(前回)
先ごろ、フィリピンの入管施設に拘束されていた複数の日本人が、国内の日本人に指示を出して各地で強盗殺人をやらせていたことが明るみになった。驚くのは、看守たちが賄賂をもらって入管施設の中に、携帯電話やPCなどを持ち込むことを許していたことだ。つまり、看守たちも強盗殺人の幇助をしていたことになる。ドイツ語に、"den Bok zum Gärtner machen という言葉がある。直訳すると、「ヤギを庭師にする」だ。(ちなみに、独和辞典では「ネコに鰹節」と訳されている。)言うまでもなく、草食動物のヤギを庭師にすると、庭の草木を整備するどころか、草を食べ尽くしてしまう。結局、フィリピンの入管施設に収容したことで、わざわざ犯罪ができる恰好の場所を提供していたようなものだった。
公務員が盗賊のために番犬の役割をしているのは、明代にもあったが、毅然とした対応を取った官僚の話。
***************************
馮夢龍『智嚢』【巻12 / 494 / 姜綰】(私訳・原文)
明の時代、姜綰が大臣から桂陽州の長官に左遷され、ついで慶遠の知事となった。辺境の知事となったが、前の知事は夷人を使って治めていた。しかし姜綰は制度を一新したので、人々は目を見張った。当時、町から一歩外へでると、盗賊がうようよしていたが、盗賊のボスを捕まえ、善良な若者を選んで戦闘の訓練を施した。その結果、精鋭部隊ができ、盗賊をようやく壊滅することができた。当初、商売する人は柳江を経由して慶遠に来ていた。柳江と慶遠の二ヶ所には商人を護衛する将兵の詰所があったが、将兵たちは表向きは護衛をしているように見せかけて、そのウラでは金儲けをしていた。ある日、姜綰が役所から船に乗って慶遠に向かおうとしたが、詰所の兵士がそれを見ると慌てて、盗賊が岸辺に潜んでいるから陸地経由にした方が安全だ、と言ってきた。姜綰はそこでつぎのように言い返した。「知事でありながら、盗賊が恐くて避けていたなら、いつになったらこの地域が安全になろうか?」こう言って民兵を左右に従え、旗を高く掲げ商船を連ねて気兼ねせずに水路を進んだ。とうとう盗賊は現われなかった。これ以降、船で行く者は護衛の将兵を雇わなくなった。
【馮夢龍の評】姜綰は、断固たる決意で船行し、庶民の為に水路が安全であることを示したのはあっぱれだ。しかし、これは何も無謀にしたのではなく平生の訓練のおかげで、盗賊たちも姜綰の名に恐れをなしたので、無事に航行できたのだ。そうでなければ、そのような行いをすれば無事ではいられなかったに違いない。
姜綰以御史謫判桂陽州、歴転慶遠知府。府辺夷、前守率以夷治。綰至、一新庶政、民獠改観。時四境之外皆賊窟、翦其渠魁、乃選健児教之攻戦、無何自成鋭兵、賊盗稍息。初、商販者舟由柳江抵慶遠。柳、慶二衛官兵在哨者、陽護之、陰実以為利。綰一日自省溯江帰、哨者仮以情見迫、遽言賊伏隩、訹綰陸行便。綰曰:「吾守也、避賊、此江復何時行邪?」麾民兵左右翼、擁蓋樹幟、聯商舟、倘徉進焉。賊竟不敢出。自是舟行者無所用哨。
〔馮評〕決意江行、為百姓先駆水道、固是。然亦須平日訓練、威名足以懾敵、故安流無梗。不然、嘗試必無幸矣.
***************************
ここに述べられているように、中国の役人は盗賊とグルになっていてウラ取引をして、民から金をまきあげる算段をしているということだ。なまじっか、役人という権力があるために、一般庶民は対抗できないので、泣き寝入りをするしかない。このような裏事情を知っていた姜綰は、盗賊の息のかかった部下のいうことを無視し、率先して盗賊の影響力を削いだ。
次は、硬骨の名臣を多く輩出した、宋代の話。現在は、官僚・役人だけでなく、企業人もそうだが、とかくコンプライアンス大事、法律遵守一辺倒で、時宜にかなった行動を取らない、あるいは取れない人が数多くいる。本質的な問題解決に命をかけた宋の名臣たちの言動から何をなすべきかを学んでほしいものだ。
***************************
馮夢龍『智嚢』【巻12 / 498 / 韓琦】(私訳・原文)
内都知の任守忠は邪悪極まりない人間で、常に朝廷と後宮にスパイを放って情報を収集していた。韓琦はある時、人名の部分が空白の勅書を書いた、それを参政の欧陽修がチェックし、了承した。趙概は、この勅書に難色を示した。欧陽修がいうには「黙って、処理せよ。韓琦公は必ず何らかの意図があってやっていることだから」。さて、勅書を得ると、韓琦は役所の本殿(政事堂)に坐り、庭に任守忠を立たせ、かつての悪事を暴きつつ「お前の悪事は死罪に相当するが、蘄州の団練副使に降格し、蘄州に左遷する」と言いわたした。そうして、人名の部分が空白の勅書に任守忠の名前を書き込み、即日、任地へ護送させた。
【馮夢龍評】韓琦は平生「わしは胆なら誰にも負けない」と自慢していたが、その通りの大胆であざやかな処置だ。
内都知任守忠奸邪反覆、間諜両宮。韓琦一日出空頭敕一道、参政欧陽修已僉書矣、趙概難之、修曰:「第書之、韓公必自有説。」琦坐政事堂、以頭子勾任守忠立庭下、数之曰:「汝罪当死、謫蘄州団練副使、蘄州安置。」取空頭敕填之、差使臣即日押行。
〔馮評〕韓魏公生平従未曾以「胆「字許人、此等神通、的是無両。
***************************
この話は、正史である『宋史』や、韓琦の事績が詳しい『宋名臣言行録』《後集巻一》にも掲載されているので、かなり有名な話であったようだ。
このような場面は文面だけでは、なかなか理解しづらいが、最近の中国ドラマ「孤城閉 ~仁宗、その愛と大義~」はまさに宋名臣言行録をあたかも実写したようなドラマで、関連する人々の顔の表情から心の動きが手にとるようによくわかる。そのうえ、この『孤城閉』のドラマでは、屋内、屋外のスタジオセットが本物レベルでかなり金をかけていることが一目でわかる。中国歴史ドラマ史上、最高額とも噂される96億円余もかけて制作された『如懿伝』と比較しても遜色のないレベルと言える。
金をかけたのは単に物的なものだけではない。シナリオの文句も、軽薄・陳腐な文句をパクパクしゃべる現代風ではなく、宋の名臣に相応しい、どっしりとした古典的教養を身につけた人のセリフが多い。当然、古典や詩詞の引用が頻出するし、政治的駆け引きも、当時の政治情勢を反映している。それだけでなく、俳優の所作振舞いも、皇帝や名臣に相応しく落ち着いたものである。
このような一流の舞台装置、一流の俳優、一流のセリフは、とかく大げさな感情表現や怒鳴り声で視聴者の耳目を惹こうとする日本の大河ドラマなど、足元にも及ばない。
(続く。。。)
先ごろ、フィリピンの入管施設に拘束されていた複数の日本人が、国内の日本人に指示を出して各地で強盗殺人をやらせていたことが明るみになった。驚くのは、看守たちが賄賂をもらって入管施設の中に、携帯電話やPCなどを持ち込むことを許していたことだ。つまり、看守たちも強盗殺人の幇助をしていたことになる。ドイツ語に、"den Bok zum Gärtner machen という言葉がある。直訳すると、「ヤギを庭師にする」だ。(ちなみに、独和辞典では「ネコに鰹節」と訳されている。)言うまでもなく、草食動物のヤギを庭師にすると、庭の草木を整備するどころか、草を食べ尽くしてしまう。結局、フィリピンの入管施設に収容したことで、わざわざ犯罪ができる恰好の場所を提供していたようなものだった。
公務員が盗賊のために番犬の役割をしているのは、明代にもあったが、毅然とした対応を取った官僚の話。
***************************
馮夢龍『智嚢』【巻12 / 494 / 姜綰】(私訳・原文)
明の時代、姜綰が大臣から桂陽州の長官に左遷され、ついで慶遠の知事となった。辺境の知事となったが、前の知事は夷人を使って治めていた。しかし姜綰は制度を一新したので、人々は目を見張った。当時、町から一歩外へでると、盗賊がうようよしていたが、盗賊のボスを捕まえ、善良な若者を選んで戦闘の訓練を施した。その結果、精鋭部隊ができ、盗賊をようやく壊滅することができた。当初、商売する人は柳江を経由して慶遠に来ていた。柳江と慶遠の二ヶ所には商人を護衛する将兵の詰所があったが、将兵たちは表向きは護衛をしているように見せかけて、そのウラでは金儲けをしていた。ある日、姜綰が役所から船に乗って慶遠に向かおうとしたが、詰所の兵士がそれを見ると慌てて、盗賊が岸辺に潜んでいるから陸地経由にした方が安全だ、と言ってきた。姜綰はそこでつぎのように言い返した。「知事でありながら、盗賊が恐くて避けていたなら、いつになったらこの地域が安全になろうか?」こう言って民兵を左右に従え、旗を高く掲げ商船を連ねて気兼ねせずに水路を進んだ。とうとう盗賊は現われなかった。これ以降、船で行く者は護衛の将兵を雇わなくなった。
【馮夢龍の評】姜綰は、断固たる決意で船行し、庶民の為に水路が安全であることを示したのはあっぱれだ。しかし、これは何も無謀にしたのではなく平生の訓練のおかげで、盗賊たちも姜綰の名に恐れをなしたので、無事に航行できたのだ。そうでなければ、そのような行いをすれば無事ではいられなかったに違いない。
姜綰以御史謫判桂陽州、歴転慶遠知府。府辺夷、前守率以夷治。綰至、一新庶政、民獠改観。時四境之外皆賊窟、翦其渠魁、乃選健児教之攻戦、無何自成鋭兵、賊盗稍息。初、商販者舟由柳江抵慶遠。柳、慶二衛官兵在哨者、陽護之、陰実以為利。綰一日自省溯江帰、哨者仮以情見迫、遽言賊伏隩、訹綰陸行便。綰曰:「吾守也、避賊、此江復何時行邪?」麾民兵左右翼、擁蓋樹幟、聯商舟、倘徉進焉。賊竟不敢出。自是舟行者無所用哨。
〔馮評〕決意江行、為百姓先駆水道、固是。然亦須平日訓練、威名足以懾敵、故安流無梗。不然、嘗試必無幸矣.
***************************
ここに述べられているように、中国の役人は盗賊とグルになっていてウラ取引をして、民から金をまきあげる算段をしているということだ。なまじっか、役人という権力があるために、一般庶民は対抗できないので、泣き寝入りをするしかない。このような裏事情を知っていた姜綰は、盗賊の息のかかった部下のいうことを無視し、率先して盗賊の影響力を削いだ。
次は、硬骨の名臣を多く輩出した、宋代の話。現在は、官僚・役人だけでなく、企業人もそうだが、とかくコンプライアンス大事、法律遵守一辺倒で、時宜にかなった行動を取らない、あるいは取れない人が数多くいる。本質的な問題解決に命をかけた宋の名臣たちの言動から何をなすべきかを学んでほしいものだ。
***************************
馮夢龍『智嚢』【巻12 / 498 / 韓琦】(私訳・原文)
内都知の任守忠は邪悪極まりない人間で、常に朝廷と後宮にスパイを放って情報を収集していた。韓琦はある時、人名の部分が空白の勅書を書いた、それを参政の欧陽修がチェックし、了承した。趙概は、この勅書に難色を示した。欧陽修がいうには「黙って、処理せよ。韓琦公は必ず何らかの意図があってやっていることだから」。さて、勅書を得ると、韓琦は役所の本殿(政事堂)に坐り、庭に任守忠を立たせ、かつての悪事を暴きつつ「お前の悪事は死罪に相当するが、蘄州の団練副使に降格し、蘄州に左遷する」と言いわたした。そうして、人名の部分が空白の勅書に任守忠の名前を書き込み、即日、任地へ護送させた。
【馮夢龍評】韓琦は平生「わしは胆なら誰にも負けない」と自慢していたが、その通りの大胆であざやかな処置だ。
内都知任守忠奸邪反覆、間諜両宮。韓琦一日出空頭敕一道、参政欧陽修已僉書矣、趙概難之、修曰:「第書之、韓公必自有説。」琦坐政事堂、以頭子勾任守忠立庭下、数之曰:「汝罪当死、謫蘄州団練副使、蘄州安置。」取空頭敕填之、差使臣即日押行。
〔馮評〕韓魏公生平従未曾以「胆「字許人、此等神通、的是無両。
***************************
この話は、正史である『宋史』や、韓琦の事績が詳しい『宋名臣言行録』《後集巻一》にも掲載されているので、かなり有名な話であったようだ。
このような場面は文面だけでは、なかなか理解しづらいが、最近の中国ドラマ「孤城閉 ~仁宗、その愛と大義~」はまさに宋名臣言行録をあたかも実写したようなドラマで、関連する人々の顔の表情から心の動きが手にとるようによくわかる。そのうえ、この『孤城閉』のドラマでは、屋内、屋外のスタジオセットが本物レベルでかなり金をかけていることが一目でわかる。中国歴史ドラマ史上、最高額とも噂される96億円余もかけて制作された『如懿伝』と比較しても遜色のないレベルと言える。
金をかけたのは単に物的なものだけではない。シナリオの文句も、軽薄・陳腐な文句をパクパクしゃべる現代風ではなく、宋の名臣に相応しい、どっしりとした古典的教養を身につけた人のセリフが多い。当然、古典や詩詞の引用が頻出するし、政治的駆け引きも、当時の政治情勢を反映している。それだけでなく、俳優の所作振舞いも、皇帝や名臣に相応しく落ち着いたものである。
このような一流の舞台装置、一流の俳優、一流のセリフは、とかく大げさな感情表現や怒鳴り声で視聴者の耳目を惹こうとする日本の大河ドラマなど、足元にも及ばない。
(続く。。。)