(前回)
〇「宗教に対する疑問」(『教養を極める読書術』P.114)
私は宗教的雰囲気の少ない環境に育ったため、宗教に対するこだわりが全くない。つまり、どの宗教に対しても等距離にいる。
大学生になってから、いわゆる教養書を読んでみて、宗教に対して一応の理解をもっておくことが必要だと感じた。そしていくつかの入門書を読んだが、どれも自分の宗教がベストであると主張していた。韓非子には矛盾という説話があるが、それと同じく、世界で一番の宗教がそれこそいくつも存在している。本書にも書いたように「果たしてどの宗教が正しいのか?」を納得できるようになりたいと考えて、宗教を調べだした。
このように当初は、宗教に関していわばオーソドックスな論法である、各宗教の教義に関心があった。いくつかの宗教関連の書物を読み、疑問が一層深まったのは、どの宗教も教義に関してはだいたい同じことを言っていることだった。要点は「人に親切に、我欲を少なく、正直に」生きよと説いていた。確かにそれぞれの宗教にはそれぞれ固有の流儀があり、それがそれぞれの特徴となっていることは否定しない。卑近な喩えでいえば、最近、各地で農産物のブランド化が進んでいる。米でいえば「コシヒカリ」「ひとめぼれ」「あきたこまち」など数多くの種類があるが、私にとっては別段騒ぐほどの味の差を感じない。
教義はとりあえず横において、問題は「大きな差が無いにも拘わらずどうして広まる宗教・宗派とそうでないものができるのだろうか」「そもそも宗教が広まるときに人々はどのようにそれを受容するのだろうか」といういわば、動態調査の観点に興味が湧いてきた。この観点からいうと、教義について調べるのは静態調査と言えるだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/4d/f217ec0fe2cb292dd6a0fc0d63eccff9.jpg)
冒頭でも述べたように私は「宗教的雰囲気の少ない環境に育った」といっても仏教に関しては身近にいろいろと実例があるので、まず仏教に関する動態調査にとりかかった。
経緯を省略して、結果だけをかいつまんで述べれば次のようになる。
1.宗教はこの世(現世)とあの世(来世)の合算システム
2.日本の仏教は釈迦がインドで説いたものとは違う。
3.宗教は文化全体の乗り物のようなものだ。
4.宗教が広まったのはなにも人々が教義に賛同したからではない。
5.各民族が遥か昔からもっていた土着の信仰は必ず生き残っている。
以上の点について説明しよう。
1.に関しては本書のP.146以降に詳しく書いたので省略する。
2.日本の仏教は釈迦がインドで説いたものとは違う。
仏教は、インドに生まれ、中国でかなり変容を受け、それが朝鮮半島を経由して日本に入った。それゆえ、日本の仏教は本来のものとかなり異なっているが、本家インドの仏教を知る手段のなかった近代以前の日本人はそのことを知るすべがなかった。
簡単に比較をしてみよう。
この差は日本で起こったのではなく、中国で儒教的観念が仏教に取り入れられた結果である。ざっくりいって、日本人が仏教の儀式と考えているものの大半は儒教の儀式であるということだ。
3.宗教は文化全体の乗り物のようなものだ。
上でも述べたように、日本の仏教は中国化されたものであるが、これは何も概念だけが入ってきたわけではない。抽象的な概念は一人歩きすることはできない。抽象的概念は、具象化されない、伝達されない。一例として仏像を考えてみよう。仏像にはいろいろな種類がある:智恵を表す文殊菩薩、慈愛溢れる弥勒菩薩、苦しみから救ってくれる地蔵菩薩、など。抽象概念をそれぞれ具象化して、仏像という目に見える形にすることで初めて人々が理解することができる。
この時、仏像を作るという作業には技術・工芸が必要だ。例えば、木造の場合、仏像を彫るだけでなく、表面に漆を塗ったり、金銀の縁取りもしないといけない。また仏像を据える台座や、いろいろな小道具を入れる厨子も必要だろう。このように考えると仏像一つをとってみても、そこには当時の中国の技術・工芸が集大成されていることが見て取れる。仏像だけでなく、経典や仏寺など、仏教に関わる全てのものが当時の中国にあった技術・工芸や文芸が総動員されてできていることが分かる。
つまり、仏教が日本に広まるということは、仏教の宗教的な観念が、ファイル転送のように、中国人の脳から日本人の脳に、ダイレクトに転送された訳ではなく、必ず具体的な物(tangible matter)を通して伝えられた。つまり、仏教の伝来というのは、インドで釈迦が説いた教義ではなく、中国の技術・工芸の集大成が、いわば「仏教という大きな船」に載せられて日本に到着したと考えないといけない。これは、何も仏教に限らず他の宗教に関しても同じことが言える。
4.宗教が広まったのはなにも人々が教義に賛同したからではない。
上で(3.)で述べたように、宗教はそれが育った場所の物質文明と一緒に伝播していくものであるので、技術・工芸の落差が大きければ大きいほど、その宗教はより広く伝播していくだろうことは容易に想像できる。つまり、宗教が広まるためには、まずはその場所の物質文明が他の場所より高くなければならない。つまり、その物質文明が伝播する先の人々があこがれる、何かを持っていないといけない。逆にいうと、その土地・民族だけで完結して、外に出ていかなかった宗教(例:ユダヤ教、神道)にはそのような突出した物質文明ではなかったと言える。
別の面から、宗教の広まりを考えてみよう。
別の場所で発生した宗教というのは、必然的に言語が異なる。つまり、教祖がしゃべった言葉でかかれた原文は、他の場所の人間にとっては全く意味不明の言葉なのだ。文章だけでなく、概念的にも理解できないことが多いはずだ。印刷技術や紙が普及していなかった昔に、外国語の文章を理解するのは、容易なことではない。例えば、飛鳥時代に日本に到来したと言われる仏教の経典をどれほどの人がまず眼にすることができただろうか? 眼にしたとして、どれほど多くの人が膨大な仏教経典を読んで仏教の真髄を正しくつかめたのであろうか?
当時の日本人のほとんどが、仏教経典など眼にもしなかったし、仏教の教義など全く理解できなかったに違いないことは、別段証明する必要もないことだ。それでも仏教が日本に広まったとするなら、それは仏教という「大きな船」に載せられてきた技術・工芸に惹きつけられたと考えるのが妥当だ。
5.各民族が遥か昔からもっていた土着の信仰は必ず生き残っている。
この点は、本書の「民族固有の習俗と宗教の儀式」P.137で述べた。日本の例を付け加えるとすれば、修験道が挙げられる。仏教伝来以降、日本古来の山岳信仰が、仏教の教義を取り入れて実践的になった。
このように、当初、教義の上から各宗教の優劣を決めようと思っていたのであるが、調べていくうちに教義を知ることよりも、宗教が社会に及ぼした影響や、逆に社会が土着以外の新たな宗教を受容する時の人々の考え方の変化・不変化の方に関心が移ってきた。最終的には、本書P.142「宗教の開祖と宗教団体は別物」という結論に至った。
(続く。。。)
〇「宗教に対する疑問」(『教養を極める読書術』P.114)
私は宗教的雰囲気の少ない環境に育ったため、宗教に対するこだわりが全くない。つまり、どの宗教に対しても等距離にいる。
大学生になってから、いわゆる教養書を読んでみて、宗教に対して一応の理解をもっておくことが必要だと感じた。そしていくつかの入門書を読んだが、どれも自分の宗教がベストであると主張していた。韓非子には矛盾という説話があるが、それと同じく、世界で一番の宗教がそれこそいくつも存在している。本書にも書いたように「果たしてどの宗教が正しいのか?」を納得できるようになりたいと考えて、宗教を調べだした。
このように当初は、宗教に関していわばオーソドックスな論法である、各宗教の教義に関心があった。いくつかの宗教関連の書物を読み、疑問が一層深まったのは、どの宗教も教義に関してはだいたい同じことを言っていることだった。要点は「人に親切に、我欲を少なく、正直に」生きよと説いていた。確かにそれぞれの宗教にはそれぞれ固有の流儀があり、それがそれぞれの特徴となっていることは否定しない。卑近な喩えでいえば、最近、各地で農産物のブランド化が進んでいる。米でいえば「コシヒカリ」「ひとめぼれ」「あきたこまち」など数多くの種類があるが、私にとっては別段騒ぐほどの味の差を感じない。
教義はとりあえず横において、問題は「大きな差が無いにも拘わらずどうして広まる宗教・宗派とそうでないものができるのだろうか」「そもそも宗教が広まるときに人々はどのようにそれを受容するのだろうか」といういわば、動態調査の観点に興味が湧いてきた。この観点からいうと、教義について調べるのは静態調査と言えるだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/4d/f217ec0fe2cb292dd6a0fc0d63eccff9.jpg)
冒頭でも述べたように私は「宗教的雰囲気の少ない環境に育った」といっても仏教に関しては身近にいろいろと実例があるので、まず仏教に関する動態調査にとりかかった。
経緯を省略して、結果だけをかいつまんで述べれば次のようになる。
1.宗教はこの世(現世)とあの世(来世)の合算システム
2.日本の仏教は釈迦がインドで説いたものとは違う。
3.宗教は文化全体の乗り物のようなものだ。
4.宗教が広まったのはなにも人々が教義に賛同したからではない。
5.各民族が遥か昔からもっていた土着の信仰は必ず生き残っている。
以上の点について説明しよう。
1.に関しては本書のP.146以降に詳しく書いたので省略する。
2.日本の仏教は釈迦がインドで説いたものとは違う。
仏教は、インドに生まれ、中国でかなり変容を受け、それが朝鮮半島を経由して日本に入った。それゆえ、日本の仏教は本来のものとかなり異なっているが、本家インドの仏教を知る手段のなかった近代以前の日本人はそのことを知るすべがなかった。
簡単に比較をしてみよう。
行為 | インド | 日本 |
埋葬 | 火葬 | 土葬 |
墓 | 無し | 有り |
先祖供養 | 無し | 有り |
戒名 | 無し | 有り |
この差は日本で起こったのではなく、中国で儒教的観念が仏教に取り入れられた結果である。ざっくりいって、日本人が仏教の儀式と考えているものの大半は儒教の儀式であるということだ。
3.宗教は文化全体の乗り物のようなものだ。
上でも述べたように、日本の仏教は中国化されたものであるが、これは何も概念だけが入ってきたわけではない。抽象的な概念は一人歩きすることはできない。抽象的概念は、具象化されない、伝達されない。一例として仏像を考えてみよう。仏像にはいろいろな種類がある:智恵を表す文殊菩薩、慈愛溢れる弥勒菩薩、苦しみから救ってくれる地蔵菩薩、など。抽象概念をそれぞれ具象化して、仏像という目に見える形にすることで初めて人々が理解することができる。
この時、仏像を作るという作業には技術・工芸が必要だ。例えば、木造の場合、仏像を彫るだけでなく、表面に漆を塗ったり、金銀の縁取りもしないといけない。また仏像を据える台座や、いろいろな小道具を入れる厨子も必要だろう。このように考えると仏像一つをとってみても、そこには当時の中国の技術・工芸が集大成されていることが見て取れる。仏像だけでなく、経典や仏寺など、仏教に関わる全てのものが当時の中国にあった技術・工芸や文芸が総動員されてできていることが分かる。
つまり、仏教が日本に広まるということは、仏教の宗教的な観念が、ファイル転送のように、中国人の脳から日本人の脳に、ダイレクトに転送された訳ではなく、必ず具体的な物(tangible matter)を通して伝えられた。つまり、仏教の伝来というのは、インドで釈迦が説いた教義ではなく、中国の技術・工芸の集大成が、いわば「仏教という大きな船」に載せられて日本に到着したと考えないといけない。これは、何も仏教に限らず他の宗教に関しても同じことが言える。
4.宗教が広まったのはなにも人々が教義に賛同したからではない。
上で(3.)で述べたように、宗教はそれが育った場所の物質文明と一緒に伝播していくものであるので、技術・工芸の落差が大きければ大きいほど、その宗教はより広く伝播していくだろうことは容易に想像できる。つまり、宗教が広まるためには、まずはその場所の物質文明が他の場所より高くなければならない。つまり、その物質文明が伝播する先の人々があこがれる、何かを持っていないといけない。逆にいうと、その土地・民族だけで完結して、外に出ていかなかった宗教(例:ユダヤ教、神道)にはそのような突出した物質文明ではなかったと言える。
別の面から、宗教の広まりを考えてみよう。
別の場所で発生した宗教というのは、必然的に言語が異なる。つまり、教祖がしゃべった言葉でかかれた原文は、他の場所の人間にとっては全く意味不明の言葉なのだ。文章だけでなく、概念的にも理解できないことが多いはずだ。印刷技術や紙が普及していなかった昔に、外国語の文章を理解するのは、容易なことではない。例えば、飛鳥時代に日本に到来したと言われる仏教の経典をどれほどの人がまず眼にすることができただろうか? 眼にしたとして、どれほど多くの人が膨大な仏教経典を読んで仏教の真髄を正しくつかめたのであろうか?
当時の日本人のほとんどが、仏教経典など眼にもしなかったし、仏教の教義など全く理解できなかったに違いないことは、別段証明する必要もないことだ。それでも仏教が日本に広まったとするなら、それは仏教という「大きな船」に載せられてきた技術・工芸に惹きつけられたと考えるのが妥当だ。
5.各民族が遥か昔からもっていた土着の信仰は必ず生き残っている。
この点は、本書の「民族固有の習俗と宗教の儀式」P.137で述べた。日本の例を付け加えるとすれば、修験道が挙げられる。仏教伝来以降、日本古来の山岳信仰が、仏教の教義を取り入れて実践的になった。
このように、当初、教義の上から各宗教の優劣を決めようと思っていたのであるが、調べていくうちに教義を知ることよりも、宗教が社会に及ぼした影響や、逆に社会が土着以外の新たな宗教を受容する時の人々の考え方の変化・不変化の方に関心が移ってきた。最終的には、本書P.142「宗教の開祖と宗教団体は別物」という結論に至った。
(続く。。。)