@足利将軍時代、明国との通商が行われたが、その影に明国は日本を臣下とし日本国王を立てようとした。その張本人が足利義満(北山殿)であった、と言う諸説だ。ここで興味を引いたのは明国と日本の商品価値に、大阪・九州の豪商たちが我れ先と多数乗り込み大商いをする。だが、いつの時代でも「詐欺師」はいる者で、その時代でも相当いたと予測できるし、「貪欲な商売人」はそこに墓穴を掘った者も多かったのだろう。実際多くの日本商品は数十倍の価値で買い取られ、特に硫黄は100倍近くの値で取引されたとある。また、明の生絹・青磁皿・壺なども数十倍の値で日本で売れる、とある。大儲け・良い話の裏には必ず「落とし穴」があり、最近ではこの穴が「オレオレ詐欺」から始まった「還付金詐欺」「融資保険金詐欺」、さらには「仮想通貨詐欺」「ワンクリック詐欺」などネットでの勧誘詐欺も多いと聞く。「世間に良い話など無い」とかかって、一旦停止状態にする「時間を置くこと」で解決する場合も多い。儲けの場合「貪欲」になると必ずやシッペ返しが来る、今も昔も同じ。
『大明国へ、参りまする』岩井三四二
- 下級役人の甚八郎は、3代将軍足利義満(北山殿)の命により、遣明使の右筆と言う大役を命じられる。一行には一山当てようとする商人、渡明で箔をつけようとする僧も加わって、甚八郎は右往左往。しかしその裏では、日本国の根幹を揺るがす陰謀が進行していた。明までの航海を、史実に基づいき描いた壮大な歴史小説。
- 明国への渡航目的は北山殿の書簡を明皇帝に届け、明国から北山殿の日本国王としての書簡と印をもらうことだった。時代は北山殿の子義持に将軍の座を譲っていた。北山殿は皇統の簒奪を狙っていた。
- 船は日本の3艘と明国の3艘、旅費は儲け話から多くの商人と資金をかき集め、正史8名、土官6名、商売人、僧侶、船頭、水主など300名ほどが明国への献上品、馬20頭、太刀、槍、鎧、硫黄含め、商人の商売品を満載し温州、寧波、杭州、金城へと向かって航海を始めた。途中、この旅を阻止しようとする何者かに書簡を狙われた。下手人は見つからず乗員の中にいると悟ったが見あたらなかった。
- 明国上陸後、商人の一人、四郎二郎は絹買い付けに初めての明商人と大儲けを企んだ。それは寄港した杭州での買い付けに手付金を入れて帰りに商品を引き取る予定だったが、まんまと騙され、便乗した他三十人の商人も同じ目に、帰りに寄った時にはモノ家の空で全ての手付金を持ち逃げされ、商品は無かった。他の三十人は四郎二郎を袋叩きに、四郎二郎は明に残り犯人を見つけ出すため、一行から抜け出した。その時、四郎二郎は妻に「離縁状」を送り夫の借金を妻が被ることを避けた。
- 明皇帝への書簡、献上品等は無事終わり、明皇帝から贈り物とその代金を受け取ったが銀ではなく紙の銭だった。日本国では通用しない紙の銭半分を銀に交換してもらい、半分を明での商品等を購入することになる。約1年半の滞在で商人は商売をし、商品を仕入れ、僧たちは明の仏僧仏閣で修行した。
- 明皇帝への書簡を狙う輩は甚八郎の同僚である同じ土官の孫六だった。孫六は幕府の宿老斯波義将~勘解由小路の推挙で土官となり、北山殿の日本国王を阻止する命で動いていた。問題は父(北山殿)が明国の属国となり日本国王となると、子の公方、征夷大将軍の立場が疑問視されること並ならず公家、武家大名、民衆までもが北山殿によって内裏をないがしろにすることを恐れたからだった。