限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・30】『綸言汗の如し』

2010-04-21 23:09:00 | 日記
『武士に二言なし』とは約束を守れという教えである。しかしこの倫理観は武士だけに限られている訳ではなく、日本人が階層を問わず共通にもっていたと私は考える。

先日、『40年前のあの時に戻れたら...』に書いたように中国でも、約束を守ること、つまり『言必信』はポジティブな意味を持っていた、と私は考えている。特に天子は『食言せず』や『戯言なし』のように、発言には庶民に比べてもう一段高い責任、倫理観が要求されていた。

中国の雄弁家が得意とする具体的な比喩で、この責任の重さを喩えたのが、『綸言りんげん汗の如し』(綸言如汗)と言う言葉である。
この綸言如汗の語句の由来は、遠く易経にまで遡る。易の渙卦の九五爻の辞に『渙汗其大号(そのたいごうをかんかんす)』とある。つまり、天子が一旦出した号令は、吹き出した汗のように滴れ落ちるも、元に戻ることはないというのである。



この『綸言如汗』の綸はというと『太い糸』という意味だが、礼記の『緇衣、第33』に次のような丁寧な説明が載せられている。

『王の言は糸のようだ。細い糸でも、一旦外へ出てしまうと太い糸(綸)となる。王の言は綸のようだ。綸でも一旦外へ出てしまうと太い綱となる。それ故、高位にある人は、出来もしないようなスローガンを唱えないものだ。君子というのは、言うことはできても実行できもしないことは、言わないものだし、人様にしゃべれないような恥ずかしいことはしないものだ。これを『言不危行,而行不危言』(言いて行を危うくせず、行いて言を危うくせず)という。』
(王言如糸,其出如綸;王言如綸,其出如綱。(綱、本当は糸偏に孛)故大人不倡游言。可言 也,不可行。君子弗言也;可行也,不可言,君子弗行也。則民言不危行,而行不危言矣。)

このような背景を熟知していた漢代の碩学、劉向は次のように言って、当時の政令の安直な改変を誡めた。(漢書、巻36)
『易に、「渙汗其大号」といいます。これは、号令は汗のようにいったん出れば引き返すことはありません。今、せっかく善い方針を打ち出しても、たちまちの内にひっこめればこれでは汗を戻すことになるのではないでしょうか。』
(易曰「渙汗其大号」.言号令如汗,汗出而不反者也.今出善令,未能踰時而反,是反汗也)

この文はまるで、某国の首相の無定見な言論の様子を遠く2000年も前から見透かしていたかの様だ、と感嘆するのはひとり私だけであろうか?
コメント
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