それでは、連載第86回目は、DD54をお届けします。
DD51やDD53が、2機の機関と変速機を装備していたため保守が煩雑なところ、それを大出力機関1機として、保守の低減を図ることが考えられ、当時の西ドイツ製機関と変速機を装備したDD91が製造され、結果が良好であったため、国産化が決意され、機関と変速機はライセンス生産で量産され、DD54とされました。
写真は、DD54 33です(写真)。大阪になった交通科学博物館の、保存車両です。
しかし、DD91はドイツの工作レベル、保守レベルで可能であった機関車、当時の日本ではそれは出来ず、多くのトラブルを発生、現在は11年の内燃動車の耐用年数を維持出来ず、運用離脱する機関車が続出することとなりました。結果国会でも追及されるほどであり、当時の先鋭化した労働運動もあり、そのまま休車となる車両が多数となりました。そのため、結局DD51で代替することが決定し、全機引退、保存用に残った同33号機のみ現存します。
その、反対側の眺め(写真)。
交通科学博物館はその後閉館、現在同機は「京都鉄道博物館」保存機となり、現在も保存されます(写真)。
保守費用はDD51の約18倍とのことで、保守も嫌われ、また技術の理解度からも限界があり、「欠陥機」と一般に呼ばれますが、「早すぎた名機」と言うべきでしょう。現在の保守レベルは、スイスやドイツに追いついたでしょうか。
それでは、次回をお楽しみに。