先ごろ、性同一性障害の人の戸籍上の性別について定めた特例法に関して最高裁が、生殖機能をなくす手術は不要との判断をしめした。つまり、手術を強制するのは「個人の意思に反して体を傷つけられない自由の侵害にあたる」という理由だ。誰が考えても、性器をとるのは非常な苦痛を伴うことが分かる。つまり、不要な苦痛を強いることは人権侵害にあたるという判断だ。この判断で引き起こされる、社会状勢に対して整合性のある法律をどのように作っていくのかが注目される。
さて、苦痛に関連する裁判と言えば、病気から回復の見込みなく、苦痛にさいなまれている人からの依頼で医師が安楽死をさせたために有罪となっているケースがしばしば報道される。日本では安楽死が法的に認められていないため、いたずらに苦痛を長引かせるだけの治療が横行している。オランダのように、本人の意思で安楽死が選択できるなら、いわゆる「終活」を計画的にできることだろう。
さて、冒頭にも挙げられていた「苦痛」であるが、この点に関しては、2000年前のギリシャ・ローマではすでに、人生において「苦痛は最悪だ」との認識があった。提唱者はエピクロスである。ローマの弁論家のキケロの本『善と悪の究極について』"De finibus, bonorum et malorum"には次のような一節がある。(巻1、42節)
【原文】summum esse bonum iucunde vivere
【私訳】最高の「善」とは快適に生きること
【英訳】 that the Chief Good is to live agreeably.
【独訳】dass es das hoechste Gut ist, angenehm zu leben.
【仏訳】que le souverain bien est de vivre avec volupté.
世間では「エピキュリアン=快楽主義者」と誤解されているエピクロスのいう「快楽」は本当は「快適な生活をする」ということであり、その実態は「精神的および肉体的に苦痛がないこと」ということである。エピクロスから2000年経って、ようやく日本でもエピクロスの主張の一端が認められたが、まだまだ、不必要な苦痛を強いている制度は日本にはいくつかある。肉体的苦痛に関しては上に述べた安楽死、精神的苦痛に関しては夫婦別姓制度、どれも早急に実現して欲しいものだと私は切に願っている。
さて、苦痛に関連する裁判と言えば、病気から回復の見込みなく、苦痛にさいなまれている人からの依頼で医師が安楽死をさせたために有罪となっているケースがしばしば報道される。日本では安楽死が法的に認められていないため、いたずらに苦痛を長引かせるだけの治療が横行している。オランダのように、本人の意思で安楽死が選択できるなら、いわゆる「終活」を計画的にできることだろう。
さて、冒頭にも挙げられていた「苦痛」であるが、この点に関しては、2000年前のギリシャ・ローマではすでに、人生において「苦痛は最悪だ」との認識があった。提唱者はエピクロスである。ローマの弁論家のキケロの本『善と悪の究極について』"De finibus, bonorum et malorum"には次のような一節がある。(巻1、42節)
【原文】summum esse bonum iucunde vivere
【私訳】最高の「善」とは快適に生きること
【英訳】 that the Chief Good is to live agreeably.
【独訳】dass es das hoechste Gut ist, angenehm zu leben.
【仏訳】que le souverain bien est de vivre avec volupté.
世間では「エピキュリアン=快楽主義者」と誤解されているエピクロスのいう「快楽」は本当は「快適な生活をする」ということであり、その実態は「精神的および肉体的に苦痛がないこと」ということである。エピクロスから2000年経って、ようやく日本でもエピクロスの主張の一端が認められたが、まだまだ、不必要な苦痛を強いている制度は日本にはいくつかある。肉体的苦痛に関しては上に述べた安楽死、精神的苦痛に関しては夫婦別姓制度、どれも早急に実現して欲しいものだと私は切に願っている。