以前、京都大学の産官学連携本部で、ベンチャー関連の調査をしていた時、シリコンバレーを訪問したときに聞いた次のフレーズが印象深く心に残った。
Failure is not personalized.
この文章は、表面的に理解したのでは、何を言っているのかさっぱり見当がつかないだろう。しかし、発言者の前後関係からこのフレーズは次のように理解できる。
失敗は確かに、失敗した個人の経験となるが、それは単に個人の経験に止めておくのではなく、次からは皆が失敗しないように、その人の経験を皆で共有すべきだ。
このフレーズを聞いてから、あまり間を置かず、アメリカ領事館で聞いたシリコンバレーのベンチャーに関する講演では
Failure is celebrated.
というフレーズを耳にした。つまり、失敗すると必ず教訓を学ぶので、次からは失敗しないと、シリコンバレーでは考えるというのだ。それで、『失敗すると皆から、誉められ、祝福される(celebrated)』のだという。
さて、このようなフレーズが出てくるのは、アメリカの、それも特にシリコンバレーのような冒険心にとんでいる地域だから可能だ、と考える人もいるだろう。ところが、それは現代のアメリカに特有な現象ではなく、古代中国でもあったというのが、今回の話である。
後漢書の列伝71に次のことばが登場する。
【原文】夫使功者不如使過(それ、功ある者を使うは、過あるを使うにしかず)
【私訳】成功した者を使うより、失敗した者を使う方がよい。
【英訳】we'd better employ those who are willing to make amends for previous faults than those who pride themselves on their merits.
後漢書・列伝71は《独行伝》という。世間の常識に囚われず、自分が正しいを信じた道を行く人たちのことだ。索盧放(さく・ろほう)という人の伝記を見てみよう。
***************************
【大意】索盧放は《尚書》を教授していたが、門人が1000人もいた。地方の小役人をしていたが、後漢成立の少し前の更始年間(AD23-25)、中央から派遣された使者が地方を視察した折、索盧放のいた県の失政があったとして太守が処刑されることになった。索盧放は直ちに進みでて抗議した。「近年、王莽のでたらめ政治に庶民は苦しんでいて、今ようやく漢に心を委ねようとするのはまさに仁愛あふれる寛大な政治を期待してのことです。しかるに、恩恵を施すのではなく、太守を厳罰に処するようなことがあれば、庶民はまた反乱を起こすやもしれません。《夫使功者、不如使過》(失政をした太守を継続して任務に就ける方が過失の全くない太守より良い)と思います。処罰は太守ではなく私に課して下さい。」このように言って、肩脱ぎとなり、処刑してくれといわんばかりの態度を取った。使者は索盧放の義溢れる態度に感激して、太守を放免し、索盧放もまた名声を得た。
索盧放字君陽、東郡人也。以尚書教授千余人。初署郡門下掾。更始時、使者督行郡国、太守有事、当就斬刑。放前言曰:「今天下所以苦毒王氏、帰心皇漢者、実以聖政寛仁故也。而伝車所過、未聞恩沢。太守受誅、誠不敢言、但恐天下惶懼、各生疑変。夫使功者不如使過、願以身代太守之命。」遂前就斬。使者義而赦之、由是顕名。
***************************
索盧放は、太守を処刑する代わりに自分を、と申し出たのだ。口先だけでいうのは簡単だが、本当に自らの命を差し出した。もっとも、中国人の倫理観とすれば、この行為に義を認め、索盧放はおろか、太守までも赦されることは索盧放の計算には入っていたのかもしれないが。。。
いづれにせよ、このフレーズ『使功不如使過』(後漢書だけ「使功者不如使過」)がここが初出で、また24史の中でもあまり使われていないが、含蓄の深い言葉だ。(清史稿まで含め、計7回)
【参照ブログ】
百論簇出:(第63回目)『ベンチャー起業家よ、失敗を誇れ?!』
Failure is not personalized.
この文章は、表面的に理解したのでは、何を言っているのかさっぱり見当がつかないだろう。しかし、発言者の前後関係からこのフレーズは次のように理解できる。
失敗は確かに、失敗した個人の経験となるが、それは単に個人の経験に止めておくのではなく、次からは皆が失敗しないように、その人の経験を皆で共有すべきだ。
このフレーズを聞いてから、あまり間を置かず、アメリカ領事館で聞いたシリコンバレーのベンチャーに関する講演では
Failure is celebrated.
というフレーズを耳にした。つまり、失敗すると必ず教訓を学ぶので、次からは失敗しないと、シリコンバレーでは考えるというのだ。それで、『失敗すると皆から、誉められ、祝福される(celebrated)』のだという。
さて、このようなフレーズが出てくるのは、アメリカの、それも特にシリコンバレーのような冒険心にとんでいる地域だから可能だ、と考える人もいるだろう。ところが、それは現代のアメリカに特有な現象ではなく、古代中国でもあったというのが、今回の話である。
後漢書の列伝71に次のことばが登場する。
【原文】夫使功者不如使過(それ、功ある者を使うは、過あるを使うにしかず)
【私訳】成功した者を使うより、失敗した者を使う方がよい。
【英訳】we'd better employ those who are willing to make amends for previous faults than those who pride themselves on their merits.
後漢書・列伝71は《独行伝》という。世間の常識に囚われず、自分が正しいを信じた道を行く人たちのことだ。索盧放(さく・ろほう)という人の伝記を見てみよう。
***************************
【大意】索盧放は《尚書》を教授していたが、門人が1000人もいた。地方の小役人をしていたが、後漢成立の少し前の更始年間(AD23-25)、中央から派遣された使者が地方を視察した折、索盧放のいた県の失政があったとして太守が処刑されることになった。索盧放は直ちに進みでて抗議した。「近年、王莽のでたらめ政治に庶民は苦しんでいて、今ようやく漢に心を委ねようとするのはまさに仁愛あふれる寛大な政治を期待してのことです。しかるに、恩恵を施すのではなく、太守を厳罰に処するようなことがあれば、庶民はまた反乱を起こすやもしれません。《夫使功者、不如使過》(失政をした太守を継続して任務に就ける方が過失の全くない太守より良い)と思います。処罰は太守ではなく私に課して下さい。」このように言って、肩脱ぎとなり、処刑してくれといわんばかりの態度を取った。使者は索盧放の義溢れる態度に感激して、太守を放免し、索盧放もまた名声を得た。
索盧放字君陽、東郡人也。以尚書教授千余人。初署郡門下掾。更始時、使者督行郡国、太守有事、当就斬刑。放前言曰:「今天下所以苦毒王氏、帰心皇漢者、実以聖政寛仁故也。而伝車所過、未聞恩沢。太守受誅、誠不敢言、但恐天下惶懼、各生疑変。夫使功者不如使過、願以身代太守之命。」遂前就斬。使者義而赦之、由是顕名。
***************************
索盧放は、太守を処刑する代わりに自分を、と申し出たのだ。口先だけでいうのは簡単だが、本当に自らの命を差し出した。もっとも、中国人の倫理観とすれば、この行為に義を認め、索盧放はおろか、太守までも赦されることは索盧放の計算には入っていたのかもしれないが。。。
いづれにせよ、このフレーズ『使功不如使過』(後漢書だけ「使功者不如使過」)がここが初出で、また24史の中でもあまり使われていないが、含蓄の深い言葉だ。(清史稿まで含め、計7回)
【参照ブログ】
百論簇出:(第63回目)『ベンチャー起業家よ、失敗を誇れ?!』