限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第84回目)『資治通鑑に学ぶリーダーシップ(その19)』

2012-08-30 21:15:05 | 日記
第2章「人を育てる」(育成についての話)

リーダーの使命の一つは部下の育成であるのは言うまでもない。私の経験から言えば、人材育成とは、世間で言われているように一定のカリキュラムの沿って教えるだけで達成できるものではない。部下を指導するリーダーの人間性がダイレクトに部下の成長に反映される。従って、リーダーは部下を育成する前に自分自身が人を指導するのに相応しい器量を備えているか先ずは考えてみるべきであろう。

また、複数もの部下がいる場合、同じように接していても各人の個性や力量で、反応や成長が異なる。リーダーは各人の気質や成長の度合いに応じて短所を矯めたり、長所を伸ばす指導をしなければいけないが、この場合リーダーの観察力と洞察力が試される。また、部下の失敗をたしなめる時に怒るべきか、冷静になって諄々と諭すべきかの選択にも、リーダーの感情抑制力が試されている。

つまり、人を育てるというのは、部下以上にリーダー自身が試され、成長していくように私には思える。

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 『2.01 部下の失敗をとがめず、待遇を変えずに使う。』

日本の戦国時代から江戸時代にかけて活躍した武士の逸話を集めた本に明良洪範というのがある。その中に加藤清正に仕えた小姓の度胸の据わった応対が載せられている。

あるとき、加藤清正が茶会を催そうとして名物の茶碗を取り出した。清正が席を外したすきに、小姓たちがなでまわしているうちに、一人が落として割ってしまった。小姓たちはまっさおになって対策を考えた。そして何があっても絶対に犯人を言わないでおこうと示し合わせた。暫くして清正が戻ってきて、割れた茶碗をみて怒り『誰が割ったのだ』と問い詰めた。しかし、小姓たちは誰も答えなかった。清正はいよいよ怒り、臆病者たちよ、と罵った。それを聞いた小姓の一人、14歳の加藤平三郎は顔をあげ、清正に申し上げた。『私たちは、臆病で犯人をかばっているのではありません。たかが茶碗一つのために、国をまもるべき大事な戦士一人を失うのが理不尽と思うゆえに名を申し上げないのです。』、と。これを聞いた清正は、『あっぱれなる小倅じゃ』と賞嘆したという。

茶碗一つと人の命のどちらが大切かという道理を自らの命を懸けてまで主張した小姓たちの度量を見事に伝える逸話である。しかし一方から見れば、清正の狭量を暴露する話となっている。つまり、天下の名品である茶碗が割られたために清正は小姓を打ち首にしてくれようと内心では考えていたはずである。平三郎の諫言によって清正は冷静を取り戻し、リーダーとしての器量を一回り大きくした。


【出典】瑪瑙 Farbenprächtige Achate Aus Aller Welt

以上は日本の話であるが、資治通鑑には唐の武将、裴行倹の似たような話が載せられている。しかしその対応ぶりは清正と随分と異なっていた。

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資治通鑑(中華書局):巻203・唐紀19(P.6408)

裴行倹は部下に貴重な犀の角と麝香を取らせに行かせたが、部下はそれらを紛失してしまった。又、皇帝から拝領した鞍を馬につけて、部下に駆けさせたが、馬が転倒し、鞍が壊れた。二人の部下は怖くなって一緒に逃げた。裴行倹は人をやってこの二人を連れ戻してこういった。『お前たちはなにを軽はずみなことをしたのだ!』そして、二人を従来どおりに仕えさせた。西突厥の阿史那都支を打ち破った時に直径が二尺もの瑪瑙の皿を得た。軍隊に皆に見せて回ったが、王休烈が皿を捧げもったまた階段を登っている時に躓いて割ってしまった。王休烈は血が出るまで頭を地面に打ち付けて許しを懇願した。それを見た裴行倹は笑って、『お前はわざと割ったのではなかろう。気にするな。』と割れた瑪瑙の大皿を全く気にかけるそぶりもみせなかった。

行儉常命左右取犀角、麝香而失之。又敕賜馬及鞍,令史輒馳驟,馬倒,鞍破。二人皆逃去,行儉使人召還,謂曰:「爾曹皆誤耳,何相輕之甚邪!」待之如故。破阿史那都支,得馬腦盤,廣二尺餘,以示將士,軍吏王休烈捧盤升階,跌而碎之,惶恐,叩頭流血。行儉笑曰:「爾非故爲,何至於是!」不復有追惜之色。

行倹、常て左右に命じて犀角、麝香を取らしむもこれを失う。又 敕賜の馬、鞍に及び史にめいじて輒ち馳驟せしむ。馬、倒れ,鞍、破る。二人、皆な逃去す。行倹、人をして召還せしめ,謂いて曰く:「爾が曹、皆、誤まれるのみ。何ぞ相い軽んずことの甚しきや!」これを待すこと故のごとし。阿史那都支を破り、馬脳の盤,広さ二尺余を得たり。以って、将士にしめす。軍吏・王休烈、盤を捧げ階をのぼりしに,跌づきてこれを砕く。惶恐し、叩頭、流血す。行倹、笑いて曰く:「爾、故為にあらずや,何ぞここに至れるや!」復た追惜の色なし。
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馬腦は瑪瑙とも書き、宝石の一種である。裴行倹が得たのは、西突厥の王である阿史那都支が所有していたもので、直径が二尺(50センチ)もある、豪華な大皿であった。それを運んでいた部下が割ってしまったにも拘らず、裴行倹は全く気にしなかったというのだ。この一事で、加藤清正と裴行倹の器量の差が分かるというものであろう。

通常、武将といえば、粗暴な武人を想像するが、この裴行倹の場合は人品とも優れていて、儒者の風格がある。旧唐書の彼の伝の論賛には、裴行倹を『儒将』と誉めた文が見える。
 『裴行倹は文章も戦略もどちらも優れている。昔の賢人にもひけをとらない。外敵から国境を守る際も余裕たっぷりに常に対策を考えていた。まさに儒将の中の儒将と言うべき人だ』
 (文雅方略,無謝昔賢,治戎安邊,綽有心術,儒將之雄者也)

教科書的に言えば、
 『たとえ部下に失敗があっても、うっかりミスであれば、咎めないで、気落ちしないように励ましてあげましょう。』
どでもなるのであろう。しかし、このような教条的なルールを座学でいくら学んだところで、どういった場面にこのルールが適応できるのか全く分からないのではないだろうか?逆に、今回のようなエピソードは話自体が記憶に残り、それとともにそれに内在していた教訓も知らず知らずの内に心に刻み込まれ、いざと言う場合の行動指針となっていく。これが、以前のブログ百論簇出:(第125回目)『Private Sabbatical を迎えるに当たって(その3)』に書いたように、言行録やエピソードを通じてリーダーシップを学ぶということである。

目次『資治通鑑に学ぶリーダーシップ(序)』
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沂風詠録:(第177回目)『グローバルリテラシー・リベラルアーツ・教養(その8)』

2012-08-26 16:53:32 | 日記
前回に続いて、私の考えるリベラルアーツの学び方を述べよう。

フェーズ1の準備と、フェーズ2のインプット(読書)が終わったら、いよいよ得た知識を活用してみよう。

 フェーズ3:アウトプット

以前のブログ、百論簇出:(第55回目)『教うるは学ぶの半ばなり』でも述べたが、教えるというのは学習の促進剤である。この意味から、リベラルアーツでもインプット(読書)が進んで、自分の意見がまとまったら、思い切って意見を発表をしてみることだ。例えば、身近な人に話してみる(講話)とか、多くの人の前で講演したり、討論するという直接的な方法がある。それ以外にブログやメールマガジン、Facebook などで自分の意見を、できれば実名で、広く世間に発表する。意見を公表するで、質問や指摘を受け、自分の理解不足や気づかなかった観点を知ることができる。

私の場合、2009年から2012年にかけて京都大学の授業や、このブログ『限りなき知の探訪』、および、年に数回開催している『リベラルアーツ教育によるグローバルリーダー育成フォーラム』での講演はこういった実践の一環である。授業や講演の場合、話す内容を事前にまとめないといけないが、理解不足の点を数多く見つけることができた。例えば、2010年度と2011年度に行った英語授業、『日本の情報文化と社会』と『日本の工芸技術と社会』は、英語で話さなければいけなかったこともあり、かなり入念に授業準備した。毎回、PPT資料で30枚ものスライドを用意したのだが、1年半もの間この2つの分野についてはかなり多岐にわたってかなり時間を費やした。そこまでインプット(読書)だけでは、不確かだった知識が、アウトプット(講義)をすることではじめてかっちりと自分の中に定着したとの実感を得ることができた。

 フェーズ4: 実務で検証

この連載の第6回目
 【B】リベラルアーツは、まさかの時に備える保険のようなもの
と言うことを述べた。つまりリベラルアーツの学習で得た知識は、必ずしも日常の生活でいつも必要とされる訳ではない。将来のいつかの時点で、実務の中で役に立つかもしれないという漠然としたものである。しかし、リベラルアーツを必要とする場面に遭遇することは必ずあるといえる。例えば次のような事象は身近にも必ず経験することであろう。
 ○組織(会社・官庁・団体)の利益と社会の利益が相反する時
 ○組織(会社・官庁・団体)の方針と自分の生き方が相反する時


こういった時にどういう判断を下すか、どういう行動をとるかで、その人の考え方、生き方、つまり哲学が、試される。単なる見解の相違ではなく、自分あるいは組織が刑事事件にまで発展するような事態に巻き込まれることもあろう。そういった時、後悔のない行動がとれるかが問われる。

これ以外にも、次のような人との交わりにおいても教養やリベラルアーツの真価が問われる。
 ○魅力あるビジネスパーソンに出会った時
 ○外国人との付き合いでのアフターファイブの話


自分と価値観や視野の異なる人に対して、『話すに足る人物』だと認めてもらえるか?その人が気づかなかったような視点を提示できるか?もう一度会ってみたいと思ってもらえるか?リベラルアーツの本質は、単にものごとを知っているというのではなく、独自の見解を持っているということである。見識の高い人と会う時というのは、その人の持つ哲学が試されているのだ。



以上は個人的な観点でのリベラルアーツの学習の真価が発揮される時であるが、それにも増して現在のグローバル社会では、外国の組織(企業・官庁・団体)との交渉にリベラルアーツの真価が問われる。。現在の国際社会において日本の地位および産業競争力は相対的に低下しつつある。それで、日本の会社の対応が甘いと知るとそれにつけ込み、あくどくむしり取ろうとするギャングまがいの暴動は、中国での王子製紙、ホンダ、あるいはインドでのスズキ、などで発生している。

私がリベラルアーツの上位の概念としてグローバルリテラシーの必要性をこの連載の第1回目に強調したのはこういった背景を意識してのことであった。つまり、日本と文化背景の異なる国々や組織の中での上司、部下として付き合うには、彼らの文化のコアの把握が不可欠なのだ。文化のコアを理解するというのは、具体的には次のような場面でその真価が問われる。
 ○自分(あるいは日本人)の考え方と異なる時、彼らの主張の論理が理解できるか?
 ○自分(会社あるいは個人)の主張を相手に納得させることができるか?
 ○複数の文化背景をもった外国人のグループを任された時、リーダーシップを発揮して上手にまとめて運営していけるか?


過去のイギリスの植民地支配を見ると、彼らは必ず現地(アフリカ、中東、アジア)の文化を詳細に調査している。それも象牙の塔の学者が学究的観点から行うのではなく、外交官、商人などの実務者が実生活の経験をベースとして学問的な観点をもって異文化を探究している。結果的には植民地からさらなる利益を搾取する目的であったとしても、彼らが残した文書は現地の文化を知るうえで今なお非常に価値がある。これは、幕末、明治初期に日本を訪問した外国人のなかでもとりわけイギリス人(例:オールコック、アーネスト・サトウ、チェンバレン、イサベラ・バード、ジョージ・サンソムなど)の書を読むと、彼らの観察眼の確かさがわかる。

この意味からもグローバル社会では、リベラルアーツを学ぶことは、表層的な教養の箔をつけるためではなく、文化のコアを理解することであり、単なる知識に止まらず、ビジネスに必要な活眼を養うことであることが理解できよう。

ただ、このようにリベラルアーツの習得は重要であることが分かっていても、この連載の第6回目で述べたように
 『資格試験と違って最終ゴールや成果が見えづらいリベラルアーツを学ぶことは中途で挫折しやすい。』
のも事実だ。それでは、中途で挫折するのを回避する方策はあるのだろうか?
この疑問に対する私の答えは:
 成果を目的とせずに、プロセスを楽しむこと
である。昨今の日本では勉強に限らずスポーツでも、結果、つまり得点、を競うことに重きを置きすぎる傾向が強い。

私はこういった世間の風潮には賛同しない。とりわけ、リベラルアーツのように、達成目標が明確でない場合、結果主義ではうまくいかない。それは以前のブログ、【座右之銘・2】『死生在命、富貴在天』で述べたとおりだ。
 努力した結果が他人から評価されることだけを目標にして、努力するのではなく、その努力していること自体に満足を感じていなければ、その努力は『さもしい』と思う。論語の中の『知之者不如好之者、好之者不如樂之者』(これを知るものは、これを好むものにしかず、これを好むものは、これを楽しむものにしかず。)はその心境を的確に表現したものだ。

つまりリベラルアーツの学習とは学んでいるプロセス自体に楽しみを見い出さなければ続かないのだ。この事を肝に銘じてほしい。

続く。。。
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【座右之銘・72】『工欲善其事、必先利其器』

2012-08-23 21:53:38 | 日記
徒然草は大学入試の古文の問題として定番であるので、だれしも馴染みのある本であろう。私も40年前の受験勉強の時に何回か通読してから兼好独特のアジのある文体が気にいって、時たま読み返す。高校生の時は、全文を読むのに1か月ほどかかっていたが、近頃では現代文と変わらないスピードで読めるようになった。内容を周知しているというより、むしろ古文の文法や言い回しに抵抗を感じなくなったせいだと思える。

しかし、そうかと言って大学の入試問題を読んで文法的に細かく説明せよ、と言われても正しく答えられない。ただ、古文を読んでいるときに文法を意識することなしに文意が自然と分かるのだ。それでは、高校生の時にちまちまと文法を勉強したのは無駄だったかというとそうでない。高校生の時に細かい文法規則を徹底的に覚えたおかげで、古文を読み解くベースができた。その後、暫くはこの文法知識に頼りにして文を解析しながら読んでいた。それが、あたかも自転車の補助輪なしに走れるように、次第次第に文法の規則を意識することなしに無意識の内に文法解析がなされ、その結果、文章の意味が頭にすっと飛び込んでくるようになったのだ。

これと同様の感覚は、英語、ドイツ語、フランス語の文を読んでいる時に感じる。さらに言えば、この3つの言語で、前の2つ(英語、ドイツ語)は文法の規則をほぼ完全に理解しているのに対し、フランス語はそうではない。その文法理解の差が文章理解の深さだけでなく、会話力の差にも如実に反映している。この経験から私は、語学学習にはなによりも先ず、文法を徹底的にマスターすべきだと考えている。高校生にとって、大学受験はそういった細かい文法規則を強制的に覚える恰好のチャンスである、とポジティブに考えて欲しい。



さて、徒然草の思想背景は、仏教、儒教、老荘の3つであると言われている。兼好は法師であるので、当然のことながら仏教的観点からの意見が多いが、私は個人的には兼好はむしろ老荘に傾斜しているのではないかと感じる。例えば、第82段には、『物事は完璧にしない方がよい』との趣旨の文が見える。
 「すべて、何も皆、事のととのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。内裏造らるるにも、必ず、作り果てぬ所を残す事なり」と、或人申し侍りしなり。先賢の作れる内外の文にも、章段の欠けたる事のみこそ侍れ。

これは、五経の一つ、易経の中に見える句、『亢龍有悔』(亢龍に悔あり)の意味であろう。つまり『頂点を極めるのはよろしくない。頂点の一歩手前で満足しておくべき』という処世の知恵である。
また、第229段からも上の文と同じく、彼の老荘趣味がよくわかる。
 よき細工は、少し鈍き刀をつかふといふ。妙観が刀はいたくたたず。

しかし、この兼好の意見に対して、儒教の中心書である論語(第15・衛靈公)で、孔子はまるっきり反対の意見を述べている。
 工欲善其事、必先利其器。(工、その事をよくせんと欲せば、必ずその器を利とす。)

意味は、『職人が立派な仕事をしたいと思ったらまず道具を研ぐ』というのだ。

しかし、孔子はなにも職人の道具の話をしようとしているのではない。これは、次の文を言い出すための露払いにすぎない。
 『居是邦也、事其大夫之賢者、友其士之仁者』(この邦に居るや、その大夫の賢者につかえ、その士の仁者を友とする。)

つまり、孔子の言いたかったのは、『職人が仕事前に丹念に道具を研ぐように、士たるものは国の賢人や仁者を慎重に選び出して師や友としなければいけない。』ということだ。

ついでに言えば、孔子のこの言葉を敷衍したのが、後漢の王符の『潜夫論』(巻2・本政)に見える次の文である。少々長いが、引用してみよう。
 そもそも天は国の基であり、君主は民を統率する者である。臣下は君主が政治を行う道具である。論語にもいうではないか、『工欲善其事、必先利其器』。同じ趣旨で、天下を太平にするには、先ずは陰陽(天候)を整えることだ。陰陽を整えるには、先ずは天の心に従うことだ。天の心に従うには、先ずは民を安心させることだ。民を安心させるには、まずは政治を行うに適格な人を選ぶことだ。結局、国家存亡と国の安定は人選の良しあしに懸っている。
(原文:夫天者國之基也,君者民之統也,臣者治之材也。工欲善其事,必先利其器。是故將致太平者,必先調陰陽;調陰陽者,必先順天心;順天心者,必先安其人;安其人者,必先審擇其人。是故國家存亡之本,治亂之機,在於明選而已矣。)

『工欲善其事、必先利其器』とは職人の道具の話ではなく、国家の盛衰は人選にあり、という極めて高次元の話であった。こういう言い回しがいわゆる『此言雖小、可以喩大』(この言、小なりといえども、もって大を喩うべし)と言われ、中国人が得意とする論法だ。
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沂風詠録:(第176回目)『グローバルリテラシー・リベラルアーツ・教養(その7)』

2012-08-19 15:17:10 | 日記
前回までの説明で、未来を担うリーダーにリベラルアーツが必要だと理解して頂いたところで、さてどうやって学んだらよいか、と迷うことだろう。とりわけ、前回で述べたようにリベラルアーツというのは、5年から10年の長期スパンで腰をすえて学ばないといけない。さらに達成度合いも先も見えない中で、こつこつと進めていけるだろうか?根性物マンガのように、『ファイト!ファイト!』と掛け声だけでは、何ともならない。

しかし、大学入試には赤本の対策本があるように、リベラルアーツといえども攻略の仕方はあるものだ。今回と次回に分けて『さあ、リベラルアーツを学ぼう』と題して私の考えるリベラルアーツの学び方を述べてみたい。

 フェーズ1:準備

現代人は、高校や大学入試の影響であろうか、偏差値が全てのような感覚で物事を考えがちである。確かに、偏差値は頭の良さを示す一つの指標ではあるが、物事を成し遂げることとの関連は薄い。物事を成し遂げるのは、知能や能力ではなく、熱意であると私は確信している。中国の春秋戦国時代の大儒・荀子に『蹞歩而不休、跛鼈千里』(きほして休まざれば、はべつも千里)と言う句がある。一歩一歩の歩みを積めば足の悪い亀でも千里を踏破することは可能だと励ましているのだ。つまり、倦むことなく継続する熱意が偉大なことを成し遂げると言っている。

この意味で、リベラルアーツを攻略するには、何よりも熱意が必要である。しかし、漠然と熱意を持てと言っても始まらない。方法論的には先ずは100ヶの分野に興味を持つことを勧める。それもピンポイント的な興味だ。例えば、歴史とか哲学とかいう大きなくくりではなく、もっと個別(specific)な分野を選ぶことだ。科学技術の分野で言うならば、例えば、『大航海時代の航海術』を知りたい、というように焦点を絞ることだ。

18世紀の植物学者・リンネは植物の分類を2つの名前を使って、大分類+小分類のセットで表現したが、このリンネの知恵を拝借すると、まず、上で述べたように大分野を決めたら、次はその分野で自分が知りたい具体的な項目(小分類)や疑問を書き抜き出すことだ。例えば、航海術でいえば:
 ○羅針盤もない時代に、どのようにして大洋を航海できたのか?
 ○どのような地図を持っていたのだろうか?
 ○航海中に船は修繕できたのだろうか?


このようにして、自分が何を知りたいのかを明確にさせることが重要だ。つまり、関心を絞ることでピンポイントではあるが到達点が明確になる。リベラルアーツの学習のように領域が広大無辺な場合、面的に一挙に攻略しようとせずに点的(ピンポイント的)に一つ一つの砦を攻略する心構えが大切だ。


 フェーズ2:インプット (読書)

目標が定まったらいよいよ、本格的にその目標を征服するために読書することだ。関心や疑問が明確になっているので、本を読んでいても漫然と知識を得るという態度でなく、自分の疑問に答えてくれる箇所はないかと先鋭な意識で読むことができる。確かに、どの本もそうだが残念ながら必ずしも自分の疑問に的確には答えてくれない。しかし大切な事は、あくまでも自分の疑問を持ち続けることだ。解決したい疑問があるからこそ次々と読書の量も範囲も広がっていく。それは一種の連鎖反応みたいで、疑問を解決するために本を読むとさらに新たな疑問が湧いてくる。これらの新たに湧いた疑問はすべて抱えこむことが、リベラルアーツ攻略の秘訣だ。

さて、本を選ぶ時であるが、易しそうな解説本よりも少々ハードルは高くとも原典にアタックすることが捷径だ。原典とは、その分野で中心軸となる基本文典(日本語、原語)のことを言う。そのような本は古典であることが多いが、近代や現代でも基本文典となる本は数多くある。

当然のことながら、こういった原典はある程度の共通認識をもった人向けに書かれているので、一回読んだだけでは本質を理解することは難しいだろう。こういった本は大抵、かなりの分量があるので途中で挫折し、これに懲りて原典には二度と近づかないと決めている人もいるだろう。しかし、私の経験則( rule of thumb)からいうと、原典のような主要な本は分からなくても必ず通読することが必要だ。一度通読した本とそうでない本ではあきらかに自分のなかで何かが違っているのがわかる。単なる自己満足とも言えるかもしれないが、二度目に読むときには少なくともその本に対する恐怖感や遠慮感は失せてしまっていることに気づく。

さて、いつもいつも原典ばかり読む必要は毛頭ない。寝転んでも読める、ちょっと軽めの本もとりまぜて読むのが精神安定上よい。読書にも(主食+副食)のバランスが大切なのだ。つまり:
 【主食】 中心軸となる本を探し、精読する。
 【副食】 新書、百科事典、雑誌、Wikipediaなどで関連知識を吸収する。


しかし、いつも(主食+副食)だと飽きるので、気分転換にたまには特別料理も頂くことにしよう。

特別料理とは、外国語(英語)で原典を精読することを言う。こう言うと、『難しい本は日本語でも分からないのに、ましてや外国語で読むなんて!』と鼻白む人もいるだろう。ご安心を!外国語(英語)を勉強するのではなく、内容を理解することが目的なので次のような簡便法をお勧めする。まず、読みたい本の日本語訳の本を探してこれを読む。内容を理解した後で、外国語の原典にアタックするのだ。これが私のいう『カンニング読書』である。同じ本を2回読むのであるから、多少構文が難しくとも内容は理解できるであろう。以前私の知人で英語があまり得意でない人が、『Back To the Future』のDVDを見てから英語の本を読んだが、非常にすいすいと読めたと感激して話してくれたことがあった。ただ、原典だとこれほどうまくいくとは思わないが、それでも内容を知っているとかなりスムーズに読めるだろう。

さて、そもそも何故、外国語(英語)で原典を読む必要があるのだろうか?

 第一の理由は読むスピードが遅いために考えながら読めることだ。

世の中では、速読術なるものをマスターし、『昼休みに新書を一冊読みました』などと誇る人がいる。私は速読法をマスターしていないから僻みでいう訳ではないが、本を速く読むことは必ずしもいつも良いとは限らない。外国語で読むとたとえ内容は分かっていても速度が格段に落ちるが、この『スローリーディング』にも利点はあるのだ。まず、ゆっくりとしか読めないということは、読みが上滑りしない、ということになる。その上、文を理解しないと先に進めないから、結果的に文を自分なりに咀嚼するに十分な時間を持つことができる。これは日本語でさっと読んでいる時には出来ないことである。

 第二の理由は、我々の知らない単語や概念に数多くでくわすことである。

我々の知らない単語というのは、受験英語や大学の教養課程レベルの第二外国語の授業ではでくわさない単語の事だ。そういった単語は我々は知らないかもしれないが、現地の人にとっては当たり前の単語であるかもしれない。知らない単語を辞書で調べることで単語を通して彼らの文化背景を垣間見ることができる。

また、我々の知らない概念というのは、日本語の訳文には現れてこない表現方法のことだ。原語で表現されている概念が日本語にない時、訳者は日本人の読者に理解しやすいように、文を言い換えたり、近似の概念で訳したりしていることが多い。そういった文や句を原文で見ると非常に新鮮な感動を覚える。例えば、the lion's share という語があるが、辞書には『不当に大きい分け前』と載っている。この訳語を見ても何も感じないが、英文を読んでいる時に the lion's share という単語に出会い、これが元来イソップの童話から出てきた語句であると知ると、この語の由来に興味を抱くであろう。さらに、ラテン語では pars leonina、フランス語では la part du lion、ドイツ語では der Löwenanteil、オランダ語では het leeuwendeel、と言い表わされると知るに及べばイソップの童話がヨーロッパの概念形成にもたらした影響度の大きさに思いが至るであろう。

以上、二つの理由で、本格的にリベラルアーツを修めたいなら、たまには外国語(英語)で原典を読むことを勧める次第である。

続く。。。
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想溢筆翔:(第83回目)『資治通鑑に学ぶリーダーシップ(その18)』

2012-08-16 23:47:18 | 日記
『1.18 リーダーの責務とは何か - 信念と世間評価の乖離を恐れるな。』

以前のブログ、沂風詠録:(第14回目)『道はもとより委蛇たり』で私は中国の儒者の教条主義を批判してこう述べた。
秦末の叔孫通は『大直若詘、道固委蛇(大直は、まがるが如し、道はもとより、いい、たり)』(柔軟にしてこそ初めて大義が成就できる)と喝破し、儒者の頑固さをせせら笑った。それでも、その後 1000年もの間、このような実益(民の厚生)より虚辞(名分)が評価され続けた。どうやら、中国の教養人は、教条主義(rigorism)に陥り易く、その結果、柔軟な発想を否定的に見る傾向が強いと言えそうだ。

中国の歴史には教条派(現代用語では原理主義者)と実務派の対立がしばしば見られる。そして大抵のパターンは教条派が権力を握り、実務派を弾圧するが、少数の実務派がしぶとく生き抜き次第に実力で教条派を圧倒していく、というものだ。最近(と言っても40年ほど前だが)の例では実務派の雄・劉少奇は走資派とのレッテルをはられ狂気の文化大革命の渦中に非業の死を遂げた。しかし劉少奇の同志であった小平は弾圧されるも、文革後に復活を果たし、実権を握るや解放改革路線を推進し今日の中国の発展の礎を築き、劉少奇の汚名を雪いだ。

これからも分かるように、世間の評価というのは、時とともに大きく揺れ動くものだ。従って、我々が人を評価するときは、世間の評価を鵜呑みにせず、まずはその人の言動のデータを集め、前後関係を調査した上で、良い点と悪い点を分けた上で、総合的な判断を下すように心がけなければいけない。そしてリーダーとして心すべきは、自分が信念をもって行動するなら、世間の評価に右往左往すべきではないということだ。

儒者からは極めて低い評価を受けた信念のリーダー・馮道の功績とその評価を見てみよう。

923年に成立した後唐では人材に欠いていた。二代目の明宗が誰を宰相にしたらよいかを臣下に尋ねたが、思うような人が見つからなかった。それで、自分の意見として次のように述べた。

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資治通鑑(中華書局):巻275・後唐紀4(P.8999)

明宗が言うには、「宰相というのは重職だ。皆でもっとよく議論して頂きたい。私が河東に居た時に馮道を見たが、多才の上に物知りで、人を押しのけるような所がない。宰相にふさわしいと思う」

上曰:「宰相重任,卿輩更審議之。吾在河東時見馮書記多才博學,與物無競,此可相矣。」

上曰く:「宰相、重任なり,卿輩、更にこれを審議せよ。吾、河東に在るの時、馮書記を見る。多才にして博学。物と競わず,これ相とすべきなり。」
 ***************************

その後、馮道は目まぐるしく興亡を繰り返す国々において政務を握り、無益な殺生を避けようと努力した。しかし、儒者は『忠臣不事二君』(忠臣は二君につかえず)との教条主義から『五朝八姓十一君』につかえた馮道を破廉恥漢とみなした。



馮道の臨終の記述と、儒者(歐陽修、司馬光)の評価を見てみよう。

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資治通鑑(中華書局):巻291・後周紀2(P.9510)

太師、中書令で瀛文懿王の馮道が亡くなった。馮道は子供のころから親孝行で慎み深いとして有名であった。後唐の荘宗の時に初めて大官に至ってから、死ぬまでずっと国の政治のトップの地位(将、相、三公、三師)に居た。生活ぶりは至って質素で、また寛大であった。喜怒を顔に出さない人だった。一方でひょうきんな面もあり知恵が豊かで機転が聞いた。常に人の気に入られようとした。かつて自叙伝《長楽老敘》で、自分がどのようにして出世したかを述べた。当時の評価は、徳のある人だということだ。

庚申,太師、中書令瀛文懿王馮道卒。道少以孝謹知名,唐莊宗世始貴顯,自是累朝不離將、相、三公、三師之位,爲人清儉寛弘,人莫測其喜慍,滑稽多智,浮沈取容,嘗著《長樂老敘》,自述累朝榮遇之状,時人往往以徳量推之。

庚申,太師、中書令、瀛文懿王、馮道、卒す。道、少にして孝謹をもって名を知らる。唐の荘宗の世に始めて貴顕たり。これより累朝、将、相、三公、三師の位を離れず。人たるに清倹にして寛弘。人、その喜慍を測るなし。滑稽にして多智、浮沈するも容をとる。かつて《長楽老敘》を著し、自ら累朝の栄遇の状を述ぶ。時人、往往、徳量をもってこれを推す。
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まず、臨終に際して、馮道の略歴と当時は徳量ありと、かなりポジティブに評価されていた事実を淡々と述べる。

しかし、これに続く論賛に儒者の痛烈な批判が叩きつけられる。先ずは、名文家で知られる宋代士大夫の支柱というべき欧陽修の批判。

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資治通鑑(中華書局):巻291・後周紀2(P.9510)

欧陽修は新五代史の論に次のように述べる。「礼義、廉恥は国の四維(4つの大原則)である。この四維が緩むと、国は滅亡する」礼義というのは政治の根幹である。廉恥は人の大節である。それだから、大臣が廉恥の心を失えば天下が乱れないでいられようか!国家が滅びずにいられようか!私は《長楽老敘》を読んで、馮道が自分の出世を誇っているのは、全く破廉恥も過ぎると言いたい。国のトップの大臣がこうであるから国も落ちていくのだ。

歐陽修論曰:「禮義廉恥,國之四維。四維不張,國乃滅亡。」禮義,治人之大法;廉恥,立人之大節。況爲大臣而無廉恥,天下其有不亂、國家其有不亡者乎!予讀馮道《長樂老敘》,見其自述以爲榮,其可謂無廉恥者矣,則天下國家可從而知也。

欧陽修の論に曰く:「礼義、廉恥は国の四維なり。四維、張らざれば、国なわち滅亡す。」礼義は治人の大法なり。廉恥は人を立つるの大節なり。況わんや、大臣たりて廉恥なし。天下、それ乱れざるあらんや、国家、それ亡びざるあらんや!予、馮道の《長楽老敘》を読み、その自ら述べるに、おもえらく栄なりと。それ廉恥なきものというべきなり。則ち天下国家の従うべきもまた、知るなり。
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欧陽修の批判の論点は、馮道に廉恥心がない、という点だ。つまり、彼の業績や政治に対する姿勢を批判しているのではなく、単に自分が仕えた国が滅びた後に、その国を滅ぼした主に仕える、つまり『事二君』という倫理観を批判しているに過ぎない。しかしこれは『忠臣不事二君』(忠臣は二君につかえず)という言葉が絶対的真理であることが前提であるはずだが、欧陽修をはじめとする儒者には、この言葉を疑問視することなど想像すらできないことであった。

次いで、資治通鑑の編者・司馬光の批判を聞こう。

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資治通鑑(中華書局):巻291・後周紀2(P.9511)

私、司馬光の意見:
天地には定まった位があり、聖人はこれに従う。制礼に従って法を作る。つまり、家庭内には夫婦の道があり、外には君臣の道がある。妻は一生、夫に従うのものだし、臣下は一たび主君を決めれば他の主君には仕えない。これが人道の大倫というものだ。もしこの定めを無視するなら、これ以上の悪行はない。范質は馮道が徳に厚く教養があり、才能豊かで、威厳があると言ったが、国が滅びるつど、主君を乗りかえていった。たとえ世人が非難しなくても、大山のようにどっしりとして転がるべきではなかったと思う。

臣光曰:天地設位,聖人則之,以制禮立法,内有夫婦,外有君臣。婦之從夫,終身不改;臣之事君,有死無貳。此人道之大倫也。苟或廢之,亂莫大焉!范質稱馮道厚徳稽古,宏才偉量,雖朝代遷貿,人無間言,屹若巨山,不可轉也。

臣・光、曰く:天地、位を設け,聖人、これに則り、制礼もって法を立つ。内に夫婦あり、外に君臣あり。婦の夫に従う,終身、改めず。臣の君に事うるや、死ありても弐せず。これ人道の大倫なり。苟しくも或いはこれを廃さば、乱、大なるはなし!范質、馮道を厚徳、稽古にして、宏才、偉量と称す。朝の代るや遷貿するを人、間言なしと雖も、巨山のごとく屹として転ずべからず。
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この批判から、司馬光も欧陽修と全く同じ思考回路を持っていたことが分かる。それどころか、司馬光は馮道を『奸臣のなかの奸臣』(茲乃奸臣之尤)とさらに手厳しく糾弾している。また、馮道は乱世にうまく身を処したとの世間の評価に対して、『身を汚して生きるぐらいなら死んだ方がましだ』(君子、有殺身成仁)とも弾劾する。

私は、博学で多くの書物を読みこんだ馮道であるから、当時の、そして後世の儒者達からこういった批判を受けることはじゅうぶん承知していた、と確信している。それでも自分の名誉よりも幾百万人もの人命と民生とに奮闘した馮道のリーダーとしての大きな識量に私は敬意を抱くものだ。

司馬光や欧陽修に関して言えば、宋名臣言行録や唐宋八家文などを読み、彼らの人柄には尊敬の念を抱いている。一国の大臣職にありながらも質素に暮らすその清廉な政治姿勢に現代にも通じる暖かいヒューマニズムを感じる。しかしそうだからといって彼らの教条的な姿勢に対しては批判せざるを得ない。

これが、先日のブログ、沂風詠録:(第174回目)『グローバルリテラシー・リベラルアーツ・教養(その5)』で述べた、
 結局、過去の人を絶対視しない、この姿勢を持つべきだと私は考える。
の意味するところである。

ところで、同じくこの先日のブログで、吉田松陰には識見において見るべきものは少ない、と述べたが、馮道に対する彼の評価に彼の狭量が露わになっている。

吉田松陰の『講孟箚記』(巻之四下・第31章)に次の文が見える。
 『馮道の如き、五朝八姓に事へ皆、相となるに至る。豈憎まざるべけんや。』
この文はまさに上で述べた宋儒の口上をそっくり真似したものではないか!馮道の事蹟を丹念に調べた上でくだした理性的な評価ではないことは明らかだ。松陰と言えば、命の危険をも顧みずペリーの船に乗って世界を実地に見ようとした程であるから、柔軟な思考を持っていたように思えるが、残念ながら、実際は、儒者としての固定観念に縛られた狭い識見しかもっていなかった。

【参照ブログ】
 【座右之銘・56】『口無不道之言、門無不義之貨』

目次『資治通鑑に学ぶリーダーシップ(序)』
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