限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第44回目)『十数年まえの知的衝撃の旅』

2010-04-19 13:39:21 | 日記
文章はいつも書き出しで苦労するのは何も最近にはじまったことではないらしい。私にとって人生観の転機を与えてくれたかの有名なギリシャの哲学者のプラトンでさえ、「国家論」の出だしを書くのに何度も書き直しをしたといわれている。私にとってプラトンはいわば人生の師である。学生時代に工学部の勉強をそっちのけにドイツ語を勉強していたときにプラトンの対話編を読みはじめた。最初は、禅問答よりもはるかに、禅問答的な内容にただただ呆然としていたが、次第にその文体に慣れるにしたがって、生まれてはじめて、 そこまで表面的にしか理解していなかった「言葉の論理性」が実感を伴って理解することができた。それは、あたかも、熱帯地方に住む人間が、耳でしか聞いたことのない雪をはじめて手で触れてその冷たさに感じる衝撃そのものであった。

20歳代の学生時代に感じた『知的衝撃』を十数年前にアメリカへIT視察旅行で経験することとなった。(この旅行については、『風、しょうしょうえきすいさむし』で少し触れた。)



1997年の10月の上旬の十数日間、アメリカ西海岸のコンピュータ関係の会社をいくつか訪問した。まずは、かの有名なマイクロソフトを訪れた。ここには、偶々私が1982年にカーネギーメロン大学に留学をしていた時の学友が研究者として勤めていた。そのツテで、訪問の段取りを設定してもらった。第一日目は到着日でもあったので、定型の挨拶と互いの事業内容を簡単に紹介したに過ぎなかった。

『知的衝撃』は第二日目の昼過ぎにやってきた。私は、当時、造船業の設計システムについて検討しているプロジェクトにコンピュータシステムの専門家の立場から参加していた。私の考えは、CADも含めて、汎用のパソコンをLANでつないでクラスター化(グループ化)して、並列処理をしなければいけないだろうと考えていた。それで、この時の海外調査ではその構想の可否を是非とも議論したいと念願していたのであった。

当日、その議論を行う為に出迎えてくれたのは、シェークスピアの劇に登場する陽気で愉快なフォールスタッフのような容貌をしたふとっちょのエンジニアであった。その名をパット(Patrick)という。滞米二日目に入っていた私は前日の夕方のレストランでの ウェイターとのばか話のやりとりをしたおかげで、ようやく英語も滑らかに口をつくようになっていたので、このパットともなごやかに議論の口火をきる事ができた。

我々の訪問目的を話した後で、彼は自分の経歴を淡々と話しはじめた。それを聞いている内に私は、鳥肌がたつのを覚えた。この陽気なパットはコンピュータのデータベースシステムでは一世を風靡したタンデム社のNON-STOP SQLという金字塔的なシステムの設計に深く関わっていたということが判明したからであった。私は、こういった専門家に巡り合えたのを幸いに、私の考えていた並列システムの構想を説明した。パットは満面に微笑みを浮かべてうなずきながら私の話しを聞いていたが聞き終えると、開口一番「案は立派だが、バグなしに(つまり、正しく)動かすのは至難のわざだ」と言った。

その言うところは、メモリー上で、多数のプロセス(マルチスレッド)を協調的に動かすのは理論的には可能であるが、正しく動かなかった時の対処に非常な労力を要するということであった。過去の多くのプロジェクトでも結局こういった、構想の善し悪しと言うよりむしろ実際的な問題でつまずいて不成功に終わったものが多い。現在では過去の反省に立ってこういったマルチプロセスシステムをトランザクションプロセスで実現出来るような仕組みを考えている。実際マイクロソフトでもその様な製品を出荷している、と話してくれた。

彼の話を聞いている私はあたかも織田軍の足軽の鉄砲隊に翻弄された武田軍の騎馬隊の気持ちであった。武田軍の騎馬隊(つまり、メモリー上のマルチスレッド)はそれぞれ各人の戦闘能力では勝っている(つまり、処理速度が速い)ものの単機能的ではあるが規律のとれた織田軍(つまり、トランザクション処理)にはかなわなかったということである。私の頭の中では「データベース(トランザクション)処理は遅い」という既成概念がこびりついていたのであった。しかし、私の認識を越えて時代はどんどんと進展していて、今やハードディスクはメモリーと同等の性能を有するとみなして、システム設計をすることが現実的になったということであった。私にとってはこの間わずか数分であったが、今後のコンピュータシステムのありかたについて多くの事実が私の頭の内では有機的につぎつぎと関連づけられていくのを実感した。絶えて久しかった『知的衝撃』を覚えた瞬間であった。

この時からすでに十数年経ち、Googleなどがこういった方向(クラウド・コンピューティング)で実際的なアプリケーションを次々を実運用しているのを見て、当時、夢のように考えていたシステムが現実のものになったことに時代の進歩を感じる。この点では、IT技術の進展に驚く一方で、なぜか物事が私の『想定の範囲内』で進行していることに、正直、もどかしさも多少感じている。
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