限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・84】『Senectus insanabilis morbus est.』

2015-03-29 14:50:18 | 日記
漢の武帝といえば、古代中国において最大の版図を獲得し、前漢の最盛期を現出した帝王である。秦の始皇帝に対してライバル意識をもったののであろう、極めて派手な遠征や土木・建築工事を行った。祖父の文帝、父の景帝の倹約によって充実した国富を散財し、すっからかんとなった。富と権力の頂点に立ち、何一つ不自由がなかったと思われるが、晩年になって、息子の戻太子が乱を起こし、自殺する結果となるなどの不幸が襲った。

武帝の作った『秋風辞』にその哀愁がにじみ出ている。
 秋風起兮白雲飛   秋風、起こりて、白雲、飛ぶ。
 草木黄落兮雁南帰  草木は黄落し、雁は南に帰る。
 蘭有秀兮菊有芳   蘭に秀あり、菊に芳あり。
 懐佳人兮不能忘   佳人を懐いて、忘る能はず。
 汎楼船兮済汾河   楼船を汎(うか)べ、汾河を済(わた)る。
 横中流兮揚素波   中流をぎり、素波を揚ぐ。
 簫鼓鳴兮発櫂歌   簫鼓、鳴りて櫂歌、発す。
 歓楽極兮哀情多   歓楽極りて、哀情多し。
 少壮幾時兮奈老何  少壮、幾時(いくとき)ぞ、老いを奈何(いかん)せん。


絶対君主である武帝でも最後の句に表現されているように、寄る年波には勝てなかったような悲哀感が伝わってくる。同じように、唐の詩人、白居易(白楽天)は「老与病相仍」(老と病は一緒にやってくる)と述べた。



中国では老年ともなると哀愁が漂ってくる感が強いが、ローマの弁論家キケロは、老年になって体は衰えても気構えだけはいつまでも若々しくしていることは可能だとして次のようにいう。
 Corpore senex esse poterit, animo numquam erit. (Cicero : "De Senectute", 38)
 (私訳:体が衰えることはあっても、心は決してそうはならない。)

しかし、ローマでも哲人・セネカが言うように、意気盛んであっても歳とともに体力の衰えは避けがたく、どうしても病気にかかりやすくなると嘆く。
 Senectus (enim) insanabilis morbus est. (Seneca : "Epistulae Morales", 108-28)
 (英訳: Old age is a disease which we cannot cure.)
 (独訳: Das Alter ist ja eine unheilbare Krankheit.)

セネカのこの言葉は老年期における病気に対する諦観ともいえるが、ラテン詩人のテレンティウス(Terentius)のコメディ「フォルミオ(Phormio)」には老年自体がそもそも病気だときっぱりと言い切る。
 Senectus ipsa est morbus. (Phormio 575)
 (英訳: Old age itself is a malady.)
 (独訳: Hohes Alter selbst ist eine Krankheit.)

私も壮年期からそろそろ老年期に入りかけている。キケロの言ではないが、精神的にはまだまだ衰えてはいないと思っている。これから歳を重ねても、なんとかセネカの言葉のレベルに止まり、テレンティウスや武帝のような弱気な言葉を吐かないようにしたいものだ。
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想溢筆翔:(第198回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その43)』

2015-03-26 20:44:53 | 日記
前回

【130.疑惑 】P.984、BC24年

辞海(1978年版)には『疑惑』を『盲於事理、不能決定是非也』(事理に盲(くら)く、是非を決定するあたわず)と説明する。つまり『疑惑』とは、知見が足りないので判断が下せない、ということだ。『盲於事理』という説明から、疑惑を抱かせるというのは、物事に不透明感が漂っているということを暗示しているようだ。

疑惑という単語は、かなり古くからある単語で、今から二千数百年前(紀元前)に書かれた『管子』に既に使われている。そこから読み取れるのは、中国では昔から民衆は官のいう事などまともに信用せず、自分なりの判断でしたたかに生きてきていたことがよく分かる。

 +++++++++++++++++++++++++++
 君臣・上 第三十

人主たるものは、治世の術を極めるが、庶民が関心もつような下々の事には言及しないことだ。一方、人臣たるものは実務に邁進してそれ以外の事は考えないことだ。もし、君主の政策が明確でないなら、命令を受ける者は疑いを抱くようになる。すべきこととをしても評価がでたらめだと、役人は惑うようになる。民衆が政府に疑惑を抱き、表面では従順を装って、裏では政府をないがしろにするのであれば、手の打ちようがない。民衆が白けるのは、あたかも条例を掲げておきながらこれを禁止するようなものだからだ。

為人君者,修官上之道而不言其中。為人臣者,比官中之事,而不言其外。君道不明,則受令者疑。権度不一,則修義者惑。民有疑惑弐予之心,而上不能匡,則百姓之与間,猶掲表而令之止也。
 +++++++++++++++++++++++++++

現在の中国の実態を見るにつけ、二千数百年もたっても中国というのは根本のところでは、少しも変化していないことが分かる。これは何も中国に限らず、文化というものは、非常に慣性力が強いもの、根深いもの、だということだ。



ところで、『疑惑』は古くから使われていた単語であるが、二十四史(+清史稿+資治通鑑+続資治通鑑)を検索すると、上表のように唐以降はあまり使われていないことが分かる。このように、日本で日常に使われている漢語のうち、本場の中国ではとっくの昔に廃れてしまっているものがある。

【131.処分 】P.3077、AD347年

『処分』とは『不要なものや余分なものを捨てる』という意味で使うことが多いが、資治通鑑では『処置する』あるいは『行動を決定する』というような意味で用いられている。

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石虎は中書監の石寧を征西将軍に任命し、并州と司州の兵隊、二万人ばかりをつけて麻秋の援護させた。張重華の配下の将軍、宋秦たちは二万戸の住民を率いて石虎の後趙に降伏した。張重華は謝艾を使持節・軍師将軍に任じ、歩兵と騎兵、合わせて三万人を率いて臨河に進軍させた。謝艾は軺車に乗り、白い帽子をかぶり、太鼓を打ち鳴らしつつ進軍した。麻秋は遠くから華やかな謝艾の行軍をみて怒っていった「謝艾はまだ若造のくせに、立派な衣冠をつけやがって、ワシをなめている!」そこで、黒槍をもった精鋭部隊、三千人に突撃を命じた。謝艾の軍は大混乱となった。中には、謝艾に馬に乗って逃げるよう勧める者もいたが、謝艾はいう事を聞かず、逆に車から降りて、折りたたみ椅子に腰をおろして、処分を指図した。

石虎以中書監石寧為征西将軍,帥并、司州兵二万余人為秋等後継。張重華将宋秦等帥戸二万降于趙。重華以謝艾為使持節、軍師将軍,帥歩騎三万進軍臨河。艾乗軺車,戴白幍,鳴鼓而行。秋望見,怒曰:「艾年少書生,冠服如此,軽我也,」命黒矟龍驤三千人馳撃之;艾左右大擾。或勧艾宜乗馬,艾不従,下車,踞胡牀,指麾処分
 +++++++++++++++++++++++++++

謝艾が『処分』したという文面だが、物を捨てたのではなく、軍隊に指令を出した、という意味であることが分かる。

同じく上表から分かるように『処分』は晋書以降に見えることから比較的新しい単語であることが分かる。そして、非常によく使われている単語であることも分かる。

【132.褒美 】P.669、BC112年

『褒美』とは現在ではプレゼントの意味で用いられるが、そのまま素直に訓読みすると『美をほめる』となる。実際、後漢紀・第十九には『褒美戒悪』(美を褒め、悪を戒む)という使われ方をしている。

上表から分かるように、『褒美』も『処分』同様、晋書以降のかなり新しい単語である。

続く。。。
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百論簇出:(第162回目)『IT時代の知的生産の方法(その10)』

2015-03-22 18:27:04 | 日記
前回

○ awk を実際に使ってみよう

awk が良いとは言っているものの、残念ながら世の中では、大型書店でさえも awk の本を見つけることは困難であろう。正直なところ、世の中で awk に関する新着記事や本に出会うことは(古典的な文学表現を使えば)3000年に一度花を咲かせるという『優曇華』より稀なことであろう。ただし、Amazon などのWeb書店では次の本を購入することは可能である。


 『プログラミング言語AWK』 A. V. エイホ (著)

awk の本はこれ以外にもいくつかあるが、この本が一番まとまっている。少し横道にそれるが、この本にまつわる逸話を紹介しておきたい。 awk のバイブル的存在は "The AWK Programming Language" (Addison-Wesley) であり、30数年前に刊行されている。日本語に翻訳されて出版されたのが、1989年である。



私が awk を知り、その便利さに注目して活用しだしたころは、東京の大型書店のコンピュータ関係の棚にはたいていこれが置いてあった。しかし、ある時からぷっつり見かけなくなった。残念だなあ、と思っていたところ、暫くすると、表紙が変わって同じ内容の本が出版されていることに気付いた。



前の本は会社用に買ってあったが、自分用にも欲しいので値段は張ったが購入した。その後しばらくすると、またこの版も絶版となった。そして最近になって、一番上で紹介した本が現れた。今までの経緯からして、この版も間もなく書店から姿を消すだろう。それで今の内に買って置くのがよいだろう。ただ、現在では Web上の情報が豊富なので、awk について一応のことを知ったら、この本が無くてもあまり不便とは感じないであろう。それにしても不思議な運命を背負った本だ!

閑話休題

本だけを読んで awk は理解できない。実際に awk のプログラムを書いて走らせてみることが必要だ。その為には、自分のパソコンに awk をダウンロードしなければならない。 Windowsであれば、次のサイトを参照して awk をダウンロードしてみて欲しい。Mac に関しては、私は知らないので省略する。(尚、ダウンロードや実行環境に関しては自己責任でお願いしたい。)
 「Windows版gawk選び」
 gawk 3.1.5 for Windows

○ awk プログラム入門

『プログラムを書く』というと、普通の人にはかなり縁遠い話で、実際にどのように書けばいいのか皆目見当がつかないことだろう。しかし、知ってみると拍子抜けする位簡単だ。とりわけ awk のプログラムと言うのは、作成するのに専門的なものは何もいらない。awk のプログラムを書くだけなら普通のテキストエディター(例:notepad)があれば充分だ。一番簡単なプログラム(通常 Hallo World というプログラム)は次のような簡単なものだ。

 --------------------------
BEGIN {
  print "Hallo World."
} 
 --------------------------

このテキスト文を適当な名前(例: hallo.awk )を付けて保存する。そして、走らせる(run させる)には Windowsの コマンドプロンプト 画面を立ち上げ、次のようにタイプする。

> jgawk -f hallo.awk

そうすると、次のような結果が得られる。

> Hallo World.

これが一番簡単な awk プログラムである。あまりにも簡単なので、拍子抜けしたのではないだろうか?「こんなプログラムなんて、何の役に立たないではないか!」と怒る方もいるだろう。その立腹は理解できるが、ちょっと考えて欲しい、電話が初めて開通した時、エジソンの第一声は「ワトソン君、ちょっとこっちに来てくれないか」 ではなかっただろうか?大声で叫んでも用が足りるようなことだった。しかし、このことが、その後の電話の発達、さらには現在のインターネットによるデジタル音声通信の発達の第一歩だったことを考えると、"Hallo World." としか表示されない awk のプログラムも第一歩に過ぎない。

○ awk プログラムの実際

本格的に awk を使うには、awk プログラムの成り立ちを知る必要がある。awk プログラムとは文章やデータを行単位で処理することを基本とする。この時、大抵の場合、すでに存在しているファイルを読み込み、一括して処理する(これをバッチ処理という)場合がほとんどである。(もちろん、インターラクティブにデータ処理をすることもできるが、あまり使いやすいとは言えない。)

awk にはこのようなデータ処理に力を発揮するための各種の組み込み関数が備わっている。(例:match, index, substr, gsub, length, など)

ただ、awk には利点も多いが、欠点や限界もあることを知っておくことも必要だ
 1.画像データや音声データは扱えない。
 2.改行しないで文を続けて書く html ファイルの場合、実行時にエラーが発生することもある。
 3.日本語環境での文字列の長さは半角、全角をそれぞれ同じ長さと判断する。


現在のように、画像データが多い環境では awk の処理に適さないケースが多く発生することが考えられる。また文字コードに関しても専門的な知識を必要とするケースもある。このように必ずしも全てのデータを対象とはしないが、簡便であり、プログラムをどこでもすぐに(かつ無料で)実行できるということを考えると awk の使える場面は案外多いはずだ。次回ではその例を示そう。

【参照サイト】
 「awk 組み込み関数」
 「シェル芸」に効く AWK処方箋 第2
 「プログラミング言語awkを使ってみたいヒトへの知識源まとめ」
 AWK(English Wikipedia)
 "The AWK Programming Language"

続く。。。
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想溢筆翔:(第197回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その42)』

2015-03-19 13:28:37 | 日記
前回

【128.恍惚 】P.3246、AD371年

『恍惚』とは『ものごとをはっきり認識できないこと』という意味で使われている。辞海(1978年版)によると、恍惚と同じ意味を表わす漢字はいろいろあるようだ。
 恍惚、怳忽、忽怳、慌忽、慌惚、忽恍

『こうこつ』は、元来、声母が同じ(Kou-Kotsu)なので、双声ということになる。つまり、口調が良いので2つの漢字がセットで用いられている。それで『こうこつ』でも『こつこう』でも構わないということになるのだ。

このように『恍惚』には6通りの書き方があると辞書には載せられているが、実際の使われ方にはかなり偏りがみられる。これら6通りを二十四史(+清史稿+資治通鑑+続資治通鑑)を検索する次のようになる。


この表から分かるように、恍惚が一番多く使われ、ついで慌忽や忽怳、慌惚となる。『こつこう』の忽怳や忽恍は滅多に使われていないことが分かる。(二十四史ではほとんど出てこないが太平御覧や太平広記にはそれぞれ何度か出現する。)

さて、資治通鑑での『恍惚』の初出部分は、中国におけるリーダーシップの厳しい現実を知らされる、衝撃的な事件が語られている。

 +++++++++++++++++++++++++++
吐谷渾王の慕容辟奚は学問が好きで、情に厚く、大人しい人であった。それをいいことに三人の弟たちが勝手きままに振る舞っていた。そのため、皆が困っていた。長官の鍾悪地は西漒に住む羌族の豪族であった。総理大臣の乞宿雲に次のようにいった。「王の三人の弟たちの権力は王を凌いでいます。このままだと必ず国が滅んでしまいます。貴方と私の二人は国のトップという重職にいます。このまま黙って見過ごす訳にはいきません。次の朝廷の開催日には文武の官僚が皆出席します。この機会に私がこの3人をやっつけてみせます。王を警護している武人はすべて私の羌族の者ばかりですので、目くばせすれば、たちまち3人を捕えることができます。」

乞宿雲はまず王に計画を承認してもらおうと言ったが、鍾悪地は「王は優しすぎて決断力に欠けます。計画は承認してもらえないでしょう。それだけでなく、もし計画が漏れると我らは皆殺しになるでしょう。あなたも私の暗殺計画を知ったからには、心変わりは許しませんぞ!」とうとう、計画は実行され、三人の弟は捕まって殺された。

王の慕容辟奚は驚き卒倒し、玉座の下に潜り込んだ。鍾悪地と乞宿雲は駆け寄って助け起こして王に言った。「私たちは、先ごろ夢に先王から次のような指令を受けました。『三人の弟が王に反逆を企んでいるので、殺せ。』それで、このような処置となったわけです。」この事件が原因で、慕容辟奚は病気(精神疾患)になり、恍惚としてしまった。

吐谷渾王・辟奚好学仁厚,無威断,三弟専恣,国人患之。長史鍾悪地,西漒羌豪也,謂司馬乞宿雲曰:「三弟縦横,勢出王右,幾亡国矣。吾二人位為元輔,豈得坐而視之!」詰朝月望,文武並会,吾将討焉。王之左右皆吾羌子,転目一顧,立可擒也。」宿雲請先白王,悪地曰:「王仁而無断,白之必不従;万一事泄,吾属無類矣。事已出口,何可中変!」遂於坐収三弟,殺之。辟奚驚怖,自投床下,悪地、宿雲趨而扶之曰:「臣昨夢先王敕臣云:『三弟将為逆,不可不討。』故誅之耳。」辟奚由是発病恍惚。
 +++++++++++++++++++++++++++

吐谷渾(とよくこん)とは、現在の四川省と青海省のあたりに割拠した遊牧民である鮮卑族の王国である。辟奚(ぼよう へきけい)は仁厚な性格であったということだが、それは日本でこそ高く評価されるものの、気性の荒い遊牧民では、とてもリーダーとしては務まらなかった訳だ。これは何も過去の話しではなく、グローバルな世界では、日本型リーダーは必ずしもそのままでは通用しないという一例と言えよう。



【129.頓挫 】P.3248、AD371年

『頓挫』とは『中途で行き詰まり、くじけること』という意味。

辞海(1978年版)には『頓』は『困躓也』(困り、躓く)であると説く。さらに、頓挫は『頓挫、猶抑揚也』(頓挫、なお抑揚なり)と説明する。この場合、抑揚とは『揚(あ)がるを抑(おさ)える』という意味。

『頓挫』は日本では頻繁に用いられるが、資治通鑑にはわずか一回しか使われていない。

 +++++++++++++++++++++++++++
桓温はまず河朔の戦いで戦功を挙げ、世間の喝采を受けて、都に戻ってから九錫を受けようと計画していたのだが、枋頭で敗戦して、一挙に名声が頓挫してしまった。

桓温欲先立功河朔以収時望,還受九錫。及枋頭之敗,威名頓挫。
 +++++++++++++++++++++++++++

桓温は東晋の弱体につけ込んで、帝位を狙っていたが、結局果たせなかった。善悪を問わず、とにかく歴史に名を刻むことが畢生の目標であったようで、
 「男子、芳を百世に能すあたわずんば、またまさに臭を万年に遺すべし!」
 (男子不能流芳百世,亦当遺臭万年!)
という名言(迷言?)を残して逝った。

続く。。。
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百論簇出:(第161回目)『IT時代の知的生産の方法(その9)』

2015-03-15 20:53:05 | 日記
前回

○職場でプログラムを使おう

前回も述べたように、プログラムを組むというのは、一人でできる仕事ではあるが、一人だけでしていると非常に効率が悪い。つまりプログラミング技術があまり上達しないのだ。職場全体でプログラミングを学ぶことで、誰かが作ったプログラムの処理内容を理解し、共用して使い回しすることで、全体のプログラミング技術が向上する。つまり職場全体の学習曲線が急峻に向上する。

このための環境整備には導入と維持コストが全くかからない、フリーソフトを使うことが望ましい。その意味で以下に述べるように、無料のawk とWeb上のフリーソフトは好都合だ。

さらに、一社だけでなく、他社もまきこむことを提案したい。オフィスワークは現在の社会に共通であるので、一社だけでなく他社をも巻き込み、ユーザーグループを結成して、情報蓄積、情報交換をするのが望ましい。この点で、awk はプログラムの実態はテキストファイルなので、セキュリティの心配もなければ、変更も自由にでき、実行環境も選ばない。

awk(オーク)とは

ここまで 『awk を使おう』と言ってきたが、ここで、awk とは何かと利点について説明しよう。

awk とは、『文字列の検索・パターンマッチングに強い汎用的なシェル言語』と定義できる。awk は1970年代にATT でUNIX 上のシェル言語(コンパイルしないでも実行できる言語)として開発された。 1995年ごろまでのコンピュータ環境ではプログラムをコンパイルすることはかなり時間もとり、面倒な作業であった。その点でコンパイルせずにプログラムコードをすぐ実行できるシェル言語は非常に便利であった。ただ、当時の awk はプログラムソースコード数や扱えるデータ量に限度があり、本格的に使おうとすると実行スピードの点でも問題があった。

しかし、当時、データマイニング事業を推進していた私は awk はマイナス面よりプラス面の方が大きいと判断し、積極的に使うように部下に奨励した。その後、数年間、実際に何人かの部下に awk を使ってデータマイニングの業務を遂行してもらい、さらに自分自身のちょっとしたプログラムを awk で書くことを積み重ねるに従い、この言語の便利さと活用のポイントを理解することができた。残念ながら、現在(2015年)世の中では、awk は完全に忘れ去られた存在で、大型書店のプログラミング言語コーナーでも awk 関連の書籍を見ることはできない。

そうだからと言って、awk が使い物にならないのではなく、単に使えるような環境を整備しないからだと私は思っている。使える環境を整備するには、まず awk を正しく理解しないといけない。私の awk に対する見方は必ずしも世間の見方とは一致しない。以下に awk の利点について私の見解を述べよう。
 1.awk は簡易C言語である。
 2.awk は強力な文字列のパターンマッチング機能をもつ。
 3.awk は現在の仕様で固定化されて、今後大幅なバージョンアップはない。


1.awk は簡易C言語である。

以前も述べたように、私は長らくC言語を使って幾つかの大型プロジェクトをこなしてきた。それで、C言語の文法やプログラム開発に関して、長所と短所はどちらも良く理解している。その視点から現在のいろいろなプログラミング言語を見るに、いづれもオブジェクト指向を謳うことであたかも先進的な印象を与えようとしているが、素人にとっては実際的なメリットは全くなく、不要にプログラム学習の敷居を高めているに過ぎない。その点 awk は C言語の一番の鬼門であるポインター演算(つまりメモリーアクセス)をカットすることで素人の学習を容易にしている。その一方で、 C言語の利点である制御フローの見やすさ(readability)はそのまま残している。このお蔭で awk で書いたプログラムはほんの少しの変更で C言語のプログラムとして使うことも可能である。実際、私は何度か、相互に変換して使ったことがある。

C言語が作られたのは40数年前であるが、簡潔で機能的な言語仕様のおかげで、これからも何十年と使われていく言語であると私は予想している。その意味で、awk を使うことはC言語の前段階として有意義だと考える。

また逆にC言語に慣れた人がちょっとした計算をするにも便利である。というのは、2.で述べるように awk には確かに強力な文字列のパターンマッチング機能をもっているが、普通のプログラミング言語と同等の数値演算機能も備わっている。その意味で、文字列だけでなく数値演算を対象とした普通のプログラムも十分書くことができる。


【出典】

2.awk は強力な文字列のパターンマッチング機能をもつ。

世間では awk や Perl に心酔している人がいるが、その人達が口をそろえて言うのが『強力な文字列のパターンマッチング機能』である。私はこれは awk にとって両刃の剣であると考える。『強力な文字列のパターンマッチング機能』とは一般的に『正規表現』と言われている文字パターンの形式を使えることをいう。

例えば、ある文字列が浮動小数点かどうかをチェックすることを考えてみよう。浮動小数点の例をいくつか挙げると:
 1.23
 -987.654
 +45.67e-4 (= 0.004567)


など、いろいろな形式が思いつく。これらをまとめてチェックしようとすると、パターンを分けないといけない。上の例でいうと、先頭の文字の場合、数字、あるいは + あるいは - の3パターンが存在するということだ。そして、数字の長さも限定がない。また、大きな、あるいは、小さな数字は、e あるいは E を使って表現することも可能だ。

これら全てのパターンをチェックしようとすると、普通のプログラムではかなりの行数のコードになる。こういった場合、awk の正規表現をつかうと、次のような簡単な表現でチェックできる。
 if($f ~ /^[+-]?([0-9]+[.]?[0-9]*|[.][0-9]+)([eE][+-]?[0-9]+)?$/)
 ここで、$f はチェックしようとする文字列を表わす。

確かに、非常に簡潔なコードとなるが、一般的なプログラムしか知らない人にとっては、(ましてや素人には)呪文のようなコードに見えるであろう。

私の経験から言えば、このようなケースは極めてまれだし、もし必要なら、サブルーチンとしてこのコードを呼ぶことで処理できる。つまり、実用的観点からすれば、awk の特徴でもあり利点でもある正規表現はわざと使わないようにするのが、本論が対象とする素人にはお勧めである。その結果、本来であれば簡潔なコードで書けるものでも、ダサく書くことで、プログラムの初級者であれば誰でも使うことができる。

3.awk は現在の仕様で固定化されて、今後大幅なバージョンアップはない。

世間から見捨てられた awk であるので、今後、大幅なバージョンアップは期待できない。これは一見、マイナス要因と思えるかもしれないが、素人集団にとっては非常なプラス要因なのだ。

比較の為に、マイクロソフトのWindows システムやワード、エクセルなどのアプリケーションソフトを考えてみよう。今これらのソフトを使っている人の中で、バージョンアップによって多大な恩恵を受けている人は極めて少ないであろうと私は予測する。ほとんどの人にとっては、2010年当時の XP や オフィス2010で十分だったはずだ。それなのに、マイクロソフトの利潤追求のためにバージョンアップを余儀なくされ、使い方やメニューが変わってしまった。そのつど、新しいソフトになれないといけないが、それは仕事の効率の向上に全く寄与していない。つまり、マイクロソフトの製品はもうこれ以上何もしなくてもよい完成品なのだ。

awk もそれと同様、完成品なのでバージョンアップは不要であるので今後も安心して同じプログラムを使い続けることが約束されている。マイクロソフトの不必要に頻繁なバージョンアップに付き合わされてイラついている多くの人にとって awk にバージョンアップがないことは、どれほどありがたいことか納得して頂けることだろう。

続く。。。
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