毎回見ているわけではないのだが、今シーズンのドラマ金八先生は、なんとなく、ちょっと見ている。
なんか、普段の素朴な生活のなかから見える、大事なことが見えるような気がする。あー、学校って、こういうところだったよなー、と思う。
ふと中学時代のことを思い出した。
中学3年のクラスでは、私はクラスの自主テストの係りで週に何日だったか忘れたが、テスト問題を作ってクラスでミニテストをやっていた。で、面白いのが、テストの点数を一覧表にして、下から数人だけは黒塗りにして、ほかは全て公表したのだ。
これが始めて少し経つと、今まで、テストの答案用紙を配る時に普通は、点数を隠すようにするのに、だんだん、みんなおおっぴろげになってきて、点数が見えても、全然へーきになり、むしろ、何点だった?と、普通に聞くようになったのだ。
それで、勉強を教えあったりするようにもなって、受験前の閉塞したクラスの空気が、とても明るくなった。黒塗りのところに入っちゃった人は「あー、こっちにいっちゃたよー」と、落ち込むわけではなく、話したり。
それで、結果的に、クラス全体の成績が上がった。
点数や成績なんて、そもそも、3年間も同じ学校に通っていたら、みんな、だいたいお互いのことは分かるんだから、変に隠さないで、成績発表でもなんでもやればいいと思う。だって、卒業して社会に出れば、もっと激しい競争が待っているんだから。
これって、職場にも通じると思う。
最近、私がよく強調したいと思っている「職場の可視化」。これは、富士通総研の渥美さんが言っていたもので、この考えは、ソフトブレーンの宋文洲さんも言っている。そして、私も強く共感しているもので、上司、部下、正社員、非正社員と関係なく、誰がいつどんな仕事をしているか、結果はどうか、全て、社内のイントラネットでもホワイトボードでもいいから使って明らかにする。そうすれば、賃金や役職に見合った働きをしているかどうかが一目瞭然で、同一労働同一賃金の方向へむかう土壌ができる。さらに、誰がどんなことをしているかが明らかになれば、周囲がサポートもしやすくなる。
そういうことを全て公にすることは、活性化につながるのだ。
言うと、無理だといわれることが多いが、でも、そういえば、中学時代にそれって、既にやってたよな、と。
それを嫌がるのは、仕事ができない人、仕事をしない人という抵抗勢力で、上司が嫌がる場合は、組織をまとめることができないその上司が無能ということだと思う。人件費削減というなら、より、上司は高い能力が求められるのに、そうでないから、現在のような職場のトラブルが続出するのだろう。
職場の可視化って、もっと人間味のある職場作りにつながる気がする。
上司が無能でも、それが明らかになれば、上司の理不尽な要求に応える必要もムード的になくなるから、生産性が上がる気がするのだが。。。。