限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【2011年度・英語授業】『日本の情報文化と社会(2)』

2011-04-30 14:57:04 | 日記
【日本の情報文化と社会 2. Dictionary and Language】

今回のテ-マは『辞書と言語』(Dictionary and Language)である以前のブログ『1円OED(Oxford English Dicitionary)顛末記』にも書いたように私は辞書、それも大部の辞書が好きである。その上、言語についても私は非常に興味がある。それでこのテ-マについては自分なりに考えることも多い。
例えば、『日本語の同音異義語の多さについて』でも書いたように、日本語に多い同音異義語についての意見や、CJK(日中韓)の文字コ-ド統一の是非などもそうである。

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・ヨ-ロッパの辞書
○古代の辞書と翻訳辞典
もっとも古い辞書の著者に、アレキサンドリアのPamphius(紀元前 1世紀)や、Hesych ius(紀元前5世紀)などが挙げられる。ヨ-ロッパでは、辞書類も含め、書物は伝統的に修道院で書き写されていた。

○各国の辞書(16世紀―19世紀) 
英語の本格的な初めての辞書は、1755年にサミュエル・ジョンソンによって、編纂された。数人の助手に筆記の手伝いをさせジョンソンがひとりで、約3年で完成させた。一方、フランスでは、アカデミ-フランセ-ズが約40人で40年かけてフランス語の辞書を編纂した。ドイツでは、グリム兄弟によって、1852年に初めて辞書が編纂されたが、完成まで150年ちかくかかった。

○現代の辞書(19世紀―20世紀) 
単語の発生順序(Historical Principle)に基づいて Oxford English Dictionary(OED)がジェ-ムズ・マレ-を主筆として編纂された。アメリカでは、Webster が米語の辞書を編纂する。

・中国と日本の辞書
○項目の順序 
ヨ-ロッパの辞書では、項目別の辞書以外では、アルファベット順の文字配列が多い。しかし、中国と日本の辞書の項目順は複数ある。中国語では最近になってピン韻順の編纂が主流となった。日本語では古くはいろは順が多かったが中世から50音順もでるようになた。漢字では部首、画数、押韻の順序もある。

・中国の辞書

○2世紀~6世紀 
中国では紀元前2世紀に、「爾雅」という簡易な辞書(単語リスト)が初めてつくられた。2世紀には、部首によってグル-ピングされた「説文解字」という辞書ができた。6世紀に「玉篇」が編纂された。空海の「篆隷万象名義」は、「玉篇」の簡易版である。

○18世紀 
清の康熙帝、雍正帝、乾隆帝の時代に、中国の文化は隆盛を迎えた。1716年に康熙帝の命令で、47000文字以上からなる「康熙字典」が編纂された。

・中国の辞書のリスト 
現在の214部首に並べる方法は、1615年に編纂さえた「字彙」によって、確立された。漢字と日本語の翻訳辞典としては、19 60年に編纂された「大漢和辞典」が挙げられる。現在、もっとも大きい辞書は、1994年に編纂された「中華字海」で、8556 8文字を扱っている。



・日本の辞書の種類 
日本の辞書は、大きく分けて3つのタイプがある;漢字辞典、国語辞典、外国語辞典。

・漢字辞典
○平安、室町、江戸時代 
892年に編纂された「新撰字鏡」が、現存する漢和辞典の中で、もっとも古いものである。

○大漢和辞典 
諸橋轍次が一生涯かけて編纂した。1928年に着手し、1943年に編集が完了した。しかし、第二次世界大戦の空襲により活字組版が全焼した。戦後、写植印刷技術を使って1960年にようやく完成した。大修館のオ-ナ-・鈴木一平氏の、全面的な信頼と支援がなければ達成できなかった偉業である。

・国語辞典
○平安、室町時代 
平安時代には、934年に編纂された「倭名類聚鈔」が最古。これは、漢和辞典と、百科事典の両用を兼ねる。平安時代に他には、「色葉字類抄」が挙げられる。

 ○室町、江戸時代 
室町時代から江戸時代にかけて、「節用集」のシリ-ズが数多く出版された。古い和訓を知るに便利である。江戸時代には、様々なバリュエ-ションが出版された。

○江戸時代の3大辞典 
江戸の三大辞典には、「和訓栞」、「雅言集覧」、「俚言集覧」が挙げられる。また江戸時代には、蘭学と共に長崎から中国書が大量に輸入され、学問の進展に多いに寄与した。

○言海 
大槻文彦によって編纂された、「言海」はそのユニ-クな定義に定評がある。「言海」は、大槻文彦の私費により編纂された。改定版の「大言海」の評判は「言海」より劣る。

○現代 
20世紀で有名な国語辞典に、「広辞苑」と「日本国語大辞典」が挙げられる。「広辞苑」はもっとも一般的な辞書であるが、内容的には芳しくない。「日本国語大辞典」は国語辞典の中で、もっとも大部でかつ内容が充実している。国語辞典のOEDとも称すべきものである。

・外国語辞典
○ポルトガル、オランダ辞書 
16世紀の中頃、ポルトガル人が布教のため来日した。宣教師により、日葡辞書が編纂された。これは当時の日本語の口語の語彙と発音を知るのに貴重な資料である。オランダ人のカピタン(商館長)の Hendrik Doeff は、長崎に十数年滞在し、日蘭辞書・ズ-フハルマを編纂した。完成は1833年。この辞書はその後の蘭学の学習者に多大の貢献をした。

○三ヶ国語辞書 
日蘭辞書に遅れること半世紀、1865年に日仏辞書が、1862年に英和対訳袖珍辞書が編纂される。江戸時代の終わりには、学者によって、オランダ語、フランス語、英語、ロシア語が研究された。

・ヨ-ロッパとアジアの古典言語の学習 
ヨ-ロッパでは、ギリシャ語とラテン語の二つが古典語と呼ばれる。アジアの国々、中国、韓国、日本、ベトナムでは、文書語として、漢文が共通語であった。

・漢字 
漢字の総数は「大漢和辞典」では約5万字。康熙字典では5万弱(4 9030)。漢字には数多くの異字体が存在している。例えば「斉」という漢字には、31のバリュエ-ションがある。また、日本の漢字と中国の漢字では、僅かながら相違がある漢字がある。(例:骨、隣、妹)

・文字のコ-ドとフォント 
日本の場合、JISのフォントでは、わずか7000字しか、漢字のコ-ドがない。台湾では、Big5があり、13053字の漢字を扱える。中国では、GB2312があり、20902字の漢字が扱える。

・中国と日本の間のフォントの違い 
大陸中国では漢字は、繁体字と簡体字の二つがある。現在のコンピュ-タ-では、繁体字と簡体字の両方とも扱える。繁体字で入力することで、自動的に簡体字に変換できるが、その逆は難しい。

・音読みと訓読み 
漢字の読み方について、6世紀に朝鮮から導入された「呉音」、7 -9世紀に中国から導入された「漢音」、10世紀以降に中国から導入された「唐音」。日本特有の「訓読み」。

・日本語の文字(かな) 
奈良時代以前に作られた「万葉かな」と9世紀・平安時代に作られた、「平仮名」と「カタカナ」がある。

・日本語の語彙 
日本語の基本的な語彙は、単音節語である。多音節語の単語も多い。日本語の複数形に「人々」、「下々」など同じ単語を繰り返すのは南方系の言語と共通である。日本語の語源をタミ-ル語や南方系と擬定する学者もいる。

・日本語の発音とアクセント 
奈良時代の日本語には母音が7つあった。現在は5つ。江戸時代の参勤交代により江戸の語彙やアクセントが全国の武士階級に理解されるようになった。

・漢字廃止の動き 
明治維新の前後、欧化思想の影響で、漢字の廃止が提言された。(例:森有礼、前島密)同じく第二次世界大戦後も同様の動きがあった。(志賀直哉)結局、漢字は日本文化の切り離せない部分だとして残った。
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【2011年度・英語授業】『日本の情報文化と社会(1)』

2011-04-27 11:56:30 | 日記
【日本の情報文化と社会 1. Library, Printing and Bibliography】

今年も、京都大学で交換留学生(および日本人学生)向けの一般教養科目で "Informatics in Japanese Society" (日本の情報文化と社会)を教えている。テ-マは昨年のものに若干の変更を加えたが、基本的には変わらない。ただ、説明資料(パワ -ポイント)の内容をかなり充実させた。

昨年のこの講義には、交換留学生が約30名、日本人が約20名参加したが今年は福島原発事故のせいで留学生が約10名程度しか参加していない。特にヨ-ロッパからの参加者はほぼゼロである。しかし逆に日本人学生は20人と昨年より増えている。

この講義は、もう一つの『国際人のグロ-バル・リテラシ-』とことなり、純粋に講義主体の授業であるが、数人の学生がグル-プとなりそれぞれのテ-マについて調査した結果を発表する、グル-ププロジェクトが課されている。

『日本の情報文化と社会』講義のテ-マは次の通り
0. Outline
1. Library, Printing and Bibliography
2. Dictionary and Language
3. Encyclopedia
4. Education (University, School, Confucianism, Koku-gaku)
5. Ran-gaku and Natural History (Botany, Zoology, Astronomy and Map)
6. Travelers' Views (Before Meiji)
7. Travelers' Views (After Meiji)
8. Historiography, History Books
9. Picture Scroll, Diary, Meisho-zue and Newspaper
10. People 1 (Before Meiji)
11. People 2 (After Meiji)


第一回目の【1.Library, Publication, Printing 】の講義メモを以下に示す。



第一回目の授業では、図書館や出版に関して世界(欧州、イスラム、中国)と日本の状況について説明した。日本の情報文化についての授業であるが、私の講義の一つの意図は、日本だけのことを言うのではなく、必ず他国との比較に言及することで、学生達に日本の長所と短所を世界的規模から俯瞰するという広い視野を持って欲しいと考えている。

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1. Library, Publication, Printing

・中東、イスラムの図書館

 歴史上、もっとも古い図書館はバビロニアで、粘土板に刻まれていた。アレキサンドリア図書館では、パピルスの本で50万冊も所蔵したと言われる。ペルガモンの図書館の蔵書数は、20万冊にも達していたが、パ-チメント(羊皮紙)が使われた。イスラムでもっとも古い図書館は、Bait al-Hikma。宗教関連だけでなく、哲学や科学など、他分野にわたっていた。

・ヨ-ロッパとアメリカの図書館

 中世の図書館では、本は盗難防止の為、棚に鎖でつながれていた。(例:イングランドのHereford Cathedral)フランス、パリの大学の蔵書数は僅か2千冊程度。

・中国の図書館

中国は昔から帝王が常に図書収集に興味を持っていた。紀元前では、文字は竹簡・木簡に書かれていた。筆と紙による画期的な本の保存システムが開発された。また、中国では、多くの類書がある。宋代では「太平御覧」「冊府元亀」、明代では「永楽大典」、清代では「古今図書集成」などがあげられる。

・四庫全書

中国の大書の中でもっとも冊数が多いものが、「四庫全書」。 36381冊からなり、79309章、230万ペ-ジから成る。中国の7ヶ所で保管されていたが、現存は、4ヶ所。

・日本の公共図書館

○飛鳥~室町(8世紀―16世紀)

11世紀以降、中国では木版印刷の書籍が大量、かつ安価に生産された。「足利学校」や「金沢文庫」には中国から輸入された多くの書物が保管されている。

○江戸時代(17世紀―19世紀)

金沢の前田綱紀は、「尊経閣文庫」を創設。中国からの輸入書が多く保存されている。岩手の青柳文蔵は、「青柳文庫」という蔵書数 1万冊の図書館を作り、運営費に1千両を寄付した。

・江戸の公共、私設図書館

江戸時代には、公共の図書館だけではなく、たくさんの私設図書館があった。例えば阿波の蜂須賀は7万冊の書籍を保有していた。

・日本の国立図書館

東京には、国立国会図書館がある。10年ほど前には、京都の南部に、関西館という分館を創設。蔵書数は計3000万点。上野には国際児童図書館が開設された。

・日本の大学図書館

日本の大学図書館の中で東京大学附属図書館が最大。 1892年に設立。関東大震災によって、70万冊の本が焼失した。1928年にロックフェラーの寄付などで再築された。現在の蔵書数は、880万冊。京都大学附属図書館は、640万冊の蔵書数。

大学図書館の中で天理大学はとくに重要。天理大学図書館は、国宝 6点と、重要文化財80数点を誇る。源氏物語などの、古写本も多い。

・日本の私設図書館

日本の有名な私設図書館では、冷泉家の「冷泉家時雨亭文庫」がある。三菱財閥のオーナーである岩崎弥之助によって造られた「静嘉堂文庫」も有名。江戸時代には貸本屋が繁盛し、民衆の娯楽に数多くの本を供した。

・東洋文庫

東洋研究の図書館では世界最大級(五指に入る)。

・輸入された本の保存

平安時代の作成された「日本国見在書目録」は、日本に存在する中国から輸入された本の目録。また群馬の足利学校に、中国では亡滅した図書も残っている。

・ヨ-ロッパの印刷物

1468年に、グ-テンベルクは画期的な大量印刷技術を開発した。金属製の活字と油性のインクを使った。大量印刷の革新を起こした。 それ以前の木版印刷の書物は主に宗教関係の書で絵入りも多かった。後に、エッチングと石版印刷技術が開発され、美術画の印刷に使われた。

・中国の印刷物

木版による印刷が六朝時代から行われていたが主として仏教書だった。畢昇は活字印刷を開発した。宋代に儒教関係の書物の大量印刷が普及。お陰で日本も大量の本を輸入することができた。

・石版と木版

文字の印刷の仕方に2通りがある。一つは黒地の白抜きの文字、もう一つは白地に黒い文字を印字する方法。

・朝鮮の印刷物

朝鮮では、中国から伝わった木版印刷技術を使い8世紀ごろに印刷物が残っている。(世界最古?)高麗時代には、金属版の印刷技術が開発された。印刷技術は、仏教の経典の印刷の為に使われた。

・日本の印刷物

○飛鳥、奈良時代 日本でもっとも古い木版印刷物は、世界遺産である奈良の法隆寺にあり、「百万塔陀羅尼」が現存する。

○平安、鎌倉、室町時代

平安、鎌倉時代には、多くの仏教の経典が印刷された。また、室町時代には、日本の著者集や、寺小屋の増加で教育用のテキストが数多く印刷された。

○安土桃山時代

イタリアやスペインからのキリスト教の宣教師達が西洋の印刷術を持ちこみ、日本で印刷した。豊臣秀吉の朝鮮出兵により、朝鮮の活字印刷技術が日本に伝わった。

○江戸時代 

中国から約600年ほど遅れて、日本では江戸時代に、木版印刷が一般的となった。日本では、黄表紙など大衆向けの印刷物が多い。

・江戸時代の出版物

日本を訪れた朝鮮使節によると、江戸時代の日本には朝鮮と比べて、はるかに多くの出版物が販売されていたとある。中国の書籍が、返り点をつけて印刷されることで漢文の自習が可能となった。

・日本の写植機

西洋では、文字のフォント数は、200文字程度ですむが、漢字には、 1万以上も必要。日本では第二次世界大戦前には、美しい活字を彫ることのできる腕の良い職人が多数いたが、戦後そういう職人がいなくなってしまった。石井茂吉と森澤信夫は、写真植字機を開発したので、ようやく諸橋の大漢和辞典が刊行できた。

以上
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【2011年度授業】『国際人のグローバル・リテラシー(1)』

2011-04-26 23:03:09 | 日記
【国際人のグローバル・リテラシー 1.欧米 中世ヨーロッパの生活】

今年も、京都大学の一般教養科目で『国際人のグローバル・リテラシー』を教えている。テーマは昨年、一昨年と変わらないが、当然のことながら議論の内容や学生の反応が毎年変わっているのが興味深い。今年は、47人定員の部屋が満員で、座席が足りず立って、あるいは床に座って聞く学生もいるぐらいである。しかし、人数が多いというのはこのクラスのようにディスカッションを主体とするクラスでは必ずしも良いとはいえない。人数が多いとつい引っ込み思案になるか、誰かが答えてくれるだろうと他力本願になってしまい勝ちである。

授業中でも言ったことではあるが、このクラスでのディスカッションの眼目は、いわゆる『正しい歴史的事実』を調べてきて単にそれを述べる、つまり『正解』を求めている訳ではなく、自分の知っている範囲の知識をフル動員してどれだけ、自分の頭で考えた意見を他人に納得のいくように伝えることができるか、というアウトプットが問われている。この意味で、発言も内容(コンテンツ)もさることながら、話し方(レトリック、プレゼンテーション)も重要な要素である。残念ながら日本では、高校まで(そして大学、社会人共に)後者の教育が全くおろそかにされている。これは何も京都大学の学生に限った訳でないが、まともな話し方が出来ない学生が非常に多い。授業中、この点においてもワンポイントレッスンの形で注意している。



さて、今年の『国際人のグローバル・リテラシー』のテーマは次の通りである。全体で14ヶのテーマについて、数名の学生パネリストを中心にクラス全体で議論する。

 0.概論 
 1.欧米 中世ヨーロッパの生活
 2.欧米 ギリシャ世界の政治と思想
 3.欧米 (ギリシャ語+ラテン語)の受容、科学技術の発達、出版物の流通
 4.欧米 アングロサクソンの誤解、現代のグローバリゼーションの問題点
 5.日本 科学技術の発達、出版物の流通(江戸時代)
 6.日本 六国史、大日本史、中国の歴史書との関連
 7.日本 江戸末期・明治初期の西洋人の記録、日本人論
 8.イスラム イスラムの社会・文化、イスラムの科学
 9.イスラム イスラムと西洋・キリスト教、十字軍の残酷
 10.中国 哲学(儒教、老荘、韓非子、墨子)、仏教
 11.中国 歴史(史記、資治通鑑)、科学技術の発達
 12.中国 庶民生活(唐、宋、元、明)、現代中国の諸問題
 13.韓国 哲学、歴史、科学技術、庶民生活、日本との関連
 14.インド、東南アジア・南米 歴史、社会、日本との関連


第一回目の【1.欧米 中世ヨーロッパの生活】のクラス討議メモを以下に示す。

 第一回目の授業では、中世ヨーロッパ世界における人々の生活がどのようであったか、その起源や変遷を辿り、適宜他国との比較を交えつつ、議論した。 

モデレーター:セネカ3世(SA)

パネリストA「西洋出身の人と話して、キリスト教圏の人々の宗教観に興味を持った」

この発言を受け、さっそく宗教観について議論が始まった。一般的に、日本人は異教徒の祭りであるクリスマスを祝うなど、宗教の感覚が薄いといわれている。これに対し、別のパネラーより異議が唱えられた。

パネリストB「確かにヨーロッパではキリスト教が信仰されているが、布教するに際して、クリスマスを先住民の新年の時期にずらすなど、他の文化を取り込み発展した。日本がさまざまな宗教の祭りを取り込んでいるのと同じ発想ではないか」

パネリストC「プロテスタントを信仰している人々は、日本の神道に近い感覚で、言うほど宗教に密着してはいない。つまり日本だけではなく、海外にも宗教にルーズなところはある」

次に、農村の暮らしについて議論した。

セネカ3世:「『和を以って貴しとなす』『農耕民族』『集団主義』、これらの特徴が当てはまる国はどこか?」の質問があった。

真っ先に思い浮かぶのは日本。他にもアジアやヨーロッパの国々がいくつか挙がった。

パネリストA:「これは農業国全般に当てはまるのでは?農耕には共同作業が伴うため、和を重んじる傾向が生まれるということだ。また、時期が下るにつれ、集落内で効率性の向上のため専門化が起こった。例えば貨幣が、統治者や、外部との交易の影響により誕生した。」

セネカ3世:「富の蓄積が可能になり、生活は豊かになったが、同じ時期にイスラーム圏の富を略奪する十字軍も行われていた。高校では、十字軍はキリスト教圏の膨張のために引き起こされたと習うが、第四回十字軍では同じキリスト教圏のコンスタンティノープルを占領するなど、もはや信仰は問題になっていなかった。」

日本と中世ヨーロッパの農業様式の比較:

セネカ3世:「日本では毎年稲作が行われるのに対し、中世ヨーロッパでは三圃制がとられていた。これは稲に連作障害がないのに対し、西欧の作物だと地力の低下を防ぐ必要があったから。また、ヨーロッパでは日本と違い、家畜の糞を藁と混ぜて利用していた。これはヨーロッパの気候が乾燥しており、糞をそのまま土に入れても発酵しないため。ちなみに、人糞は道路に放置され、あまり清潔ではなかった。当時日本を訪れたヨーロッパ人が、日本の清潔さに驚いたという話が残っていることからも分かる。」

【筆記者の感想】中世ヨーロッパという時間も空間も離れた世界について語られたが、日本やその他の地域との比較により、それまで知らなかった意外な共通点や、共感できる点が見えてきて、以前より身近に感じられるようになった。歴史の新しい理解の仕方に触れられる、意義のある内容であった。

以上
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ブログ連載、二周年を迎えて、【減筆宣言】

2011-04-25 23:16:50 | 日記
一昨年の今日(2009年4月25日)『はじめまして。。。』の記事とともにこのブログ連載をスタートし、昨年は『ブログ連載、一周年を迎えて』を書いた。

2年間、ほぼ毎日続けたのでブログ記事は700本ほど書いたと思う。そこで始めて分かったことは、確かに『継続は力なり』ということである。まだまだ一本の記事を書くにも苦労はしているが、当初と比べて、書くことが多少楽にできるようになった。それでも一本の記事を仕上るのに3時間程度はかかっている。ちょっとでも調べ事があると、 3時間では収まらないこともしばしばある。そのようにして出来上がった記事は字数にして2000字~3000字程度なので、読むと、2分程度で読めてしまう。単純計算で、書く時間と読む時間の比は約100倍である。

以前のブログ記事で『20倍違うと世界が違って見える』と書いたが書くのと読むのでは速度が100倍も違うだけでなく、内容をゼロから作りだすのと、そこにあるものを単に吸収するのとでは、脳の使い方が大幅に異なる。つまり読む方が遥かに楽である。

以前のブログ『私の語学学習(その18)』で述べたように、私はショーペンハウアーに一時期凝っていた。その時、彼が『読書について』の中で大略次のように言っていたように記憶している。

読書は、自分の脳を使わず他人の脳で考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の思考過程を機械的にたどるにすぎない。つまり読書では物を考える苦労はほとんどない。それで自分で思索する仕事をやめて読書に移るとき、ほっとした気持ちになる。それに反して思索は己の脳を絞らないといけないので苦痛なのだ。

私も記事を何本も書く内に、書く大変さを実感し、ようやくショーペンハウアーの言っていた言葉の意味を理解した次第である。



さて、このようにして二年間書き続けてきた訳であるが、この継続の動機の一つがこのブログタイトルの
三十年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。
という文句に述べているように、私の知識の蓄えをこのブログの読者との共有に資するという、大げさに言えば『社会貢献』であった。私は社会貢献というのは、各人が出来る範囲のなかですればよく、気負って大きなこと、難しいこと、苦痛なことをわざわざする必要がないと考えている。それでこのブログは他人からみればささいなことかもしれないが、私ができる範囲での社会貢献だと思っている。

この社会貢献という概念は、共和制ローマによって育まれたものではないか、と私は考えている。セネカの倫理書簡集(Seneca, Epistulae morales ad Lucilium)の第48には次のような文が見える。
『わが身だけを考え、何もかもを自分の都合だけで見る人は幸福にはなれない。自分の(幸福な人生の)為に生きるには、他人のために生きることが必要だ。』
【原文】Nec potest quisquam beate degere qui se tantum intuetur, qui omnia ad utilitates suas convertit: alteri vivas oportet, si vis tibi vivere.
【英訳】And no one can live happily who has regard to himself alone and transforms everything into a question of his own utility; you must live for your neighbour, if you would live for yourself.
【ドイツ語訳】Auch kan niemand ein glueckliches Dasein fuehren, der nur auf sich schaut, der alles zum eignene Vorteil wendet: Fuer den anderen sollst Du leben, wenn Du fuer Dich leben willst.

       【減筆宣言】

さて、私のブログ記事が少しでも社会の為になれば、との意気込みでここ二年ずっと書いてきた訳であるが、最近になって新たな知識の蓄積のための時間がないことに、正直なところ内心あせりを感じている。先日のブログ『知のパラドックス - 知れば知るほど知らないことが増す』でも書いたように、ある程度、物事が分かるようになった今の私には、逆に知らない事がたくさんできてきた。それで、この辺りで一旦このブログの書く日を1/3程度に減らして、その分を読書に振り向けようと決めた。

現在、考えている読書とは:
 中国・朝鮮関連:明通鑑、『焚書・蔵書』(李卓吾)、続資治通鑑、三国史記
 ギリシャ・ローマ関係:アリストテレス、プリニウス、ストラボン、モムゼン
 日本関係:甲子夜話、慊堂日録、吾妻鏡、和漢三才図会
 仏教関係:国訳大蔵経(昭和新纂)
 科学技術・工芸芸術関連:ニーダム『中国の科学と文明』


これらを読み終えて、書くことが溜まった段階で再度活発に書くことにしようと考えている。

最後に一言:
最近、『漢文教育の重要性』というブログ記事に対して、漢文教育は不要というコメントがあった。要点は、漢文教育よりも"法律"や "お金"に関する知識を教えることの方が重要であるとのご意見である。国民全体の知識の底上げに対しては私も反対しない。ただ、このブログを読むであろう読者(想定読者)というのは、将来の指導者たちである。つまり現在の日本の政治・経済の混迷はリーダー層の質の低下によって引き起こされているというのが私の理解である。現在の教育で欠落している、リーダー育成に役立つ内容を書く、というのがこのブログの基本姿勢である。ところが現在の若者たちはともすれば、レベルの低い雑誌や本、テレビ、ゲームなどに熱中し、内容のない話をとりとめもなく話していることに恥じらいを感じない。私はリーダーたるものは、毅然と自らのノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)を自覚することが必要だと考える。現在のような国際環境では、リーダーに必要とされている要素は、英語力と自国・他国の文化理解である。そして我々日本人にとっては中国の文化理解のためのみならず、人としての生き方を知るのに漢文の知識は必要だと考える。この意味で私の漢文重視の主張に変わりはない。
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通鑑聚銘:(第75回目)『袁紹の優柔不断と曹操の雄才遠略』

2011-04-24 15:13:29 | 日記
現在の平穏な民主主義社会では、本当の意味での人の評価はできない、あるいは出来る鑑識眼が養われないと私は以前から考えている。現在の社会とは喩えて言えば、車を運転するようなレーサーのようなものである。アフリカのサバンナであれば走るのは自分の力によるしかないので、脚力がその人の能力そのものである。しかし、走る力をガソリンエンジンに頼るレーサーには脚力は要求されない。むしろ必要とされるのはハンドルさばきのような腕の器用さである。誰もカーレースの順位がレーサーの脚力の順位だとは考えない。明らかにこれら二つは別物だと認識している。

しかし、このような当たり前のことを現在社会では理解できないでいる。民主主義という政治体制、あるいは資本主義という経済体制に乗かかってハンドルさばきだけが得意な政治家・経営者だけがちやほやされている。しかし危機、つまりサバンナの喩えでいうと自分の力以外に頼るものがない世界、では本人のもつ見識や胆力が試される。現在だけでなく、歴史上では常に危機こそ人の価値が露になる時節であったのだ。



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資治通鑑(中華書局):巻63・漢紀55(P.2017)

関中の将軍たちは袁紹と曹操が対立しているのを、どちらつかずにじっと見守っていた。涼州牧の韋端は家来の楊阜を曹操が陣取っている許へ派遣して様子を見させた。楊阜が戻って来たので皆が、どちらが勝ちそうだね?と尋ねた。楊阜は、次のように答えた。『袁紹公は寛大だが優柔不断で、いろいろと策は練るものの実行力がない。それで威厳が感じられない。ぐずぐずするものだから問題が多い。今は羽振りが良いが結局はダメになる。一方曹操公は遠大な長期プランを持っている。決めたら即実行する。信賞必罰で軍隊の規律も整っている。新規に雇った人間でも責任ある地位に就けて能力を存分に発揮させている。天下を取るのはこの人以外にいない。』

關中諸將以袁、曹方爭,皆中立顧望。涼州牧韋端使從事天水楊阜詣許,阜還,關右諸將問:「袁、曹勝敗孰在?」阜曰:「袁公寛而不斷,好謀而少決;不斷則無威,少決則後事,今雖強,終不能成大業。曹公有雄才遠略,決機無疑,法一而兵精,能用度外之人,所任各盡其力,必能濟大事者也。」

関中の諸将、袁と曹のまさに争うを以って,皆、中立して顧望す。涼州牧・韋端、従事・天水の楊阜をして許に詣でさす。阜の還る。関右の諸将、問う「袁と曹の勝敗はいずくに在りや?」阜、曰く:「袁公は寛なるも断ぜず,謀を好むも決すること少なし。不断なれば則ち威なし。少決なれば則ち、後に事あり。今、強しと雖ども、ついに大業をなすあたわず。曹公は雄才にして遠略あり。機を決するに疑なし、法は一にして兵は精し。よく度外の人を用い、任ずるところ、おのおのその力を尽くす。必ずよく大事をなす者なり」
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楊阜の見るところでは、袁紹は単に飾っているだけのぼんぼんであるが、曹操は実務において自分がするべきこと、そして天下を牛耳る方略を理解している人だということだ。

現在(2011年4月24日)福島原発の放射能汚染で東京電力や政府はその対策に苦慮し、右往左往している。普段であれば、その馬脚を現すことがなかったが、いざこのような緊急事態ともなると、地位や権威などといういわば仮の姿ではなく本体が如実に表れてくる。つまり、危機というのは人物の真贋の試金石と言えよう。しかし、残念ながら日本人というのは得てして人当たりの良い政治家・経営者を好み、一見傲慢に見える豪胆な(胆のすわった)政治家・経営者を好まない風潮がある。そして自分達の好き嫌いによる選択の誤りがこのような危機に際して露呈する。

現在のような緊急事態は何も今、新たに起こった訳ではなく、過去にも何度もあった。その時々の人々の行動、判断を見てみると自然と見えてくるものがある。それによって現在どうすべきかが分かる。この意味で歴史とは既に過ぎ去った過去ではなく、現在への指針ともなり、未来を見通すものでもあると私は考える。
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