限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・139】『summum esse bonum iucunde vivere』

2023-10-29 12:47:44 | 日記
先ごろ、性同一性障害の人の戸籍上の性別について定めた特例法に関して最高裁が、生殖機能をなくす手術は不要との判断をしめした。つまり、手術を強制するのは「個人の意思に反して体を傷つけられない自由の侵害にあたる」という理由だ。誰が考えても、性器をとるのは非常な苦痛を伴うことが分かる。つまり、不要な苦痛を強いることは人権侵害にあたるという判断だ。この判断で引き起こされる、社会状勢に対して整合性のある法律をどのように作っていくのかが注目される。

さて、苦痛に関連する裁判と言えば、病気から回復の見込みなく、苦痛にさいなまれている人からの依頼で医師が安楽死をさせたために有罪となっているケースがしばしば報道される。日本では安楽死が法的に認められていないため、いたずらに苦痛を長引かせるだけの治療が横行している。オランダのように、本人の意思で安楽死が選択できるなら、いわゆる「終活」を計画的にできることだろう。



さて、冒頭にも挙げられていた「苦痛」であるが、この点に関しては、2000年前のギリシャ・ローマではすでに、人生において「苦痛は最悪だ」との認識があった。提唱者はエピクロスである。ローマの弁論家のキケロの本『善と悪の究極について』"De finibus, bonorum et malorum"には次のような一節がある。(巻1、42節)

【原文】summum esse bonum iucunde vivere
【私訳】最高の「善」とは快適に生きること
【英訳】 that the Chief Good is to live agreeably.
【独訳】dass es das hoechste Gut ist, angenehm zu leben.
【仏訳】que le souverain bien est de vivre avec volupté.

世間では「エピキュリアン=快楽主義者」と誤解されているエピクロスのいう「快楽」は本当は「快適な生活をする」ということであり、その実態は「精神的および肉体的に苦痛がないこと」ということである。エピクロスから2000年経って、ようやく日本でもエピクロスの主張の一端が認められたが、まだまだ、不必要な苦痛を強いている制度は日本にはいくつかある。肉体的苦痛に関しては上に述べた安楽死、精神的苦痛に関しては夫婦別姓制度、どれも早急に実現して欲しいものだと私は切に願っている。
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智嚢聚銘:(第41回目)『中国四千年の策略大全(その 41)』

2023-10-22 10:52:11 | 日記
前回

10年前に習近平が国家主席になってから、「ハエも叩く、虎も叩く」の掛け声の下、汚職一掃に乗り出した。汚職官僚の親玉であった江沢民一派の薄熙来や周永康を始め、多数の汚職官僚が追放されたり、投獄された。これら汚職官僚は、伝統的には「濁官」と呼ばれた。清廉な官僚は「清官」と呼ばれた。

ただ、清廉の認識において、日本と伝統中国には天地懸隔の差がある、というのは「清官三代」という語から分かる。「清官」の官僚が地方都市の知事を一期でも務めると、子孫が三代にわたって不自由なく暮らせるだけの金が貯まるというのだ。うまり、特段、意地汚く賄賂を受け取らなくとも、短期間のうちに大金持ちになれるのだ。これはなにも、国から役人として高い給料をもらっているわけでなく、世人が勝手に莫大な付け届けを送ってくれるからだ。当然、この付け届けは贈り主個人の恣意的な頼みごとがからんでいるので、賄賂性は高い。とはいうものの、理論的に考えれば、受け取る方が金に目をくらまされず、理性的な言動をすればいいだけの話となる。しかし、そのような理性的判断を下せる人は少なかった。ただ、史書には理性を失わなかった清官の特異例が、たまに見つかる。

例えば『清史稿』巻476に張壎という役人の伝があるが、清廉であっただけでなく、民生(民衆のための福利厚生)に力を注いで、地元民から大いに敬愛されたと書かれている。それが分かるのは、張壎の長年にわたる功績が中央政府に認められ、別の都市に栄転が決まったとき、地元民は道を塞いで嘆き悲しんだという。その後、地元民が自発的に祠を立てて、肖像画を飾り、その横に「天下清官第一」の碑を立てた。中国の史書には総じて濁官が多く登場するが、それでもこのような清官(あるいは循吏という)も記録にはまた、数多く残る。


こういった伝統中国における役人の実態を知ると、次の話は納得できるだろう。

 ***************************
 馮夢龍『智嚢』【巻20 / 774 / 宋均盧垣】(私訳・原文)

唐の大臣唐の盧坦が河南尉として赴任した時、上司の杜黄裳が盧坦に訓戒を述べた「ある金持ちの息子が悪人と付き合って破産してしまった。こういったことが無いようにしないといけない」。 盧坦は反論して言うには「官僚というのは大臣になってもそれほど金が溜まるものではありません。もし財産を蓄えたというなら、それはきっと下々の者からむしり取ったに違いありません。もし子孫がその財産を大事に護っているとしたら、これは天が不道徳な家を富ませていることになります。それより、蓄えた金を散財して人々に還元するほうがいいのではありませんか!」 杜黄裳はその論の常識はずれなのに驚いた。

唐盧坦、字保衡、始仕為河南尉、時杜黄裳為尹、召坦諭曰:「某巨室子、与悪人游、破産、盍察之。」坦曰:「凡居官廉,雖大臣無厚蓄、其能積財者、必剥下致之。如子孫善守、是天富不道之家;不若恣其不道、以帰於人也!」黄裳驚異其言。
 ***************************

官吏というのは本当に清廉であれば財産など溜まらないはずだ。つまり、官吏に財産があるとすると、その富は不正に庶民から吸い上げて得たものに違いない、というのが盧坦の論理だ。それ故、大臣の息子が蕩尽するなら庶民へ還元しているのであるから、それは喜ぶべきことだと、世間の一般常識に反する盧坦の鋭い指摘に、杜黄裳は驚いた。杜黄裳は、唐建国の太宗に使えた重臣・杜如晦の六世の孫というから名家の人間である。生まれ育ちが善すぎて、盧坦のような人々の暮しからの視線が無かったのだろう。

続く。。。
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百論簇出:(第277回目)『シニア・エンジニアのPython事始(その3)』

2023-10-15 08:43:18 | 日記
前回

現在、Pythonを使い始めて2月ほど経ち、いくつかのプログラムを作って使い勝手を調べている。簡単なデータ処理は、いつもならAWKでさっさと済ますしてしまうが、今は練習のためにわざわざPythonを使って書いている。たとえば、ウェブ上のデータの文字コードは現在では、たいていUTF-8であるが、私は長年Windowsを使っているので、Shift-JISの方が使いやすいし、蓄積したデータのほとんど全てがShift-JISだ。それで、現在でも、WebからダウンロードしたファイルはUTF-8からShift-JISに変換して格納している。この処理は、至って簡単な作業だ。たとえば、Pythonプログラムを一括してShift-JISに変換するにはわずか3ステップで完了する。

【ステップ1】Pythonファイルの名前をリストを作成する。
【ステップ2】リストに従って、.py ==> .org に名称変更する。
【ステップ3】同じリストを使い、UTF-8フォーマットの .org をShift-JISに変換して .py として同じ場所に格納する。

後ほど、詳しく説明するが、このような作業はいつも、都度、AWKで書いて処理しているが、ものの数分で完了する。今回、Pythonで書いてみたが、文法エラーや、関数の引数などを調べていて、結局、1時間もかかってしまった。仕事の効率からいえば、断然AWKの方が早いのだが、遅れた理由は私がPythonに未熟なせいだけでもない。時間がかかった理由は、Pythonはあまりにも汎用なので、今回のような単純作業では本来の仕事にとりかかるまでの準備で時間(プログラムコード作成時間)がかかってしまうのだ。

その理由を、具体的に説明しよう。

まず、Pythonファイルのリストは次のようなものだ。[py.lst]
 1: d10.py                       726 2023-09-XX 09:14:27  637
 2: d6.py                        456 2023-09-XX 14:04:06  555
 3: d7.py                       1113 2023-09-XX 14:15:22  824
 4: d8.py                       1412 2023-09-XX 14:27:57  275
 5: d9.py                        892 2023-09-XX 12:33:27  687
 6: exe_expandf.py              1096 2023-09-XX 14:22:08  854
 7: exe_expandf0.py              722 2023-09-XX 11:18:37  481
 8: exe_pdf2txt.py              1862 2023-08-XX 18:50:13  108
 9: expand.py                    913 2023-09-XX 14:03:24  857
10: fnexpdf.py                   456 2023-09-XX 22:04:06  555

処理は、このリストを読み込み .py ==> .org にrename する。まず、AWKプログラムをお見せしよう。
{
# jgawk -f cnv_fname.awk py.lst

  if(length($0) ==0 ) exit;

  split($1, aa, ":"); 
  ff = $2
  fforg = sprintf("%s%s", aa[2], $2);
  gsub(/\.py/, ".org", fforg);

  printf("ren %s %s\n", ff, fforg);
}

わずか数行で、処理が終わる。これに対して、Pythonファイルは40行も必要だ!(もっとも、もう少し工夫すれば、30行程度にはなるだろうが。。。)--
# -*- coding: Shift-JIS -*-
## py cnv_fname.py py.lst

import os, sys, re

end_flag = False;

def main():
  global end_flag;

  args = sys.argv;
  xx1 = len(args);

  fin_fname = args[1]
  fin = open(fin_fname, 'rt');

  while end_flag == False:
    sstxt = fin.readline();
    do_cnv_sjis(sstxt);

def do_cnv_sjis(sstxt):
  global end_flag;

  xlen = len(sstxt);
  if xlen <= 1:
    end_flag = True;
  else:
    ss2 = sstxt.split(':');

    dirx = str(ss2[1]);
    dirx2 = re.sub(' ', '', dirx);
    dirx3 = dirx2.split('.py');
    orgff = dirx3[0] + ".org";
    ff = dirx3[0] + ".py";

    print("copy %s %s"  %(ff, orgff));

if __name__== "__main__":
 main();

このように、2つのプログラミング言語で同じ処理を行うとそれぞれの言語の適/不適が明瞭に分かる。
AWKは与えられたデータファイルを一行ずつ読み込むことを想定している。それで、何も指示しなくてもファイル名が与えられると、自動的にファイルをオープンし、一行毎、読み込んで、その内容を与えてくれる。くれる。また、仕切り文字(デフォルトで空白)毎に$1、$2、$3などの名称で、データが保管される。これに対してPythonでは、これら全てのことを自分のコードで明示的に行わないといけない。これがPythonの処理では、40行ものコードが必要な理由だ。UTFからShift-JISの変換は前回も出てきたrtfconv.com を使う。

rtfconv.com -h -cUTF8 -cJ -mK -mU utf.file > shift_jis.file

結局、AWKはテキスト文の簡単な変換目的では、Python(や、BASIC、C言語など)より遥かに簡便であることが実証された。

残念なことに、このような便利なソフトウェアのAWKを現在では、ソフト開発者ですらを知らない。それもそのはずで、大型の本屋に行ってもAWK関連の本を見つけることができないからだ。私が思うに、AWKが廃れた一つの理由は、AWKが扱う文字コードが基本的にASCII(Shift-JIS)であるため、現在主流となったUTF-8 やダブルバイト文字のハンドリングがうまく行っていないことが挙げられる。確かに、UTF-8は jgawk -W ctype=UTF8 ....と書けば扱うことはできるが、データファイルの先頭にBOMマークが入っているとエラーとなる。

また、日本語を扱える gawk は、2009年9月の3.1.7が最新バージョンであるが、match() 関数では、ローマ字の大文字と小文字を区別できない場合がある。また、2バイト文字と1バイト文字をどちらも同じ1文字と換算する。つまり、バイト数ではないのだ。

このように、AWKにはいろいろな欠点はあるものの、簡単な処理を簡単に書けるという、他のプログラムでは得難いメリットがあることは特筆すべき長所だ。この一事の利点だけでも、私は、今後とも(多分死ぬまで)AWKを使い続けていくになると思っている。

続く。。。
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智嚢聚銘:(第40回目)『中国四千年の策略大全(その 40)』

2023-10-08 10:09:28 | 日記
前回

日本人と中国人の儒教観で最も鮮烈な差は、「忠」か「孝」という点であろう。この原因は、徳川家康が国内統治のために儒教を日本に導入した時に、儒教本来の思想を意図的に歪めたためである。儒教の本場の中国や李氏朝鮮では、「孝」は「忠」とは比較にならない程重要視された。例えば、戦闘の最中に、将軍が喪に服するために戦列を離脱する事さえあった。

「1908年に、1万人の義兵を率いて日本軍と対決せんとしていた十三道義兵総大将、李麟栄が父の訃報を受け「不孝は不忠なり」といって父の喪に服するために突然帰郷し、その後義兵は日本軍に撃破され、李麟栄自身も日本軍に逮捕、絞首刑にされてしまう。この事例は、朝鮮儒教は孝に傾き国家の危機に際して抵抗力を発揮できなかった戯画的な歴史事実として広く韓国人に記憶されている。」
(出典:『朝鮮儒者の思惟様式と対外観の変容』邊英浩

こういった歴史的事実を踏まえると、次の話が理解できるだろう。

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 馮夢龍『智嚢』【巻20 / 771 / 潘京】(私訳・原文)

晋の善良な官僚の潘京が州の役所から呼び出しをうけ、政策の立案力がテストされた。その時、引き出した竹籤には「不孝」という字が書かれていた。州の知事が戯れに、「士を呼び出すのは不孝かな?」潘京が答えて言うには「今私は忠臣でありますので、孝子であることはできません」。

晋良吏潘京為州所辟、謁見射策、探得「不孝」字、刺史戯曰:「辟士為不孝耶?」答曰:「今為忠臣、不得為孝子。」
 ***************************

潘京は、「そもそも、忠臣と孝行は両立しない」と述べ、「今、召されたので出仕したので、孝行は出来なくなった」と孝行が出来なくなった苦衷を吐露したのであった。ただ、うがった見方をすれば、潘京のこの言葉は単なる社交辞令、あるいは手練れた世渡り術のひとつだったかもしれない。



次は、立派な官僚・役人はどういう人か、についての日中の差を見てみよう。

 ***************************
 馮夢龍『智嚢』【巻20 / 774 / 宋均盧垣】(私訳・原文)

後漢の宋均は常に次のように言っていた「官吏というのは温厚であるのが一番よいが、貪欲で、金に汚く、だらしなくともまあ、たいした害ではない。一番いけないのは、残忍で細かい点まで煩(うるさ)く言う人だ。そういう人はたとえ清廉であったとしても、人の悪事をびしびしと暴くので、庶民は苦しむ」。人々は道理の分かった意見だと評価した。

東漢宋均常言:「吏能宏厚、雖貪汚放縦猶無所害、〔辺批:甚言之。〕唯苛察之人、身雖廉、而巧黠刻剜、毒加百姓。」識者以為確論、〔辺批:廉吏無後、往往坐此。〕
 ***************************

この話はいかにも中国的だ。賄賂は、中国では日本人が考えるほどの悪徳だとは考えられていない、ということだ。つまり、中国人は賄賂というのはは潤滑油として、大事な社会的役割があると考えている。

馮夢龍の批評:「廉吏の子孫は往々にして仕返しされて家系が断絶した。廉吏になろうとする役人が少なくなる道理だ。」〔廉吏無後、往往坐此。〕

馮夢龍の言から明らかなように、正義感を振りかざして、賄賂だけでなく、どんな小さな不正や違反も見逃さず、厳格にびしびしと摘発する役人は、もっとも悪質だと中国人は考え、しばしばその子孫が逆恨みされて殺されてしまったということだ。「法律は厳格に遵守すべき」というで、日本人と中国人との間には、まだまだ埋めることの出来ない大きな溝がある。中国人に対して「同文同種」「一衣帯水」のようなあまっちょろい妄想は抱かない方がよい。

続く。。。
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惑鴻醸危:(第67回目)『非科学的な現代の医療技術(続)』

2023-10-01 08:59:33 | 日記
ずっと以前(2016年9月)、私が「坐骨神経痛」に悩んでいる時に次の記事を書いた。
 惑鴻醸危:(第56回目)『非科学的な現代の医療技術』
先日、たまたま昔のブログを読み返していて、その後の経緯を全く報告していないことに気づいた。それで、証文の出し遅れを承知で、その後の経緯を簡単に述べておきたい。

結論は、あれから数ヶ月して完治した。それも、医者にもかからず全く自力で治すことができた。奇蹟のように聞こえるかもしれないが、実話だ。

記事から数ヶ月経過した、2016年9月の時点では、歩くとまだ痛みが出ていたが、それでも歩けないことはないので、夕方など休み休みに少しずつ散歩していたが、数百メートル置きに休まないといけない体が情けなかった。さて、年が変わって2017年の1月ごろ、「坐骨神経痛」には体を丸めたり伸ばしたりすることがよい、という記事を読んだので、早速、床に手をついて足を胸元まで引き上げたり、また、急にのばしたりしていたところ、突然、背骨に「ぐきっ」という音がした。音に驚いたものの、全く痛みはなかった。それどころか、何だかどこかの椎骨がソケットにびたっと嵌ったような感覚がした。それから、すーっと痛みが引いていくのを感じた。結局、今まで痛かったのは椎骨のどこかがソケットの縁に当たっていたために、神経がひっぱられて(あるいは圧迫されて)痛みが出ていたためだ、と考えられる。

こうして、半年にもわたる腰痛は治ったが、その後、ときたま腰がすこし痛くなることがある。椎骨がきちんと嵌っていないことが分かっているので、柔軟体操を何度か繰り返すと、いつも完璧に治ることを経験した。



これから逆算して、一番初め(2016年春ごろ)なぜ突然、腰や足が痛くなったのかを考えてみると、当時、夏であったので、たまたまスプリングが強いベッドに直に寝たことがあった。翌日、歩くと、足が少し痛くなっていた。これは、夜中に、強いスプリングのために椎骨が押されてソケットを少しだけ外れてしまったせいであると考えられる。整形外科に行って、レントゲン写真を撮ってもらったが、どこも悪い所がないと言われた。つまり、椎骨のわずかなずれは、現在のレベルのレントゲン写真では写らないということだ。

以前のブログにも書いたが、座骨神経痛というのは「無理しない範囲で体を動かすことで自然と治る」というのが常識らしいが、これは、体を動かすことで椎骨がソケットの正しい位置に戻ったり、あるいは、飛び出た軟骨が時間と共に、消滅していくという自然治癒作用である。つまり、整形クリニックでのマッサージなどや、薬で治るのはないということだ。

さて、腰の痛みが全くなくなったが、数日すると、痛かった左足の腿のところに手のひらほどの面積一面に、ニキビのような吹き出物が出てきた。痛くも痒くもなかったので、病院には行かなかったが、想像するに、それまで痛かった神経から出ていた何らかの毒性物質が一挙にでてきたのだと思う。ニキビは化膿するでもなく、数ヶ月するうちに自然と治っていった。

当初、腰や足が痛かったときは、痛みを取れないのなら、いっそ足の付け根から切断して欲しいと願ったほどだったが、「早まらなかったよかった~」、と思った。そして、つくづく運動とストレッチの重要さを理解した。中国の公園で、多くの中国人が気功体操、あるいは太極拳体操をしている風景がテレビやウェブで見かけるが、これは十分理屈に適ったことであると理解できた。安直に薬に頼らないことが肝要ということだ。

ただ、言うまでもなく、座骨神経痛の症状や原因は様々で、私のような椎骨のずれによって生じるものだけではない。従って、私の素人療法は必ずしも万人に適用できるものではないことをお断りしておく。
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