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遠江・平尾の城山 犬居城の支城 気田川と不動川上流を監視する役割だったか

2021-12-30 | 歴史

平尾の城山は静岡県天竜区春野町堀の内字平尾にあります。平尾の本城、平尾城とも呼ばれるようです。
 平尾の城山は犬居城の東側 約1.3kmに所在し、南東約1kmにある若身の城山とともに犬居城の支城であったとされますが若身の城山は家康軍の陣城との説もあります。犬居城は戦国期には南下した武田に属し、二度徳川軍の攻撃を受けています。
 天正2年(1574)徳川軍は気田川左岸まで迫りましたが気田川の増水と兵糧不足で撤退し、追撃を受けて多くの犠牲を出しましたが、天正4年(1576)再び攻撃し攻め落としたと伝わります。
 今回の参考資料は (1)「今川氏の城郭と合戦」水野 茂 編著2019 などです。  ※若身の城山は→こちら


平尾の城山 領家砦、若身の城山、堀の内の城山は徳川軍の攻撃時の陣城だったともいわれる
 犬居城は信濃と遠州の境目の城だったので、ある時期には平尾の城山が犬居城からは見えない気田川上流部と不動川上流部の監視の役割を担っていたのではないかと想像しましたが、資料(1)によると「平尾の城山を本城といい若身の城山と矢文で連絡を取り合った」との伝承以外の記録はないとされ、平尾の山城は近年発見された城址のようです。


平尾の城山 Ⅰ郭を中心に三方の尾根を堀切で断ち切っている
 Ⅰ郭の南側の斜面には犬走りとも言えそうな細い帯曲輪状の平場が3~4条走っていました。城域の西側は気田川、東側は金平沢、南側は不動川があり自然の要害を成していますが北側は尾根続きで守りの弱点となっているためかⅠ郭の北辺と西辺はL字型の土塁が設けられていました。


平尾の城山 稲荷神社から登る
 見学は稲荷神社付近のスペースに車を止め道Aの踏跡をたどって西尾根の平場①まで登りました。林道の終点が西尾根近くにありましたが林道は現在は使われていないようでした。稲荷神社までは細い道で、駐車スペースも狭かったので、安心できる麓に駐車したほうが良かったと思いました。      駐車は自己責任で!


平尾の城山 道Aをたどると西尾根先端部の平場①に出る 南東から
 西尾根の城域先端部には平場①がありました。資料(1)によると西尾根を西からたどって平場①に至る道や林道からの道もあるようです。


平尾の城山 西尾根の堀切②  南の下から 
 戦前の古い地図を見ると、このあたりを旧道が通っていたように見えますので、ヒョットすると堀切を道として利用していたとか切通道だった可能性も考えられそうでした。


平尾の城山 西尾根の堀切③  南西から
 西尾根を断ち切る堀切③はⅠ郭側の切岸が目立つ堀切でした。堀切②が道として利用された堀切か、切通し道か断定できませんでしたが、堀切③は間違いなく堀切でした。


平尾の城山 Ⅰ郭とL字型土塁  西から
 Ⅰ郭の削平は甘い状態でしたが、北辺と東辺にかけてL字型に土塁が設けられて、北尾根に対しての守りとなっていました。


平尾の城山 Ⅰ郭とL字型土塁   南から
 Ⅰ郭は北辺と東辺に土塁が設けられていますが南側は地山の斜面を浅く犬走り状に切っただけで、南側の守りはあまり厳重ではないように思いました。資料(1)では南側山下の平地に屋敷地があり、三方向を自然の要害で守られているが北側が弱点なので、城を築いて守ったとされています。現地の見学をすると確かに納得できる見解だと思いました。


平尾の城山 北尾根の堀切⑤  風化とブッシュで不明瞭
 北尾根の堀切⑤は輪郭が明瞭ではありませんでしたが、北尾根からの侵入は、この堀切とⅠ郭の土塁のセットで守りを固めていたのではないかと思いました。


平尾の城山 南東尾根の堀切⑧ 西から
 南東尾根の堀切⑧は明瞭に残っていました。三方向の尾根にそれぞれ堀切を設けていたということは、Ⅰ郭を南下の居館の詰の城として意識していた可能性もありそうですね。


平尾の城山 Ⅰ郭南側の犬走り状の帯曲輪⑥ 東から
 Ⅰ郭の南斜面には3~4条の犬走り状の帯曲輪地形がありました。一部は後世の山道かもわかりませんが、南側の守りの備えだったと思いました。往時は、明確な段があったのでしょうが今は風化もあって、切岸の輪郭はなだらかになっていました。


平尾の城山 金平沢に向けて絶壁が切れ落ちている 南から
 城域の東側は這い登ることも困難な金平沢に鋭く切れ落ちる断崖絶壁で、天然の要害になっていました。


平尾の城山 南東尾根の竪堀? 南から
 南東尾根の城域先端部には幅広の竪堀地形が東側に落ちていました。崩落地形にも見えますが、西尾根の堀切②と同様に尾根道の守りの備えかもしれないと思いましたがどうでしょう。

平尾の山城は犬居城の支城として、家臣の居館と詰城のセットで存在したとされますが、今は居館の所在地が明確ではないようでした。Ⅰ郭と周辺の遺構は屋敷地の存在を想像させるもので、興味深く見学できてよかったです。





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