限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・106】『non cum corpore extinguuntur magnae animae』

2017-08-27 23:43:18 | 日記
プラトンの対話編に『ファイドン』という有名な一編がある。ソクラテスがアテネの法廷で死刑を宣告されてから、死刑執行まで30日程度余裕があった。デロスからの船も戻り、とうとう死刑が執行されることになった当日、ファイドンを始め、ソクラテスの友人たちは朝早くから牢獄に駆け付けたが、すでに悪妻(と、言われている)のクサンティッペが幼子を抱きかかえてソクラテスの傍にいた。クサンティッペがあまりにも嘆き悲しむので、ソクラテスは穏やかな死出を迎えられないと文句をいい、下男に家に連れ帰るよう命じた。

さて、ソクラテスはいつも通り、ファイドン始め友人たちと哲学談義をするのであるが、差し迫った死をテーマとして、肉体の死は何ら恐ろしいものではなく、また魂は不死である、との説を展開する。それも、1つの説だけでなく、なんと3つもの説を開陳し、それも最後の説は、いわゆるイデア論をもちだして魂の不死を証明しようとしている。

イデア論と魂の不死がなぜ関連するかと言えば:
人が物を認識するのは、当然、五感を通してである。しかし、目に見える物質の奥には目に見えない「イデア」(例:馬のイデア、机のイデア)が存在しているが、そのイデアを人は理性を通して掴み取る。さすれば、人間はいつその「イデア」を知るのか?それは、魂が物質世界から遊離している時期 ― 即ち、死後の期間 ― でしかありえない。その期間に魂が見聞きした「イデア」は、輪廻転生で生まれ変わった次の生で「思い起こす」のである。つまり、死後にも魂が生きつづけていないことには、生きている人間は物を認識することができない、というのがソクラテス(プラトン)の論理であった。

これが正しい論理か、はたまた「こじつけ論理」でしかないかの詮索はさておき、プラトンの名声が絶大であったローマ共和政時代、魂不死論は、かなり多くの賛同者を得ていた(ようである)。その一人、ローマの政治家、小カトー(マルクス・ポルキウス・カトー・ウティケンシス)は、北アフリカのポンペイウスの陣地にあって、カエサル軍との戦いで敗戦が濃厚になったとき、ある晩『ファイドン』を(言うまでもないことだが、ギリシャ語の原文で)2度も読み返し、自らの魂の不死を確信し、割腹自殺を遂げた。まさに日本の古武士のような人だった。(プルターク『小カトー』70節)


【出典】Tombstone of Tacitus

それから百数十年たって、元老議員のタキトゥスは、義父で軍人であったアグリコラ(グナエウス・ユリウス・アグリコラ)の華麗な経歴と人間味あふれるどっしりとした風格を文章に綴った。そして言うには、「もし哲学者(ソクラテス)の言い分が正しいのなら、アグリコラの肉体は滅んでもその偉大な魂はまだ自分たちの身近に漂っているはずだ」と。

【原文】non cum corpore extinguuntur magnae animae
【私訳】偉大な魂は、肉体とともに消滅せず
【英訳】noble souls do not perish with the body
【独訳】große Geister nichit mit dem Leib zusammen verlöschen

タキトゥスはアグリコラの魂に向かって、アグリコラの死をいつまでも大人げなく嘆いている自分たちを叱ってくれと頼んでいる。嘆くより、アグリコラのような偉大な先祖を持ったことを誇らしげに感じて生きよ、と励まして欲しいとも祈った。

「文章は経国の大業、不朽の盛事」(曹丕《典論》:文章、経国之大業、不朽之盛事)という言葉があるが、タキトゥスの文筆によって、一軍人のアグリコラの凛々しい生きざまが2000年後の我々日本人にも感動を与えるのは、まさしくこの言葉通りだ。

【参照】永六輔名言集
人の死は一度だけではありません
最初の死は、医学的に死亡診断書を書かれたとき
でも、死者を覚えている人がいる限り
その人の心の中で生き続けている
最後の死は死者を覚えている人が誰もいなくなったとき
そう僕は思っています。

【出典】思わず感動する!永六輔名言集

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想溢筆翔:(第322回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その165)』

2017-08-24 07:14:39 | 日記
前回

【264.論功行賞 】P.2073、AD207年

「論功行賞」とは文字通り「功を論じ、賞を行う」ということである。二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で「論功行賞」と「論功」と「行賞」それぞれを単独で検索すると、次の表のようになる。これから「論功行賞」は三国志が初出であることが分かる。また、「論功」と「行賞」はそれぞれ単独でもかなり頻出している。ついでに、言うと「論功行賞」必ずこの順序のペアで使われている。つまり逆順の「行賞論功」で検索すると見つからない。

但し、いつものことであるが、この表は機械的に検索した結果なので、本来の意図とずれているケースも集計されている。それで、一応の目安にはなるが、必ずしも正確な数字ではない。例えば、「行賞賜」(賞賜を行う)もカウントされている。



資治通鑑で「論功行賞」が使われている場面を見てみよう。

曹操が田疇の先導で袁尚と袁熙を攻めるため出陣した。曹操には敵せず、と考えた二人は、公孫康の所に逃げ込むが結局、殺されてしまった。

 +++++++++++++++++++++++++++
曹操が易水に到着すると、烏桓の単于や代郡の普富盧、上郡の那楼などが皆、やってきてお祝いの言葉を述べた。軍隊が陣営に戻り、論功行賞をおこなった。功績のあった田疇に五百戸を与え、亭侯に封じようとしたが、田疇がいうには「私は始めは、劉虞のために仇討ちしたいと思って、兵士たちと共に逃げ隠れました。それで内心忸怩たる思いでいるのに、このような封爵を受けるのは本意ではありません。」といって、封爵を固く辞退した。曹操は田疇が本心からそう言っていると分かり、無理強いはしなかった。

曹操至易水、烏桓単于代郡普富盧、上郡那楼皆来賀。師還、論功行賞、以五百戸封田疇為亭侯。疇曰:「吾始為劉公報仇、率衆遁逃、志義不立、反以為利、非本志也。」固譲不受。操知其至心、許而不奪。
 +++++++++++++++++++++++++++

曹操は、田疇の面目を尊重して無理強いをしなかったのであるが、それだけでなく田疇の義の行為を高く評価した。

と言うのは、袁尚の首が公孫康から曹操の陣営に送られてきた時、袁尚に対して、深い恨みを抱く曹操は、軍営に「袁尚の首に、敢えて哭礼を行うものは斬るぞ」(三軍敢有哭之者斬)と触れさせた。ところが、その命令を無視して田疇は哭礼を行ったのである。

この行いに対して曹操はどうしたのであろうか?普通の君主なら、自分の命令に堂々と違反したのであるから、怒って処刑するところであるが、曹操は別段咎めなかった(太祖亦不問)。田疇の義心の強さに驚くと共に、曹操の度量にも敬服する一幕だ。

参照:『世にも恐ろしい中国人の戦略思考』(小学館新書)P.82

続く。。。
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百論簇出:(第209回目)『200X年ネットマーケティングジャパン展示会最新情報』

2017-08-20 08:37:15 | 日記
先般開催されました『200X年ネットマーケティングジャパン』の展示会を見てきましたのでその最新情報を、皆様にどこよりも早く速報としてお伝えいたします。先日の新聞発表でもありましたように従来インターネットといわれていたものは、今後アイネット(I-net)(中国語では「愛網」というらしいです)といわれるようになると、会場で出会ったあやしげなコンサルタントが妙に力[りき]を込めて断言していましたが。。。

今回の展示会で、衆人の関心をあつめていたのが、『スーパー携帯電話』でした。会場ではこれを『パーテル』という略称で呼んでいました。数年前の2000年の初頭の新聞報道では、携帯電話の台数が有線電話の台数を超えた旨の報道があったのはまだ記憶に新しいことでしょう。その後の公衆回線とローカル通信の無線化の大普及はまったく目を見張るものがあります。今回の『パーテル』はそれら広域およびローカル無線通信インフラの両方のメリットを最大限生かす製品だといわれています。

これは、携帯電話の機能範囲をはるかに越える製品です。つまり電話機能のほかに従来のハンドヘルドパソコンのような高機能情報機器からから手帳などの低機能情報機器の機能を含むことはもちろんのこと、ICカードや、電子マネーのような新機能すべてを包含する超汎用デバイスとして、あらゆる場面で使われるようになるというシロモノです。

これは、電話のように接続の確認を必要とする機能と例えば、非接触型の電車やバスの定期券のような非接続型機能の両方を基本機能として持っているのです。そのためには、通常の電話機能にあるようにその電話機に固有の電話番号に応答する機能の他に汎用の『機能電話番号』に応答する機能ももっています。後者の機能があるために駅の改札や高速道路の出口で料金が自動的に計算され、本人の確認なしでも清算されるのです。これらの機器類との情報交換は、当然のことながら暗号化されたパケット通信でありますので、接続料金もほとんどかかりません。



従来から騒がれていたICカードは内容データの表示機能、操作機能がないため現在にいたるまで思ったほど普及していません。今後はこのICカード、プリペイドカード、クレジットカード、デビットカードや電子マネーも全てこの『パーテル』で置き換わるというのです。というのは、例えば店舗や、インターネット上で、物を購入した時に、カードIDを入力すると、受け付けセンターでは自動的に購入者の携帯へ確認の電話をかけます。これに対して、購入者が、予め登録されたパスワードを入力さえすれば、OKとなります。数年前に登場したデビットカードは、利用手数料がかからず、加盟店手数料もクレジットカードより安いことから既にかなり普及していますが、人前での暗証番号の入力がネックとなり、犯罪行為が絶えません。しかしそれも、『パーテル』から確認のパスワード入力ができるのであれば、問題が解決されることになります。

また鉄道や飛行機の乗降客を単に課金の必要上のためだけでなく動態情報としてのこの『パーテル』情報収集することで、大規模なアンケート実施に匹敵する顧客動態情報を集積できるようになる見込みです。それは、従来のアンケートのような回答者の恣意的な回答を収集するのではなく、事実の動態情報を収集してデータマイニングすることができるという画期的な出来事です。

また、今回の展示会で注目を集めていたのは極めて多数存在するローエンドの機器が一挙に無線接続になだれ込んでくるということでした。その数はコンピュータの端末数とは比較にならない数千万件単位であります。具体的には、家庭内では、冷蔵庫、洗濯機、エアコン、換気扇、掃除機などの非情報機器がそれです。また業務的には水道メーター、ガスメーター、電気メーターなどがアイネットと連動するようになると言うのです。これらの機器には、2種類のリアルタイム情報つまり、課金情報と運転状況情報が重要です。

課金情報をリアルタイムで収集できると、宿泊施設やイベント会場などの施設を利用する場合、現在計測の煩雑さからほとんどの場合固定料金か月極め単位でしか支払えなかったのが、今後はPay-Per-Useへの支払形態への変貌を促すことになるものと思われます。

一方運転状況情報は使用電力や温度など動作状況の履歴情報を分析することで、従来、故障した場合には補修員が現場で状況を検分しなければ故障個所がわからなかったのが、サービスセンターのような遠隔地からでも故障原因の解明と、場合によっては、対策が打てることになります。さらには、機器の重要度に応じて運転状況がリアルタイムで取り込むことも可能なので故障の予兆を事前に察知することも可能となります。そうなると、故障以前に取り替えを促す警告メールを出すこともできますし、修理のサービスマンの事前スケジューリングも可能となるでしょう。

これらの情報は後述のローカル無線で一度近くのサービスセンターか家庭内のパソコンに取り込まれてデータ集約され、必要な情報だけがサービスセンターにリアルタイムで送信されます。つまり、一家に一台のパソコンはいわば各家庭のローカルな情報集中センターの役割を担うことになるのです。

また、以前騒がれたホームエレクトロニクスの機能として、防犯装置、窓、戸の開閉、などが遠隔地からでも可能となります。つまり自分の携帯電話から、家の防犯装置などの情報を見たり、また泥棒を捕まえる指令を送ったりできるようになるというのだそうです。(これの応用として、離れて住んでいる年老いた両親の見張りを『パーテル』で代行するセコイという大阪のホームセキュリティ会社が早くも出現したそうです。)

最近ローカルな無線通信の規格として、アイネットや『パーテル』にも対応可能なPinkfootが制定されました、これは、数年前から普及を競っていたBluetoothとHomeRFという規格が発展的に解消し統合されたものです。(それにしてもなんとも艶かしい名前ではありませんか!)

これを使うと、ガソリンスタンド、レストランなどのような接客業務の効率向上が図れます。つまり販売員がもっている端末と処理コンピュータが無線で直接データ交換をすることで、業務を速やかに行えます。また、美術館や博物館などでは、まず入り口で入場料を払うときに各種の解説の情報サービスを受けることのできる『一時キー』を購入します。そして解説を聞きたい展示物の近くでその展示物の番号を押すと自分の『パーテル』にその内容がカラー映像で写され、同時に音声も聞こえてきます。スーパー、デパート、娯楽センター、野外施設などの回遊追跡への応用では入り口で『回遊追跡モニター』になってもらえる人には、持っている『パーテル』に一時キーを転送します。その人が売り場や設備を回遊すると、Pinkfootがその存在場所をリアルタイムに検出してくれます。

従来いくつかの方法が考案されていたがいまひとつ普及しなかったタクシーの支払もPinkfootでは簡単になります。つまり目的地に着いて料金を支払うときに自分の『パーテル』と運転手の『パーテル』の間で料金の情報が交換され、ユーザーは単に確認のキーを押すだけで、最終の決済まで瞬時にすますことができるのだそうです。病院から薬局への薬の処方箋もこの『パーテル』を情報伝達媒体として行うことで、受け渡しのミスを防ぐことができるということです。

このように『パーテル』とPinkfootは21世紀社会の中核的な社会インフラとなっていくものと期待されます。

それだけでなく先ほどのあやしげなコンサルタントの意見によると将来的には小電力も無線あるいはレーザー光で伝達できるようになるそうです。さらには彼のように忙しくて食事をする時間もない人間はアイネットで世界各地の有名レストランのメニューを『パーテル』で検索して、時間指定をするだけで自動的にその時間になると体の中に栄養が送り込まれ、その代金が自動的に支払われるようになるのだそうです。(私は、その話を聞いていて『単に栄養が送り込まれるだけならなにもわざわざ味を気にしてレストランを検索する必要もないのに』と心ひそかに思ったものでした。)


【追記】先ごろ、古い書類を整理していたら、上記のような文が見つかった。これは、ほぼ20年近くまえ、クレジットカード業界向けの小冊子、NCBレポート(発行:日本カードビジネス研究会)の2000年7月号に投稿した原稿である。(ただし、文章の一部省略・修正)

当時、 BlueToothのような近距離通信の技術発展があったと共に、携帯電話が音声利用以外への利用が検討されだした時期であった。これら、2つの技術を組み合わせるとどのような未来像が描けるのか、私が勝手に想像したものを、諧謔(ギャグ)をたっぷり盛り込み作文したものである。 2017年の現在から振り返ってみると、iPhone、iPad も含み、携帯電話は当時考えていたよりはるかに広い用途に利用されていることに驚く。
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想溢筆翔:(第321回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その164)』

2017-08-17 18:29:56 | 日記
前回

【263.寒心 】P.1116、BC2年

「寒心」とは「恐れおののく。ぞっとする。」という意味。辞海( 1978年版)では「有所警惕而心血為冷也」(警惕する所ありて、心血、冷と為すなり)と説明する。また、辞源(1987年版)では「因失望、恐懼而驚心或痛心」(失望、恐懼によりて、心を驚かす、あるいは、心を痛ましむ)と説明する。要は、あまりの驚きに血が冷たくなるということだ。

「寒心」と類似の単語に「戦慄」があるが、この2つを二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索すると次のようになる。



同じ意味でありながら、時代によってその使われ方に差が見える。「寒心」はすでに『春秋左氏伝』哀公・15年に見え、『戦国策』にはかなり多く見える。一方、「戦慄」の初出は『戦国策』であるが、頻度は「寒心」より少ない。また、「戦慄」は『新唐書』以降、あまり使われていない単語であることも分かる。

さて、資治通鑑で「寒心」が使われている場面を見てみよう。時は前漢末の哀帝がホモだちの総理大臣(丞相)の董賢に二千戸(名目上、民家2000戸から収税する権利)を積み増しする旨の勅令を出した。このでたらめなひいき人事に堪忍袋の緒がきれた王嘉は勅令を哀帝に突き返しただけでなく、次のように非難した。

 +++++++++++++++++++++++++++
王嘉は詔書を再度封じて、哀帝に返送し、次のように諌めた。「爵禄と土地は、天の所有物だと聞いています。尚書にも:『天が有徳者に命ずれば、誰もが納得し、全てが輝く!』王者というのは天に成り代わって、人に爵位を授与するのであるから、慎重の上にも慎重になさなければならないはずです。もし、爵土を与えるのが不適切であれば、国民は納得せず、天候だって不順になります。そうすると害は国民全体に及びます。最近長らく、帝の体調がすぐれなかったのは、ひょっとしてこのせいではないだろうかと私は秘かに思っていました。高安侯の董賢は、たんに陛下のホモだちというだけの理由で、爵位が与えられ、役職も高位に登り、うなるほどの財宝を与えられています。陛下の威厳より、臣下への寵愛を重要とのお考えでしょう。陛下の尊厳が地に落ち、国家の財が尽きても、それでもまだ恵み足りないのでしょうか?

財というのは庶民の汗の結晶です。昔、孝文皇帝がベランダを作ろうとして、建築に百金(1億円)かかると聞くや作るのをあきらめました。それに引き替え、董賢は公の財産を庶民にばらまいて、人気を博しています。ひどいケースでは、千金(10億円)を受け取った人もいます。過去にこのようなことがあったためしがありません。噂が四方に伝わると多くの人が怒りました。諺に『千人が指を指せば、病気に罹らずとも死しんでしまう。』とも言います。こういったことにならないかと恐れて(寒心)います。」

王嘉封還詔書、因奏封事諫曰:「臣聞爵禄、土地、天之有也。書云:『天命有徳、五服五章哉!』王者代天爵人、尤宜慎之。裂地而封、不得其宜、則衆庶不服、感動陰陽、其害疾自深。今聖体久不平、此臣嘉所内懼也。高安侯賢、佞幸之臣、陛下傾爵位以貴之、単貨財以富之、損至尊以寵之、主威已黜、府臧已竭、唯恐不足。

財皆民力所為、孝文欲起露台、重百金之費、克己不作。今賢散公賦以施私恵、一家至受千金、往古以来、貴臣未嘗有此、流聞四方、皆同怨之。里諺曰:『千人所指、無病而死。』臣常為之寒心。
 +++++++++++++++++++++++++++

痛い所を指摘された哀帝は、ギャグ切れして王嘉を投獄した。王嘉は投獄されても、自説を曲げず、絶食して20日後に死んだ。「このような愚帝には何を言っても無駄だ」とさじを投げてしまった大臣もいたであろう。しかし、王嘉は職務上、命を賭して主張すべきは主張した。また、絶食しなければ、獄中で生きながらえて、あるいは生きて出獄することも可能であったのかもしれない。

司馬遷は
 「人、もとより一死あり。死は泰山より重きあり、あるいは鴻毛より軽きあり、これを用い、趨くところ異なればなり」
(人固有一死,死有重於泰山,或軽於鴻毛,用之所趨異也)


と言ったが、王嘉にとっては、命より諫言が重かったということになるのだろう。

このように、善良な臣下が宮廷から排斥された前漢は、翌年に哀帝が崩御するや、もはや護ってくれる臣下はなく、王莽の専横するところとなった。

続く。。。
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お詫び:高麗王のランキングの修正図

2017-08-13 14:15:39 | 日記

2017年4月10日発売の角川新書・『本当に悲惨な朝鮮史 「高麗史節要」を読み解く』の図に間違いがありましたでお詫びし、訂正いたします。

P.27の高麗王のランキングでは、12代順宗以降のランキング値が間違っています。具体的には、
1.12代順宗と33代昌王はランキング値はありません。
2.従って、13代宣宗から32代の辛禑までが一つづつ繰り上がります。
3.34代の恭讓王が最後の王となります。

修正図:


ご参考まで、この図のランキング値を決めた資料を添付いたします。「史官寸評」というのは、高麗史節要の各王の治世の最初に掲げられている王についてのコメントの抜粋です。

在位年 開始 治世期間 評価 史官寸評
01太祖 25 0% 918-943 5 気度雄深、寛厚有済世之量
02恵宗 2 5% 943-945 4 気度恢弘、智勇絶倫
03定宗 4 6% 945-949 2 性好仏、信図讖、
04光宗 26 7% 949-975 2 恤貧弱、重儒雅。中歳以後、信讒多殺、奢侈無節
05景宗 6 12% 975-981 2 及其末年、日事娯楽、沈溺声色、
06成宗 16 13% 981-997 4 天資厳正、求賢恤民政治、有可観者
07穆宗 12 17% 997-1009 2 嗜酒好猟、不留意政事、信狎嬖倖
08顕宗 22 19% 1009-1031 3 性、聡悟仁恵、敏於学
09徳宗 3 24% 1031-1034 4 性剛断有執
10靖宗 11 25% 1035-1046 4 仁孝寛洪、英睿果断、不拘小節
11文宗 37 27% 1046-1083 4 志略宏遠、寛仁容衆、凡所聴断
12順宗 0 27% 1083-183 ** **
13宣宗 11 35% 1083-1094 4 孝敬恭倹、識量弘遠、博覧経史
14献宗 1 37% 1094-1095 3 性聡慧、凡所見聞、未嘗遺忘
15粛宗 10 37% 1095-1105 4 孝敬勤倹、雄毅果断、五経子史、無不該覧
16睿宗 17 39% 1105-1122 4 深沈有度量、雅好儒学
17仁宗 23 43% 1123-1146 4 性仁孝寛慈、好学多才
18毅宗 24 48% 1146-1170 2 性好遊宴、狎群小
19明宗 27 53% 1170-1197 2 柔懦無断、政在於下
20神宗 7 59% 1197-1204 3 崔忠献廃明宗、迎立之
21煕宗 7 60% 1204-1211 3 後為崔忠献所廃
22康宗 2 62% 1211-1213 3 崔忠献、廃熙宗、奉王即位
23高宗 46 62% 1213-1259 3 受遺詔即位
24元宗 15 72% 1259-1274 3 入朝蒙古、明年還国、即位
25忠烈王 34 75% 1274-1298 1298-1308 2 溺於宴楽、昵近群小、父子構嫌
26忠宣王 5 82% 1298 1308-1313 2 性、聡明剛果、興利祛弊、然、父子之間、慚徳実多
27忠粛王 24 83% 1313-1330 1332-1339 3 性、厳毅沈重、聡明好潔
28忠恵王 7 87% 1330-1332 1339-1344 1 喜営財利、荒淫無度、群小得志、忠直見斥
29忠穆王 4 90% 1344-1348 3 性聡慧
30忠定王 2 91% 1349-1351 3 忠恵王庶子、母禧妃尹氏
31恭愍王 23 91% 1351-1374 4 性厳重且慈仁、頗得衆心、至晩年猜忌荒惑
32辛禑 14 96% 1374-1388 2 旽婢妾般若出也
33昌王 1 99% 1388-1389 ** 年九歳
34恭讓王 3 99% 1389-1392 3 李成桂、与沈徳符鄭夢周等、定策立之

尚、コメントの全文は以下の通りです([1]代目の [王建] と[28]代目 [忠恵王] の部分を挙げます)。

[1]代目 [太祖神聖大王]

諱建、字若天、姓王氏、漢州松嶽郡人、金城太守隆之長子、母韓氏、以唐僖宗、乾符四年、新羅憲康王三年、丁酉正月十四日丙戌、生太祖於松嶽南第、神光紫気、耀室充庭、竟日盤旋、状若蛟竜、幼而聡明、竜顔日角、方頤広顙、気度雄深、語音洪大、寛厚有済世之量、在位二十六年、寿六十七。

[28]代目 [忠恵王]

諱禎、蒙古諱普塔失裡、忠粛王長子、母、明徳太後洪氏、忠粛王二年乙卯正月生、性、豪侠好騎射、喜営財利、荒淫無度、群小得志、忠直見斥、一有直言、必加誅戮、人人畏罪、莫敢言者、在位前後六年、寿三十。

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