<2/10(月)3日目午後>
お世話になったアバカダを後に、ケソン市のパヤタス・ダンプサイト(ゴミ集積所)に向かいました。
まず、サンカップ・デイケアセンター(小さな子どもたちを預かる保育所)でお話を聞きました。
パヤタス・ダンプサイトでは2000年7月に巨大なゴミ山が崩落し、
約500軒のバラックが下敷きになり多くの犠牲者が出ました。
慰霊碑には234人の名前が刻まれているが、実際には500名ほどの犠牲者がいるとのこと。
遺体が見つかっていない人も多いのです。
昨年10月、補償をめぐり続いていた裁判で勝利し、市が今年中に補償金を支払うことを約束したそうです。
長年の成果です。よかったです。
パヤタスにある慰霊碑
説明してくださった方も何人も身内の方をなくされていました。
現在パヤタスにゴミは運び込まれておらず、公園にする計画があるそうです。
でも別の場所に運ばれるだけで、きちんと処分されるようになったわけではなさそうです。
パヤタスの子どもたちは、ひとなつっこかったです
一緒に記念撮影
<2/11(火)4日目>
マニラの道路は朝夕大渋滞。飛行機に間に合わないと困るので、この日はホテルから空港へ移動するだけ。
たった3泊4日の短いマニラ滞在でしたが、高層建築、高速道路がどんどん作られる一方、
スラムがたくさん残っている実態を目にしました。
スペイン、日本、アメリカの支配を受け、今も経済支配を受け続けているフィリピン。
グローバル経済がフィリピンだけでなく、日本、世界中の格差と貧困を生んでいます。
ニノイ・アキノ空港へ向かいながら「社会を変えるには、やっぱりみんながつながるしかないね」と。
私にとってフィリピンは、ジュゴンが棲む国、そして米軍基地を追い出した国でしたが、
今は、平和と自然を守る方たちとつながれたところとなりました。
ZAN