プラトンの対話編に『ファイドン』という有名な一編がある。ソクラテスがアテネの法廷で死刑を宣告されてから、死刑執行まで30日程度余裕があった。デロスからの船も戻り、とうとう死刑が執行されることになった当日、ファイドンを始め、ソクラテスの友人たちは朝早くから牢獄に駆け付けたが、すでに悪妻(と、言われている)のクサンティッペが幼子を抱きかかえてソクラテスの傍にいた。クサンティッペがあまりにも嘆き悲しむので、ソクラテスは穏やかな死出を迎えられないと文句をいい、下男に家に連れ帰るよう命じた。
さて、ソクラテスはいつも通り、ファイドン始め友人たちと哲学談義をするのであるが、差し迫った死をテーマとして、肉体の死は何ら恐ろしいものではなく、また魂は不死である、との説を展開する。それも、1つの説だけでなく、なんと3つもの説を開陳し、それも最後の説は、いわゆるイデア論をもちだして魂の不死を証明しようとしている。
イデア論と魂の不死がなぜ関連するかと言えば:
人が物を認識するのは、当然、五感を通してである。しかし、目に見える物質の奥には目に見えない「イデア」(例:馬のイデア、机のイデア)が存在しているが、そのイデアを人は理性を通して掴み取る。さすれば、人間はいつその「イデア」を知るのか?それは、魂が物質世界から遊離している時期 ― 即ち、死後の期間 ― でしかありえない。その期間に魂が見聞きした「イデア」は、輪廻転生で生まれ変わった次の生で「思い起こす」のである。つまり、死後にも魂が生きつづけていないことには、生きている人間は物を認識することができない、というのがソクラテス(プラトン)の論理であった。
これが正しい論理か、はたまた「こじつけ論理」でしかないかの詮索はさておき、プラトンの名声が絶大であったローマ共和政時代、魂不死論は、かなり多くの賛同者を得ていた(ようである)。その一人、ローマの政治家、小カトー(マルクス・ポルキウス・カトー・ウティケンシス)は、北アフリカのポンペイウスの陣地にあって、カエサル軍との戦いで敗戦が濃厚になったとき、ある晩『ファイドン』を(言うまでもないことだが、ギリシャ語の原文で)2度も読み返し、自らの魂の不死を確信し、割腹自殺を遂げた。まさに日本の古武士のような人だった。(プルターク『小カトー』70節)
【出典】Tombstone of Tacitus
それから百数十年たって、元老議員のタキトゥスは、義父で軍人であったアグリコラ(グナエウス・ユリウス・アグリコラ)の華麗な経歴と人間味あふれるどっしりとした風格を文章に綴った。そして言うには、「もし哲学者(ソクラテス)の言い分が正しいのなら、アグリコラの肉体は滅んでもその偉大な魂はまだ自分たちの身近に漂っているはずだ」と。
【原文】non cum corpore extinguuntur magnae animae
【私訳】偉大な魂は、肉体とともに消滅せず
【英訳】noble souls do not perish with the body
【独訳】große Geister nichit mit dem Leib zusammen verlöschen
タキトゥスはアグリコラの魂に向かって、アグリコラの死をいつまでも大人げなく嘆いている自分たちを叱ってくれと頼んでいる。嘆くより、アグリコラのような偉大な先祖を持ったことを誇らしげに感じて生きよ、と励まして欲しいとも祈った。
「文章は経国の大業、不朽の盛事」(曹丕《典論》:文章、経国之大業、不朽之盛事)という言葉があるが、タキトゥスの文筆によって、一軍人のアグリコラの凛々しい生きざまが2000年後の我々日本人にも感動を与えるのは、まさしくこの言葉通りだ。
【参照】永六輔名言集
人の死は一度だけではありません
最初の死は、医学的に死亡診断書を書かれたとき
でも、死者を覚えている人がいる限り
その人の心の中で生き続けている
最後の死は死者を覚えている人が誰もいなくなったとき
そう僕は思っています。
【出典】思わず感動する!永六輔名言集
さて、ソクラテスはいつも通り、ファイドン始め友人たちと哲学談義をするのであるが、差し迫った死をテーマとして、肉体の死は何ら恐ろしいものではなく、また魂は不死である、との説を展開する。それも、1つの説だけでなく、なんと3つもの説を開陳し、それも最後の説は、いわゆるイデア論をもちだして魂の不死を証明しようとしている。
イデア論と魂の不死がなぜ関連するかと言えば:
人が物を認識するのは、当然、五感を通してである。しかし、目に見える物質の奥には目に見えない「イデア」(例:馬のイデア、机のイデア)が存在しているが、そのイデアを人は理性を通して掴み取る。さすれば、人間はいつその「イデア」を知るのか?それは、魂が物質世界から遊離している時期 ― 即ち、死後の期間 ― でしかありえない。その期間に魂が見聞きした「イデア」は、輪廻転生で生まれ変わった次の生で「思い起こす」のである。つまり、死後にも魂が生きつづけていないことには、生きている人間は物を認識することができない、というのがソクラテス(プラトン)の論理であった。
これが正しい論理か、はたまた「こじつけ論理」でしかないかの詮索はさておき、プラトンの名声が絶大であったローマ共和政時代、魂不死論は、かなり多くの賛同者を得ていた(ようである)。その一人、ローマの政治家、小カトー(マルクス・ポルキウス・カトー・ウティケンシス)は、北アフリカのポンペイウスの陣地にあって、カエサル軍との戦いで敗戦が濃厚になったとき、ある晩『ファイドン』を(言うまでもないことだが、ギリシャ語の原文で)2度も読み返し、自らの魂の不死を確信し、割腹自殺を遂げた。まさに日本の古武士のような人だった。(プルターク『小カトー』70節)
【出典】Tombstone of Tacitus
それから百数十年たって、元老議員のタキトゥスは、義父で軍人であったアグリコラ(グナエウス・ユリウス・アグリコラ)の華麗な経歴と人間味あふれるどっしりとした風格を文章に綴った。そして言うには、「もし哲学者(ソクラテス)の言い分が正しいのなら、アグリコラの肉体は滅んでもその偉大な魂はまだ自分たちの身近に漂っているはずだ」と。
【原文】non cum corpore extinguuntur magnae animae
【私訳】偉大な魂は、肉体とともに消滅せず
【英訳】noble souls do not perish with the body
【独訳】große Geister nichit mit dem Leib zusammen verlöschen
タキトゥスはアグリコラの魂に向かって、アグリコラの死をいつまでも大人げなく嘆いている自分たちを叱ってくれと頼んでいる。嘆くより、アグリコラのような偉大な先祖を持ったことを誇らしげに感じて生きよ、と励まして欲しいとも祈った。
「文章は経国の大業、不朽の盛事」(曹丕《典論》:文章、経国之大業、不朽之盛事)という言葉があるが、タキトゥスの文筆によって、一軍人のアグリコラの凛々しい生きざまが2000年後の我々日本人にも感動を与えるのは、まさしくこの言葉通りだ。
【参照】永六輔名言集
人の死は一度だけではありません
最初の死は、医学的に死亡診断書を書かれたとき
でも、死者を覚えている人がいる限り
その人の心の中で生き続けている
最後の死は死者を覚えている人が誰もいなくなったとき
そう僕は思っています。
【出典】思わず感動する!永六輔名言集