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Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

福島第一原発事故から10年(1)-特急ひたち3号で「双葉駅」「産業交流センター・原子力災害伝承館」へ

2011年3月11日の「東日本大震災」から10年

それは、同時に「東電福島第一原子力発電所事故」からの10年でもあります

そんな「10年」という節目に、どうしても「福島の今」を見ておきたいと思い、色々調べていたら、なんと2020年3月から「特急ひたち・ときわ(仙台行)」で、都内(上野駅)から乗り換えなしで、「大野駅」「双葉駅」「浪江駅」…「原ノ町」方面に行けることが分かったんです。

東洋経済「品川ー仙台4時間半、長距離特急「ひたち」の実情」はこちら

千葉人の僕は、「柏駅」(8:27発)からこの「特急ひたち3号 仙台行」に乗ればいいことも分かりました。

あれから10年の今、自分の目で、「福島・原発の町」の今を見ておきたい、今見ておかなければ、あとで絶対に後悔すると(直感的に)思ったんです。「コロナ」で「移動」が制限され続けている今ですが、その「今」を逃したら、この先行くことがあるのかどうか…、とも思い、とにかく「双葉駅」を目指そう、と決めました。

そのきっかけの一つが、「Man with a misson」のYouTubeの動画でした。

彼らの「双葉町産業交流センター」でのライブについてはこちら

この彼らの動画で、「双葉町産業交流センター」と「東日本大震災・原子力災害伝承館」の存在を知りました。今なお、規制があり、一般の人が立ち入ることのできないエリアですが、この二つの施設には行けることも分かりました。

朝7時頃に都賀駅を出て、8時過ぎに柏駅に到着しました。そこで切符を買って、27分発の「特急ひたち」に乗り込みました。この特急に乗れば、そのまま乗り換えなしで、「双葉駅」に行くことができます。運賃は柏-双葉の片道で、6620円(乗車券+特急券)でした。

特急ひたちの中はそこそこ人が乗っていて、「いったいどこに行くのだろう?」と思いました。が、水戸~いわき辺りでほとんどの人が降りていました。

いわきから先に向かう人は本当にまばらでした。

…とはいえ、まだいわきエリアでは、「原発事故」の影響らしい影響は見られません。海沿いを走る特急ですが、なにか大きな被害があったとは思えませんでした。10年以上前に建てられたと思われる古い家屋もいっぱい見られました。

その状況が一変するのが、「富岡駅」でした。

富岡駅前は、何にもありませんでした。本当に何もなくて、心底震えました。駅から海にかけては「津波浸水域」で、おそらく全て流されたんだと思います。

被害の少なかった(?)反対側には「富岡ホテル」もできて、少しだけ活気は戻っているようですが…

でも、海側は、本当に何もなくて、10年経った今も、静寂に包まれていました。また、とても高い堤防が建設されていて、海が全く見えない「塀に囲まれた空間」になっていました。

震災直後の富岡駅についてはこちらを参照

この防波堤の先には、海があるはずなんです。けれど、そびえ立つ堤防ゆえに、何も見えない(閉ざされたような)空間が広がっていました。(ここには、いったい何ができるんだろう!?)

富岡駅まで来て、はじめて「震災と原発のエリア」に入ったことを実感しました。

富岡駅から先の「車窓」に、ずっと目が奪われたままでした。

人気のない世界がそこにありました。

ただ、道路等の整備は進んでいて、きれいな道路だけが広がっているところも多々ありました。

車はぽつぽつ走っているのですが、そこに「人が生活している」という感じがしないんです。おそらく「移動」のために「通過」する人はいても、そこで生活する人はいない、ということなのでしょう。

富岡町の先の「大熊町」に入ると、本当になんともいえない景色が車窓を流れ始めました。「これは、同じ世界なのだろうか?」と、やや混乱気味になってしまいました。あれから10年も経っているのに…。

その大熊町にある「大野駅」にも、特急ひたちは停車しました。が、降りる人は一人もいませんでした。この駅は、おそらく「福島第一原子力発電所」から一番近い駅かと思われます(google mapだと、今回の目的地の「双葉駅」とほぼ同じくらい離れている感じですが…)

住宅は建っているのですが、「人が住んでいる感じ」がしないんです。生活感がない感じです。

大野駅についての記事がありました

それもそのはずで、このエリアはまだまだ「帰宅困難区域」であり、その一部が「特定復興再生拠点区域」として立ち入りが認められているだけなんです(とりあえず通行証なく自由に入ることはできるということ)。10年経ってもまだ帰宅困難のエリアなんです。この問題がまだ全然終わっていないことを肌で実感しました。

そして、大野駅から双葉駅に向かう途中、はるか向こうに「原子力発電所」の姿がかすかに見えました。「これが、あの福島原発か…」、と。もう言葉にできるものは何一つないなと思いました。僕はただただ、流れる車窓の風景を見つめるだけでした。まばたきもしたくないほどに…。

そして、目的地である「双葉駅」に到着しました。

この双葉駅でも、下車する人は、僕の他に一人だけでした。その人も双葉町産業交流センター・伝承館に向かおうとしていました。

誰もいない駅。当然、駅員さんもいない駅。電車の走る音以外何もしない駅。今自分がどこにいるのかさえ、分からなくなる異様な雰囲気に包まれる駅。このエリア一帯がまだ帰宅困難区域で、人が住めるところになっていません。

駅の改札付近で、一気に緊張感が増します。

なんの変哲もない無人の駅ですが、他のエリアでは見られないものが一つだけありました。

分かりますかね!?

双葉駅空間線量率

と書いてあります。

空間線量率??


「空間線量」、何を測っているかというと、放射性物質から発せられる周辺環境の放射線量を測定しています。/1時間あたりにどれくらいの放射線量かという線量率(対象とする空間の単位時間当たりの放射線量を空間線量率という)を示しています。/正確に言えば「γ(ガンマ)線」を測定しています。そして多くの場合は放射性セシウム由来のγ線です。単位は、μSv/hです。

引用元はこちら


μSv/h=MicroSieverts per hour(一時間に浴びる放射線量)

Sv(シーベルト)は、「重量当たりの放射線の吸収エネルギー量を元にした単位」=「人などが受ける放射線の総量の当量」のことを言います。

で、そのSvの1000分の1がmSv(ミリシーベルト)で、mSvの1000分の1μSv(マイクロシーベルト)なんですね。つまり、1Sv=1,000,000μSvということになります。

1年間に浴びてもよいとされる線量(年間追加被ばく線量)は、1mSv(マイクロシーベルト)。

この双葉駅の線量(つまり僕が1時間に浴びる線量)は、0.08μSv/h。なので、12500時間で1mSvに達します。つまり約520日で年間追加被ばく線量を超える計算になるので、この線量であれば、(数値的には)大丈夫なのかな、と(それが正しいかどうかも一般の人には分からない話ですが…)。なお、レントゲン検査一回で浴びるのは、0.06mSv(意外と多い?!)。また、胸部のCT検査だと、2.4~12mSv(参考元はこちら)。…と考えると、そんなに線量が多いとは言えなさそうです(この今の時点では…)。

でも、こういう電光掲示板を見ると、緊張感が増します。

当然ながら、人は全くいません。特急ひたちを下車した人だけです。

人気は全くなく、「人のいない世界」に迷い込んだかのような感じでした。

立て直された綺麗な駅舎に、人気のないこの空間。本当に不思議な感覚に襲われました。

駅を出ると、この二つの掲示が目に入ってきました。

左は、産業交流センター(伝承館)行きのシャトルバスの時刻表。

特急ひたちは、11時10分に到着します。その10分後にシャトルバスが発車します。

(なお、このシャトルバスの他に、レンタサイクルもあって、自転車で産業交流センターに行くこともできます)

そして右が、この駅を降りた乗客への注意書きです。この双葉駅周辺には、①避難指示が解除されたエリア、②立ち入りはできるが避難指示が解除されていないエリア、③引き続き立ち入りが制限されているエリア、の三つがあります。

こちらが、建て直された「双葉駅」です。

誰もいない場所で、これだけ立派な駅、というのも、どこか不思議な感じです。

でも、まずは「駅の復興」だったのだろうと思います。

2020東京オリンピックの「聖火リレー」の記念碑もありました。

一応、この東京五輪は、「復興五輪」と呼ばれていますからね。それが本当に復興になっているかどうかは分かりませんが、とりあえず、形式的には、こういうかたちで東京五輪が示されてはいました。

それから、この双葉駅に降りると、町の職員さん?が声をかけてきました。

どうやら「線量計」の貸し出しを行っている、ということで…

こちらの線量計を借りることになりました。

人生で初めて手にした線量計…

テレビ等で見たことは何度もありましたが、実際に手にもつと、とても重さを感じます。

こちらでは、0.2μSvと表示されています。

駅の中では、0.08μSvになっていましたが…(!?!?)

この線量計をもって、産業交流センター・原子力災害伝承館へと向かいます。

シャトルバスのバス停です。

車はぽつぽつと走っていますが、人気はほぼありません。

まさに「時が止まったような感じ」になります。

こちらが、シャトルバスです。

小さなかわいいバスでした。

このバスで、約8分くらいで現地に到着します。

産業交流センターに行く途中の風景も、すごく心に響きます。

誰も住んでいない建物一面にペイントされている家もありました。

これはいったい何を表しているのだろう??

14時46分、といえば、まさに「東日本大震災」が発生した時刻。

2011年の3月11日、

2021年の3月11日、そして、

2031年の3月11日と書いてあります。

2021年の3月11日は過ぎ去ってしまったので、次は2031年、ということになります。

この作品(「Back to the Futaba」)についてはこちら

Overallsの公式サイトはこちら

そして、バスは町の中を通り抜けていきます。

動画を撮ったので、よければご覧ください。

もう、言葉を失いました。あれから10年も経っているのに…。

何も終わっていないことに、過ぎ去っていないことに、衝撃を受けるだけでした。

そして、そうこうしている間に到着しました。

こちらが「産業交流センター」です。シャトルバスはこの場所に到着します。

この場所で、Man with a missionがライブをしたんですよね。

何もない、すべて流された場所にそびえ立つ巨大施設。

これはこれでなんとも言えない感じがします。

けれど、この場所だけは、人が集まり、人の気配を強く感じることができました。

そして、こちらが「原子力災害伝承館」です。

この伝承館については、次の記事(2)で詳しく書きたいと思います。

伝承館の前はこんな感じです。

何にもありません。

ただ、何もない(整備された)土地が広がっています。

その向こうには、津波の被害を受けた家屋が数軒残っているのが見えます。

こちらについても、(2)でご紹介したいと思います。

***

というわけで、千葉から双葉町までの道のりのレポをお届けいたしました。

福島第一原発のすぐ近くまで、公共交通機関だけで行くことができることが分かりました。

「是非行ってみてください」とは軽々しく言えませんが、10年という節目の年に、こうやって11時30分頃には首都圏から到着することができる、ということは知っておいてほしいなぁって思いました。

昨年から続く「コロナ・パンデミック」で、僕たちの思考は、「コロナ」「コロナ」ですが、今なお、福島では、震災と原発の二重苦に苛まれているんです。

マスクの生活は辛いですが、ここではマスクでは防ぎようのない「放射線」との戦いがまだまだ続いているんです。10年過ぎても、まだまだ全然先が見えないんです。

緊急事態宣言はコロナだけではないんです。ここ、福島では、「原子力緊急事態宣言」が2011年3月11日に発令されていて、今なお解除されていないんです。この原子力緊急事態宣言は、「もう一つの緊急事態宣言」とも言われています。(詳しくはこちらを参照


2011年3月11日に発令された原子力緊急事態宣言はいまだに解除されず、廃炉作業はあと30年かかるという。人影のないJR富岡駅前に立った時、「緊急事態宣言が解除されない限り、この町に真の復興はない」と言った住民の悲しみが胸に迫ってきた。

引用元はこちら


コメント一覧(10/1 コメント投稿終了予定)

定点観測者
数年前、まだ常磐線が全通してなかった頃、機会があって不通区間の代行バスに乗ったことがあります。
バス内でも線量の表示があり、降りられない、時が止まった沿線に絶句した記憶があります。
常磐線が全通しても、あのあたりはまだ復旧していないのでは、と考えると…
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