仕事とは何だろう?
それぞれに、何のために、というものがあるかと思う。
生活のため、家族のため、自分のため、社会のため・・・。
理由は何でもいい。なにか、強い動機づけがあれば、少々の困難は乗り越えられる。
最近、私が気づいたのは、私にとっては仕事は息を吸って吐くようなことと同じで、どこにいても、何を見ても聞いても、あー、そうか。と、関心が高まり、何か調べたり問いかけたくなるのだ。もちろん、締切に追われたり、抱えるものが多すぎれば過労にもなるが、基本的に嫌だと思いながら仕事はしない。それは組織を離れた以上、ある意味で当然である。自由のかわりに自営業という収入リスクを負っているのだから、自分の思うままにやって良いのだ。
こういう話は、聞く人が聞けば、嫌味に感じるかもしれないが、この境地にくるまでは相当の努力を要したし、今も努力している。
以前は、人間関係が嫌だったり(仕事が嫌なのは仕事が嫌なのでなく人間関係によると思う)、職場の駅が近づくにつれ、お腹が痛くなったり気持ち悪くなったり、ひどい時は、電車のホームに吸い込まれる感じさえあった。しかし、嫌なら、自ら環境を変える努力、自分の仕事の腕を磨く努力を最低限、やる必要があると思う。それでもダメなら、辞めて環境を変え、飛び出せばいいのだ。
そういう強さを少しでも持てば、前向きになれる。努力もせずに不満を言うのでは、いつまでたっても仕事は嫌なもののままだ。
雑用ひとつでも、意味があることに気付けば楽しくなる。
また、嫌な上司や同僚がいれば、「もうやめてやる」と思っていい。辞めると思い、「辞める前に、ここで知りうる、身に着けうる全ての知識や技術を習得してから辞めてやる!」という境地になると、自然と力もつき、嫌な人も良い人に変わる。
不満と構造問題は違う。私が取材し問い続けているのは構造問題である。努力してもどうにもならないことがある。それは国やトップの責任だ。
あー、仕事って楽しい。と、一人でも多くの声が聴けるように、これからも頑張るかな。