限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

希羅聚銘:(第31回目)『ローマ史上初のストライキ』

2010-04-27 00:15:08 | 日記
Livy, History of Rome (Livius, Ab urbe condita)
(英訳: "Everyman's Library", Translator: Canon Roberts, 1905)

以前、『ローマの根深い階級間の対立』でも述べたようにヨーロッパでは階級差が昔から、そして今なお厳然と存在している。しかし、この階級間の対立は、普通に想像される程、険悪なものではない、と私は考えている。というのは、敵対する階級を心底憎んでいるのであればチャンスが到来した時は皆殺し、あるいはかつての中国の文化大革命で起きたような、過酷な人権蹂躙が行われてしかるべきである。

確かに、フランス革命や、ロシア革命では、王侯貴族が軒並み犠牲となったが、冷静に勘定してみるとそのような事例はヨーロッパの長い歴史でも数えるほどしかないことにないことに気づく。それよりも、例えば、聖バルテルミー(St. Barthlemy)に於ける旧教徒による新教徒の大虐殺のような宗教間の対立、あるいは中世の魔女裁判のような狂信的な悪行の方が遥かに残忍で頻繁に起こっていた。



つまり、ヨーロッパにおいて貴族のような、それなりの社会的地位にいる人たちは、概して自己の果たすべき責任を充分自覚していた、つまり noblesse oblige を認識していたように感じる。そして、そのような高貴な態度を見ていた平民は心の中では彼らに対して一目を置いていたのではないかと、私は想像している。

ローマにおいても、貴族と平民は対立しても、平民は常に貴族を心の中では頼りにしていたことは、いざと言うときの国の指導者、つまりコンスルを選出するときに明らかになる。つまり、平民ですら、コンスルは平民出身者でなく、貴族の身分の者を推したのであった。しかし、日本と異なるのは、こういった心情をもちつつも、平民達は貴族に対して自分達の権利を堂々と主張をしていくという行動を取るのであった。

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Book2, Section 32

いよいよ反乱を起こすときが熟してきた。当初、提案されたアイデアというのは、コンスルを皆殺しにすることで、証書をとられた借金を棒引きにしようと言うものであった。しかし、調べてみると、一旦宣誓した借金はそのような手段では帳消しにできないことが分かった。困っていると、シキニウスという男が、コンスルの命令など無視して、アニオと反対側に位置し、ローマから3マイルはなれた聖山に立てこもろうと提案をした。

Quo facto maturata est seditio. Et primo agitatum dicitur de consulum caede, ut solverentur sacramento; doctos deinde nullam scelere religionem exsolvi, Sicinio quodam auctore iniussu consulum in Sacrum montem secessisse. Trans Anienem amnem est, tria ab urbe milia passuum.

【英訳】This step brought the revolution to a head. It is said that the first idea was to put the consuls to death that the men might be discharged from their oath; then, on learning that no religious obligation could be dissolved by a crime, they decided, at the instigation of a certain Sicinius, to ignore the consuls and withdraw to the Sacred Mount, which lay on the other side of the Anio, three miles from the City.
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かくして、ローマ史上初のストライキが始まったのであった。このように、それぞれが自分達が本当に納得するまで闘うという姿勢が、レベルの高い政治性をもった社会を作るうえで重要な要素であると私には思える。

この点を、現在日本の現状と比較してみると、残念ながら日本には、理性的な論争を充分尽くすことを是としない風潮が感じられ、私はそれを残念に思う。
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