酔っぱらい、宴会でも酒をがぶ飲みしてわざと節度を失った振りをした。ちょっとしたことでも怒って、盃を投げつけ、机をひっくりかえし、大声で怒鳴りちらし、暴れまわった。宋匡業は張易の様子を見て、怖気づいて、ただ「判事殿は酔っぱらっているのでそっとしてやれ」と言っただけだった。張易は相変わらず酔っ払い、怒鳴り散らしていたが、急に帰ると言い出した。宋匡業は下僕に馬を引かせて張易を家まで送り届けさせた。このことがあってから、皆は張易に敬意を払い、酒を勧めようとはしなかった。宋匡業もそれまでの行いを改めたので、郡はうまく治まった。
〔馮夢龍評〕
小さなことでも、「先んずれば人を制す」ということが重要だ。医者は「毒を以って毒を攻める」と言うし、兵法家「夷を以って夷を攻める」と言う。
張易通判歙州、刺史宋匡業使酒陵人、果於誅殺、無敢犯者。易赴其宴、先故飲酔、就席。酒甫行、尋其少失、遽擲杯推案、攘袂大呼、詬責蜂起。匡業愕然不敢対、唯曰:「通判酔、性不可当也。」易嵬峨喑口悪自如。俄引去、匡業使吏掖就馬。自是見易加敬、不敢復使酒、郡事亦頼以済。
〔馮評〕
事雖瑣、頗得先発制人之術。在医家為以毒攻毒法、在兵家為以夷攻夷法。
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孔子が語った言葉を集めたのは『論語』であるが、それ以外にも雑多な本に孔子の言葉が載せられているが、調べようとすると手間がかかる。幸いなことに、『孔子家語』という本には論語以外の孔子の言葉(および事績)が多く載せられていて重宝する。(もっとも、学術的には由緒正しき本ではないと貶されているようではあるが。。。)
さて、『孔子家語』の《弁政編》で孔子は君主への諫め方に5通りの方法があるといって次のようにいう。
1.譎諫 ―― 遠回しに諫める。
2.戇諫 ―― 露骨に諫める。
3.降諫 ―― 一応は君主の意見に従ったような振りで諫める
4.直諫 ―― 正論で君主を真向から諫める
5.諷諫(風諫) ―― たとえ話を引いてそれとなく諫める。
孔子曰:「忠臣之諫君、有五義焉。一曰譎諫、正其事以譎諫其君二曰戇諫、戇諫無文飾也三曰降諫、卑降其体所以諫也四曰直諫、五曰風諫。唯度主而行之、吾從其風諫乎。」風諫依違遠罪避害者也。《孔子家語》
さしづめ、張易の宋匡業に対する諫め方は少々あらっぽいが「諷諫」とでも言えよう。孔子は、波風を立てることをしない「諷諫」がよろしいと言っていたが、いつもいつもそのようなやり方が通用する訳ではない。時と場合によっては、張易のような相手の度肝を抜くような諫め方も効果があるということだ。
(続く。。。)
『智嚢』の第5章には《術智》というサブタイトルが付けられている。智嚢の書全体が策略のオンパレードであるので、この章の策略の術が特に際立っている訳でもない。しかし、馮夢龍が数多い術策のなかで関心したのがこの章に書かれているような話だとすると、中国人がどのような策略を高く評価しているかが分かるが、「誠意」を高く評価する日本人とは確かに異なることが見てとれるであろう。
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馮夢龍『智嚢』【巻13 / 505 / 孔融】(私訳・原文)
清河出身の胡常と汝南出身の翟方進はどちらも経学博士であった。胡常の方が先輩であったにも拘わらず名声は翟方進の方が上だったので、翟方進を妬んでいて何かあると議論を吹っかけて負かそうとしていた。このことに気付いた翟方進は、学生向けの講義集会があると、いつも弟子の学生を集会に送り、経書の疑問の点について胡常に質問させて、その内容を筆記させた。長らく、こういったことがあって胡常はようやく翟方進が自分を尊敬してくれていることに満足し、それ以降、学者の集まりではいつも翟方進を誉めちぎっていた。
【馮夢龍】
人を尊敬することが廻りめぐって、自分が尊敬されることになる。バカな学者はこの簡単な理屈をしらない。
清河胡常、与汝南翟方進同経。常為先進、名誉出方進下、而心害其能、議論不右方進。方進知之、伺常大都授時、〈〔謂総集諸生大講。〕〉遣門下諸生至常所問大義疑難、因記其説。如此者久之、常知方進推已、意不自得、其後居士大夫間、未嘗不称方進。
〔馮評〕
尊人以自尊、腐儒為所用而不知。
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よく「男の妬みは女の妬みより激しい」といわれるように、金だけでなく、名誉や出世など、非物質的・観念的なものがからんだ男の世界では嫉妬が一層激しくなるのは当然であろう。先輩の胡常の一方的な嫉妬を避けるために、翟方進はわざと胡常を立てることで、いつかしら胡常を自分の味方につけた。それどころか、自分の名声を一層高めるための広告塔として胡常を利用したのが、翟方進の「術智」であった。
しかし、中国人であればいつもこのような策略を繰り出せる訳ではない。たとえば翟方進と逆に、劉少奇は毛沢東の嫉妬をもろに受けてしまい、無実であるにも拘わらず、文化大革命では悲惨な監禁死に追いやられてしまった。それを思うと、周恩来は翟方進ほどうまくはいかなかったものの、ともかくも毛沢東の嫉妬をするりと躱すだけの忍耐力と策略はもっていた。この辺りの話は、『毛沢東の私生活』『周恩来秘録』『鄧小平秘録』などに詳しい記述ある。これらの本は、私の感覚からは、現代版『資治通鑑』であり、中国は2000年経っても全く変わっていないと痛感させられる。
【漢代 画像石】
次は、酒癖の悪く、すぐに怒る上司をどのように諫めるかという課題を解決した役人の話だ。
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馮夢龍『智嚢』【巻15 / 593 / 張易】(私訳・原文)
張易が歙州の判事であった時、郡の長官である宋匡業は酒癖が悪く、酔うと人を殴ったり、果ては人殺しまでしたが誰も止めだてする者がいなかった。そこで、張易が一計を案じた。宋匡業が宴会をひらくというので、行く前から酒をのんで酔っぱらい、宴会でも酒をがぶ飲みしてわざと節度を失った振りをした。ちょっとしたことでも怒って、盃を投げつけ、机をひっくりかえし、大声で怒鳴りちらし、暴れまわった。宋匡業は張易の様子を見て、怖気づいて、ただ「判事殿は酔っぱらっているのでそっとしてやれ」と言っただけだった。張易は相変わらず酔っ払い、怒鳴り散らしていたが、急に帰ると言い出した。宋匡業は下僕に馬を引かせて張易を家まで送り届けさせた。このことがあってから、皆は張易に敬意を払い、酒を勧めようとはしなかった。宋匡業もそれまでの行いを改めたので、郡はうまく治まった。
〔馮夢龍評〕
小さなことでも、「先んずれば人を制す」ということが重要だ。医者は「毒を以って毒を攻める」と言うし、兵法家「夷を以って夷を攻める」と言う。
張易通判歙州、刺史宋匡業使酒陵人、果於誅殺、無敢犯者。易赴其宴、先故飲酔、就席。酒甫行、尋其少失、遽擲杯推案、攘袂大呼、詬責蜂起。匡業愕然不敢対、唯曰:「通判酔、性不可当也。」易嵬峨喑口悪自如。俄引去、匡業使吏掖就馬。自是見易加敬、不敢復使酒、郡事亦頼以済。
〔馮評〕
事雖瑣、頗得先発制人之術。在医家為以毒攻毒法、在兵家為以夷攻夷法。
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孔子が語った言葉を集めたのは『論語』であるが、それ以外にも雑多な本に孔子の言葉が載せられているが、調べようとすると手間がかかる。幸いなことに、『孔子家語』という本には論語以外の孔子の言葉(および事績)が多く載せられていて重宝する。(もっとも、学術的には由緒正しき本ではないと貶されているようではあるが。。。)
さて、『孔子家語』の《弁政編》で孔子は君主への諫め方に5通りの方法があるといって次のようにいう。
1.譎諫 ―― 遠回しに諫める。
2.戇諫 ―― 露骨に諫める。
3.降諫 ―― 一応は君主の意見に従ったような振りで諫める
4.直諫 ―― 正論で君主を真向から諫める
5.諷諫(風諫) ―― たとえ話を引いてそれとなく諫める。
孔子曰:「忠臣之諫君、有五義焉。一曰譎諫、正其事以譎諫其君二曰戇諫、戇諫無文飾也三曰降諫、卑降其体所以諫也四曰直諫、五曰風諫。唯度主而行之、吾從其風諫乎。」風諫依違遠罪避害者也。《孔子家語》
さしづめ、張易の宋匡業に対する諫め方は少々あらっぽいが「諷諫」とでも言えよう。孔子は、波風を立てることをしない「諷諫」がよろしいと言っていたが、いつもいつもそのようなやり方が通用する訳ではない。時と場合によっては、張易のような相手の度肝を抜くような諫め方も効果があるということだ。
(続く。。。)