空間設計堂blog(ブログ)

新潟県上越市大潟区の建築設計事務所のブログです。

創造のフェーズ

2021-10-19 09:46:30 | 趣味その他

今朝の朝日新聞に興味深い記事がありました。‘専門知識は自由な発想の邪魔?’という記事名。

それは専門知識が多い人より少ない人の方が、自由で優れたアイデアを生み出すかもしれない...という始まり。

音響スピーカーについて、知識のある人から少ない人200人に所有のスピーカーの写真を撮ってもらいつつ、新機能アイデアを考えてもらうという実験をしたところ

知識の豊富な人々には、スピーカーの細部を大きく撮った写真を提出し、新機能アイデアについては従来型の発想が目立ったそうです。

知識の薄い人々には、周囲が見えるようにスピーカーを引いた位置から撮った写真を提出し、専門家が相対的に高く評価するアイデア提案が目立ったとのこと。

そして、専門知識が多いと視野が狭まってしまい、素人の方が広い視野で自由な発想ができるケースがありそうだ...と締められていました。

 

これを読んで、なるほど...と思いました。自分のことを思い返すと、建築を学び始めた大学生の頃の方がおもしろいことを考えていたなぁと。

就職して本格的に建築を始めてから、いろいろな制限(例えば建築に纏わる法規やら予算の縛り)を知り始めると、それが段々冒険はしなくなり、まとめていくことに苦心するようになった。

社会的責任が大きい建築という分野では、そうなることが優先されるのは仕方ないし、それほど間違ったことではないと思うのですが

いざ、発想勝負のコンペ(令和の今はもうプロポーザルに代わって、ほとんどないものですが)みたいな時に、自分の発想がおもしろくなくなった...というのは前々から感じていました。恐らくスピーカーの実験のように視野が自然と狭くなっていたのでしょう。

 

また、今、‘丹下健三建築論集’なるものを読んでいるのですが(これがなかなか難解な文章で読み進められないのですけど)

その中に、無の姿勢における創造という話があって、世阿弥の能や利休の茶のように、型に従うことによって自己を生かす...それは自己の個性を殺し、自己を無にして型に従うことであり、その型に従うことによって自己を発見していく、というもの。

型を今、制限(例えば建築に纏わる法規や予算、スピーカーの話における知識)とすれば、その制限を乗り越えたところで、良いものが生まれるという考えもあるなぁと。(ちょっと飛躍しすぎな考えでしょうか...よく規制があった方が良いアイデアが生まれるなんて話も聞きますし。)

(丹下さんの論はその先を読んで行くと、また違った話になっていくのですけど)

 

ここで私が思ったのは、創造にはいろいろなフェーズがあって、素人のように‘0’から物事を見る場面、プロの目で厳しく物事を吟味する場面があるということ。ちょっと考えると当たり前のこと(よく昔から言われること)だよなぁ...と思うのですが、これを一人の人間の中で意識的にやれるかどうかは、なかなか難しい。(頭の良い人はできるのかもしれないけれど、私には難しい。)

どうしても個人には限界があるから、これを人数をかけて組織的にやれるようにすれば創造的な仕事ができるのかもしれないと思ったり。そういう組織(創造システム)を創り上げているところが生き残るのではないかと思ったり。

 

とにかく、そんな組織なんて作れない私は、難しいけど今日思ったことをとりあえず意識的に取り組んでいくしかない。

まあ、行ったり来たり...右往左往しながら。

 

 

 

 

コメント
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