限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第337回目)『良質の情報源を手にいれるには?(その42)』

2021-05-30 15:57:13 | 日記
前回

X-1.英語百科事典

良質の情報の入手には百科事典を欠かすことはできない。西洋語では、各国から充実した百科事典が発刊されている。一度、カルフォルニア大学のバークレー校の図書館のレファレンス室を見学したことがあったが、各言語の大冊な百科事典を見て、改めて人々の国語に対する熱意を感じた。例えば、母国語人口が少ないオランダ語にも非常に立派な百科事典があったことは、以前のブログにも書いた通りだ。
沂風詠録:(第322回目)『良質の情報源を手にいれるには?(その 27)』

残念ながら、オランダ語はあまり読めないので、私にとってこの豪華なオランダ語の百科事典は「猫に小判」でしかない。それで、本稿では、私の読める言語、英語、ドイツ語、フランス語、古典中国語(漢文)に限って話を進めたい。

百科事典は encyclopedia と呼ぶが、この言葉は元来ギリシャ語の
ἐγκύκλια παιδεία
に由来する。文字通りには、εγκυκλια(輪状の) παιδεια(教育)、つまり「物理的にサークル状に座って教育する」あるいは「抽象的な意味で、過不足のない知識を与える」を表す単語で、古典ギリシャ・ローマ時代では子供むけの一般教養を意味した。



Brewer's "Dictionary of Phrase and Fable"(1970年版) に西洋語の百科事典の歴史をざっくりと紹介している。それによると、ローマ時代のプリニウスの Naturalis historia がこの種のものでは最初であるが、近代の百科事典の魁となったのは 18世紀初頭に John Harris が出版した Lexicon Technicum であるとのことだ。しかし、すぐに Chambers の Cyclopaedia が代表的な百科事典になったという。その後、18世紀の後期に出現したのが、今回取り上げる "Encyclopedia Britannica"(大英百科事典、以下 Britannica )である。

X-1-1 "Encyclopedia Britannica" (Part 1)

Britannica の初版は3巻ものであった。幸運なことに2005年にこのリプリントが出版された(ISBN: 978-0852290668)。私は上で述べたバークレーの本屋でこれを見つけた。だが買って帰るには大きすぎたので、帰国後、Amazonで購入した。当時は 1万円程度であったが、現在は残念なことに絶版になっていて、中古では数万円もする。



この初版(リプリント)のものも含め私は、 Britannica の5つのバージョン、1、9、11、 14、15 を所有している。この中、14th は私が中学生のころ(1960年代後半)にブームとなった。ブリタニカのセールスマンが各地で高価な Britannica を数多く販売し、そのため借金が返せない人も出て、大きな社会問題ともなった。御多分に洩れずセールスマンが我が家にもやってきたが、値段といい、内容といい、とても手のでる商品ではなかったため購入しなかったが、クリーム色の装丁は鮮やかに私の眼に焼き付いた。



当時、このような高価な百科事典はとても個人所有できるはずがないと考えていたので、関心を持たなかった。ところが、 2002年ごろ、たまたま神保町を歩いていると古本屋の店先にクリーム色のBritannicaを見つけた。「あっ、あれだ!」と瞬時に分かった。近寄ってよく見ると、値段がわずか、 6,500円であった。その破格値に腰を抜かしたが、 1も2もなく買った。「何故、安いか?」と確認すると、30巻の内に1巻だけ20ページほどにわたってページが皺よっている個所があると、示してくれた。チェックすると、正確に印刷はされているものの、製本時にわずかに余計な圧力がかかって皺が寄っただけと分かった。私にはまったく問題とは思えなかった。送料は3000円ぐらいであったので、合計でもわずか1万円ほどで買えたことになる。30年数前の中学生時代の価格が100万円とすると、わずか1%、つまり 99%オフ、で買えたことになることに驚いた。この経緯は次のブログに書いた。
想溢筆翔:(第18回目)『99%オフのバーゲンセール』

さて、アメリカに留学したおかげで英語にはほとんど不自由しなくなった私にとって、この14th版を読んでいても特段分かり難い個所はない。しかし、中学生にはとても理解できなかっただろうな、とも思った。そのうち、使えば使うほど、Britannicaの良さが分かってきた。その意味ではブリタニカのセールスマンが自信をもって勧めたことに多少の理解するものの、英語が理解できない人にとっては非常に高価な無用の長物であることは否定できない。

さて、この14th版をきっかけとして、Britannica の他の版にも興味をもつようになった。日本の古本屋というサイトで検索すると15th版も安く売っていた。最新版が欲しいと思っていたので、購入したもののあまり使っていない。というのは、15th版の項目の分類は従来の大項目でなかったからだ。15thは、数多くの小項目のMicropedia部分と、Macropediaという、いってみれば単行本の寄せ集めたような部分から成り立っていた。 Macropediaでは説明があまりにも細かすぎて欲しい情報がどこにあるか分からない。逆に、Micropedia では説明が簡略すぎて、頼りない。まさに諺にいう「帯に短し、襷に長し」の状態だった。

私には、14thのようなBritannicaの伝統的大項目分類が好きだ。過不足ない説明を得ることができるからだ。
WikipediaのEncyclopedia Britannica の説明によると、最新版(Global)版では Macropedia と Micropedia を廃止して、従来(14thまで)の大項目に戻したとのことだ。Britannica の編集者の見識に敬意を表したい。

続く。。。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

翠滴残照:(第10回目)『読書レビュー:教養を極める読書術(その9)』

2021-05-23 19:00:56 | 日記
前回

〇「意中、書あり、腹中、人あり」(『教養を極める読書術』 P.36)

本ブログにも、及び、本書にも書いたように、私は会社員となってすぐに安岡正篤という名を知った。当初は、私が知りたいと思っていた中国古典の幅広さや奥深さを教えてくれる良き先師であった。とりわけ、陽明学者といいながら、私が好きな、戦国策、淮南子、説苑、呂氏春秋、世説新語などのパンチの効いたエピソード集もお気に入りであったようで、その点では(不遜な言い方であるが)気脈が通じた。



25歳から今に至るまで、優に40年もの間、安岡氏の本は50冊ほど読んだかと思う。当初は、教えをありがたく受け取る一方であったが、私自身の知識が増えるにつれ、だんだんと氏のアラが見えるようになった。とりわけ、氏の晩年の講演録で、関西・全国師友協会が昭和 57年(1982年)に出版した『活学 安岡正篤先生講録』(全 3巻)を読んでがっくりした。それは老境に入ってもっぱら「耳学問」に頼っていることであった。その感想をブログに書いたがその一節を下にしめす。
【座右之銘・121】『君子蔵器於身、待時而動』
 =================
社会人となってすぐのころから、私は安岡氏の本はかなり網羅的に読んでいる。初めは、安岡氏の博学に舌を巻くことが多かったが、その内、だんだんわかってきたことがある。それは、安岡氏は50歳以降、知識的に停滞していて、繰り返しが非常に多いことだ。確かにトピック的に目新しい記述もないとは言わないが、残念ながら、それらの情報は底が浅く、多分、耳学問的に仕入れた話だと想像できる。安岡氏の言葉は本人の自戒の弁であるかも知れないが、私には他山の石として肝に銘じておきたい。
 =================

「耳学問」になってしまった一番の理由は超多忙のせいであろうと推測されるが、年齢も関連しているのだろうと考え、それでは若いころの文章を読んでみようと思い至った。安岡氏の出世作は『王陽明研究』であるが、これは王陽明の伝記であるので、氏の全般的な思想を知るには物足りない。探してみると次の2冊が見つかった。いづれも現代は致知出版社から2005年に出版されている。
 『日本精神の研究』(初版:大正13年、27歳)
 『日本精神通義』(初版:昭和11年、39歳)(改題『人生、道を求め徳を愛する生き方』)

安岡氏の弟子たちの座談会や追悼集などではよく「先生は、西洋語もおできになった」と書かれている。西洋語と言っても英語だけでなく、ドイツ語も読めた、というニュアンスであるようだ。晩年の講演集には西洋語に関する話題はあまり載っていないが、この2冊は流石に若い時だけの著作だけあって西洋語が使えた、ということが分かる文章がちらほら見える。

語学力はともかくとして、西洋に関して言えば、氏は西洋語(多分ドイツ語)では、ドイツ観念論哲学(カント、フィヒテ、ヘーゲルなど)の難解な言葉に「理解できな~い!」とノイローゼになったようで、ある時点で西洋語を通しての西洋理解を放棄してしまったようなところが見られる。その結果、佐久間象山が言い出した「東洋道徳 西洋芸術」、つまり「東洋では人の道を教える道徳があるが、西洋では科学文明を推し進めた結果の物質文明しかない」と確信したようだ。氏自身の表現としては「陽原理の西洋、陰原理の東洋」、「主我的な西洋、没我的な東洋」、「機械的な西洋、人格的な東洋」などの対句がこれらの若い時代の本には多く見られる。

このような論調はとりわけ『日本精神の研究』に濃厚に感じられる。もっとも、本筋は譲らないにしても、西洋からも精神面で取り入れるべきところがあると『日本精神通義』の第11章『東西文化の本質的対照(上)』や最終章『国粋主義の反省と実践』では力説する。ただ、具体的な西洋の精神面のどこをどのように評価するのかについての言及や考察は見当たらない。

一方、東洋に関しては、とりわけ中国に関しては、学識豊かであることに異論はないが、 27歳時の『日本精神の研究』では、中国の本質を全く理解していない節が見られる。具体的には、《第13 剣道の精神》(P.404)に表われる次の表現だ。(原文はルビ付き)

之に反して、東洋、特に支那・日本では有史以来民族的大動揺が無い。支那周辺の夷狄といった所が皆同一系統の人種で、大した優劣もない。彼等は比較的静穏な生活を営んで、自然と密な生命の融合を体験して来た為に、欧州人と比べると、著しく内観的であり思索的である。

私は『本当に残酷な中国史 ― 大著『資治通鑑』を読み解く』で述べたように、資治通鑑を読んで中国が如何に頻繁に「支那周辺の夷狄」(遊牧民)と熾烈な戦いをしているか、ぞっとするほど分かった。そのような生活は「比較的静穏な生活を営んだ」と言えるものでは決してないと断言できる。それから言うと氏の中国理解はかなり歪んでいる。氏はいろいろな著書の中で「資治通鑑を読んで中国がよく分かった」と何度も述べているが、上のような中国の歴史に関する無理解から資治通鑑を通読していないことが分かる。氏のいう「資治通鑑を読んだ」というのは、主として司馬光の論賛部分を読んだに過ぎないのではないかと、私は推察している。

ここで、安岡氏に関して取り立てて述べたのは本書とりあげた「腹中、人あり」(P.38 )の元の句の「腹中、書あり」が氏の本から取ってあるからだ。私のいう「腹中、人あり」とは「行動の指針となる人物が(腹中に)居座っているということだ」という意味だ。私は今まで数多くの東西の人物伝を読んだ。その結果、腹中に何人か居座っているが、思いつくままに何人か挙げてみよう。



    ====================

呂蒙正(『宋名臣言行録』巻1)― 若くして参知政事(副首相)になったが朝礼の時に「こんな若造でも副首相か」と指さして言う者がいた。呂蒙正は聞こえない振りをして通り過ぎようとしたが、周りの者がその無礼な者の名前を問い詰めようとしたが、呂蒙正はたしなめて「一旦名前を聞けば、一生覚えてしまう。名前を知らない方が良いし、第一、大したことでもない」と言った。

馮異(『後漢書』巻17)― 智将であったが、それ以上に謙譲の美徳を備えていた。戦いに勝つたびに、論功を決める時に将軍たちはみな己の手柄を競って言いつのった。しかし、馮異だけは、ひとり議論の輪からはずれ、大樹の下に陣取って、端然としていた。いつしか人は彼を「大樹将軍」と呼ぶようになった。

アリステーデス(『プルターク英雄伝』)― アテネでは独裁者の出現を防ぐため、陶片追放(ostracism)という制度があった。これは、アテネ市民が投票によって危険人物を町から10年間追い出すというものである。ある時、その投票日に、義人の誉れ高いアリステイデース(Aristides)が投票所にでかける途中で見知らぬ人に出会った。手にした陶片を渡して言うには「字が書けないので、すまんがここにアリステイデースと書いてくれ」。これを聞いたアリステイデースはびっくりして「アリステイデースに何か怨みでもあるのかね?」と聞いた。その人が言うには「いいや、全く。でも毎日毎日、アリステイデースが義人だときいて嫌気がさしてね」。アリステイデースは黙って自分の名前を書いてその人に手渡してやった。

アッティクス(『ネポス 英雄伝』、本書  P254参照)― ローマの貴族で雄弁家・キケロの無二の親友。敵味方関係なく、窮地に陥った人は権力者の意向を恐れることなく友誼支援した。

    ====================

これらの人々は、だれもとりたてて超有名な英雄でもないし、歴史に残るような大事業を果たした人でもない。また、日本人好みの「純粋で、熱き情熱」を傾けた人でもない。また、学校の教科書に載るような模範的な善人ともいえないかもしれない。しかし、飄然として、洒脱で、どことなくすがすがしい雰囲気が漂う、そういった人が私の腹中に住みついている。

続く。。。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【麻生川語録・49】『補助線を引いて生き方を考える』

2021-05-16 22:25:36 | 日記
中学校では、三角形の合同や内角の和が180度である、といったユークリッド幾何学を習う。この時、問題を解くのが難しい場合、補助線を引くと、簡単に解ける時があると教わる。問題自体は全く変わっていないのだが、補助線を引くことで問題の所在が明らかになったり、解決のストーリーが自然と浮かびあがってきて解ける、という仕掛けだ。

補助線とは、図形の中に線を引くことであるが、どんな線でも補助線になる訳ではない。ぴったりとした場所に引かれた線だけが補助線になる。つまり、問題は補助線を引くという作業より、どこに補助線を引くかという点に絞られる。

補助線は何も幾何学の問題だけに使われるだけではない。一般的な問題に対しても補助線を引くことで、比較的容易に解決できることがある。

たとえば、しばらく前のことだが、Web上で、
 『「高給」と「休みたっぷり」、どちらを選びますか?』
という記事が掲載された。この記事に対して、Newspicksで様々なコメントが書き込まれていた。

コメントの中に、『この2つのテーゼ、「高給」と「休みたっぷり」は対立概念ではないと』いう意見があった。即ち、多くの人にとってはこの2つのテーゼは対立する概念かもしれないが本来的に対立する概念ではない、と主張する。本当に「高給」をとれば「休みたっぷり」はとれないのだろうか?「高給」と「休みたっぷり」のどちらも取ることは不可能だろうか? このような疑問はもっともだ。



質問の根源的なところを考えてみよう。

この設問の根源的な問いは「あなたはどういう人生を生きたいか?」であると私には聞こえる。ただ、そのような漠然とした質問には答えにくであろうから、代表的な2つの軸を取り上げて、示したに過ぎない。この2つのチョイスは相反するものではない。つまり、高給か低給か、という問いとは質がことなる。言い換えれば、「あなたはりんごとビールのどちらが好きか?」の質問に類していると言える。それぞれのチョイスにYES/NOがある。つまり、この質問には理論的には4つの回答がありうるのである。

現在(2021年)、日本では2年ほど前から働き方改革が言われてきた。しかし、その実は、働き方という抽象論ではなく、長時間の労働を減らそうという極めて実際的な点をめぐる議論に過ぎない。しかし、本質的にこの「高給」か「休みたっぷり」かという問いかけは、本質的に「どういった生き方をしたいか」という人生設計を考えてもらうための補助線に過ぎない。この補助線によって、「人としての生き方」つまり人生の目的という観念的問題が答えやすくなっている。人によっては、人生の目的、あるいは人生で重視している点がこの 2つのチョイスのどちらでもないかもしれない。与えられた補助線では問題解決をしなければ、自分であらたな補助線を考えて引かなければならない。

このように、生き方というような抽象的な問題を議論するときは、「人はいかに生くべきか」などと、観念論だけで考えてもまともな結論はでてこない、まずはとりあえず「自分はこのような生き方をしてみよう」と仮決めして、実行に踏み出してみることだ。あるいは生き方のロールモデルを探して人物伝を読んでみるのもよい。そうすることで、生き方のあらたな観点(補助線)が見えてくる。言い方をかえれば、知的水平線が広がったということだ。おおざっぱに言えば、補助線が自由に引けるようになれば、問題の半分は解けたも同然だ。「自分さがし」や「生きがい」をぐだぐだ言っていないで、補助線を引き、仮決めベースの実践を通して、自分なりの生き方をしっかりとつかんで欲しい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

翠滴残照:(第9回目)『読書レビュー:教養を極める読書術(その8)』

2021-05-09 21:48:50 | 日記
前回

〇「知的探訪のための読書」(『教養を極める読書術』 P.33)

何年か前に、「数学も暗記科目である」という話を聞いたが、その時は意味が全く分からなかった。しかし、この考え方は一般に広く普及しているようで大学を受験する者で数学が得意でない人は、過去問の回答を丸暗記するのだそうだ。つまり、解き方を考えるのではなく「思い出す」のである。この方法だと、(暗記力さえあれば)無駄な時間を使わずに効率よく点数を上げることができるという。確かに、大学に合格するという目的を考えた場合、これも一つの方法であるとは言える。ただ、こういった付け刃的な邪道なやりかたは入試が終わって半年もすると何も残らなくなるのは間違いない。

現在の教育に置ける問題の一つはこのような短期目標の達成手法に長けたものが評価される点にある、と私は考える。本来、数学というのは、大学受験だけでなく、本質的に物事を分析的に考えるという思考習慣を作るのに適した題材である。この点を確信したのは、高校 3年の時に1年だけであったが、Z会(増進会)の数学の通信添削を受けた経験にある。Z会の問題は、いずれも私にとっては難問ぞろいで、解が見つかるまで何時間も、あるいは何日もかかった。当時私は、高校まで20分程度の自転車通学していたが、 Z会の数学の問題をこの通学途上でも考えていた。まあ、都会ではなかったので信号機も少なく、考え事をしていても交通事故を起こす危険性も少なかった。

数学の問題も、囲碁や将棋の詰碁・詰将棋と同じで、慣れて来ると頭の中だけで解くことができる。細かいところはやはり紙の上で解かないといけないが、解く道筋やおおざっぱな計算なら頭の中だけでもできる。このような方法では一問に付き、数時間かかるが、回答を見て理解するだけなら 10分で済む。しかし、このような無駄、あるいは回り道をしたおかげで、数学に対して脳の回路ができあがっていったように感じる。後年、 SE(システムエンジニア)として、コンピュータシステムを開発していた時、プログラムのバグとり(間違いさがし)も全く同じ要領で、通勤電車の中で考えていた。こういうことが出来たのも Z会の数学問題を考え続けていたおかげだと思う。私の結論は「短時間に解法を暗記する」という安直な方法は捨て、「自分の納得するまでとことん考え抜く」というオーソドックス方法を採るべきだということだ。



この考え方は別に数学だけでなく、全てのことに適用可能だ。例えば、私の日本の古典文学への傾倒のきっかけは『蜻蛉日記』にあると本書に書いたが、この時、単に文章を味読するだけでなく、実際に追体験をしたことが非常によい経験を生んだ。作者・藤原道綱の母はある朝早く、兼家には内緒で石山寺までぷいっと遠出した。京都市内から山科を通り、逢坂の関を越えて琵琶湖に出て、そこから石山寺へ詣でたのだ。逢坂の関では、峠の上で昼食(今でいえばサンドイッチか、おにぎり)を取って休息したとの記述がある。当時、私は銀閣寺の近くに下宿していたが、自転車で同じ道程を辿って石山寺までいった。途中の逢坂の関直前の数キロの間は自転車で登るにはとても急峻であった。牛車ならどれほど大変か、と当時の人々の苦労の程が思いしのばれた。

現代であれば、京都から石山までは、車か電車で行けば、空調の効いた快適な車両で1時間半もあれば行ける。途中の急峻な坂も特に記憶に残ることはないだろう。しかし、文字通り急峻な坂を汗水たらして自転車で登ったが、帰り道は逆にブレーキを掛けても恐ろしいほどのスピードが出た、こういった記憶は数十年経った今なお、ありありと思い出すことができる。

リベラルアーツ(に限らず、どんな知識でも)を学ぶときは本書で強調しているように、執拗な探求心が必須であるが、それと同時に修得の方法論として、答えを見て数学の問題を解くような、時間短縮などの経済的観点を持ち込まないことだ。回り道でも時間をかけて「実地に」試してみることが何よりも重要なことだと確信している次第だ。これが、本書(P.34)でも述べている、禅における公案の意義であるといえる。多少方法論は異なっているとはいえ、ユダヤ人がタルムードを使って子どもを教育しているのと基本的な理念は同じと言えよう。自分の納得する答えを自力で探し出すことが教育の基本である。高校の教師や予備校の講師の中には、現在の大学入試を勝ち抜くために安直な方法論を推薦している教育者がいるかもしれないが、それは教育における一番肝心な点を見落としている悪質な教育者である。

もう一つ、付け加えたいのは、リベラルアーツに限らず、知識を学ぶときは、プロセスを楽しむということだ。短期間に多くの物事を正確に記憶するという目的遂行型のやり方は受験勉強には向いているかもしれないが、長続きしない。短期間に駆け抜けるように数多くを丸暗記するウサギ型ではなく、長時間じわじわと知識を熟成させるようなカメ型の気持ちをもって、十年単位で取り組まないと最終的にはリベラルアーツに限らずどのような知識も自分の身につくことはない。

続く。。。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百論簇出:(第261回目)『英語は錯覚のバイリンガルレベルを目指せ』

2021-05-02 19:11:26 | 日記
英語に上達しようと「英語を勉強する」人は多い。それと平行して(あるいはそれを煽り立てるような)「英語の勉強法」に関する本も多く出版されている。その中に、今井むつみ著・『英語独習法』(岩波新書)という現在人気の本がある。

正直なところ、私はまだ読んでいないが、Amazonのレビューを見て気にかかった文章があったので紹介したい。

レビューアーは「タキタロウ」さんといい『仕事で使えるレベルを目指す人にはヒントがたくさん』というタイトルのレビューに次のような一節があった。
「…著者の指摘通り、母国語でないのに英語力の高い人(フィンランド人など)は、難しい単語は使わず、簡単な(日本でも高校生までに触れるような)単語で分かりやすく流暢に話します。知っている単語量でなく、自在に運用できる単語量が多いことが、語彙力があるということだと実感しました。」



つまり、「英語が話せない」という人に欠けているのは語彙力でも文章力でもなく、「語彙の活用力」だという主張だ。「語彙の活用力」とは何ぞや? 実例を一つ挙げてみよう。上の写真にはボートがいくつも写っている。この特徴のあるボートを英語で punt という。もし、あなたがこれに乗ったとして、友人に英語でどのように説明するだろうか?単に「boat」に乗った、というのでは物足りない。このボートの特徴をどう説明したらいいのだろう?



私が高校生の時から使っている、"Idiomatic and Syntactic English Dictionary" はこの単語を次のように説明する。
"a shallow, flat-bottomed boat, with square ends, moved by a long pole thrust against the bottom of the river."

どうだろう、易しい単語で punt の特徴を余すところなく伝えている。アマゾンのレビューアー「タキタロウ」さんの指摘するように、易しい単語と易しい構文でも十分に意味を伝達できるのだ。私は若いころ、ドイツやアメリカに留学したが、現地の人と話した時、強くこのことを感じた。このような説明は英語では descriptive であるという。翻って考えるに、日本の文化環境で育つと説明が通り一遍になってしまい、 descriptive に話す人は至って少ない。つまり、簡単な単語で分かりやすく話すことが、日本語ですらできていないのであるから、英語でも出来ないのは当たり前だ。この点に気づかない限り、いくら英語の勉強をしても英語の理解力は高まりこそすれ、英語の表現力や「語彙の活用力」、つまり英語発信力は伸びない。

ではどうすればよいか?私のおすすめは以前のブログ
 沂風詠録:(第271回目)『英語力アップは英英辞典から』
に書いたように、早い段階(高校初年度)から簡単な英英辞典の活用をすることだ。ここで紹介した Idiomatic and Syntactic English Dictionary には易しい英単語を使った説明がふんだんに載っている。

ただ、私の経験上、日本でいる限り英語力(外国語力)の大幅な伸びは残念ながら望めない。以前のブログ
 百論簇出:(第77回目)『語学を伸ばすには、若いころの海外滞在が必須』
にも書いたように、外国語の習得には、文法をしっかりとマスターした上で、海外に滞在することが必須である。そうすることで、錯覚であるにしろ、バイリンガルになった感覚を一度でも味わうことが必要だからだ。ここでいう「錯覚のバイリンガルレベル」というのは、「何故かわからないが、相手の言っていることが訳さなくとも分かる」「しゃべる時に、頭のなかで無意識の内に単語サーチと文章構成がおこなわれる」という意識状態のことだ。このような状態になるには、お勉強モード用に作成された不自然にゆっくりと話された音声ではなく、機関銃のようにまくしたてられた言葉を何百時間、じかに聴く必要がある。

早口でしゃべられると意味が分からないのに、なぜそのようなヒアリングが必要なのか?

子供のころに自転車の乗る練習をしたときのことを思い出してみよう。初めは補助輪を付けて、じわじわとこぎだしただろう。走っているより、止まっている時間の方が多かったはずだ。その内、補助輪を外して、だれかに後ろを支えてもらいながら走ったものの、重心を失ってすぐに倒れたことであろう。しかし、それでも諦めずに補助輪なしで、自然のスピードで走る練習を積み重ねるとその内に、自転車のバランスが完全に自分自身の運動感覚となったことに気づく。

脳生理学ではどのように説明されるか分からないが、運動訓練と語学力は脳の神経回路を作るという点において、全く同じプロセスのように感じられる。つまり、耳からナチュラルスピードの英語をガンガンと聴いていると、パチンコならぬ言語のチューリップが自然と開いてくる。残念ながら、日本に居ては、いくら多読、多聴していてもこの感覚をつかむことはほぼ不可能だ(と、何ら科学的根拠はないが、私は思っている)。

ただ、一旦この「錯覚のバイリンガルレベル」に到達すると、不思議なことに語学力というのはなかなか落ちない。逆に言えば、錯覚のバイリンガルレベルに到達しないと、すぐに落ちてしまうということになる。「海外にいるときは話せたが、帰国後はダメになった」という人は、現地にいるときでも「錯覚のバイリンガルレベル」に達していなかったということだ。私事で恐縮だが、私はドイツ留学時に先ずはドイツ語で、次いでアメリカ留学時に英語で、この「錯覚のバイリンガルレベル」に到達した(ように感じている)。

現在はドイツ語にしろ英語にしろ、聞いたり、しゃべったりする機会はほとんどないが、急にしゃべらないといけない時は、集中的に数十時間 YouTubeでドイツ語なり英語のビデオを見る。そうすると、かつて感じたような「何故かわからないが、相手の言っていることが訳さなくとも分かる」を感じることができる。ただ、残念ながらこの程度の時間数では「しゃべる時に、頭のなかで無意識の内に単語サーチと文章構成がおこなわれる」ところまでは行かない!それで、多少のもどかしさを感じつつ、頭をフル回転させながらも、時には(とりわけドイツ語では)冷や汗をかきながらしゃべっているのが実情である。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする