goo blog サービス終了のお知らせ 

夫婦で楽しむナチュラル スロー ライフ

日々の生活、男の料理、庭仕事、気になった事など気ままに綴っています。

学童保育指導員時代を思い出した

2019年12月05日 | 遊び
今日も忙しい一日でした。
父ちゃんは午前中小学校の餅搗きの手伝いに
出かけた。小学生が授業の一環として
田植えして育てたもち米を使って餅を搗く
行事が数年前から始まりました。

私はパソコン講習会の資料作りの手伝い。
新しい公民館の部屋は真っ白な壁で明るすぎて
落ち着かない。
公民館エントランスと取り壊し工事中の旧公民館
 
それが終わったら皆で食事して帰宅。
一休みして夕方、父ちゃんがご近所のyuzuちゃんを
連れてきて
「しばらく、面倒見てやれ」といった。
yuzuちゃんは小学3年生、一人で暇そうにしていた
そうです。
「何して遊ぼうか?」に
「花札」とyuzuちゃん
「花札は3人いないとね〜」という事で
百人一首の坊主めくりをした。
 
坊主めくりは3回やって私の勝ち
1時間ほど遊びました。
「百人一首教えてあげるから1番から
 覚えて(暗記)おいで」と百人一首を
書いた手作りの折本を貸した。
「覚えられるかな〜?」とyuzuちゃん。
「大丈夫1年生でも覚えられた」と言って
持たせました。はてさて何首覚えられるかです。
yuzuちゃんと遊んで学童の指導員時代を
思い出してしまいました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国語力が危ない

2019年12月05日 | いろいろな事
今日の朝刊一面に出ていた記事「文章作れぬ若者」と
出ていた。日本語の国語力が危ないとある。

3日に公表された経済協力開発機構(OECD)に
よる国際的な学力調査で日本の若者の読解力低下
が浮き彫りになった。実際に大学やビジネスの
現場で文章を正しく読み取れない、言いたいこと
を正確に伝えられないーーーという「国語力」の
危機を感じている関係者がいる。言葉の世界で、
何が起きているのか。


ある予備校生から提出された要約文に
「この公園には滑り台をする」と書かれていて
講師の先生は「またか」とため息をついたそうな。
つまり「主語、述語が不明確で意味が通じない」

ということです。
「この公園には滑り台をする」とこれでは先生ばかりか
婆さんの私でさえ「ナンジャラホイ」と思ってしまう。
「この公園では子供達が滑り台で遊びます」と書くか
「この公園には滑り台があります」と書くべきなのに
主語、述語のない文章しか書けない若者が増えているそうな。

スマホが普及して今では小学生でもスマホを持っているし
スマホによるラインの普及でライン用語が増え短縮言葉や
スタンプで文章を済ませてしまう。便利な世の中になり、
勢い若者が長文を書くのが苦手で、文章を正しく書けない。
今や「読み書き今や特殊技能」とある。

読書などを通じて正しい日本語に触れる機会も減って
いる上に「正しく書かなくてもいい」環境も生まれた
ことが、言葉の乱れにつながっているのでは
と言っている。 

今の若者が、新聞も読まない、本も読まない。
ラインで最小限の言葉やスタンプで表現して
いては文章能力が衰えるのは仕方がないこと
なのでしょう。スマホのラインが全て悪い訳では
ないものの、正しい日本語はどこに向かうか?です。
とにかく短縮言葉が増えてボキャブラリーの
貧困になっていることは確かです。
私も以前、孫にボキャ貧(これも短縮言葉)を
使ってしまった事がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中村哲医師、非業の死

2019年12月05日 | 災害
今日の朝刊に「中村哲医師撃たれ死亡」と出ていた。

昨晩のヤフーニュースには「中村医師撃たれるも
命に別状なし」と出ていて
「やっぱり撃たれたか?でも命に別状なくて
 よかった」と思っていた矢先の訃報でした。

中村医師は1984年、パキスタン州都ペシャワールに赴き、
長年にわたって医療活動のみならず、現地の人に水の
大切さを訴えてかんがい用水や井戸を掘りの指導をした。

パキスタン・アフガニスタン地域で長く活動してきたが
パキスタン国内では政府の圧力で活動の継続が困難に
なったとして、以後はアフガニスタンに現地拠点を
移して活動を続ける意思を示している。
Wikipediaより。
そんなアフガンで凶弾に倒れた
たくさんの著書、いろいろな賞を受賞している。
この人こそノーベル賞ものでした。
「照一隅(いちぐうをてらす)」というメッセージを
残したという。
自身が置かれた場所で、一つのことに最善を尽くす、
という意味。

一隅を照らし続けて活動をしてきた中村医師
凶弾に倒れて逝ってしまいました。
享年73歳、残念なことです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする