第2章「人を育てる」(育成についての話)
リーダーの使命の一つは部下の育成であるのは言うまでもない。私の経験から言えば、人材育成とは、世間で言われているように一定のカリキュラムの沿って教えるだけで達成できるものではない。部下を指導するリーダーの人間性がダイレクトに部下の成長に反映される。従って、リーダーは部下を育成する前に自分自身が人を指導するのに相応しい器量を備えているか先ずは考えてみるべきであろう。
また、複数もの部下がいる場合、同じように接していても各人の個性や力量で、反応や成長が異なる。リーダーは各人の気質や成長の度合いに応じて短所を矯めたり、長所を伸ばす指導をしなければいけないが、この場合リーダーの観察力と洞察力が試される。また、部下の失敗をたしなめる時に怒るべきか、冷静になって諄々と諭すべきかの選択にも、リーダーの感情抑制力が試されている。
つまり、人を育てるというのは、部下以上にリーダー自身が試され、成長していくように私には思える。
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『2.01 部下の失敗をとがめず、待遇を変えずに使う。』
日本の戦国時代から江戸時代にかけて活躍した武士の逸話を集めた本に明良洪範というのがある。その中に加藤清正に仕えた小姓の度胸の据わった応対が載せられている。
あるとき、加藤清正が茶会を催そうとして名物の茶碗を取り出した。清正が席を外したすきに、小姓たちがなでまわしているうちに、一人が落として割ってしまった。小姓たちはまっさおになって対策を考えた。そして何があっても絶対に犯人を言わないでおこうと示し合わせた。暫くして清正が戻ってきて、割れた茶碗をみて怒り『誰が割ったのだ』と問い詰めた。しかし、小姓たちは誰も答えなかった。清正はいよいよ怒り、臆病者たちよ、と罵った。それを聞いた小姓の一人、14歳の加藤平三郎は顔をあげ、清正に申し上げた。『私たちは、臆病で犯人をかばっているのではありません。たかが茶碗一つのために、国をまもるべき大事な戦士一人を失うのが理不尽と思うゆえに名を申し上げないのです。』、と。これを聞いた清正は、『あっぱれなる小倅じゃ』と賞嘆したという。
茶碗一つと人の命のどちらが大切かという道理を自らの命を懸けてまで主張した小姓たちの度量を見事に伝える逸話である。しかし一方から見れば、清正の狭量を暴露する話となっている。つまり、天下の名品である茶碗が割られたために清正は小姓を打ち首にしてくれようと内心では考えていたはずである。平三郎の諫言によって清正は冷静を取り戻し、リーダーとしての器量を一回り大きくした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/1b/ae0da6df64f1d07846276021b8617971.jpg)
【出典】瑪瑙 Farbenprächtige Achate Aus Aller Welt
以上は日本の話であるが、資治通鑑には唐の武将、裴行倹の似たような話が載せられている。しかしその対応ぶりは清正と随分と異なっていた。
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資治通鑑(中華書局):巻203・唐紀19(P.6408)
裴行倹は部下に貴重な犀の角と麝香を取らせに行かせたが、部下はそれらを紛失してしまった。又、皇帝から拝領した鞍を馬につけて、部下に駆けさせたが、馬が転倒し、鞍が壊れた。二人の部下は怖くなって一緒に逃げた。裴行倹は人をやってこの二人を連れ戻してこういった。『お前たちはなにを軽はずみなことをしたのだ!』そして、二人を従来どおりに仕えさせた。西突厥の阿史那都支を打ち破った時に直径が二尺もの瑪瑙の皿を得た。軍隊に皆に見せて回ったが、王休烈が皿を捧げもったまた階段を登っている時に躓いて割ってしまった。王休烈は血が出るまで頭を地面に打ち付けて許しを懇願した。それを見た裴行倹は笑って、『お前はわざと割ったのではなかろう。気にするな。』と割れた瑪瑙の大皿を全く気にかけるそぶりもみせなかった。
行儉常命左右取犀角、麝香而失之。又敕賜馬及鞍,令史輒馳驟,馬倒,鞍破。二人皆逃去,行儉使人召還,謂曰:「爾曹皆誤耳,何相輕之甚邪!」待之如故。破阿史那都支,得馬腦盤,廣二尺餘,以示將士,軍吏王休烈捧盤升階,跌而碎之,惶恐,叩頭流血。行儉笑曰:「爾非故爲,何至於是!」不復有追惜之色。
行倹、常て左右に命じて犀角、麝香を取らしむもこれを失う。又 敕賜の馬、鞍に及び史にめいじて輒ち馳驟せしむ。馬、倒れ,鞍、破る。二人、皆な逃去す。行倹、人をして召還せしめ,謂いて曰く:「爾が曹、皆、誤まれるのみ。何ぞ相い軽んずことの甚しきや!」これを待すこと故のごとし。阿史那都支を破り、馬脳の盤,広さ二尺余を得たり。以って、将士にしめす。軍吏・王休烈、盤を捧げ階をのぼりしに,跌づきてこれを砕く。惶恐し、叩頭、流血す。行倹、笑いて曰く:「爾、故為にあらずや,何ぞここに至れるや!」復た追惜の色なし。
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馬腦は瑪瑙とも書き、宝石の一種である。裴行倹が得たのは、西突厥の王である阿史那都支が所有していたもので、直径が二尺(50センチ)もある、豪華な大皿であった。それを運んでいた部下が割ってしまったにも拘らず、裴行倹は全く気にしなかったというのだ。この一事で、加藤清正と裴行倹の器量の差が分かるというものであろう。
通常、武将といえば、粗暴な武人を想像するが、この裴行倹の場合は人品とも優れていて、儒者の風格がある。旧唐書の彼の伝の論賛には、裴行倹を『儒将』と誉めた文が見える。
『裴行倹は文章も戦略もどちらも優れている。昔の賢人にもひけをとらない。外敵から国境を守る際も余裕たっぷりに常に対策を考えていた。まさに儒将の中の儒将と言うべき人だ』
(文雅方略,無謝昔賢,治戎安邊,綽有心術,儒將之雄者也)
教科書的に言えば、
『たとえ部下に失敗があっても、うっかりミスであれば、咎めないで、気落ちしないように励ましてあげましょう。』
どでもなるのであろう。しかし、このような教条的なルールを座学でいくら学んだところで、どういった場面にこのルールが適応できるのか全く分からないのではないだろうか?逆に、今回のようなエピソードは話自体が記憶に残り、それとともにそれに内在していた教訓も知らず知らずの内に心に刻み込まれ、いざと言う場合の行動指針となっていく。これが、以前のブログ百論簇出:(第125回目)『Private Sabbatical を迎えるに当たって(その3)』に書いたように、言行録やエピソードを通じてリーダーシップを学ぶということである。
(目次『資治通鑑に学ぶリーダーシップ(序)』)
リーダーの使命の一つは部下の育成であるのは言うまでもない。私の経験から言えば、人材育成とは、世間で言われているように一定のカリキュラムの沿って教えるだけで達成できるものではない。部下を指導するリーダーの人間性がダイレクトに部下の成長に反映される。従って、リーダーは部下を育成する前に自分自身が人を指導するのに相応しい器量を備えているか先ずは考えてみるべきであろう。
また、複数もの部下がいる場合、同じように接していても各人の個性や力量で、反応や成長が異なる。リーダーは各人の気質や成長の度合いに応じて短所を矯めたり、長所を伸ばす指導をしなければいけないが、この場合リーダーの観察力と洞察力が試される。また、部下の失敗をたしなめる時に怒るべきか、冷静になって諄々と諭すべきかの選択にも、リーダーの感情抑制力が試されている。
つまり、人を育てるというのは、部下以上にリーダー自身が試され、成長していくように私には思える。
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『2.01 部下の失敗をとがめず、待遇を変えずに使う。』
日本の戦国時代から江戸時代にかけて活躍した武士の逸話を集めた本に明良洪範というのがある。その中に加藤清正に仕えた小姓の度胸の据わった応対が載せられている。
あるとき、加藤清正が茶会を催そうとして名物の茶碗を取り出した。清正が席を外したすきに、小姓たちがなでまわしているうちに、一人が落として割ってしまった。小姓たちはまっさおになって対策を考えた。そして何があっても絶対に犯人を言わないでおこうと示し合わせた。暫くして清正が戻ってきて、割れた茶碗をみて怒り『誰が割ったのだ』と問い詰めた。しかし、小姓たちは誰も答えなかった。清正はいよいよ怒り、臆病者たちよ、と罵った。それを聞いた小姓の一人、14歳の加藤平三郎は顔をあげ、清正に申し上げた。『私たちは、臆病で犯人をかばっているのではありません。たかが茶碗一つのために、国をまもるべき大事な戦士一人を失うのが理不尽と思うゆえに名を申し上げないのです。』、と。これを聞いた清正は、『あっぱれなる小倅じゃ』と賞嘆したという。
茶碗一つと人の命のどちらが大切かという道理を自らの命を懸けてまで主張した小姓たちの度量を見事に伝える逸話である。しかし一方から見れば、清正の狭量を暴露する話となっている。つまり、天下の名品である茶碗が割られたために清正は小姓を打ち首にしてくれようと内心では考えていたはずである。平三郎の諫言によって清正は冷静を取り戻し、リーダーとしての器量を一回り大きくした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/1b/ae0da6df64f1d07846276021b8617971.jpg)
【出典】瑪瑙 Farbenprächtige Achate Aus Aller Welt
以上は日本の話であるが、資治通鑑には唐の武将、裴行倹の似たような話が載せられている。しかしその対応ぶりは清正と随分と異なっていた。
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資治通鑑(中華書局):巻203・唐紀19(P.6408)
裴行倹は部下に貴重な犀の角と麝香を取らせに行かせたが、部下はそれらを紛失してしまった。又、皇帝から拝領した鞍を馬につけて、部下に駆けさせたが、馬が転倒し、鞍が壊れた。二人の部下は怖くなって一緒に逃げた。裴行倹は人をやってこの二人を連れ戻してこういった。『お前たちはなにを軽はずみなことをしたのだ!』そして、二人を従来どおりに仕えさせた。西突厥の阿史那都支を打ち破った時に直径が二尺もの瑪瑙の皿を得た。軍隊に皆に見せて回ったが、王休烈が皿を捧げもったまた階段を登っている時に躓いて割ってしまった。王休烈は血が出るまで頭を地面に打ち付けて許しを懇願した。それを見た裴行倹は笑って、『お前はわざと割ったのではなかろう。気にするな。』と割れた瑪瑙の大皿を全く気にかけるそぶりもみせなかった。
行儉常命左右取犀角、麝香而失之。又敕賜馬及鞍,令史輒馳驟,馬倒,鞍破。二人皆逃去,行儉使人召還,謂曰:「爾曹皆誤耳,何相輕之甚邪!」待之如故。破阿史那都支,得馬腦盤,廣二尺餘,以示將士,軍吏王休烈捧盤升階,跌而碎之,惶恐,叩頭流血。行儉笑曰:「爾非故爲,何至於是!」不復有追惜之色。
行倹、常て左右に命じて犀角、麝香を取らしむもこれを失う。又 敕賜の馬、鞍に及び史にめいじて輒ち馳驟せしむ。馬、倒れ,鞍、破る。二人、皆な逃去す。行倹、人をして召還せしめ,謂いて曰く:「爾が曹、皆、誤まれるのみ。何ぞ相い軽んずことの甚しきや!」これを待すこと故のごとし。阿史那都支を破り、馬脳の盤,広さ二尺余を得たり。以って、将士にしめす。軍吏・王休烈、盤を捧げ階をのぼりしに,跌づきてこれを砕く。惶恐し、叩頭、流血す。行倹、笑いて曰く:「爾、故為にあらずや,何ぞここに至れるや!」復た追惜の色なし。
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馬腦は瑪瑙とも書き、宝石の一種である。裴行倹が得たのは、西突厥の王である阿史那都支が所有していたもので、直径が二尺(50センチ)もある、豪華な大皿であった。それを運んでいた部下が割ってしまったにも拘らず、裴行倹は全く気にしなかったというのだ。この一事で、加藤清正と裴行倹の器量の差が分かるというものであろう。
通常、武将といえば、粗暴な武人を想像するが、この裴行倹の場合は人品とも優れていて、儒者の風格がある。旧唐書の彼の伝の論賛には、裴行倹を『儒将』と誉めた文が見える。
『裴行倹は文章も戦略もどちらも優れている。昔の賢人にもひけをとらない。外敵から国境を守る際も余裕たっぷりに常に対策を考えていた。まさに儒将の中の儒将と言うべき人だ』
(文雅方略,無謝昔賢,治戎安邊,綽有心術,儒將之雄者也)
教科書的に言えば、
『たとえ部下に失敗があっても、うっかりミスであれば、咎めないで、気落ちしないように励ましてあげましょう。』
どでもなるのであろう。しかし、このような教条的なルールを座学でいくら学んだところで、どういった場面にこのルールが適応できるのか全く分からないのではないだろうか?逆に、今回のようなエピソードは話自体が記憶に残り、それとともにそれに内在していた教訓も知らず知らずの内に心に刻み込まれ、いざと言う場合の行動指針となっていく。これが、以前のブログ百論簇出:(第125回目)『Private Sabbatical を迎えるに当たって(その3)』に書いたように、言行録やエピソードを通じてリーダーシップを学ぶということである。
(目次『資治通鑑に学ぶリーダーシップ(序)』)