服部城は滋賀県甲賀市甲南町にある、一辺が約50mの土塁囲みの方形単郭の典型的な甲賀の平城です。 甲賀で服部と聞けば、思い出すのは忍者ですが、確かに服部城の東約700mに甲賀流忍術屋敷があります。
それはさておき、以前東海古城研究会の見学会で甲賀市の水口方面へ行った時に購入した、甲賀市発行の甲賀市史第七巻甲賀の城 を情報源にしてこの地域の城を巡ります。甲賀の城には180の城館の縄張図、解説、位置図が掲載されていて、この地区の城のバイブルといえます。
甲賀の城によると服部城の周辺にはいくつもの城があり、各々が独立して存在していたようです。
クリックで拡大 国土地理院地図抜粋・加筆
土塁に囲まれた城址は周辺よりもやや高い位置にある
東側の道は後世の里道の可能性が高いが、城址は土塁で囲まれてやや高い位置に残されています。道と城址の切岸との間に短い堀跡が残り、虎口の可能性のある土塁の切れ目とそこにつながる細い道も残されていました。
土塁に囲まれた曲輪 奥には南側の高い土塁が見える
曲輪内には明治時代に住宅が建っていたそうですが、今は全くその痕跡はありません。住宅の建設によって遺構の改変がどの程度あったのかは不明です。
北側の横堀 かなり埋まっているように見える
北側の横堀は改変を受けていないように見えるが、長い年月を経て埋まってしまい、ずいぶん浅くなっているようです。
新宮神社の表門 室町時代(1485)建立
服部屋敷の北東に隣接して新宮神社があります。表門は新宮神社の北100mに500年の時を経て悠然と建っています。道路も遠慮して、門を迂回しています。屋根は茅葺ですから、この形を保つための保全の努力は大変だろうな~ と思いながら見学しました。これは見落とせません!
それはさておき、以前東海古城研究会の見学会で甲賀市の水口方面へ行った時に購入した、甲賀市発行の甲賀市史第七巻甲賀の城 を情報源にしてこの地域の城を巡ります。甲賀の城には180の城館の縄張図、解説、位置図が掲載されていて、この地区の城のバイブルといえます。
甲賀の城によると服部城の周辺にはいくつもの城があり、各々が独立して存在していたようです。


東側の道は後世の里道の可能性が高いが、城址は土塁で囲まれてやや高い位置に残されています。道と城址の切岸との間に短い堀跡が残り、虎口の可能性のある土塁の切れ目とそこにつながる細い道も残されていました。

曲輪内には明治時代に住宅が建っていたそうですが、今は全くその痕跡はありません。住宅の建設によって遺構の改変がどの程度あったのかは不明です。

北側の横堀は改変を受けていないように見えるが、長い年月を経て埋まってしまい、ずいぶん浅くなっているようです。

服部屋敷の北東に隣接して新宮神社があります。表門は新宮神社の北100mに500年の時を経て悠然と建っています。道路も遠慮して、門を迂回しています。屋根は茅葺ですから、この形を保つための保全の努力は大変だろうな~ と思いながら見学しました。これは見落とせません!