空間設計堂blog(ブログ)

新潟県上越市大潟区の建築設計事務所のブログです。

まことちゃんハウス裁判と建築のチカラ

2009-01-29 10:25:21 | 建築関係
1/27に放送されたNHK 爆笑問題のニッポンの教養は建築家の西沢立衛氏による‘建築のチカラ’(カタカナでチカラとするところが今の気分なのでしょうか。)
西沢氏、単独での代表作‘森山邸’を巡って、爆笑問題さんと西沢氏が対談した番組でした。

そして、昨日、漫画家の楳図かずお氏が建て、近隣住民の方と景観のあり方について裁判で争うことになった‘まことちゃんハウス’の東京地裁での判決が下されたニュースがありました。


いづれの話題も建てられる住まいが近隣にどう影響を与えるかが主になっています(した)。

‘建築のチカラ’ではそのところの意識を爆笑問題の太田さんが一番問題にしたがっていたようです。
森山邸周辺に立ち並ぶ、いわゆる普通の家々の町並みの中に、白く四角い箱(太田さんはそれをモダニズム建築の代表と定義してたようです。)を建てることについて、西沢氏からその意図(若しくはカゲキな発言)を導きだそうと必死のようでした。

‘まことちゃんハウス’は多くの方がご存じだと思いますが、これもいわゆる普通の家々の町並み(武蔵野の高級住宅地だということですが)の中に、赤と白のストライプの外壁が町の景観を壊すのではないかということが争われています。

爆笑問題の太田さんの意識と‘まことちゃんハウス’問題で争われている意識はいわゆる‘景観’について。(太田さんの意識はちょっと違うかもしれませんが、大きくひっくるめるとです。)
西沢氏が近隣に影響を与えたいのは、‘景観’が第1ではなく‘ライフスタイル’(住まい方)について(...だと感じました)。

実のところ、NHKの番組を見ていて、微妙に太田さんと西沢氏の対談にあまり熱が入らないなぁと思っていました。(太田さんの攻撃に、ソフトに受ける西沢氏という感じでしょうか。)

太田さんは森山邸を(本当にそうだとはわかりませんが)基本的には良くは見ていない感じ。(それは前記したように景観を問題にするという意識の中で。太田さんはモダンよりは‘まことちゃんハウス’を好むのかもしれません。)

西沢氏は森山邸における人と人との新鮮(というか今では見られなくなったというべきでしょうか)な関係を更に都市へと開いていきたい、この1戸の住宅には、そんな都市へと開いていく原理、原則(森山邸ではその手法は、分棟、外内部のゆるやかな関係、開口部からの視線の扱い等...でしょうか...)の萌芽が含まれており、いわゆる‘建築’と呼ばれるモノは森山邸に関わらず、人々の意識を変える‘チカラ’を持っている...と言いたいのかなと思いながら、私は見ていました。

だから、正直、景観側へ話しをシフトしたい太田さんに、それもわかるけど、ここではもっと、森山邸における住まい方について堀下げてほしい(森山邸が建って、どのように住んでいる人、周囲の人の意識が変わったか等。西沢氏もその辺りの検証をしているはずだろうから、語ってほしいところでした。)なという気持ちでも見ていました。
太田さん、ちょっと勉強してきてからにしてくれない...くらいに思ってもいたのです。

そして、昨日の‘まことちゃんハウス’の判決。東京地裁では原告側の訴えを退けるものでした。
興味をもって、ネットで‘まことちゃんハウス’について、どのように語られているのか見ていったところ
多くの方が興味を持っていて、人それぞれの意見があることがわかりました。
太田さんが‘景観’の観点で建築家の立場を明確にしたかった気持ちも、もっと考えなければいけないぞ、という気がしてきたのです。

建築を建てる時、周囲にどのような影響を与えるか。それは常々、設計者ならもっていることです。
特に採光や日照という具体的に生活に直結し、建築基準法でも規定がされている事に関しては注意を払います。
以前住宅コンペで、住宅密集地で狭い敷地の事があったのですが
私はその時、北側隣家の今までの眺望や日照をできるだけ悪化させないように高さを極力抑えた案を提出したことがあります。
(そのため、ロフト等の空間など造る余地もなくなってしまったのですが...。)
私の案は落選したのですが、その後、そのコンペの地の近くまで行くことがあったので、建設現場を見てきました。
建てられているのは3階建て(もしくは2階上部ロフトをとった)であろうもので、高さが割とある建物になっており、北側隣家への影響は少なくないだろうなと思われるものでした。
(当選した設計者も極力高さを抑えたでしょうけど...。)

一般の方が建築に対し、周囲へ払ってもらいたいコトの意識と設計するものが周囲へ払うコトの意識。
微妙に違うような気がします。(優先順位が違うのでしょうか。微妙な考え方の立場の違いが太田さんと西沢氏の雰囲気でもあったような気が...)
ましてや建てる者と隣近所に建てられる者との間にも意識が違うでしょう。
それで、‘まことちゃんハウス’のように裁判までしてその意識を争わなければいけない事も起こりうるわけです。

そんな不幸が起きないように、特に我々のように建築に従事する者は気を払わないといけないようです。
専門的な見方はもちろん、一般の方、隣近所の方、いろんな立場になって、その建築の影響を考えることが必要です。
またそれぞれの立場を調整する役割をしていけなければなりません。(裁判なんてならないように。)

この世の中にはいろいろな人がいて、いろいろな考えがある。
そんな当たり前のことと仕事の責務に対しいろいろ考えを巡らせることになりました。

建築には‘チカラ’があるのだから、心して対応しなければいけないのでしょう。


爆笑問題のニッポンの教養 建築のチカラ に関して、放送では示されない対談後の話しがNHKのサイトに出ています。→~爆笑問題のニッポンの教養 過去放送記録のサイト~へ
再放送が総合では 2/2 午後3時15分~ BS2では 2/3 午前8時30分~(いづれも予定)とのことです。見逃した方はチェックしてみてください。
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70年前に建てられた家 その後~写真~

2009-01-28 15:29:16 | 建築関係
前記事で紹介させて頂いた 70年前に建てられた家  の写真を
空間設計堂HPに少しばかり載せました。(写真の出来は悪いのですが...。)

ご興味の方は覗いてみてください。 →~空間設計堂HP 作品紹介のページ~へ

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70年前に建てられた家 その後

2009-01-26 11:30:00 | 建築関係
以前記事にさせて頂いた70年前に建てられた家。
昨年末に改修工事が終了しました。

元請工務店さんの方で、越後杉のフェアーに70年前に建てられた家の紹介パネルを提出したいとの希望があり
写真を設計者の見方で撮ってきてくれとの要請があって、一昨日、行ってきました。




雪が降ってしまい、少しの晴れ間を見て、外観を撮ったものが、上の写真。

下はダイニング、キッチンの写真。




濃い色の柱、梁は既存のもの。中越沖地震に遭遇した部材たちです。

写真を撮った後、お施主さんから中越沖地震の時に撮影した内部の被害の様子の写真を見せてもらいました。
我が家とは車で10分程度離れたくらいのところなのですが、我が家では倒れなかったタンス等の家具が倒れ、
中のモノが飛び出して、ひどい有様。揺れが激しかったことが伺われました。(この地域は上越市の中でも被害が多くあった地域でした。)

そんな揺れにも耐えて生き残った家。改修されて更に生き永らえそうです。

元々、私に写真撮影に関して知識と技術がないので、あまり良い写真が撮れませんでした。
できている空間自体は大変良いのに残念。写真の勉強もしないといけませんね。
それでも一応、私なりに撮影した 70年前に建てられた家 の様子を近日中に空間設計堂HPの方にUPしたいと思います。
UPしたら、またブログの記事に致しますから、ご興味のある方は是非、覗いてみてください。
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原理、原則みたいなものか...

2009-01-21 09:44:59 | 建築関係
ここ数週間、公共施設のコンペに参加しようといろいろ頭を悩ませていました。
数案は考えたのですが、どれも自分の中でしっくりいかず、
結局、時間切れで今回は残念ながら不参加としました。

ただ、ここ数週間は最近の建築デザインを私なりに意識して情報収集した(あくまで私なりに..ですけど)ので
今後の糧になるかと前向きに捉えています。

今の建築デザインの大きな傾向は私の印象では、かなり‘複雑さ’が求められているような気がします。
それは平面計画であったり、形態であったり、いろいろな視点においてなのですが。
ただそれも、‘単純’だけども‘複雑’。‘複雑’だけども‘単純’といった関係がありそうな気がしています。


あくまで私なりに...ということで感じたことを。

ちょっと簡単(本当にあまり考えが深くない私が感じたままにです。)に分類すると

矩形立体をどう切り分けていくか(それもどう複雑に)というデザイン

単純な形をからませていって、複雑な形をどう作っていくかというデザイン

上記を踏まえた上で

形を滑らかにしたり、尖らせたり、形を変化させる。

光や風などの外部要素を間接的(最近はあからさまに直接は時代でないらしい...)に内部に取り込む。

壁と天井と床、上下階、外部と内部等今まで関係がハッキリしていたものの関係をいい加減(良い意味でです。)にする。

みたいなことを考えていかなければいけないのかな...と感じました。
それらが、それこそ‘複雑’に組み込まれていながらも、更にわかりやすい必要もあり
とにかく、単純な私の頭では結局のところ整理がつかないのですが。(ハハ。)

そんな手法的なことは横においてなのですが(私の浅い知識ではこのへんでデザイン的な話しは切り上げておかないと。)
結局、建築家という人たちが考えるものにはなにか原理、原則が含まれているようです。
それも、その考えた原理、原則が今まで普段では見られない空間を創造できるのではないかと夢見ているような気がします。

確かに、そこまで考えていないとおもしろくないのかも。
住宅を設計するにあたって、住宅をそのお施主さんの要望にあわせて‘演出’することは当然なのですが
‘演出’だけで終わってしまっては、あまりに個人的な問題だったに終わってしまうような気がします。
原理、原則において、より多くの人々に寄与するところまで考えが行かないと建築家の責任を果たしていない(というか建築家を名のれない?)のかもしれません。
何か、そのあたりに‘建築家’と‘建築士’の違いがあるのかも。
その点でいうと私は...完全に‘建築士’の域ですね。

原理、原則か....まあ、私はとにかく目の前の問題をコツコツ解決していくしかできないだろうし
その中から、原理、原則みたいなものが運良く生まれるか...しかないだろうなぁ。(もちろん意識は常に持ち続けますけど。)

実はそんな事が十分理解できて、今回コンペに参加するのをあきらめたところもあります。(コンペに勝つには‘建築家’の域に達しないと。そうでなければ組織を組んで、建築の質で立ち向かわないとダメなのでしょう。一人で建築の質を上げるのは大きな建物では難しいですから。)

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意外に溜まったCPD単位

2009-01-16 10:36:49 | 建築関係
建築士会継続能力開発制度(これを英語では、Continuing Professional Development と書き、その略でCPD制度と呼ばれています。)というものがあります。

このブログでも何度かそれに纏わる記事を書いたことがあるのですが
建築士は日々変わる建築士の社会的責任を全うするため、日頃から自らのスキルアップをすることに努めようという主旨から、
実務を通してだけでは補えない部分を、建築士会で能力開発プログラムを提供するので研修を受けて能力アップしましょうという制度です。
(長々書いてしまいましたが、なにか説明が微妙におかしいような気がします...。とにかく建築士免許を取ったあとも、一生懸命勉強しましょうという制度なのです。...かな。)

建築士会ではこのCPD制度を踏まえた上で、更にCPDを頑張っている建築士を社会的に認知されるよう、専攻建築士という制度を作っています。
(ただ、勉強しているというだけでは何も役に立ちませんから。一般の方に日頃から勉強している建築士がおり、是非、その建築士を社会的に役立たせてくださいというアピールの制度なのです。)

CPDの研修を受けると、単位を頂け、その単位の数だけ、その建築士は日頃勉強しているという立証ができる仕組みになっています。(単位に関係なく日頃から頑張っている建築士さんももちろん多いわけですが、あくまで目に見える形として知らしめる為につくられた仕組みなのですね。)
専攻建築士は基本的には、その単位取得の多さによって、認定されるのです。

かくゆう私も、2年前に設計専攻建築士となっています。(専攻建築士にはいろいろ種類があります。構造とかまちづくりとか。私は設計者としてもっとも一般的な設計専攻建築士なのです。)
この専攻建築士という立場を維持するためには基本的には年間50単位のCPD単位が必要なのです。
まる1日かかる研修で単位が12。年間に4日強、勉強にあてることが最低限必要となります。

実をいうと、年50単位なんてハードルが高いなと感じていました。
私が住む田舎では研修の機会が少なく、また研修を受けるために遠路はるばる会場まで足を運ばなければならないので費用や時間面できついなという心配でした。(半日の研修のために移動をいれて1日がかりになったりとなってしまいますから。)
ところが専攻建築士になって、ここ2年間では簡単に通算単位100はクリアーしそうです。

なぜかというと、CPD制度発足後起こった耐震偽装事件から、建築士を取り巻く状況が変わり
ほとんど全ての建築士が強制的に勉強しなくてはいけないようになっていたからです。
ちょっと最近までは本当に講習会だらけといった感じでした。

単位が簡単に溜まったのは喜ばしいことだけど
みんなが勉強しているわけだから、CPD-専攻建築士というものの価値が薄まっている状況で
費用と時間をかけて取り組んでいくものなのか、フトコロ具合が淋しい私は考え込むのでした...。
日々の勉強は必要なのはもちろんですけど、費用、時間をかけて専攻建築士までなっている必要があるかな...というところ。
義務的な研修が増えて、そちらにも費用と時間がかかるわけですしね...

仕事にかける時間が建築業界全体で削られているような気がします。
私のように暇な設計士は対応する時間があるわけですが、売れっ子で時間がない設計士は私以上に困っているだろうな。
(時間に余裕がない状況で良い建築が造られていくのか...心配です。)

(何度もですが、私の場合、時間よりフトコロに厳しいことが一番困ったことですね。
これらの費用は事務所を維持していく為の‘経費’にあたるわけですが
厳しい競争で、経費までなかなかもらえない今の私の状況では本当に厳しいです。研修貧乏です。)
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