限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第52回目)『不射の射』

2010-04-17 17:25:37 | 日記
私は字はうまくはないのだが、書(書道)には非常に興味がある。とりわけ、諸遂良(本当は衣偏)の『倪寛賛』を学生の時に初めて目にしたとき、その華麗な字体に心酔してしまった。その後、アメリカ留学中にワシントンのスミソニアン博物館(の近く?)で実物を見た時はこの世で見れるとは思っていなかっただけに大感激した。(ただし、Wikipediaによると『倪寛賛』は遂良の真筆ではないとのことだが、私には一向に構わない。)それで一時期、自分なりに書を練習したのだが、いかんせん、自我流で、あまり上達しなかった。



しかし、どうやら先人の言うには、字が上手に書けるとろくなことがないようだ。『世説新語』巻16・巧芸篇に次のような話が見える。

韋仲将(本名は韋誕)は能書家であった。魏の明帝が大きな建物を建てた。間違って、字の書かていない額を大工が高い所に釘で打ち付けてしまった。そこで、韋仲将が梯子を登り字を額に書くよう命ぜられた。降りてきた時は恐怖で髪の毛が真っ白(皓然)になっていた。子孫に、『絶対に字は上達するな』と厳命した。(韋仲将能書。魏明帝起殿、欲安榜、使仲将登梯題之。既下、頭鬢皓然、因勅児孫:「勿復学書」)

韋誕は極度の高所恐怖症であったようだが、どうやら、中国人にはこのような人が多いようだ。

『列子』黄帝篇には次のような話が見える。

荘子の兄貴分にあたる列子は本名を列禦寇(れつぎょこう)と言い、弓の名手である、と先輩の白昏无人(はくこんぼうじん)に自分の腕前を自慢しパフォーマンスをして見せた。先ず、弓を一杯に引きしぼったあと杯に水を盛って肘の上に置き、矢を放つのだが、杯の水はこぼれない。次々と放つ矢は尽く的の中心に当たるのだ。自信満々の列禦寇に向かって白昏无人が『是、射の射なり、不射の射にあらず』と言った。つまり、『君は射ることを意識し過ぎている。そんなようではまだまだ不完全だ。』そこで白昏无人は列禦寇を連れて高い山に登り、断崖絶壁に張り出している岩の端に立って、『ここに来て射てみよ』と言った。列禦寇はその場所に立つだけで目が眩み、あぶら汗がたらりたらり。とても矢を射るどころではなかったと言う。

これはまるで、某政党の現在の姿のようである。崖に立つ(実際に政権をとる)までは、威勢がいいが、いざ崖に立った(政権与党になった)途端に、目がくらみあぶら汗を流し、しどろもどろになっている。まさに『不射の射にあらず』である。どでかい空砲の音に国民はまんまと騙されたのだった。

ところで、この列子の話で分かるように、中国古典の魅力は問題の本質を鮮やかな切れ味でえぐりだし、一読するだけで人を納得させる比喩で物事の理を明らかにする点にある、と私は思っている。イソップの寓話は、人の愚かさを皮肉を込めて描写しているが、2000年経った今も新鮮に響く。それと同じく、中国古典も 2000年という時代を超越し、今なおその警句はみずみずしい魅力を保っている。
コメント
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