限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

智嚢聚銘:(第24回目)『『中国四千年の策略大全(その 24)』

2023-02-26 10:44:47 | 日記
前回

先ごろ、フィリピンの入管施設に拘束されていた複数の日本人が、国内の日本人に指示を出して各地で強盗殺人をやらせていたことが明るみになった。驚くのは、看守たちが賄賂をもらって入管施設の中に、携帯電話やPCなどを持ち込むことを許していたことだ。つまり、看守たちも強盗殺人の幇助をしていたことになる。ドイツ語に、"den Bok zum Gärtner machen という言葉がある。直訳すると、「ヤギを庭師にする」だ。(ちなみに、独和辞典では「ネコに鰹節」と訳されている。)言うまでもなく、草食動物のヤギを庭師にすると、庭の草木を整備するどころか、草を食べ尽くしてしまう。結局、フィリピンの入管施設に収容したことで、わざわざ犯罪ができる恰好の場所を提供していたようなものだった。

公務員が盗賊のために番犬の役割をしているのは、明代にもあったが、毅然とした対応を取った官僚の話。

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 馮夢龍『智嚢』【巻12 / 494 / 姜綰】(私訳・原文)

明の時代、姜綰が大臣から桂陽州の長官に左遷され、ついで慶遠の知事となった。辺境の知事となったが、前の知事は夷人を使って治めていた。しかし姜綰は制度を一新したので、人々は目を見張った。当時、町から一歩外へでると、盗賊がうようよしていたが、盗賊のボスを捕まえ、善良な若者を選んで戦闘の訓練を施した。その結果、精鋭部隊ができ、盗賊をようやく壊滅することができた。当初、商売する人は柳江を経由して慶遠に来ていた。柳江と慶遠の二ヶ所には商人を護衛する将兵の詰所があったが、将兵たちは表向きは護衛をしているように見せかけて、そのウラでは金儲けをしていた。ある日、姜綰が役所から船に乗って慶遠に向かおうとしたが、詰所の兵士がそれを見ると慌てて、盗賊が岸辺に潜んでいるから陸地経由にした方が安全だ、と言ってきた。姜綰はそこでつぎのように言い返した。「知事でありながら、盗賊が恐くて避けていたなら、いつになったらこの地域が安全になろうか?」こう言って民兵を左右に従え、旗を高く掲げ商船を連ねて気兼ねせずに水路を進んだ。とうとう盗賊は現われなかった。これ以降、船で行く者は護衛の将兵を雇わなくなった。

【馮夢龍の評】姜綰は、断固たる決意で船行し、庶民の為に水路が安全であることを示したのはあっぱれだ。しかし、これは何も無謀にしたのではなく平生の訓練のおかげで、盗賊たちも姜綰の名に恐れをなしたので、無事に航行できたのだ。そうでなければ、そのような行いをすれば無事ではいられなかったに違いない。

姜綰以御史謫判桂陽州、歴転慶遠知府。府辺夷、前守率以夷治。綰至、一新庶政、民獠改観。時四境之外皆賊窟、翦其渠魁、乃選健児教之攻戦、無何自成鋭兵、賊盗稍息。初、商販者舟由柳江抵慶遠。柳、慶二衛官兵在哨者、陽護之、陰実以為利。綰一日自省溯江帰、哨者仮以情見迫、遽言賊伏隩、訹綰陸行便。綰曰:「吾守也、避賊、此江復何時行邪?」麾民兵左右翼、擁蓋樹幟、聯商舟、倘徉進焉。賊竟不敢出。自是舟行者無所用哨。

〔馮評〕決意江行、為百姓先駆水道、固是。然亦須平日訓練、威名足以懾敵、故安流無梗。不然、嘗試必無幸矣.
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ここに述べられているように、中国の役人は盗賊とグルになっていてウラ取引をして、民から金をまきあげる算段をしているということだ。なまじっか、役人という権力があるために、一般庶民は対抗できないので、泣き寝入りをするしかない。このような裏事情を知っていた姜綰は、盗賊の息のかかった部下のいうことを無視し、率先して盗賊の影響力を削いだ。



次は、硬骨の名臣を多く輩出した、宋代の話。現在は、官僚・役人だけでなく、企業人もそうだが、とかくコンプライアンス大事、法律遵守一辺倒で、時宜にかなった行動を取らない、あるいは取れない人が数多くいる。本質的な問題解決に命をかけた宋の名臣たちの言動から何をなすべきかを学んでほしいものだ。

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 馮夢龍『智嚢』【巻12 / 498 / 韓琦】(私訳・原文)

内都知の任守忠は邪悪極まりない人間で、常に朝廷と後宮にスパイを放って情報を収集していた。韓琦はある時、人名の部分が空白の勅書を書いた、それを参政の欧陽修がチェックし、了承した。趙概は、この勅書に難色を示した。欧陽修がいうには「黙って、処理せよ。韓琦公は必ず何らかの意図があってやっていることだから」。さて、勅書を得ると、韓琦は役所の本殿(政事堂)に坐り、庭に任守忠を立たせ、かつての悪事を暴きつつ「お前の悪事は死罪に相当するが、蘄州の団練副使に降格し、蘄州に左遷する」と言いわたした。そうして、人名の部分が空白の勅書に任守忠の名前を書き込み、即日、任地へ護送させた。

【馮夢龍評】韓琦は平生「わしは胆なら誰にも負けない」と自慢していたが、その通りの大胆であざやかな処置だ。

内都知任守忠奸邪反覆、間諜両宮。韓琦一日出空頭敕一道、参政欧陽修已僉書矣、趙概難之、修曰:「第書之、韓公必自有説。」琦坐政事堂、以頭子勾任守忠立庭下、数之曰:「汝罪当死、謫蘄州団練副使、蘄州安置。」取空頭敕填之、差使臣即日押行。

〔馮評〕韓魏公生平従未曾以「胆「字許人、此等神通、的是無両。
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この話は、正史である『宋史』や、韓琦の事績が詳しい『宋名臣言行録』《後集巻一》にも掲載されているので、かなり有名な話であったようだ。

このような場面は文面だけでは、なかなか理解しづらいが、最近の中国ドラマ「孤城閉 ~仁宗、その愛と大義~」はまさに宋名臣言行録をあたかも実写したようなドラマで、関連する人々の顔の表情から心の動きが手にとるようによくわかる。そのうえ、この『孤城閉』のドラマでは、屋内、屋外のスタジオセットが本物レベルでかなり金をかけていることが一目でわかる。中国歴史ドラマ史上、最高額とも噂される96億円余もかけて制作された『如懿伝』と比較しても遜色のないレベルと言える。

金をかけたのは単に物的なものだけではない。シナリオの文句も、軽薄・陳腐な文句をパクパクしゃべる現代風ではなく、宋の名臣に相応しい、どっしりとした古典的教養を身につけた人のセリフが多い。当然、古典や詩詞の引用が頻出するし、政治的駆け引きも、当時の政治情勢を反映している。それだけでなく、俳優の所作振舞いも、皇帝や名臣に相応しく落ち着いたものである。

このような一流の舞台装置、一流の俳優、一流のセリフは、とかく大げさな感情表現や怒鳴り声で視聴者の耳目を惹こうとする日本の大河ドラマなど、足元にも及ばない。

続く。。。
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百論簇出:(第269回目)『手引きなしで、マインドフルネスに到達しよう』

2023-02-19 15:13:39 | 日記
先日、ある会合で「マインドフルネス」という言葉を教えられた。早速Web検索するとマインドフルネスとは「『今、この瞬間』を大切にする生き方」であるとか、「意図をもって、今の瞬間に、評価や判断を手放して、注意を払うことから、わき上がる気づきの状態(アウェアネス)」と定義されていることを知った。また、関連する単語としては「 EQ(Emotional Quotient)」や「瞑想」という語句が挙がることも知った。

EQに関しては、以前にEQをビジネスにしているベンチャー会社の顧問をしていたので、馴染みのある言葉であるだけでなく、その会社の要請でアメリカに出張して、ジョン・メイヤー自身にも会ってきた。非常に知的ではあったが、アメリカ人には珍しく腰の低い人であり、人格的にも人を惹き付ける魅力のある人だと感じた。その翌年には、同社が日本で EQセミナーを開催した際には、 EQの概念の創立者のもう一人の大御所である、ピーター・サロベイにもお目にかかったが、彼とはじっくり話す機会がなかったので、どういう人かは分からない。いずれにしろ、彼らの理論を一般向けに紹介したダニエル・ゴールマンのお陰でEQの概念とその重要性は世間に定着した。



さて、冒頭で述べたEQとも関連するマインドフルネスはグーグル本社が社内教育に取り入れ、 SIY(Search Inside Yourself)という名の活動を行って大いに成果を挙げたらしい。その本『サーチ・インサイド・ユアセルフ』(英治出版)を購入して読んだ。私なりに内容をまとめると、マインドフルネスを実践すると次のような効果があるようだ。

 1.EQを高めると個人の能力が向上する。
 2.毎日、わずかの時間でも瞑想をすると個人の能力が向上する。
 3.世間の人のEQが高まると、世界平和につながる。

結局、私なりにマインドフルネスやSIYをまとめると次のようになる。
「瞑想することで、感受性を高め、怒り・嫌悪感や執着心を持たないことで、情動を自分の思うままにコントロールすることができる」

もし私のこの読み替えが正しいとすると、「マインドフルネス」は何も新しいことを言っているのではなく、かつての東西の賢人の知恵そのものと全く変わる所がない。東洋でいえば、仏教しかり、老荘しかりだ。西洋でいえば、ストア派、エピクロス派しかりだ。私の好きな荘子の『外篇』《山木篇》には次の言葉がある。
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(要旨)川を船で渡っているときに、無人の船がぶつかってきそうになっても誰も怒らないが、もし人が乗っていれば、「危ないじゃないか!」と声を荒げて注意するだろう。それでもまだこちらに来るようであれば、怒り心頭に達する。この差は、自分の心が無心かどうかという一点だ。
(原文)方舟而済於河、有虚船来触舟、雖有惼心之人不怒;有一人在其上、則呼張歙之;一呼而不聞、再呼而不聞、於是三呼邪、則必以悪声随之。向也不怒而今也怒、向也虚而今也実。人能虚己以游世、其孰能害之!
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この話は、同じことでも、人が居ればそこに怒りをぶつけるが、物だと怒りを感じない。これを考えれば怒りを鎮めるには、人が原因であるとみなさないことだと考えよということであろう。

このように心の状態を分析して説明されると、理屈では分かる。そして、その効果はその手順を覚えている限り発揮できる。しかし、問題はそのような解析的な事柄というのは人は時とともに忘れてしまうことだ。例えば、中学や高校でならった数学の公式を思い出してみよう。思い出せないだろう。しかし、小学校でならった唱歌や、中学校や高校の校歌なら何時までも思い出せるであろう。これは、体育の選手が、何度も訓練して体で覚えているようなものだ。リーダーシップ論にしろ、アンガーコントロールにしろ、とっさの時に体が反応するまでにならないと効果はでない。体が即座に対応できるというのは、解析に優れている左脳の論理性が機能するのではなく、右脳の情緒性が機能することである。このようなことから、マインドフルネスの本で言及されているような心の鎮め方は実際のビジネス状況での応用の持続性は乏しいと考えられる。私は、右脳に直接働きかけるのは論理ではなくエピソードだと考える。つまり、リーダーシップ教育や、アンガーコントロールが実際に効果を発揮するのは、瞬時にエピソード記憶が蘇る時だということだ。

さて話は変わるが、アメリカの教育システムでは、誰もができるように、最初はバカ丁寧に教えてくれる。跳び箱で喩えると、日本では3段ぐらいから始めるので並み以上の能力のある人はたいてい飛び越えられるが、それ以下の人は落ちこぼれてしまう。ところが、アメリカでは全員が有無をいわさず一番低い1段の跳び箱からやらされる。そして、徐々に 1段ずつ増やしていく。それによって、日本より脱落者がずっと少なく、徐々に自分なりに飛ぶという感覚が身についていくことになる。

私は大学卒業後、会社に入ってからCMUに留学中したが、その時に受けたアメリカの工学の授業はまさにそのようだった。京大の授業では、数式の変形などや理論の証明は、たいていの場合「自習」するものであるという認識が教授にも学生にもあったので、CMUでの授業の進行の遅さには当初、唖然としたものだった。しかし、一学期間が終わるころには、授業の進み具合は総体として京大での進み具合とさほど差は感じられなかった。つまり、授業中で式の展開をちまちま説明するのを不必要と思っていたが、全体の理解をする上ではやはり必要だということを理解したのだ。

このことから、マインドフルネスが現代に受け入れられる要素としては、ここで述べたようなアメリカ式の教育プログラム一般に見られる「初歩の段階から着実に進める」という利点がある、ことがいえる。確かにマインドフルネスは内容的には、昔の哲学者や賢人が言い古したことではあるが、その理解に辿りつけない人を手引きして最終的な理解に至るまで導いてくれるのだ。

こういう利点は認めるものの、私はここにも一つの大きな欠点があると思う。それは、工作でいえば「プラモデル(プラスチックモデル)」や「レゴ(LEGO)」のように全てが手順書通りに運べば完成するという安直観を植え付けてしまうことだ。つまり、かつての禅問答や、老荘の言葉のように、いろいろと試行錯誤して解決策を見出すという自立的な要素がすべて洗い流されてしまうことだ。

ここで、伝統工芸がなぜ長い間、続いてきたかと考えるに、職人たちがいつの時代においても、知恵を振り絞って自力で技を磨いてきたからに他ならない。たとえ、最初は先輩の言葉どおりに従っていても、その内に自分なりの創意工夫をこらして自らの力で技の高みを目指してよじ登ってきたからだ。自力で得たものは、手順に沿って得るよりも時間と労力は数倍(あるいはそれ以上)かかるが、結果的に得たものは深く心に残る。

この意味で、私はアメリカ風に手順化されたマインドフルネスよりも、最初は手がかりがまったくつかめず呆然とする老荘や禅問答のような言葉から自分で納得できる見地に到達できるような自己研鑽の方がよいと考える。
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智嚢聚銘:(第23回目)『『中国四千年の策略大全(その 23)』

2023-02-12 09:30:35 | 日記
前回

古来、世界中どこでも戦争時に交渉する使節は殺さないのが不文律であった。しかし、敢えてそれを破るケースもあった。その結果が吉とでる場合もあれば、凶と出る場合もある。文永の役の元寇の翌年、元から杜世忠が使者として日本に来たが、時宗は杜世忠ら6人を「龍ノ口」で斬った。結果的に時宗は元寇から日本を救った英雄といえるが、使者を斬る必要まであったか、疑問が残る。

後漢の光武帝は仁君といわれているが、その統一事業がすべてにおいて仁に満ちていたか?戦時における非常手段によって、はじめて平和がもたらされることもある。

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 馮夢龍『智嚢』【巻12 / 491 / 寇恂】(私訳・原文)

高峻が長らく降伏しなかった。そこで、光武帝は寇恂に勅書を持たせて降伏を促しに遣った。寇恂が高峻が立て籠もっている場所に到着すると、高峻は軍師の皇甫文を交渉に送った。皇甫文は寇恂に拝謁したものの降伏する意思はないと述べた。寇恂は怒って、皇甫文を処刑するといった。寇恂の部下たちは、皆反対したが、寇恂は耳を貸さず、皇甫文を斬った。そして高峻に使者を送り「貴卿の軍師である皇甫文は無礼をはたらいたので、処刑した。降伏したいのなら即刻降伏せよ、さもなければ攻撃をしかけるから固く守るがよい!」高峻は恐ろしくなって、即日、開城して降伏した。寇恂の部下の将軍たちはみな祝賀したが、いぶかって尋ねた「軍師の皇甫文が殺されたのに、高峻はどうしてすんなりと降伏したのでしょう?理由をお聞かせください。」寇恂が答えていうには「皇甫文は高峻の腹心で、全ての計画は彼からでている。今、敵陣に来てもまったくひるむ気配も見せず、降伏する気がないことが分かった。もし、皇甫文を生かしたまま返せば、徹底抗戦するだろう。しかし、殺してしまえば高峻は戦闘意欲を失って降伏するだろうと考えたからだよ。」

高峻久不下、光武遣寇恂奉璽書往降之。恂至、峻第遣軍師皇甫文出謁、辞礼不屈、恂怒、請誅之。諸将皆諫、恂不聴、遂斬之。遣其副帰、告曰:「軍師無礼、已戮之矣。欲降即降、不則固守!」峻恐、即日開城門降、諸将皆賀、因曰:「敢問殺其使而降其城、何也?」恂曰:「皇甫文、峻之腹心、其所取計者也、〔辺批:千金不可購。今自送死、奈何失之?〕今来辞意不屈、必無降心。全之則文得其計、殺之則峻亡其胆、是以降耳。

〔馮夢龍評〕
唐の僖宗が蜀へ行幸した。南蛮人が強く唐に反発するのを恐れ、唐との婚姻を許した。南蛮王は唐の公主を迎えるため、宰相の趙隆眉、楊奇鯤、段義宗を来朝させた。太尉の高駢は僖宗が南蛮への降嫁を認めたことを知るや早速、文書を僖宗に送り「南蛮の中心人物は、わずかにこの数人だけです。この使者たちを留めて、猛毒の鴆で毒殺するように」と助言した。僖宗が都に戻るまでに、南方が無事におさまったのは、寇恂の智恵を応用したおかげだ。

〔馮述評〕唐僖宗幸蜀、懼南蛮為梗、許以婚姻。蛮王命宰相趙隆眉、楊奇鯤、段義宗来朝行在、且迎公主。高太尉駢自淮南飛章云:「南蛮心膂、唯此数人、請止而鴆之。」迄僖宗還京、南方無虞、此亦寇恂之余智也。
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本文では寇恂の、また馮夢龍評では高駢の冷徹な決断が評価されている。よく耳にする言葉の「将を射んとせば、まず馬を射よ」とは本来は杜甫の詩の一句「人を射んとせば、まず馬を射よ」(射人先射馬)に拠る。非常事態時には人道に外れたことでもしないと目的を達成できないということだろう。



同じく、非常手段に訴えて目的を達成した話。しかし、その手段はむしろ仁というべきで、人の情に訴え目的を達成した。

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 馮夢龍『智嚢』【巻12 / 492 / 劉璽唐侃】(私訳・原文)

明の嘉靖時代(1522から1566)、外戚や開国の功臣の子孫である郭勛が帝からの寵愛があついことを恃んで、大勢の人を南方の市に送り、珍品を漁り、無理やり召し上げ、多数の船に載せ、都まで運搬し、暴利を貪った。当時、水運が滞ったのは、まったくこのせいだ。都の役人の劉璽はこの時、水運の責任者であったが、事態を打開するため、船の中に棺桶を一つ置き、右手に刀を持ち、左手で悪人どもを指さしながら「死ぬ覚悟があるなら襲ってこい。お前たちを殺した後で、わしも自殺してこの棺桶に入って、お前たちの兵士の悪行を世間に公けにしてやる!絶対にわしの物は渡さぬぞ!」と罵った。悪人どもはその権幕におそれをなして逃げていき、最後まで劉璽に害を及ぼすことはなかった。

嘉靖中、戚畹郭勛怙寵、率遣人市南物、逼脅漕総、領俵各船、分載入都以牟利。運事困憊、多縁此故。都督劉公璽時為漕総、乃預置一棺於舟中、右手持刀、左手招権奸狠乾、言:「若能死、犯吾舟。吾殺汝、即自殺臥棺中、以明若輩之害吾軍也!吾不能納若貨以困吾軍!」諸乾懼而退、然終亦不能害公。
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劉璽の断固たる権幕に悪党たちもしり込みして、水運の混雑が解消されたという話だが、朱鎔基の逸話を思い出す。朱鎔基は1998年から2003年まで首相(国務院総理)を務めた。中国年来の宿痾である汚職追放に文字通り命を懸けた。政敵などから実に10回以上も暗殺を企てられたという。それでも信念を曲げず「百の棺桶を用意しろ。その内の一つは俺の分だ!」と追及の手を緩めなかった。それ故、「朱鉄面」とのあだ名をつけられた。朱鎔基は最近の中国では鄧小平と並んで傑出した政治家と私は高く評価している。

もっとも、世の中には1989年に起こった天安門事件の際に鄧小平が取った断固たる冷酷な処置から鄧小平を否定的に見る人は多いが、私はそれでも鄧小平は偉大な指導者だったと考えている。
【参照ブログ】百論簇出:(第213回目)『独断の近代中国政治家の評価』

続く。。。
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沂風詠録:(第351回目)『神に思いを致すことが至福の時間?!』

2023-02-05 19:54:39 | 日記
昔からずっと不思議に思っていたことの一つにキリスト教徒が生命の危険を冒してまで、世界各地にキリスト教を伝道しようとすることだ。たとえば、1639年(寛永16年)に南蛮(ポルトガル)船入港禁止が発せられると、マカオにいたポルトガル宣教師たちは、過去100年近くにもわたり日本で築いてきた布教の努力が無駄になるとの危機感から、禁止されていたことを知りつつ江戸幕府と交渉するために使節団を日本に派遣した。日本の禁止令を無視された幕府は怒り心頭に発し、即座に乗組員全員を投獄した。乗組員74名を調査し、キリシタンの61名を処刑して、非キリシタンである13名を事件を報告させるためにわざと生かしたままマカオに返した。

この事件について私は「なぜこれほどまでに伝教に熱心になれるのか?」と不思議であった。彼らキリスト教伝道者たちは自分の命より、伝教、即ち「他人の心を救う」ことを重大なことだと考えたからだ。普通であれば、自分の命があっての物だねと思うはずなのに、どうして彼らは反対の考えに染まってしまったのだろう?



この疑問は学生時代から私の心のなかには実に40年以上も巣くっていた。いろいろと宗教やヨーロッパの歴史関連書物と読んだものの、直接的にこの疑問に答えてくれる文章にはついぞ出会うことがなかった。ところが、最近読んだ本の一節で、アリストテレス『エウデモス倫理学』第8巻、第三章の最後の部分(1249b)にこの疑問に対する答えが載っていることを知った。

その部分を引用してみよう(岩波書店、『アリストテレス全集・14』茂手木元蔵)。

【和訳】「従って、自然的に善いもの ― それは肉体の善であれ金銭であれ親友であれその他の善であれ ― これらの善いものを選択し、ないし所有することが、神の観照を最も多くなさしめるものならば、そのことは最良のことであって、これが最も美しい規準である。しかし、もし或る選択ないし所有が、欠乏によるかあるいは過超によって、神に仕え神を観照することを妨げるならば、それは悪しきことである。」

【ギリシャ語原文】 ἥτις οὖν αἵρεσις καὶ κτῆσις τῶν φύσει ἀγαθῶν ποιήσει μάλιστα τὴν τοῦ θεοῦ θεωρίαν, ἢ σώματος ἢ χρημάτων ἢ φίλων ἢ τῶν ἄλλων ἀγαθῶν, αὕτη ἀρίστη, καὶ οὗτος ὁ ὅρος κάλλιστος: ἥτις δ᾽ ἢ δι᾽ ἔνδειαν ἢ δι᾽ ὑπερβολὴν κωλύει τὸν θεὸν θεραπεύειν καὶ θεωρεῖν, αὕτη δὲ φαύλη.

【英訳】 Therefore whatever mode of choosing and of acquiring things good by nature--whether goods of body or wealth or friends or the other goods -- will best promote the contemplation of God, that is the best mode, and that standard is the finest; and any mode of choice and acquisition that either through deficiency or excess hinders us from serving and from contemplating God -- that is a bad one.

これは言い換えれば、神を思い続けることが、人間にとって最高に至福な時間であるということになる。あたかも、思春期の若者が恋人を思い続けることが至福の時間であるかのようだ。恋人の場合はまだ実体があるが、神の場合は自分の心の中のイメージしかない。それが果たして本当の神であるかどうか確認出来ないが、それでも神を思い続けよ、というのは一種のマインドコントロールと変わらない。

ところで、アリストテレスは、紀元前の人なので、当然のことながらキリスト教徒ではない。それで、神を思い続けた結果、死後に天国に召される栄光や永遠の命、などキリスト教徒が一番関心のあるテーマには言及していない。つまり、アリストテレスの触れていないテーマについては、キリスト教徒は自分たちの流儀で考えているに違いない。

一方、イスラム教徒はどうなるのか?イスラム世界では、金に余裕のある人は喜捨(ザカート)をする義務がある。しかし、一見、彼らの善意からの行為のように見えるが、実体は喜捨する人は死後に天国に行けるようにするために善行を積む、という下心があるようだ。つまり、他人に親切にすることや、貧しい人に恵を与えたり、喜捨することは、すべて死後の自分が良い待遇を受けるためであるという。この点については、牧野信也の『アラブ的思考様式』の冒頭にダマスカス空港に着いてすぐにスリに荷物を盗まれた時の話に、親切にしてくれたイスラム教徒の態度が非常に衝撃的に書かれているので是非参考にして欲しい。

このようにイスラムでは、他人に親切するのは言ってみれば「有償援助」であるのだ。たとえば、イスラム圏の住宅地には公共の水飲み場があるそうだが、たいていは個人の寄付によるものだという。多くの人が水飲み場を利用すればするだけ、寄付をした人が善行を重ねたことになり、それだけ天国の楽園に近づくことになるという理屈である。つまり、自分のために寄付をするのだということになる。

結局、仏教でも極楽浄土を願うために行う善行もあるのでイスラム教徒の場合の心情とたいして変わらない。神といい、来世といい、実体だけでなく存在すら分からないものに対して夢中になれることが、信仰とよばれるのなら、私などは性分的に到底信仰をもつことができないし、そういう人の気持ちも残念ながら理解できないでいる。
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