限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

智嚢聚銘:(第26回目)『『中国四千年の策略大全(その 26)』

2023-03-26 11:51:31 | 日記
前回

『智嚢』の第5章には《術智》というサブタイトルが付けられている。智嚢の書全体が策略のオンパレードであるので、この章の策略の術が特に際立っている訳でもない。しかし、馮夢龍が数多い術策のなかで関心したのがこの章に書かれているような話だとすると、中国人がどのような策略を高く評価しているかが分かるが、「誠意」を高く評価する日本人とは確かに異なることが見てとれるであろう。

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 馮夢龍『智嚢』【巻13 / 505 / 孔融】(私訳・原文)

清河出身の胡常と汝南出身の翟方進はどちらも経学博士であった。胡常の方が先輩であったにも拘わらず名声は翟方進の方が上だったので、翟方進を妬んでいて何かあると議論を吹っかけて負かそうとしていた。このことに気付いた翟方進は、学生向けの講義集会があると、いつも弟子の学生を集会に送り、経書の疑問の点について胡常に質問させて、その内容を筆記させた。長らく、こういったことがあって胡常はようやく翟方進が自分を尊敬してくれていることに満足し、それ以降、学者の集まりではいつも翟方進を誉めちぎっていた。

【馮夢龍】

人を尊敬することが廻りめぐって、自分が尊敬されることになる。バカな学者はこの簡単な理屈をしらない。

清河胡常、与汝南翟方進同経。常為先進、名誉出方進下、而心害其能、議論不右方進。方進知之、伺常大都授時、〈〔謂総集諸生大講。〕〉遣門下諸生至常所問大義疑難、因記其説。如此者久之、常知方進推已、意不自得、其後居士大夫間、未嘗不称方進。

〔馮評〕
尊人以自尊、腐儒為所用而不知。
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よく「男の妬みは女の妬みより激しい」といわれるように、金だけでなく、名誉や出世など、非物質的・観念的なものがからんだ男の世界では嫉妬が一層激しくなるのは当然であろう。先輩の胡常の一方的な嫉妬を避けるために、翟方進はわざと胡常を立てることで、いつかしら胡常を自分の味方につけた。それどころか、自分の名声を一層高めるための広告塔として胡常を利用したのが、翟方進の「術智」であった。

しかし、中国人であればいつもこのような策略を繰り出せる訳ではない。たとえば翟方進と逆に、劉少奇は毛沢東の嫉妬をもろに受けてしまい、無実であるにも拘わらず、文化大革命では悲惨な監禁死に追いやられてしまった。それを思うと、周恩来は翟方進ほどうまくはいかなかったものの、ともかくも毛沢東の嫉妬をするりと躱すだけの忍耐力と策略はもっていた。この辺りの話は、『毛沢東の私生活』『周恩来秘録』『鄧小平秘録』などに詳しい記述ある。これらの本は、私の感覚からは、現代版『資治通鑑』であり、中国は2000年経っても全く変わっていないと痛感させられる。


  【漢代 画像石】

次は、酒癖の悪く、すぐに怒る上司をどのように諫めるかという課題を解決した役人の話だ。

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 馮夢龍『智嚢』【巻15 / 593 / 張易】(私訳・原文)

張易が歙州の判事であった時、郡の長官である宋匡業は酒癖が悪く、酔うと人を殴ったり、果ては人殺しまでしたが誰も止めだてする者がいなかった。そこで、張易が一計を案じた。宋匡業が宴会をひらくというので、行く前から酒をのんで酔っぱらい、宴会でも酒をがぶ飲みしてわざと節度を失った振りをした。ちょっとしたことでも怒って、盃を投げつけ、机をひっくりかえし、大声で怒鳴りちらし、暴れまわった。宋匡業は張易の様子を見て、怖気づいて、ただ「判事殿は酔っぱらっているのでそっとしてやれ」と言っただけだった。張易は相変わらず酔っ払い、怒鳴り散らしていたが、急に帰ると言い出した。宋匡業は下僕に馬を引かせて張易を家まで送り届けさせた。このことがあってから、皆は張易に敬意を払い、酒を勧めようとはしなかった。宋匡業もそれまでの行いを改めたので、郡はうまく治まった。

〔馮夢龍評〕

小さなことでも、「先んずれば人を制す」ということが重要だ。医者は「毒を以って毒を攻める」と言うし、兵法家「夷を以って夷を攻める」と言う。

張易通判歙州、刺史宋匡業使酒陵人、果於誅殺、無敢犯者。易赴其宴、先故飲酔、就席。酒甫行、尋其少失、遽擲杯推案、攘袂大呼、詬責蜂起。匡業愕然不敢対、唯曰:「通判酔、性不可当也。」易嵬峨喑口悪自如。俄引去、匡業使吏掖就馬。自是見易加敬、不敢復使酒、郡事亦頼以済。

〔馮評〕
事雖瑣、頗得先発制人之術。在医家為以毒攻毒法、在兵家為以夷攻夷法。
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孔子が語った言葉を集めたのは『論語』であるが、それ以外にも雑多な本に孔子の言葉が載せられているが、調べようとすると手間がかかる。幸いなことに、『孔子家語』という本には論語以外の孔子の言葉(および事績)が多く載せられていて重宝する。(もっとも、学術的には由緒正しき本ではないと貶されているようではあるが。。。)

さて、『孔子家語』の《弁政編》で孔子は君主への諫め方に5通りの方法があるといって次のようにいう。
1.譎諫 ―― 遠回しに諫める。
2.戇諫 ―― 露骨に諫める。
3.降諫 ―― 一応は君主の意見に従ったような振りで諫める
4.直諫 ―― 正論で君主を真向から諫める
5.諷諫(風諫) ―― たとえ話を引いてそれとなく諫める。

孔子曰:「忠臣之諫君、有五義焉。一曰譎諫、正其事以譎諫其君二曰戇諫、戇諫無文飾也三曰降諫、卑降其体所以諫也四曰直諫、五曰風諫。唯度主而行之、吾從其風諫乎。」風諫依違遠罪避害者也。《孔子家語》

さしづめ、張易の宋匡業に対する諫め方は少々あらっぽいが「諷諫」とでも言えよう。孔子は、波風を立てることをしない「諷諫」がよろしいと言っていたが、いつもいつもそのようなやり方が通用する訳ではない。時と場合によっては、張易のような相手の度肝を抜くような諫め方も効果があるということだ。

続く。。。
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百論簇出:(第270回目)『中国の天人合一思想は、ビッグデータか?』

2023-03-19 01:02:03 | 日記
中国の天人合一思想、つらつら考えるに、現代風に言い換えれば、ビッグデータということになるのではないだろうか?つまり、多くの現象を記録し、その中から特定の天体現象と人間界の事象の一致するデータを見つけるという作業になる。要は、法則性という因果関係を見い出すのではなく、法則性がなくとも単なる事象の相関関係を見い出すというビッグデータ的観点だ。

天人合一思想に限らず、中国特有の点は、一度あるいは数度の事象を無理やり一般化しようとする傾向にあることだ。。例えば、「白虹日を貫く、はっこうひをつらぬく」のような現象は何度も発生した訳ではないにも拘わらず、こういう現象が起きれば、あたかも必ず乱が発生するという法則であるような巧みな表現をする。ビッグデータはあくまでも、相関関係を示すものではないにも拘わらずそれを因果関係と読み替えている、これがトリックの真髄だ。

中国人の発明、数多いし、天才的なひらめきを感じる。『中国四千年の策略大全』には中国人の策略の数々を紹介したが、こういった策略を考えだす能力は、天人合一思想を思いつたり、始皇帝の地下宮殿、煬帝の仕掛け図書館やからくり人形などの突飛な発明にも通じる。
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智嚢聚銘:(第25回目)『『中国四千年の策略大全(その 25)』

2023-03-12 08:58:14 | 日記
前回

中国の官僚は科挙に合格しなければなれない、極めてエリートコースだ。科挙では、詩文がテストされるので、合格者はこちこちのがり勉タイプかと思われるかもしれないが、中には非常に柔軟性に富んだ人も官僚となっている。そのような知恵者の祝知事のお話2つ。(残念ながら、祝知事に関する詳しいことは調べても分からない。)

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 馮夢龍『智嚢』【巻12 / 503 / 祝知府】(私訳・原文)

南昌出身の祝知事は清廉で智恵のまわる役人として知られていた。寧王府に一匹の鶴が民間の犬に咬まれて死んだ。寧王府の役人が「鶴の首には皇帝から拝領した金輪(金牌)を付けていた」と訴えでた。祝知事は次のように判定した「鶴の首に金輪が付いていたにしても、犬は字を知らない。獣同士が殺し合うのは当たり前のことで、人間が関与する必要があろうか?」と言って、犬の飼い主を釈放した。

南昌祝守以廉能名。寧府有鶴、為民犬咋死、府卒訟之云:「鶴有金牌、乃出御賜。」祝公判云:「鶴帯金牌、犬不識字;禽獣相傷、豈乾人事?」竟縦其人。
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皇帝から金牌を頂いた鶴が殺されたと難癖をつけ、あわよくば、犬の飼い主から莫大な損害賠償をかすめとろうとしたのがこの話。



同じく、祝知事のウィットの富んだ名判決の話。

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 馮夢龍『智嚢』【巻12 / 503 / 祝知府】(私訳・原文)

二軒の牛が争って、一匹の牛が死んだ。両家が訴えたのに対しての判決。「死んだ牛は両家で食べ、生き残った牛は両家で仲良く耕作に使え。」

両家牛鬥、一牛死、判云:「両牛相争、一死一生;死者同享、生者同耕。」
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裁判官というのは、何も膨大な法律を丸暗記しているだけではだめで、良識のある判断を下せることが重要というのが祝知事のこの2つの案件から分かる。

続く。。。
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『中国が台湾を欲しいのは 故宮博物館の宝物のせい?!』

2023-03-05 16:56:16 | 日記
近年、中国が台湾の独立を認めず、ややもすれば軍事的に奪取しようか、との気配すら感じさせる。しかし現実的には、今回のウクライナ戦争を見ても分かるように、もし本当に中国が軍事的行動を起こせば、アメリカが黙ってはいないだろう。当然、日本も台湾を護るために何らかの行動を起こすのは間違いない。

根本的に台湾問題というのは、中国政府のいう「台湾は中国固有の領土」という点を明らかにしない限り正しい道が見えない。

歴史を繙けば明らかなように、台湾が中国の領土に編入されたのは、極めて最近で、清の時代以降である。それ以前は、中国本土、とりわけ福建省と民間人レベルの人的交流はあったとは言え、国家的観点からは全く別々の国であり、中国人は台湾にはまったく関心をもっていなかった。この点は、おなじ中国の領土問題であるチベットやウイグルのような古来、幾たびも激しい戦闘を交えた相手とは根本的に異なる。つまり、台湾は台湾人のものという台湾人の主張は説得性を持っている。(もっとも、同じ論法を使うと、北海道や沖縄も日本に編入されたのは、明治維新、あるいは江戸時代以降であるので、これらの土地は日本固有の領土とは言えなくなるのではあるが。。。)

一方、中国本土から見れば、清以降、ここ400年来ずっと中国の領土であったのだから、台湾は中国の一部だという理屈もそれなりの説得性はある。その上、厄介なのは第二次世界大戦後、蒋介石が共産党の手を逃れ台湾に『避難』して中華民国を名乗っているのであるから、当然台湾も中華民国の後裔であるという理屈だ。



こういう経緯はさておき、現在、世界の半導体業界では台湾の存在は欠かせないものとなっている。いわば、世界の半導体をアメリカと二分していると言っても過言ではない。そのような台湾を欲しがるのも無理はないとだれもが考えているが、私の見方はこれとは異なる。

ずばり、中国が台湾を欲しがるのは、故宮博物館の宝物なのである。故宮博物館とはその名のとおり、中国歴代の王朝が精魂傾けて集めた宝物は北京の故宮に収められていた。ところが、中華人民共和国が成立する直前に蒋介石が故宮の宝物の中の名品を選りすぐり、大きな木箱3000箱につめて、台湾へ軍艦で輸送したのだ。つまり、人や黄金よりも幾層倍も価値があったのが、中国伝来の宝物なのだ。「たかが、美術工芸品のために?」と思われるかもしれないが、類似の事象は、室町初期の南北朝時代、北朝は三種の神器を執拗に南朝に求めたにも見られる。

要は、台湾に故宮の名品がある限り、中国共産党の羨望の眼差しは続き、台湾併合の野望は止むことはない、と私には思える。
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