限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

通鑑聚銘:(第38回目)『命を賭して上奏文を提出した朱寵』

2010-04-28 00:20:50 | 日記
以前から述べているように、私が漢文を読むのを勧めるのは『漢文の中の文章には、人としての生き方を教えてくれる貴重なものが多い』という理由からである。漢文というと、当然のことながら過去の中国人の言動が記述されているが、あたかもユークリッドの幾何学が民族、時代を超えて万人に価値があるように、古代中国人の事蹟は現代の我々にとって教えてくれるものを多く持っている。

とりわけ、私が中国の史書に惹かれる理由は、自分の主義主張のためには命がけの行動をおこした人の言動が分かるからである。中国人は総体としては、日本人よりは利己的ではあるが、一方では、その逆のパターン、すなわち自己の命を賭して行動する人も、数多くいる。言い方を変えれば、日本人は善悪のレンジが狭いのに対し、中国人はとんでもない極悪人から、ウルトラ善人まで、善悪のレンジが極めて広い。

今回取り上げる朱寵は、太后が崩御した直後に巻き起こった隲への根拠無き中傷で、無数の関係者が処刑、追放されたのに対し、自己の生命をも顧みず、隲の無実を断固として主張したのであった。



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資治通鑑(中華書局):巻50・漢紀42(P.1613)

大司農で、都の長官の朱寵は隲が無罪にも関わらず罪に陥されたのを嘆き、棺おけを背中に担ぎ(死を覚悟して)、抗議書を朝廷に提出した。その文面:『亡き太后には国母として、徳を積んだ。それだけでなく隲兄弟は国の為に尽くし、国家の柱となっていた。官位が高すぎるのを畏れ、引退した。今までにこういった人はいなかったといえる。まさに、栄誉を受けるに値する人であった。しかし、一言の讒言で、自己弁護する機会も与えられず、証拠も不十分なまま逮捕され、残酷なことに、一家7人も命を落とした。死体はほったらかしにされ、冤罪に泣く魂は戻ってはこない。天の道にも人の道にも逆らった処罰だ。今からでも遅くはない、ちゃんとした墓を作り、孤児たちを呼び戻し、慰霊を丁寧に祭ることを要望する。』

大司農京兆朱寵痛隲無罪遇禍,乃肉袒輿棺(本当は木偏に親)上疏曰:
『伏惟和熹皇后聖善之徳,
爲漢文母。兄弟忠孝,同心憂國,社稷是。
功成身退,讓國遜位,歴世貴戚,無與爲比,
當享積善、履謙之祐。而
横爲宮人,單辭所陷,利口傾險,反亂國家,
罪無申證,獄不訊鞫,遂令隲等、罹此酷陥,
一門七人,並不以命,屍骸流離,冤魂不反,
逆天感人,率土喪氣。宜
收還塚次,寵樹遺孤,奉承血祀,以謝亡靈。』

大司農、京兆、朱寵、隲の無罪にして禍にあうを痛み、乃ち肉袒、輿棺し、上疏して曰く:『伏しておもうに、和熹皇后、聖善の徳、漢の文母たり。兄弟は忠孝、心を同じくし、国を憂う。社稷、是れる。功、成り、身、退く。国を譲り、位をゆずる。歴世の貴戚、ともに比をなすなし。当に積善、履謙の祐をうくべし。而るに、横として宮人の単辞にして陥るところとなる。利口、険を傾け、国家を反乱す。罪は申証なく、獄は訊鞫せず。ついに隲等をしてこの酷陥にかかる。一門七人,並びに命をもってせず。屍骸は流離し、冤魂は反らず。天に逆らい、人に感ず。率土は気を喪う。宜しく、塚次に収還し、遺孤を寵樹し、血祀を奉承し、もって亡霊に謝すべし。』
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このような上奏文をもって朱寵は自ら、裁判所(廷尉)に出向き、切々と訴えた。大臣である陳忠は、口封じのため、朱寵を解職し、都から追放した。しかし、いつかしら隲は無罪だったという世間の声が大きくなり、遂には安帝も判断ミスを認め、まだ生存している隲の親族を全員、都へと呼び戻した。

朱寵の訴えは、一歩間違えば、単に解職や追放に留まらず、朝廷の権威に逆らったという理由で、本人のみならず三族皆殺しの刑(夷三族)に遭う可能性すら否定できなかったそういう危険性を冒してまで隲の濡れ衣を晴らすために立ち上がったという高貴な志は、この箇所を読む人全てに感動を与えずにはおかない。

さて、この上奏文であるが、ぱっと見で分かるように、ほとんどが四字で、かつ対句形式になっている。これは私の単なる推測であるが、中国人にとって四字というのが口調が一番がっしりと整っているように響くのだろう。四字の句が好まれたという端的な例が有名な『千字文』である。これは全編、250組の四字句が並んでいる。

こういった背景もあるので、以前『漢文の読み方・Rule of Thumb』で述べたように、漢文は二字単位の区切りのものが多いのである。
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