最近、狭いことが気になっている。
人はどれだけ狭いなかで生活できるのか。
生活できるのかというのは少々、行き過ぎの言い方かな。許容して利用してくれるかと言った方がいいのかも。
少々おじさんくさい感じだけれども、最近の建築雑誌なんかに載っている住宅、特に若手さんのプランを見るとちょっとここ狭そうだな...なんて思ったりする。
でも合わせて載っている写真なんかみると気持ちよさそうな空間になっていたりする。そしてちゃんと使われている。(みたいだ。)
廊下の扱いもそうだ。
私は部屋内を多くしたいという思いからなるべく廊下を作らないように考えてきた。
でも最近は部屋-部屋を配置し、その隙間空間(ある意味部屋-部屋をつなぐ廊下空間)を積極的におもしろくしようという感じが流行っているみたいだ。
そこは少し狭くて暗いけれど、印象的な光がその空間の先に見えている、またはそこに射しているといった具合になっている。(ことが多いように思う。)
狭いところの使い方、見せ方が最近のポイントみたいだ。
でも果たしてそれが一般の、特に建築に興味ないような人たちに理解してもらえるのか。
一般的には家具等のモノを置くことが前提になるから、できるだけ広い空間を求められる。
茶の間は8帖ほしいとか、客間は6帖ほしいとか....。
狭い空間に籠もるのは安心感がある。多分それは身を守ろうとする本能的なものだろう。
保育園や小学校の設計をしたときに‘デン’という小さな空間を用意した。子供たちにとっては先生から距離が とれる自分たちだけの秘密基地のような空間。これは人気みたいだ。
狭い空間の気持ち良さは意外と人は知っている。(ような気がする。設計している人は間違いなくその感覚はある...はず。)
これから狭くても心地良い空間を自分も積極的に考える必要性があるなとは思う。
広い空間、狭い空間、ひろいこと、せまいこと...バランスが大事かな。(スケール感を再構築する必要性があるかも。)
でも上手くそんな空間が考えられても、その良さを理解してもらうために私の場合、提案力をつけないといけないかなぁ。
茶の間8帖、客間6帖を説得するために...。(なかなか考えていることを表現できなくて、自分のプレゼ能力にあきれている今の私なのです。)
人はどれだけ狭いなかで生活できるのか。
生活できるのかというのは少々、行き過ぎの言い方かな。許容して利用してくれるかと言った方がいいのかも。
少々おじさんくさい感じだけれども、最近の建築雑誌なんかに載っている住宅、特に若手さんのプランを見るとちょっとここ狭そうだな...なんて思ったりする。
でも合わせて載っている写真なんかみると気持ちよさそうな空間になっていたりする。そしてちゃんと使われている。(みたいだ。)
廊下の扱いもそうだ。
私は部屋内を多くしたいという思いからなるべく廊下を作らないように考えてきた。
でも最近は部屋-部屋を配置し、その隙間空間(ある意味部屋-部屋をつなぐ廊下空間)を積極的におもしろくしようという感じが流行っているみたいだ。
そこは少し狭くて暗いけれど、印象的な光がその空間の先に見えている、またはそこに射しているといった具合になっている。(ことが多いように思う。)
狭いところの使い方、見せ方が最近のポイントみたいだ。
でも果たしてそれが一般の、特に建築に興味ないような人たちに理解してもらえるのか。
一般的には家具等のモノを置くことが前提になるから、できるだけ広い空間を求められる。
茶の間は8帖ほしいとか、客間は6帖ほしいとか....。
狭い空間に籠もるのは安心感がある。多分それは身を守ろうとする本能的なものだろう。
保育園や小学校の設計をしたときに‘デン’という小さな空間を用意した。子供たちにとっては先生から距離が とれる自分たちだけの秘密基地のような空間。これは人気みたいだ。
狭い空間の気持ち良さは意外と人は知っている。(ような気がする。設計している人は間違いなくその感覚はある...はず。)
これから狭くても心地良い空間を自分も積極的に考える必要性があるなとは思う。
広い空間、狭い空間、ひろいこと、せまいこと...バランスが大事かな。(スケール感を再構築する必要性があるかも。)
でも上手くそんな空間が考えられても、その良さを理解してもらうために私の場合、提案力をつけないといけないかなぁ。
茶の間8帖、客間6帖を説得するために...。(なかなか考えていることを表現できなくて、自分のプレゼ能力にあきれている今の私なのです。)