限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第353回目)『眼からうろこのイスラム理解が進む本』

2023-04-30 09:14:15 | 日記
世界の文化を理解する最もよい方法は、なんと言ってもやはり現地体験だろう。私は幸運にも20代の初めにドイツに留学することができ、累積で8ヶ月間ヨーロッパ各国を旅行することで初めてヨーロッパ各地の実態や人々の考えかたの差を知ることができた。そこで感じたのは、それまで学校で習っていた歴史や地理の授業では文化の深層はとうてい窺いしれない、ということであった。

この点から考えると、イスラム圏に滞在経験が全くない私のイスラム理解は完全にBookishであり、不完全である。しかし、何も手をこまねいたいた訳ではなく、日本で出版されているイスラムの本を数多く読んだが、どの文化圏もそうであるが、たいていは当該文化圏に好意的な関心をもっている学者が書いているので、ネガティブな面や、文化の薄暗い深層をほじくりかえすような記述に出会うことは少ないとしたものだ。この点では、西洋人の書いた本には否定的な面もずばりと指摘する率直さがある。一例として、日本に対する批判的な意見を述べるデービッド・アトキンソンやアレックス・カー、古くはカレル・ヴァン・ウォルフレンが挙げられる。これらの人々は日本と日本文化を愛すればこそ手厳しい指摘をしている。

さて、イスラムに関してであるが、最近、大島直政氏の『イスラムからの発想』(講談社現代新書)を呼んだ。ここには、私が知りたかったイスラム文化の点が多く載せられていた。大島氏はトルコに二度留学して、現地語もかなり出来るので、現地人と本音の対話をすることが可能であったとのことだ。私もドイツ留学で感じたが、現地語が話せると話せないのとでは、現地の人々の心の機微の理解に雲泥の差が生じる。つまり、英語だけの会話では必要な情報は十分入手することはできても、文化の深層に踏み込んだ議論は残念ながら難しいことが多い。逆の立場で、日本に滞在している外国人で日本語が出来る人とそうでない人の日本に対する認識を比較すると分かるであろう。



以下に、大島氏の本の中でイスラムに対する指摘のうち特に印象に残った文章を幾つか列挙してみよう。私のコメントを ==>でしめす。

P.17 商人が外国人や旅行者に対して値段をふっかけることについては、親しい者とそうでない者との差をつけることが良いことだ。

==>日本では、客に対して公平な態度が評価されるのとは真逆といっていいほどの差だが、このような態度は東アジア儒教圏(中国・韓国・北朝鮮・香港・台湾)でも同様である。

P.18 夫婦は互いに相手の親をおじさん、おばさん、と呼ぶ。お父さん、お母さんは、本当に血のつながった父母でしかない。

==>イスラムの血統を重視する感覚は日本人の想像を超えて強烈だということが分かる。血のつながりのあり/なしで峻別するのもやはり東アジア儒教圏と同じだ。

P.26 神を冗談の題材にすると、本気で怒る。

==>戦後すぐにアメリカ兵が日本の民家で畳をマットレス同様に考えて、土足で上がった時に日本人が感じた怒りの感情だろうが、多分、怒りの度合いはそのような比ではないだろう。以前、ムハンマドを皮肉ったカリカチュアを掲載したフランスの雑誌社がイスラム教徒に襲撃されたことがあったが、この事件がこれに該当するのであろう。

P.76 (大島氏は)数多くの神学者に(なぜ、神が悪魔の存在を許したのかについて)質問したが、ついに納得のいく答えは得られなかった。

==>一神教の教義に馴染みが薄い日本人であれば、このような疑問は必ず持つものだ、と私は思う。本来なら、日本人のイスラム学者はこの点について、日本人に分かるような説明をする義務があるはずだが、誰もこの点について説明してくれない。大島氏のこのような突撃精神は異文化を理解するときは、必須だ。

P.78 イスラムの説く天国は絶対に悪酔いしない美酒や永遠に処女の美女がいるというが、霊にセックスは必要だろうか?また、女性信者の天国はどうなるのか? 数多くの神学者に尋ねたが、納得のいく答えはえられなかった。

==>この点は私もコーランを初めて読んだ時に感じたが、日本語で書かれたイスラムに関する書物には説明は見つからない。

P.89 イスラム教(および、ユダヤ教、キリスト教)では信仰とは、神との契約に従って「信者の義務」を忠実に履行することである。

==>日本人は自分の都合のよいように神に頼って願いをすることを信仰と考えているような節が見られるが、一神教徒とは真剣度が全く違う。これは東南アジアの南伝仏教(上座部仏教や小乗仏教という)の僧侶や比丘尼たちの何百ともいわれる戒律を守るのと同じ感覚だ。

P.112 イスラムでは禁酒のはずだが、元来、中央アジアの遊牧民であったトルコなどのイスラム教徒は馬乳酒などを飲む風習があったので、現在でも酒は禁止されていない。

==>東南アジアのイスラム教徒など見てもそうだが、元来の土俗的風習の方が宗教より遥かに慣性力が強い。

P.126 ムハンマドによってアラブ全体がいわば一家になって平穏がもたらされたが、結局ムハンマドの死によって、またアラブ社会に根強かった「部族第一主義」が復活し、抗争が荒れ狂う社会に逆戻りした。

==>これも、上で述べたように、土俗的風習は宗教の力より遥かに強いということだ。

P.145 中東社会は、「神の前における万人の平等」どころか、権力者が治まらない世界だったし、今もそうである。

==>アラブは強力な権力者を必要とする社会、日本と真逆だ。これから分かるのは、アラブは本質的に民主主義国家にはなれないということだ。

P.154 「強い者が放牧する、弱い者が耕す」という、農業と農民蔑視から抜け出せない。

==>この観念は、アラブだけでなく匈奴やモンゴルと中国の関係においても確認できることだ。日本では勤勉が美徳される。これは農耕社会の発想だが、歴史的に遊牧民と一切接触がなかった日本人には遊牧民のこの心情は全く理解不可能だろう。

P.161 神の存在を否定する「無神論者」は人間とみなしてもらえない。

==>イスラム教徒でなくともユダヤ教徒やキリスト教徒などの一神教徒は「啓典の民」仲間であるが、仏教徒は「誤った神の観念に囚われている」とはいうものの、まだ人間の部類だというが、「無神論者」はもはやけだもの(獣)と同じだということだ。

P.176 (異文化の理解について)確かに、個人と個人の間なら、「相互理解」に達する場合も少なくないが、「集団と集団」の相互理解は容易でない。

==>以前のブログ 百論簇出:(第117回目)『国際人に必要なグローバル視点』
でも述べたように、私は個人同士と団体や集団間の相互理解は全く別次元だと確信しているが、図らずも大島氏と同じ意見だと分かる。


P.186 一般のイスラム教徒には、「異教徒と理解し合おうという思想はない」、ということを心得ておかなければならない。つまり自分の宗教は絶対なので、あくまでも「異教徒は異教徒」なのである。だから、「異教徒との契約」を踏みにじっても、根本的には「罪」にならない。

==>血も涙もないぞっとする意見だが、これが真実であろう。本多勝一の『アラビア遊牧民』には、アラビア遊牧民ほど嫌な人種はいないと言っていたが、その根本原因は彼らのこのような異民族観に由来するのであろう。 P.194 にも、「人類みな兄弟」式のヒューマニズムは、悲しいかな日本でしか通用しないというのが、「世界史の現状」である、と繰り返している。

これ以外にも、数々の点で教えられるところの多い本である。大島直政氏の『アナトリア歴史紀行 : 東西文明の接点・四千年』も個性のでた本で、有益な示唆が多い本であった。 Wikipediaなどで調べると、日本の文壇や学界からあまり評価されなかったようだが、日本における言論の自由のなさを象徴するように私には感じられる。
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智嚢聚銘:(第28回目)『中国四千年の策略大全(その 28)』

2023-04-23 08:19:48 | 日記
前回

現在のウクライナ戦争をみても、しみじみ、外交折衝の上手/下手が国の運命だけでなく、外交担当者の運命を大きく変えることだと痛感させられる。日本は、歴史的にみると、外交では、随分長い間、孤立的であったため、外交下手がいろいろな所(例:国連、G7など)で目立つ。中国は流石に、古くから国内だけでなく、遊牧民との外交交渉の回数が多いので、外交上手であるといえる。

その例を取り上げてみよう。李揆という政治家がいるが、旧唐書で調べてみると、非常に由緒ある名門豪族の一員であるようだ。かつて、粛宗が李揆を褒めていうには、「貴卿は、名門の生まれであり、人物もまたすばらしい。さらに文章も上手だ。この3点はだれもが納得している」。 この話以降、人々は李揆を三絶と呼んだ。(粛宗賞歎之、嘗謂揆曰:「卿門地、人物、文章、皆当代所推。」故時人称為三絶。)

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 馮夢龍『智嚢』【巻16 / 630 / 顔真卿李揆】(私訳・原文)

唐の時代、李揆はもともと姦臣の盧杞に憎まれていた。あるとき、北方の遊牧民と和睦の話をするための遣使として指名された。李揆は老齢だったので、途中で死んでしまっては命を果たせないと思い、辞退した。徳宗も李揆を気遣い、行かせないほうがよいと思った。しかし、盧杞がいうには「遊牧民との折衝に当たるには政治に精通した李揆でなければいけません。李揆が行けば今後、李揆より若いものは行くことを拒めなくなることでしょう。」李揆は腹を決めていくことにした。遊牧民の所に着くと、部族長は「唐の第一人者は李揆だと聞いているが、貴卿がその本人の李揆か?」李揆はそうだと答えると、帰してもらえなくなると思い、わざと「あの李揆の翁(じじい)がくる訳あろうか?」とウソをついた。

李尚書揆素為盧杞所悪、用為入蕃会盟使。揆辞老、恐死道路、不能達命。帝惻然、杞曰:「和戎当択練朝事者、非揆不可、揆行、則年少於揆者、後無所避矣。」辺批:佞口似是、揆不敢辞、揆至蕃。酋長曰:「聞唐有第一人李揆、公是否?」揆畏留、因紿之曰:「彼李揆安肯来耶?」
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中国の歴史書の24史には、唐の時代の史書として『旧唐書』と『新唐書』の2ツがある。もともと『旧唐書』しかなかったのであるが、北宋時代、『旧唐書』には四六駢儷体のような冗長な文章が多いとして、文人の欧陽脩などが主体となって当時流行していた引き締まった古文形式に書き直したのが『新唐書』である。完成時に欧陽脩が自らの功績を「内容は旧唐書より増やしたが、文字数は却って少なくした」(其事則増於前、其文則省於旧)と誇った。

以前、資治通鑑の抄訳本を何冊か(『本当に残酷な中国史』、『資治通鑑に学ぶリーダー論』)出版したが、その時に唐代の記述では、しばしば新旧の唐書を参照した。私の個人的好みでいえば、旧唐書の方が文章に情緒やコクが豊かであるように感じる一方で、新唐書はどことなく官報のような素っ気なさを感じた。

ただ、欧陽脩が自慢するように、コンテンツは新唐書が充実している個所があり、例えば、本編の話も、新唐書の巻150には載っているものの、旧唐書には記載がない。



『一罰百戒』という言葉がある。この意味するところは、法律に違反した者を個別に罰するのでは手間がかかる割には法律を守らせるようにすることは難しい。しかし、典型的な例を一つでもつくれば、即座に皆が法律を守るようになるということだ。中国では昔から、この手法が採られてきた。

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 馮夢龍『智嚢』【巻16 / 640 / 耿定力】(私訳・原文)

耿定力が成都の知事であった時、益州の地では葬式でもないのに白の冠を被るのは、ご法度であったが、なかなか徹底されなかった。さて、ある時、蝗が大量に発生し、朝廷から撲滅するよう指令があったが、耿定力はまだ発布しないでいたが、道で3人の若者が白の冠をかぶって歩いているのを見つけた。 3人は何れも土地の名士の息子であった。耿定力はその3人を叱責して「法律で罰するのはお前たちの家の恥になるから、代わりに蝗を取り尽くすことでどうか?」若者たちは、耿定力にお礼と言い、直ちに多くの人を雇い、あっというまに蝗を全滅させた。

耿司馬公〈〔定力〕〉知成都府。益俗不喪而冠素、亟禁之。適両台撥捕蝗、公寝未発。道逢三素冠、皆豪子弟也、数之曰:「法不汝貰、能掠蝗自雪乎?」其人撃顙、遍募人掠之。蝗尽、民無擾者。
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耿定力は、一般庶民の違反は見過ごしたが、貴族の若者が違反した時にすばやく摘発した。この処置で、益州に白の冠を被ってはいけないという命令をあっという間に徹底させることができたのであろう。同時に、金をかけずに蝗退治もすることがができた。まさに一挙両得の智略である。

「一罰百戒」という言葉は、そのままでは漢文には見当たらないが武芸書の古典である『六韜』の《賞罰・第11》では、伝説的な雰囲気のする文章ではあるが、文王が、太公に『吾欲賞一以勧百、罰一以懲衆』(われは、一を賞し、もって百を勧め、一を罰し、もって衆を懲しめんと欲す)にはどうしたら良いかと尋ねた文章が載せられている。それに対して太公望は「凡用賞者貴信、用罰者貴必」、つまり「賞罰はきっちり行われるという信用が大切だ」と答えた。

続く。。。
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【座右之銘・137】『necesse est multum in vita nostra casus possit』

2023-04-16 08:37:08 | 日記
出世するには「運・鈍・根」が必要と、よく言われる。「鈍」とは、「繊細でない」という意味ではなく、「感情を抑制できること、物に動じないという」と理解できる。また、「根」とは「辛抱つよい、根気よく」だ。これら2つのものは、自分の修養次第で磨いていくことができるが、最初の「運」というのは自分だけの力ではどうしようもない。

イギリスの作家ミルトンは、「運(chance)」という語に対し、次のような辛辣な定義を与えている。
 That power, which erring men call Chance. (失敗した人がChanceと呼ぶ力)
失敗した人間は、自分の実力が足りなかったのではなく、運が向かなかっただけと言い訳するということだ。「成功するのは実力、失敗するのは運」と考える人を皮肉っている。

一方、同じくイギリスの哲学者のサミュエル・クラーク(Samuel Clark)はもうすこし具体的にChanceを次のように説明する。
 It is strictly and philosophically true in nature and reason that there is no such thing as chance or accident; it being evident that these words do not signify anything really existing, anything that is truly an agent or the cause of any event; but they signify merely men's ignorance of the real and immediate cause.

【大略】厳密な意味でも哲学的な意味でも、運とか偶然とかいうものは本来的にも理屈の上からも存在しない。明らかに、これらの単語(運、偶然)は何らの実体を指し示すものでもないし、何らかの現象を引き起こすものでもない。単に人間が本当の原因を知らないという無知さ加減を言っているに過ぎない。

クラークの指摘は「運とは実体もなく、捕まえることも測定することも不可能なものであるが、人間の叡智が高度になれば、今まで運だと解釈されていたものも、因果関係を説明できるようになるはずだ」と、理解することができる。おそらくクラークの言い分は「人間の叡智が高まって、神の領域に近づけば」という前提条件をわざとぼかして言っているのであろう。



【出典】"View of the Roman Forum from the Capitol" by Giovanni Paolo Pannini

ところで、この不可思議な「運」については、セネカの『ルキリウス宛道徳書簡集』《71》には次のような文句が見える。
(原文)Necesse est multum in vita nostra casus possit.
(私訳)我々の人生は運によって大きく左右されている。
(英訳)Chance must necessarily have great influence over our lives.
(独訳)Notwendigerweise hat in unserem Leben der Zufall großen Einfluß.
(仏訳)Comment le hasard n'aurait-il point sur notre vie un pouvoir immense ?

セネカは言わずとしれたストア派の巨匠であるので、ストア派のドグマである「宿命論」を信奉している。従って、不運に見舞われても神から与えられた試練として、忍従することが人として為すべき義務ととらえる。当然の事ながら、運には不運だけでなく幸運もあるが、その都度、喜怒哀楽の感情のジェットコースターに振り回されることなく平常心を保て、と説く。

さて、上に挙げたフレーズの後には
 quia vivimus casu
「なんとなれば、我々は運によって生きているのであるから」という文が続く。

わずか3語ながら、この文はなかなか意味がとりにくい。というのは、ラテン語には奪格(英:ablative case)という格があり、英語やドイツ語のような近代ヨーロッパ言語の「前置詞+名詞」に相当する。近代語では前置詞で意味がおおまかに掴めるが、ラテン語の場合、一体化しているために、どの前置詞かはコンテキスト依存、つまり推測するしかない!この部分、英訳は「by chance」独訳は「durch Zufall」、仏訳は「au hazard」となっている。これらの訳を総合的に考えると「我々が生まれ、現在、息をしているのも運の賜物だ」と解釈するのが妥当だろう。

だが、もうここまでくると、ストアと仏教の「縁」とは指呼の間ではないだろうか!
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智嚢聚銘:(第27回目)『中国四千年の策略大全(その 27)』

2023-04-09 18:34:31 | 日記
前回

術智部、最後は「人助けの奸知」の話だ。策略と聞くと、日本では「人を騙す、悪知恵」と受け取られるが、『智嚢』を読むとよくわかるが、中国でいう策略とは、ネガティブな面だけでなく、ポジティブ面も兼ね備えていることが多いことが分かる。例えば、オー・ヘンリーの短編小説『最後の一葉』では、老画家のベアマンが壁に一枚の蔦の葉を本物そっくりに描いた。ジョンジー(Johnsy)はそれを本物の葉と見間違えたことで、生きる気を与えられ、重病から立ち直った。ベアマンの行為は言葉の定義上では、「人を騙す」行為ではあるが、それをネガティブにとらえる人はいないのであろう。要は、どのような意図をもって行為を行うかにかかっている。

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 馮夢龍『智嚢』【巻15 / 597 / 智医】(私訳・原文)

唐の時代、都に有名な医者がいた。ある婦人がいた。夫に従って南方に行ったとき、間違って虫を一匹口にいれてしまった。その虫が腹のなかにいるのではないかと思って気にかかり、とうとう病気になってしまった。多くの医者にみてもらったが一向に治らない。困り果てて、ある名医に治してくれるよう頼みに来た。医者は夫人の病気の原因を知ると、侍女にこっそりと次のような指示をだした。「奥様に吐瀉薬を調合するから、盆を持ってきなさい。奥様が吐いたら、なにか虫のようなものが走り去って行きましたと言いなさい。くれぐれもこのウソを奥様にばれないように!」。侍女は言われたとおりにしたおかげで、婦人はケロッと治ってしまった。

唐時京城有医人、忘其姓名。有一婦人、従夫南中、曾誤食一虫、常疑之、由是成疾、頻療不痊、請看之。医者知其所患、乃請主人姨女爾中謹密者一人、預戒之曰:「今以薬吐瀉、即以盤盂盛之。当吐之時、但言有一小蛤蟆走去。然切不得令病者知是誑語也。」其女爾僕遵之、此疾永除。
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【出典】杯弓蛇影

「病は気から」というが、この知恵あふれる名医と同じようなケースは晋書に見える『杯中の蛇影』という故事成句だ。晋書からその部分を抜粋する。

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晋書(中華書局):巻43(P.1244)

久しぶりに友人が楽広を訪ねてきた。ご無沙汰の理由を聞くと、「以前、ここでお酒を頂いたが、酒杯の中に蛇が見えた。気味悪く思ったがそのままぐいと飲んだ後で病気になった」と言った。この時、楽広がいたオフィスの壁には漆塗りの角弓があり、底には蛇が描かれていた。楽広はこの角弓が酒杯に映りこんだのだと気づき、再度、酒杯を友人の前に置いて、「酒杯の中に、例の蛇が見えるか?」と尋ねたところ、「前と同じように居る」との返事だった。楽広は壁の角弓の絵だと種明かしをしてあげると、途端に友人は理解して、長年の病も一挙に治ったという。

嘗有親客、久闊不復来、広問其故、答曰:「前在坐、蒙賜酒、方欲飲、見杯中有蛇、意甚悪之、既飲而疾。」于時河南聴事壁上有角、漆画作蛇、広意杯中蛇即角影也。復置酒於前処、謂客曰:「酒中復有所見不?」答曰:「所見如初。」広乃告其所以、客豁然意解、沈痾頓愈。
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楽広の友人は蛇を飲み込んだと思いこんだあまり、長く患う病気になった。しかし、それは本物の蛇ではなく、単なる絵画の映り込みに過ぎないと理解すると、長患い(沈痾)もたちどころに治った(頓愈)。このように、長患いでも精神がしっかりすると、身体が健やかになったという話は、西洋ではしばしば聞かれる。一番有名なのは、新約聖書、ルカ・13章11-13、に書かれているようにイエス・キリストが病人に優しい言葉をかけるだけで、18年間も腰の曲がった女がシャンとした姿勢となったという。(他、マタイ 15章30-31、20章29-34。あるいは、中世ヨーロッパでは、国王は神の御使いであると信じられていたため、王に撫でられるだけで、病気が治ったとう話が各所みられる。もっとも、『チベット旅行記(全五冊)』(講談社学術文庫)に書かれているように、河口慧海は「死人を蘇生させた」と成し遂げたと噂されたが、病人が自然と治ったことも大げさに言われただけ、というようなこともある。

現代では、言葉だけで身体の病を治療する行為は「心霊治療」と呼ばれるが、得てして不法な「霊感商法」とみなされる。しかし、落ち込んでいる時に、一曲の歌や一枚の絵画に勇気づけられて困難を切り抜けることをあることを思えば、あながち「心霊治療」を異端視するべきではないといえないだろうか。

【参照ブログ】
想溢筆翔:(第16回目)『蛆の湧く腐った水も極楽の甘露』

続く。。。
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百論簇出:(第271回目)『若い時に鍛錬する語学が一生の財産になる』

2023-04-02 14:31:07 | 日記
自慢話に聞こえるのを承知で、語学学習に関する私の個人的経験を話してみたい。

私は若いころ(20才代前半)ドイツ語に惹かれ、念願のドイツ留学を果たすことができた。当時は、ドイツ語で身を立てようとして、ドイツ語力の向上にいそしんだ。1年のドイツ留学から戻ってきてからは京都に多くいたドイツ人のパーティに参加させてもらい、ヒアリングとスピーキングを磨いた。その後、社会人となり、会社からアメリカ留学させてもらったが、アメリカ滞在当初はまだドイツ語の方がよくできた。その後の2年間は、英語の環境にどっぷりとつかっていたこともあり、英語力は順調に伸びたが、その反面、残念ながらドイツ語の力は少しづつ、ずり落ちていった。

ところがアメリカ留学から戻り、1年して東京勤務となったが、幸運なことにオーストリア大使館が毎月のようにパーティを開催していたので、いそいそと出かけていった。流石にオーストリア大使館だけあって、毎回、ドイツ語を母国語とするオーストリア人、ドイツ人、スイス人など何人かはいたので、アメリカ留学でサビついたドイツ語を取り戻すことができた。もっとも、総体的にみれば、ここでも英語での会話が多かったのは事実だが。 ところが、数年してオーストリア大使館の財政的な理由から、この楽しい環境が無くなってしまったので、それ以降ドイツ語を話す機会がめっきり無くなってしまった。

当然、語学力は会話だけでなく、本を読んだり、文章を書いたりすることで持続できるので、その後は、ギリシャ・ローマ古典のドイツ語訳の本を読むことでかろうじてドイツ語とは縁をつなぎとめている。最近では、数年前からインプレス社の IT Leaders (Web版)に「麻生川静男の欧州ビジネスITトレンド」というタイトルでほぼ毎月のようにドイツ語のWeb記事からドイツのIT事情を紹介していることで、いわば強制的にでもドイツ語に触れる機会を作っている。しかし、やはり脳への刺激と言う点では、会話に優るものはないのは正直な感想だ。

さて、話は変わるが、以前のドイツ留学中、ヨーロッパを旅行しているとヨーロッパ人の年配の方の中には、60歳や70歳を過ぎても尚、外国語を堪能に話せる人が多くいたことに当時の私はびっくりした。というのは、年をとると記憶力が衰えるはずなのに、どうして老年になっても外国語の単語を忘れずにいられるのだろうか、と不思議に思った。

それから数十年経って、私自身がそのような年齢になって初めて実体験することができた。

というのは、最近、孫をつれて少し遠くの緑豊かな公園に出かけることがあるのだが、ときたまその単純な公園の名前を思い出せないことがある。記憶力が落ちたかな、と内心嘆くが、必ずしも記憶力そのものが落ちたわけではない。というのは外国語 ― 私の場合は、英語とドイツ語であるが ― の単語は普段全く使っていないにも拘わらず、大部分(多分 90%超)今でもしっかり覚えているからである。テレビの第二音声や YouTubeの動画で、字幕なしで英語を聞いてみても、たいてい支障なく理解できる。英語のケースはそうだとして、ドイツ語ではどうだろうかと、試しにドイツ語のYouTubeの動画が理解できるか聴いてみた。

Vortrag Künstliche Intelligenz und Industrie 4 0 Andreas Wagener Hochschule Hof

この動画はAIに関する最近の話題であるので、内容は難しくはない。講師はかなりの早口であるが、ほぼ支障なく理解できる。途中、囲碁のAIソフトのAlphaGoと李世乭(イ・セドル)の対戦にも言及しているので、結構よく楽しめた。ついでに、同じような内容のYouTube動画も見たが、これも問題なく理解できた。

Blick in die Labore ? Künstliche Intelligenz in der Medienanalyse,Medizin,
Robotik und Produktion


ついでに、フランス語も試した。フランス語は会話系はダメなので、本を読んで理解度を試したが、これも単語、文章ともかなり高いレベルで語学力がキープされていることが分かった。

以上のことから、医学的な説明はできないが、私の個人的な感覚からいえば外国語の単語や文法の記憶領域と、公園の名前の記憶領域は脳の別の場所にあるのではないかと想像する。これから、上で述べたように、年配のヨーロッパ人がかなりの高齢になっても外国語が堪能なのは、何も特別なことでなかったと分かった。ただ、誰もかれもが老齢になるまで語学力を維持できるとは考えていない。というのは、以前のブログ
 百論簇出:(第77回目)『語学を伸ばすには、若いころの海外滞在が必須』
で述べたように、老齢まで語学力を維持するには、若いころに語学力がかなり高いレベルに達している、つまり『ハイスコア組』である必要があると思えるからだ。つまり、若い頃の語学力がブロークンレベルである『ロースコア組』は老年になると外国語は、読み書きだけでなく、聞く話すもかなり難しいと想像する。

結論として、
「語学力は25歳までに基礎固めをきっちりしておかないと一生ものにはならない」
と述べておきたい。ただし、25歳という年齢は、多少譲歩しても35歳までにだと思う。

ところで、上に挙げたドイツ語のYouTubeの動画だが、講師のAndreas Wagenerはかなりの早口でしゃべっている。その背景にはドイツ人は早口でしゃべることが「知性」の高さを示すという感覚があるようだからだ。かつて、何人かの非常に早口でしゃべるドイツ人やイギリス人に出会ったことがある。彼らの早さはAndreas Wagenerの更に1.5倍程度であった。そこまでくると、流石に本国人にも分からないことがあるようだ。このような早口でも話の筋道が分かっていると、なんとかキーワードを掴むことができれば会話は成り立ったものの、会話中ずっと冷や汗ものだった。しかし、このような早口の話者に慣れると、普通の速度の話者の話は極めて容易に聞き取ることができる。野球では、剛速球に慣れてしまうと普通の球は、あたかも止まっているように見えるというが語学についても言える。ここから分かるのは、英会話の練習において、わざとゆっくりと話している教材は、会話能力の上達に逆効果であるということだ。残念ながら、 NHKの英語放送や、英語教材は読者に良かれと思って、わざとゆっくり話しているが、これではいつまでたっても徒労疲れするだけだ。試みに、YouTube の動画を1.3~1.5倍速程度で聴く練習をしてみたらいかがだろうか?
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