限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

百論簇出:(第56回目)『日本に欠けている対話精神と公共への貢献意識』

2010-04-18 17:46:30 | 日記
私は22歳の時に、ドイツに留学し、27歳の時にアメリカに留学することが出来た。ドイツでは、専らヨーロッパ各地を旅行することに精をだしたが、アメリカでは真面目に学業に精をださざるを得なかった。しかし、どちらの地域でも感じたのは、ヨーロッパ人・アメリカ人の対話精神であった。一言で言うと、日本ではなにか物をいうと、やれ理屈っぽいというネガティブな反応しかないが、彼の地では逆にポジティブに評価される。それも非常に積極的に評価されるのに私の方がびっくりしてしまった。

この対話精神というのは歴史的な観点から見てみると、どうも日本人には決定的に欠けている要素であると思わざるを得ないが、その重要性に関しては、まんざら日本人の理解を超越しているようにも思えない。

少し長くなるが、歴史的事実から説き起こしてみよう。初代のアメリカ公使タウンゼント・ハリスは幕末に来日し、日本の平和的開国に非常に尽力した人である。ハリスはわずか6年しか日本に滞在しなかったが、日米修好通商条約を締結するなど、時代を大きく転換するのに多大な寄与をした。そのハリスが日本を去るに当たって、外交交渉ではたびたび意見の対立で険悪な仲にもなったことのある幕閣・安藤対馬守は彼の業績にたいして、『貴下の偉大な功績に対して何を以って報ゆべきか。これに足るものはただ富士山あるのみ』と絶賛の謝辞を贈ったといわれている。(岩波文庫、『日本滞在記』)

この『日本滞在記』を読んでみると、初めのころはどこに行くにも幕府の目付けがあたかもスパイの如く(というより正真正銘のスパイとして)ハリスの行動を付回していて、ハリスがアタマにきていたことがよくわかる。日本の伝統的思考に凝り固まっていた幕府の役人にとっては彼を監視することこそが国益を守ることの如く錯覚していたのであった。しかしその内に、安藤対馬などの開明的官僚が彼の言論の本質を理解するにつれ、自分達の考えの狭量さに気づき態度を改め、最後にはハリスに大いに感謝するのであった。



この様な過去の日本人の態度から鑑みて現在の我々にも『対話精神』の重要性は充分認識できているので、要は素直に対話するという、最初の躊躇する一歩、いや半歩を踏み出すか否かに懸かっているのではないかと思われる。

『対話精神』と言うのは何も言葉によるものだけではない。現在、ソフトウェアの世界では、オープンソースソフトウェア(OSS、Open Source Software)という仕組みが世界的規模で流行している。 OSSと言うのは誰かが作ったプログラムを別の誰かが改善するのであるが当然のことながら、前任者が考えたアイデアを生かしつつ新たなアイデアを盛り込むという、プログラムを通じての対話が成り立っていないと不可能である。

ところで、なぜ報酬のないソフトウェア開発をプログラマーが競ってするかというと、プログラマー各人が『皆のため(公共への貢献)』という意識を強く持っているからである。私は、これはキリスト教文化の土壌の恩恵だと考えている。従って日本(およびアジア)にオープンソースの思想が定着しない最大の理由はここにあると私は考えている。

東洋(中国・日本)にもこういった公共福祉に各人が積極的に寄与するという考えがなかった訳ではないが、社会倫理の基本軸が血族・身内であって、コミュニティでなかった点が災いしていると思える。ギリシャやローマなど、ヨーロッパでは社会はすべてコミュニティ防衛が基本であり、それがキリスト教社会に引き継がれ、単に自分の身をまもるだけに留まらず社会貢献するのが人としても義務と考える意識が市民革命を経たヨーロッパで定着したのが今日のOSSにつながっている、と私は考える。
コメント
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