限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

百論簇出:(第54回目)『文理の壁』

2010-04-05 11:01:26 | 日記
昨日、『未来研究会フォーラム - 物理学者が見通す未来』に少し遅れて参加した。その席で、主催者の同志社大学大学院総合政策科学研究科の山口栄一教授が現在日本の宿痾(根深い病)の一つが『文理の壁』だという意見を述べられた。

私のこの意見に全く同感である。これは文系、理系のどちらが悪い、と責任をお互いになすり付けるのではなく、どちらも悪い、と私は考えている。

先ず、文系について言うと、科学技術の根幹である、物理化学や数学について、知らないならまだしも、どうやら嫌悪感を抱いている人が多いように感じられる。つまり、自分が中学から高校、それに大学にかけてこれら理系の科目に弱かったので、逆恨みをしているかのようだ。こういった感情を個人的に抱いているならまだしも、それを社会的に責任のある地位についている人が公権を乱用して、個人的な恨みを晴らしているかのごとく、日本の科学技術の進展に対して、無理解や、それでも飽き足らず妨害をしている節が感じられる。

しかし、一方理科系について言うと、自分の興味本位で研究をし、それが社会全体にどういうメリットをもたらすかについて無関心な研究者が多いのではないかと感じる。たしかに科学技術の発展のためには、何の役にたつか分からない基礎研究は一定の割合で必要なことは私も認めるにやぶさかでない。しかし、その一定以外の人(はっきり言えば、ノーベル賞に手が届かない一般の科学者・技術者)は社会貢献できる研究に携わるべきであると考える。日本経済が漸近的に没落している現状を考えると、従来と同じ姿勢で基礎研究をもはやサポートできる環境にないことは明らかである。

文科系、理科系それぞれが問題を抱えているが、これらが相互に協力して現在日本および世界が直面しているいろいろな問題を総合的観点から解決できない。つまり、文理ともに自分自身の問題だけに向き合っていることが、山口氏の指摘する『文理の壁』ということであろうと私は考える。そこで、この文理の壁をどうしたら突き崩せるか、というソリューションの観点から考えてみたい。

いろいろと原因から改善しようという意見もあろうが、私は端的に言って出口管理をすることが解決の一番有益で、かつ、実効のある方策だと考えている。

ここで言う出口管理というのは、例えば大学生の英語のレベルを上げるという目的を達成することを例にとって考えてみる。学生は、たいてい大学入学時点が最高であって、大学卒業時が最低であろう。これは、在学中に英語に関して、向上の意識的努力を怠っていることが原因である。このために、英語の授業時間を増やすとか、教材を分かりやすくするなど、という『原因撲滅型』の対策を考えることが多いが、私はこのような方策は効果が薄いと考えている。

そうすれば、どうすればよいか?これは簡単で、卒業時点の制約に公的な英語試験(例えば、TOEICやTOEFL)何点以上という制約をつければよい。実際、中国は20年前までは、アジアの中でも日本と並んで最低グループに属していたが、今は、実態はさておき、名目上は日本より遥かに高い。これは、国家の英語試験があって、大学卒業時に、何点以上とらないと、卒業証書がもらえないという。この制約があるため、各人は自己努力で英語を勉強するため、見る見るうちに英語能力が高くなった。これは国家戦略として是非日本も真似すべきである、と私は考える。



この出口管理を『文理の壁』打破の為に適用すれば、次のようになる。

【文科系】
現在の社会における科学技術の知識、それも根本的に理解することが重要であるにも拘らず、文系の人間にその知識が少ない。これは、高校で文系志望コースに割り振られた途端に理系の科目をまともに習わないからである。つまり、極言すれば、文系(とくに私立大学)の科学技術に関する知識は中卒程度でしかない。先ほどの英語の出口管理と同様、この対策としては、大学入試に理系とほぼ同じレベルの試験を課すのがよい。私立、公立を問わず、文系も試験科目が1科目~3科目ではなく、8~10科目に増やす。また国家公務員試験も今の法律重視ではなく、科学技術に関しての専門的な知識を論文の形で問う方式に変える必要がある。

【理科系】
昨年の仕分けで、槍玉に上がった、『世界一速いスーパーコンピュータ』の必要性の議論で、『世界の二番目ではいけないんですか?』という有名な問いかけがあった。このやり取りが象徴しているように、科学技術の開発の社会的意義や効用を科学者・技術者が明確に説明できないでいる。つまり、仲間内でしか分からない文章を書き慣れているために、一般人に説明できる論理展開が出来ない、文章が書けない、のである。現在のテレビ番組を見ると、難しい問題も非常に分かりやすく解説してくれている。科学者・技術者の全員にとは言わないが、少なくとも社会的に説明する役目を負っている人たち(官僚、政治家、地位の高い科学者・技術者)はこのような分かりやすい説明の仕方をテレビ番組の専門家から指導を受け、OKがでない限り公的な場面で説明させないようにする。

このようなカリキュラムで教育(再教育)された人間が増えれば『文理の壁』が今よりずっと低くなり、相互に見通しがよくなるのではないかと私は考える。
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