空間設計堂blog(ブログ)

新潟県上越市大潟区の建築設計事務所のブログです。

透けて見える

2021-10-22 14:00:34 | 趣味その他

久しぶりに憤慨しました。なんだかいい加減に扱われているのが透けて見えたからです。

何があったかというと、私はある会に加入しているのですが、年会費を一括ですでに支払っているのにも関わらず、前期、中期、後期の中期分の支払いをするように請求が送られてきたのです。

 

人と人が揉めることが多いのは、恐らく‘金’に纏わること。私はそう思っているので、私が支払わないといけない立場の場合、出来るだけきれいにを心がけています。支払う金額が決まっているものなら、ぐずぐず先に延ばさずにちゃんと支払う。

これをやっていくと、けっこう辛い時もあるのですが(特にコロナ禍で仕事がボチボチな今みたいな時は)人との関係性を良好に保つには、まず大事な一歩の姿勢だと考えています。

(そういうこともあるので、施主さんと施工会社の間にもそういう不信がないよう気を配るのは重要な仕事のひとつと考えています。)

 

だから、今回の事は私は支払っているのは間違いないと自信もあったし、その請求を送ってくる会は商売(特に金銭のこと)に関してちゃんとしていないといけないところだから(と私は思っていました。)尚更憤慨しました。

(ちょっとビックリしたのは、その請求の文章に、支払っているのなら連絡ください...という一文がありました。え?帳簿管理していないの?という驚きです。)

 

こちらから連絡した後、向こうの間違いがわかり、簡単な謝罪(正直なところ、私はそう受け取りました)電話がありました。

恐らく、向こうから見ればこちらはただの一会員にすぎない。だから軽く見ている。それは透けて見えました。正直なところ、すごく残念でした。

 

こんな思いを施主さんにさせないよう、よりいっそう気を付けないといけないと再認識した次第です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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創造のフェーズ

2021-10-19 09:46:30 | 趣味その他

今朝の朝日新聞に興味深い記事がありました。‘専門知識は自由な発想の邪魔?’という記事名。

それは専門知識が多い人より少ない人の方が、自由で優れたアイデアを生み出すかもしれない...という始まり。

音響スピーカーについて、知識のある人から少ない人200人に所有のスピーカーの写真を撮ってもらいつつ、新機能アイデアを考えてもらうという実験をしたところ

知識の豊富な人々には、スピーカーの細部を大きく撮った写真を提出し、新機能アイデアについては従来型の発想が目立ったそうです。

知識の薄い人々には、周囲が見えるようにスピーカーを引いた位置から撮った写真を提出し、専門家が相対的に高く評価するアイデア提案が目立ったとのこと。

そして、専門知識が多いと視野が狭まってしまい、素人の方が広い視野で自由な発想ができるケースがありそうだ...と締められていました。

 

これを読んで、なるほど...と思いました。自分のことを思い返すと、建築を学び始めた大学生の頃の方がおもしろいことを考えていたなぁと。

就職して本格的に建築を始めてから、いろいろな制限(例えば建築に纏わる法規やら予算の縛り)を知り始めると、それが段々冒険はしなくなり、まとめていくことに苦心するようになった。

社会的責任が大きい建築という分野では、そうなることが優先されるのは仕方ないし、それほど間違ったことではないと思うのですが

いざ、発想勝負のコンペ(令和の今はもうプロポーザルに代わって、ほとんどないものですが)みたいな時に、自分の発想がおもしろくなくなった...というのは前々から感じていました。恐らくスピーカーの実験のように視野が自然と狭くなっていたのでしょう。

 

また、今、‘丹下健三建築論集’なるものを読んでいるのですが(これがなかなか難解な文章で読み進められないのですけど)

その中に、無の姿勢における創造という話があって、世阿弥の能や利休の茶のように、型に従うことによって自己を生かす...それは自己の個性を殺し、自己を無にして型に従うことであり、その型に従うことによって自己を発見していく、というもの。

型を今、制限(例えば建築に纏わる法規や予算、スピーカーの話における知識)とすれば、その制限を乗り越えたところで、良いものが生まれるという考えもあるなぁと。(ちょっと飛躍しすぎな考えでしょうか...よく規制があった方が良いアイデアが生まれるなんて話も聞きますし。)

(丹下さんの論はその先を読んで行くと、また違った話になっていくのですけど)

 

ここで私が思ったのは、創造にはいろいろなフェーズがあって、素人のように‘0’から物事を見る場面、プロの目で厳しく物事を吟味する場面があるということ。ちょっと考えると当たり前のこと(よく昔から言われること)だよなぁ...と思うのですが、これを一人の人間の中で意識的にやれるかどうかは、なかなか難しい。(頭の良い人はできるのかもしれないけれど、私には難しい。)

どうしても個人には限界があるから、これを人数をかけて組織的にやれるようにすれば創造的な仕事ができるのかもしれないと思ったり。そういう組織(創造システム)を創り上げているところが生き残るのではないかと思ったり。

 

とにかく、そんな組織なんて作れない私は、難しいけど今日思ったことをとりあえず意識的に取り組んでいくしかない。

まあ、行ったり来たり...右往左往しながら。

 

 

 

 

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