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加賀・鳥越城 加賀一向一揆終焉の山城。行届いた整備で往時がよみがえる

2020-08-23 | 歴史

鳥越城は石川県白山市三坂町にあります。過日の東海古城研究会の日帰りバス見学会で訪れました。
 新型コロナ禍により研究会の活動が一年会休止となっていますので、残念ながら見学会も催行されていません。そこで「もう一度行きたい山城」としてご紹介します。資料は(1)見学会の当日資料 と 「改訂版 加賀一向一揆」西田谷 功著 2015 などです。
 鳥越城は1573年頃に加賀国白山麓の一向一揆の軍事拠点として、鈴木出羽守によって築城されたと伝わります。その後、織田信長軍の来襲に備えて増改築が行われました。発掘調査により、今見る遺構の石垣など大方は信長軍が一向一揆を制圧・占拠した後のものと確認されているようです。
※東海古城研究会の今後の活動スケジュールはホームペーに発表されています。コロナ禍を乗り越えて、計画がスケジュール通り催行されますように願っています。 


鳥越城 手取川と大日川の合流点の南2.3kmに築かれた堅城。二曲城や手取川沿いの城砦群も築かれた
 鳥越城は手取川と大日川に挟まれた南から伸びる尾根の北端部に築かれていました。南からの侵入に備えて南側尾根に堀切を備えた二ノ丸、三の丸が築かれています。北側の防御はやや手薄だったように見えました。
 

鳥越城 林道で一部改変されたが発掘調査に基づいた門の復興や遺構の整備が行われている
 鳥越城は林道の建設で一部改変があるものの、発掘調査によって往時の姿がかなり把握でき、その結果に基づいて遺構の整備や門などの復興がされていました。三の丸とその南側の堀・土橋は未整備でしたが遺構は明確に残っていました
※1 概略図は(1)掲載の縄張図と現地案内板の図を参考に国土地理院地図に加筆しました。
※2 門は往時の資料が少ないので、想定による復興で、資料に基づいた復元ではないと思われます。


鳥越城 後三の丸を取り巻く浅い空堀 あやめが池に雨水を送る役割もあったか
 後三の丸の周囲を浅い堀が取り巻いています。発掘調査によるとこの堀とあやめが池はつながっていたようなので、雨水を集めてあやめが池に送る役割も担っていたのでしょう。
 後三の丸は防禦施設が厳重ではありませんので、戦う役割よりも兵站を担う場所に重点が置かれていたように見えました。


鳥越城 枡形門と両サイドの石垣の塀 
 本丸に入るには中の丸からこの枡形門を通り枡形へ入り本丸門から本丸に入るルートが唯一でした。枡形門は両サイドを石垣の塀で固めた厳重なもので、見どころの一つです。木造の門はいわゆる復興門と思われますがなかなかカッコよかったです。鳥越城の石垣のほとんどが織田軍の時代とされていますので、この石垣の塀も織田軍の構築遺構だと思われます。


鳥越城 本丸門を中ノ丸から。門の右に望楼台  望楼台下に堀、本丸門手前の枡形は石垣が積まれている
 枡形から本丸に入るには本丸門を通ります。門は復興門ですので往時の姿が他所の例などを参考に想定して造られています。枡形の両サイドは石垣が積まれ、幅の広くて深い堀で進入が阻止されています。復興本丸門も遺構にマッチして格好いいですが、ここから見る遺構全体の構造は見どころでした。望楼台はいわゆる隅櫓ですが枡形に侵入した敵の攻撃ができる位置にありました。


鳥越城 本丸望楼台から本丸を見る。右手山下に上野町集落と手取川が見える
 発掘調査で、本丸には多数の柱穴や礎石が検出され、信長軍時代の前後にいくつもの建物があったことが確認されました。珍しいのは「便所跡」があったことで、山城で具体的に見たのは初めてでした。見どころと言えるかどうか・・・
 本丸の北、東、南には土塁が築かれていました。西側は柵列趾が検出されたようです。からの望楼台からの眺望は素晴らしく、山下の状況が手に取るように分かったことでしょう。


鳥越城 本丸と後二の丸間の堀 堀幅は狭いが鋭利な切岸を削りだしている。左手に本丸
 後二の丸は堀で本丸との尾根を断ち切って築かれていました。堀幅は広くありませんが、急角度に削られ本丸を守る切岸となっていました。
 

鳥越城 中の丸と中の丸門  左手奥上に二の丸
 中の丸は鳥越城の中央広場の役割で、本丸はじめ各曲輪や下段の帯曲輪への通路の基点になっていました。中の丸門からは西側下段の長大な帯曲輪へ下る道がありました。また二の丸を経由し堀切を通って三の丸への道もありました。


鳥越城 中の丸門と下段西側の帯曲輪を結ぶ坂道 道の法面は石垣が積まれている
 西側下段の帯曲輪は100mを越す長大なもので尾根の急斜面+帯曲輪から立ち上がる切岸で防衛ラインを構築していました。草でよく見えませんが道は石垣で補強されています。長大な帯曲輪の北端部は堀切で断ち切られていますので、この帯曲輪は重要な曲輪だったのではないでしょうか。


鳥越城 二の丸、三の丸間の堀切 堀切は尾根を断ち切り尾根下まで竪堀となって切れ落ちている
 二ノ丸と三の丸の間の堀切は浅いのですが、竪堀となって尾根の両側へ長く切れ落ちていました。二の丸の防御は堀切よりも、この切岸が担っているようでした。


鳥越城 三の丸南端の堀切と土橋
 釜清水方面から尾根伝いに進んできた城道は三の丸南端部の堀切で進入を阻止されます。典型的な、土橋の両側を掘り切った姿をしていました。ここは整備の手が入っていないようですが遺構の状態は良好で見どころの一つでした。

鳥越城は、よく整備された遺構は見どころが多くあり紹介しきれませんでしたが、もう一度行ってみたい山城となりました。見学会では隣接する二曲城を訪れませんでしたが、次の機会には加賀一向一揆の歴史を見返しながらセットで見学したいと思います。


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