空間設計堂blog(ブログ)

新潟県上越市大潟区の建築設計事務所のブログです。

70年前に建てられた家

2008-05-30 16:13:50 | 建築関係
今、いつもお世話になっている工務店さんの仕事で70年前に建てられた家のリフォームの図面を描いています。
今日、午前中はその家の現況調査に行ってきました。

写真は昨年の中越沖地震でできた、塗り壁の一部が剥離落下したところです。



昔の家なので、基準法における耐震壁なんてありません。上越市では比較的被害があった地域に建っている家なのですが
地盤がそこの集落だけ良かったのか、そんなに被害がなかったのです。
いわゆる石場建てで柱が立っていて、大きな差鴨居が入っています。地震時にはここが一番踏ん張ったところなのでしょう。

小屋裏を見ると、曲がった丸太梁が要所要所に見受けられます。(束も曲がっていますね。)




2階の部屋ではこの梁を現しにします。
今まで小屋裏に隠れていたお宝が日の目を見るわけです。

良い住まいになると思います。
時間がないので早く図面を描かないといけません。(ブログ書いている場合でないですね。)
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他人の考えをみること

2008-05-30 15:14:12 | 建築関係
時々、ハウスコンペに参加します。結果は今のところ、連戦連敗。
でも、コンペ終了後、他の建築家がどのような案を考えたかを分析するのはなかなか勉強になります。


私も考え抜いた条件で、他の建築家はどのように考えたか...。
参加し、苦しんだ末に見る他の案はよく分析できます。

やはり1等はなかなか整理できているとか、ここは良いまとめ方だなとか、
時には、これはないだろうとか、ここは相当苦しんだな...わかるわかる みたいな感じです。

ちなみに最近のハウスコンペの1等案は当然これだなと思えることが多くなりました。
以前はコスト関係無視の案が1等になっていたりして、腑に落ちなかったことがあったり、
これは実際に造ったら、狭くて物が置けない案だぞなんて思ったりしたのですが
なかなかどうして最近は力のある方が1等になっていると感じます。
逆に当選する建築家がいつも決まった人ばかりになってきていておもしろみがないという感じもしてしまうのですが。(それなら、もっとお前が頑張れよって言われそうですね。)
とにかく、最近は自分に何が足らなかったのかをハッと気付かせてもらえるので、なかなか有意義なのです。

ただ最近、ハウスコンペは参加費を払わないと参加できなくなってきているので、貧乏事務所としてはなかなか今後、参加する機会は多くはないなという感じです。
でも実力UPの為には良い機会。思考を繰り返す事が、設計者の第一の責任だと思っているので、頭を衰えさせないためにもチャレンジしなければいけませんね。
(会員制みたいな参加費はやめてもらいたいなぁ。コンペ毎に参加費を払うのだったら、まだ当事務所でも対応できるかもしれないんだけど...。)
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お茶のいれ方

2008-05-28 02:25:40 | 趣味その他
先程、夢を見て、目が覚めてしまいました。(その為、寝付けなくなって、今、PCに向かっています。)

それはこんな夢....。

ある下町の小さな会社。従業員は社長も含めて6~7人。
社長は高血圧の持病持ちで、最近は会社の業績が悪く、資金繰りに追われている。
ある日、社長が倒れる。この時、すでに会社は倒産寸前の状態。社長は倒れたことで何かを観念して、従業員を集めることにした...。


(と、ここまでは、あくまで設定の話し。なにせ夢の話しなので、私の頭の中ではこんな状況だろうという感じです。)

従業員を集めて、社長は彼らの前で‘お茶’をいれ始めます。それも安いお茶。
でも従業員の人たちは知っています。安いお茶葉なのに自分がいれるより社長のいれてくれたお茶がなぜかおいしいということを。

従業員の人たちにお茶を配り、みんなで社長のいれてくれたお茶を飲み始めます。
従業員の人たちがお茶を飲んでいる間、社長は黙っています。
そして、しばらくして、社長は従業員の人たちに解雇を言い渡していく...。

従業員の人たちは、会社の窮状をもちろん知っており、言うに言えない言葉を噛みしめながら、お茶をすするのです。
そして、お茶をすすりながら、会社にはいってからの良かったことや苦労したことを思い出していくのです...。


と、ここまでで私の夢は終わりました。なにか中途半端でたいした話しでなくてすみません。(もともと夢とはそんなものです。)
実は私が従業員の中の1人で、お茶を飲みながら、すでにボロ泣き状態で、それで目を覚ましたのです。

ここでのポイントはもちろん‘お茶’。
従業員の人たちはこの会社に入って(つまり社会人1年生で)、初めて教えてもらったことが‘お茶のいれ方’ということなのです。それもこの会社では社長直々に教えてくれたようです。
だから、社長がいれてくれたお茶を飲むことによって、過去を振り返るスイッチが入り、いろいろな思いを巡らし、自分の成長を感じ、育ててくれた社長や会社に感謝し、窮状に至った会社の行く末を感じ、もの悲しくなっていくという夢だったのでした。(そんな気持ちになって、私はボロ泣きだったのです。)

この話し、わからないという社会人の方もいるでしょう。特に大きな会社で‘お茶’などを普段自らいれないで良い環境の方なら当然でしょう。
私が実際に社会人になって、会社の先輩から最初に教えてもらったのが、‘お茶のいれ方’です。
東京の設計事務所で、社長を含めて4人。先輩には設計の仕事の前に、会社における下仕事をまず教えて貰いました。

このお茶。確かにいれ方次第で味が違うということがわかります。先輩のいれたお茶はおいしい。甘みと渋みのバランスが良いという感じ。習いたて当初の私のいれたお茶は渋みが強かったりして、まずいのです。同じお茶葉なのに。
お茶のいれ方(手順やお茶の分量、お湯の扱い)など一連のことは先輩から教わりましたが、それは一度きりで、その後は自分で思考錯誤。
何回かいれていくうちに、先輩達がお茶の味に文句を言わなくなった時、ちょっと自分の成長を感じたものです。(なにかすごいちっちゃい成長話しなのですが。)
でも、そういう下積みの仕事を経ることによって、会社は表面のことばかりでなく、いろんなことをして成り立っている(つまりお茶くみやコピーも大事な仕事と)と思えるようになったこともあり、今になってみれば良い思い出です。

今、社会人1年生になって、‘お茶のいれ方’など習うのでしょうか?私が地元に戻って入った事務所では、事務専門の方がいらっしゃって、お茶を入れる機会はほとんどありませんでした。
社会人1年生マナー講座みたいなもので、多分、やり方は教わるかもしれませんが、先輩から文句を言われなくまで試行錯誤してお茶を入れたなんてことは少なくなったことでしょう。
頭で教わった事より、体で覚えた事が後々本当に役に立つという気がします。(お茶の入れ方が今、直接何かの役に立っているかといわれるとちょっと違いますが...なにか気持ちの上で、姿勢として役立つというか...です。)

ここで、私が会得した‘お茶のいれ方’の極意。

それはお茶一杯にどれだけ気を入れきったか...です。

(バカなこと言うなという感じでしょうが、お茶の葉の分量やお湯の扱い、湯飲み茶碗の温度、お茶の葉の良さを十分に使う、手順のタイミング等、結局は体で会得するしかないですから。どれだけ全てのことを考え、気配られるかが勝負なのです。あくまで私見ですけど。)
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‘情’の入れ方

2008-05-24 05:54:12 | 建築関係
‘情’。ここは‘なさけ’と読まずに‘じょう’とお読み下さい。

何に‘情’を入れるかといえば、ここでは‘空間’にです。(空間設計堂blogですから...。)

一般の方には空間に‘情’を入れるという感じがわからないかもしれません。
ある意味、造り手側の勝手な妄想にすぎないかもしれないことですから。
でも、造り手は携わる空間に何か、‘思い’やら‘執念’、‘気’というか‘気合い’みたいなもの(まあ、これをみんな引っくるめて私は‘情’としてみたのですが)を入れたがるものなのです。(多分。私だけでしょうか?いや、違う。多かれ少なかれ、あるはずなのです。)


私が建築雑誌なんかを見るとき、けっこう、この‘情’をどれだけこの空間に込めているのか?が、その建築やインテリアが好きかどうかの判断になっていたりします。
そんなの雑誌見ただけでわかるかって?そう、それは見る側が勝手に思いこんだり、推測するものなのかもしれません。(なんだか私個人の本当に妄想の世界の話しのような気がしてきました。)
それは写真から伝わってきたり、添えられている文章からきたり、添えられている図面からきたり色々です。時には第3者の評価を読んだりして感じていくのです。(でも、やはり自分で最初に感じた感覚が一番なのですけど。)
美術鑑賞と同じようなものなのかもしれません。

最近、あまりこの‘情’が雑誌なんか見ても伝わって来ない感じがしています。
私の見方が違ってきているからなのか。(おそらく、そういう部分もあるかもしれません。)
ただ、最近の建築雑誌では、建築家個人が手で作成した図面なり、ドローイングなりがなかなか掲載されていないという面もあると思うのです。
きれいな写真と綺麗なCAD線で描かれた図面が掲載され、建築家の多少のコメントだけの誌面。なんだか画一的で、訴えてくるものがなく、細かく見ていかなければサラーっと見通してしまうような感じです。
以前は主に‘手’の痕跡から建築家の‘情’を私は感じていたのでしょう。

私が建築を学び始めた頃はドローイング全盛期だったかもしれません。安藤忠雄さんの六甲の集合住宅のドローイング、高松伸さんのSyntaxのドローイングなどを見てマネしようとしたものです。大学の頃は平面図や立面図に影を鉛筆で書き込む事が当たり前でした。
ドローイングは実際の建物や写真より迫力を感じさせる面もありました。伊東豊雄さんはドローイングはないので、その頃はあまり人気がなかったような気がします。(実際、私も八代の美術館が出きるまでは、そんなに好きではありませんでした。)

CADやCGが主流の現在、ドローイングを描くことが廃れてきたのかもしれません。ドローイングを描くといっても、少しカジュアルなスケッチやイラストといった具合で空間認識することが主で、迫力をもって迫ってくるといったものではないでしょう。
逆にサラッと、クールにまとめてしまうといった感じが主流なのかもしれません。ドローイングで、どうだ!俺が考えた空間は!なんてのは暑苦しい昨今なのでしょう。
でも、ドローイングを見てきた世代としては、なにか物足りない感があるのは事実です。そして、それが実際の建物を見た時にも感じてしまうのではないかと恐れています。

建築はその建物を実見して評価するのが本来なのでしょう。ただ、全てを見るわけにはいかず、どうしても建築雑誌を見て一定の評価をし、自分の糧となるようにしようとしてしまいます。
その時に感動をしていないと、なかなか自分の身につかない。焦りをも感じてしまう事態です。
もう少し、情熱ある‘手’の痕跡が知れる図版を雑誌には載せて貰いたいなと思う次第です。

かといって、今、手で図面を描いている人がどれだけいるのか...。(もちろん私もしていません...。)
CADでの作業は、いろんな人が関わる建築の世界では、情報を正確に共有するために間違いなく有用な手段。
図面は手書きが良いか、CADが良いかなんて論じるのは、次元が低い話しのような気がします。(作り手の感覚の為にどちらが良いかを論ずることはあっても、現状はCAD化は社会的に必要ですから...。)
世界、時代は変わっているのだから、CADやCGでも‘情’を伝えられる手法を考えなければいけないのかもしれません。
でも、今のところ私にはどうすれば良いかわかりません。(CADやパソコンの達人でないですから。)何か工夫しなければと思ってはいるのですが...。
しばらくは昔に戻って、手でドローイングだけでも描いたほうが良いかな。‘情’を入れたと、最低、自らを納得させる為に...。

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建築関連書籍は値段が高い

2008-05-16 15:59:02 | 建築関係
今さらなのですが、建築関連の雑誌、書籍の値段が高いとつくづく思います。
一般向けは少し値段は下がるようですが、月々でる雑誌は大体2000円くらい。(確かに何万もするというわけではないのですが...。)
もともと発行部数が少ないこともあるでしょうが、写真を良く見せる為に、あまり悪い質の本にはできないこともあるのでしょう。

私は毎月の雑誌を2冊、2ヶ月に1度のを1冊、計3誌を定期に買っています。
(会社勤めで定収入のあった頃は毎月雑誌4冊、2ヶ月に1度のを1冊、年4回発行のものを1冊と計6誌ではありましたが...。)
不定期に建築家の方が書かれた単行本や作品集なども買うので、当事務所で一番経費がかかる分野かもしれません。

高いとはわかっていますが、買わないわけにはいきません。
自分の建築頭を錆びさせないため、また技術力UPのためには必要なのです。
(嫁さんに、‘また本買って’とグチを言われてもです。)

実は来月発行の本が買いたいんですよね。オーストラリアの建築家 グレン・マーカットの作品集と図面集。計7350円也。
以前、読めもしないのにグレン・マーカットの英語の作品集を買いました。今度は日本の出版社から出るので、是非ともほしいところ。

今月は東京に行ったり、モニタを買ったり、加えて明日、車が車検で、ただでさえさみしいフトコロがさらにさみしくなります。
う~ん、困った。頑張って仕事するしかありません。
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