限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・29】『夷険一節』

2010-04-15 11:33:17 | 日記
英語の単語で学生が意味を取り違える単語に priceless というのがある。値段(price)が無い(-less)、というので『無価値』と訳してしまいそうだが、本当は『値段がつけられない程高価』という意味である。これと同じ理屈で、invaluable も価値(value)が無い(in-)というのではなく、非常に貴重な、という意味となる。(もっとも、OED Oxford English Dictionary によると、priceless には稀に、無価値(valueless)という意味でも使われたようだ。)

awful というのも困った単語だ。awe が一杯(ful)というのだが、awe には畏れ(おそれ)と恐れ(おそれ)の両方にまたがった意味をもつ。つまり、ポジティブな意味で、畏れ多いというのと、ネガティブな意味で、おぞましいという二つの意味があり、状況をよく確認しないと分からない。しかし、現在では口語的に It's awful. と言ったときにはたいていは、『嫌だな!』のニュアンスの場合が多い。



さて、今回取り上げた夷険一節の『夷』の字は『えびす』と訓読みし、未開の野蛮人という意味の至ってネガティブな意味に解釈されることが多い。しかし、『夷』にはまた『たいらか』というニュートラルな意味もある。一方『険』は冒険という熟語、『険(けん)を冒(おか)す』に見られるように『険(けわし)い』という意味がある。従って『夷険』というのは、『平らな場所でもけわしい場所でも』というように本来は、物理的な意味を持っていたのが、抽象的に境遇のアップアンドダウンにも適用されるようになった。

従って『夷険一節』とは順境でも逆境でも言動を変えないということだ。出典は、宋の文人、欧陽修の相州晝錦堂記である。宋は、特に草創期に名臣を多数輩出した。その内の一人である韓は富貴になっても、それをひけらかすことがなかった。こういう人こそ一時、あるいは一郷の英雄というのではなく、もっとスケールの大きい偉人である、と欧陽修が絶賛している。それは『夷険一節』の句に続く文を読んでみると分かる。

『至於臨大事,決大議,垂紳正笏,不動声色,而措天下於泰山之安,可謂社稷之臣矣!』

大事に臨み、大議を決するに至るや、紳を垂れ、笏を正し、声色を動かさず。而して天下を泰山の安きにおく。社稷の臣というべけんや!

国の政治の重大案件を決断する時でも、ちゃらちゃらせず、皆が安心してその決定に従うことができる。こういう人こそ国の柱とも言えるひとである、と言うのである。

某国の首相のように、Trust me! と口だけで、全く実行力が伴わず、世界から失笑をかい、次第に誰からも相手にされなくなったのと比べると雲壌(うんじょう)の差を感じる。
コメント
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