限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

希羅聚銘:(第29回目)『ローマの貴族と平民、牆に鬩げども外の侮りを防ぐ』

2010-04-13 06:58:55 | 日記
Livy, History of Rome (Livius, Ab urbe condita)

(英訳: "Everyman's Library", Translator: Canon Roberts, 1905)

前回、触れた不幸な事件とはある平民の兵士に加えられた不正な誅求が発端で、ローマに階級対立が引き起こされたことである。

その兵士は、自分が不当に扱われたと広場(Forum)で市民に訴えた。『自分はサビーニとの戦争に駆りだされた。敵と戦っている留守のあいだに自分の家が燃えた上に、持ち物がすべて略奪されてしまった。』しかし、彼の嘆きはそれだけに留まらなかったのだ。

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Book2, Section 23

彼が言うには、「その上、戦時税がかかってきた。八方工面してそれを支払った時には多大な借金が残った。高利貸しの利率はべらぼうで、見る見るうちに利子が膨れ上がり先祖伝来の土地も手離さざるを得なくなった。それだけではなく、その悪病のごとき利子はおれの身体をも蝕んだ。利子を払えないかたとして、しょっぴいていって、奴隷としてこき使った上に、地下牢に放り込んだ。」と。こう訴えながら、その貧民は背中にできた真新しい鞭の跡をみせた。広場にいて彼の話を聞いていた群集はその痛々しい生傷を見ると悲痛な声を挙げた。瞬く間に彼の噂が市内を駆け巡った。

... tributum iniquo suo tempore imperatum, aes alienum fecisse. Id cumulatum usuris primo se agro paterno avitoque exvisse, deinde fortunis aliis; postremo velut tabem pervenisse ad corpus; ductum se ab creditore non in servitium, sed in ergastulum et carnificinam esse. Inde ostentare tergum foedum recentibus vestigiis verberum. Ad haec visa auditaque clamor ingens oritur.

【英訳】...the war-tax demanded when he was least able to pay it, and he had got into debt. This debt had been vastly increased through usury and had stripped him first of his father's and grandfather's farm, then of his other property, and at last like a pestilence had reached his person. He had been carried off by his creditor, not into slavery only, but into an underground workshop, a living death. Then he showed his back scored with recent marks of the lash. On seeing and hearing all this a great outcry arose; the excitement was not confined to the Forum, it spread everywhere throughout the City.
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その貧民に対する貴族の酷い仕打ちに憤慨した平民たちの怒りで、あわや国が分裂するか、という段になって、またもやウォルスキ(Volsci)族がローマに進軍してきたというニュースが入ってきた。それを聞いたローマ市民は、途端に貴族と平民の抗争をひとまず棚上げにして、外敵に対しては協同して当たることに合意した。

中国の古典の詩経『小雅』に次の文句がある。
『兄弟牆に鬩げども外その務(あなど)りを禦ぐ』(兄弟鬩于牆外禦其務)
つまり兄弟喧嘩をしていても、外敵があれば一致して、外からの攻撃を防ぐというのである。ローマの貴族と平民の間もまさにこの諺どおりで、内部分裂しそうになっても、いつも何らかのきっかけで分裂を回避し、外に対しては、あたかも一枚岩の強さで立ち向かうのであった。ローマのこの柔軟性を考えたとき、太平洋戦争当時の日本の旧陸軍と旧海軍の執拗な反目が、結果的に日本軍の敗北の一要因であったと言わざるを得ない。
コメント
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