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明見A(仮称)は城跡か? その2 明見茶臼山城(仮称)と名付けられた

2025-04-11 | 歴史

明見茶臼山城(仮称)は愛知県岡崎市明見町にあります。その1では明見A(仮称)として紹介しましたが、専門知識豊富な2名の研究者の方に現地を見ていただき、城跡の可能性があるという見解を示していただき、存在する山の名称から明見茶臼山城と名付け、現時点では(仮称)とされました。今回の資料も (1)マップあいち 森林情報マップの微地形図(赤色立体地図)  (2)「愛知県中世城館跡調査報告2」愛知県教育委員会1994  (3)「奥平氏と額田」額田町教育委員会2005  (4)「岡崎市東部遺跡詳細分布調査報告書」岡崎市教育委員会2010 などです。※その1は→こちら   

明見茶臼山城(仮称) 明見地区には奥平氏にまつわる遺構と伝承が豊富のある
 明見地区は奥平氏が武田氏に決別して、作手地区から移った場所で、奥平氏の伝承や遺構等が豊富ですが、明見茶臼山城(仮称)は、これまで確認されていませんでした。

明見茶臼山城(仮称) 赤色立体地図で山城状の地形が在るのを見つけた
 赤色立体地図で山城状の地形が在るのを見つけましたので、現地を見学して確認をしました。その結果はその1で報告しましたのでご覧ください。※その1は→こちら   

明見茶臼山城(仮称) 山崎裕太氏による縄張図
 その1での現地調査結果を、専門的な知識と経験が豊富な奥田敏春氏と山崎裕太氏にご覧いただき、現地に同行して頂いて、山崎裕太氏に縄張図を作図していただきました。赤色立体地図では、不明瞭だった地形も縄張図によって明確に確認が出来るようになりました。

明見茶臼山城(仮称) 中心部の赤色立体地図
 赤色立体地図の解像度には限界がありますので、図を拡大しても細部の確認は難しくなります。

明見茶臼山城(仮称) 縄張図中心部をトリミングして一部加筆
 作図して頂いた縄張図の中心部をトリミングした画像が上図です。細部まで克明に作図されていますので、現地で見落としていた地形まで確認できるようになりました。
 現地確認によって、堀切・土塁遺構①が確認できましたので城址の可能性が高まりましたが、地形から判断すると北側に道があった可能性が高く、道が確認できれば城址の可能性がさらに高まるとという見解がお二人から示されました。そこで、後日 道を探してみました。

明見茶臼山城(仮称) 北側の道を探査して確認する。
 探索した道を道aとしました。林道の広場を起点におねの東西の山下までたどりました。

明見茶臼山城(仮称) 林道途中の広場①から道らしい地形の一部が見える
 林道の広場は林道敷設時に尾根筋を広げたように見える場所でしたが、ここから道らしい地形が山下に向かって伸びているように見えていましたので、辿ってみることにしました。

明見茶臼山城(仮称) 林道広場1から道らしき地形の一部が見えている
 林道の広場①は林道敷設時に改変があったと思われますので、道らしい地形が本当に道なのか確認してみることにしました。

明見茶臼山城(仮称) 踏跡が残る
 林道の広場①から西に下ると、写真のような道の踏跡らしい地形が続いていました。付近は明治以降に植林がされていますので、山仕事の道としても使われている可能性があるので往時の路とは断定できませんが、道は山下まで続いていました。

明見茶臼山城(仮称) 山下の集落と耕作地を囲む猪垣が残る
 山下の集落(明慶)まで降りると、猪垣があり、道が途切れていました。明見地区を含む宮崎地区の猪垣は江戸期の後半に築かれたもので、地区全体では50㎞に及ぶとされます。近年は金属フェンスを使用していますので、猪垣の補修は行われていないので、崩れかけた部分が多かったです。
 猪垣で分断されていましたが、往時の道は古いので付近を探すと道は確認でき、奥明見川を渡って(橋はない)続いていました。さらに道をたどると、古い明見坂の切通まで続いていました。
 林道の広場①から東側の道も確認しましたが道はほぼ確認できました。近年に堰堤が造られて、途中からの道bは失われたようでした。

明見茶臼山城(仮称) 林道で削られた②の部分にも堀切・土塁が在ったか
 道の図のの部分は写真のように広くなっていますが、ヒョットすると往時は①と同じような堀切・土塁で尾根の北下からの侵入に備えていたのではないかと勝手な想像をしてみましたがどうでしょう。
 その1で宗教施設跡の可能性が考えられるとした岩窟は、正林寺の住職さんにお聞きしたところ、「林道を敷設した40年ほど前とほぼ同時期に、遊びの施設として洞穴を掘ったもので、宗教的な意味は全くない」とのことで、城跡と見えるが宗教施設の跡ではないかということは無さそうでした。

明見茶臼山城(仮称)は、どうやら未確認の城跡の可能性が濃厚になりましたが、さらに地元の伝承等を確認していきますので、新たな情報が有りましたら、改めてお伝えしたいと思います