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もう明日でもかまわない

日々の雑記です。
艦これにはまっていたけどやめました。
愚痴が多いのでご注意ください。

この先ゲームの話を出来ない人生

2024年02月23日 17時23分52秒 | 日記
メガテン5のふざけた完全版ニュースについて、MにLINEを送ったがスカスカ返事さえ来ずにスルーされて、気付いてしまった。
エルデンリングのDLCについても、私はやってないけど、フロムゲー大好きな弟に「これを機会にやってみようかな」と言ってみたり、実際やってみたら質問もできたのだけど、もう出来ない。
弟は入院中に私が貸したメガテン5もやってるから、今会ったらメガテン5の不満についても思い出しながら話していると思う。
ぎりぎりペルソナ3のリメイクは、やらなくていいよね?と去年の年末に病室で確認した。
すっかりゲーム離れしてしまってる私だけれど、メガテンシリーズで今やるなら4と4ファイナル。さよなら3DSバーゲンで落としてある。
リメイクが出るならライドウ。アバチュはリマスターでもやるかもしれない。むしろアバチュはリメイクされない方が良いような。
それで思い出したけどアバチュのサントラを私はiPodに入れてて前のMacのiTunesには(CDレンタルして)入れてたんだけど、今のMacになぜか入ってないから去年からちょこちょこ探してた。iPodのみに入ってる曲がたくさんあったんだけど、同期と容量の関係で何かしたのかもしれない。要らないのは残ってたりする。犬神家のサントラやクラシックも残ってなかった。
そしてApple MusicにもSpotifyにもiTunes Storeにもアバチュの曲はなく、TSUTAYAのレンタルではあったけどディスカスのアカウントをわざわざ作るの面倒くさい。かといって店舗でレンタルしたくてもTSUTAYAカードなんかとっくの昔に廃棄していて、なにか用がある時にはMのカードに頼ってた。そのMももうカードはないという。
更に調べた結果レコチョクで買えることが判明。
アバチュの曲でもよく聴くのはエピックバトル他、数曲しかないのでこの際買ってしまおうと思った。ストアにあればそうするつもりだったし。それにしても1曲150円ぐらいと思ったけど値上がりしてた。けど久々に聴けて満足したのもつかの間、普段使ってるSpotifyのプレイリストに入れるのにも一苦労した。
iPhoneならApple Musicのほうが使い勝手が良いっぽいんだけどSpotifyを使い慣れてるから今更移れない。ストアで買った曲(今のところ2アルバムしかなくローカルファイルとして入れている)が増えてきたら引っ越す予定。
それにしても、レコチョクで買った曲はスマホで落としたらレコチョク専用アプリでしか聴けないってどういう仕様なんだよ。知らなかったらスマホで落としてしまっていた。パソコンで落とさないと、しかもファイル形式がMP3とかじゃないからわざわざ変えて、さらに知らないアプリも落としてやっとiPhoneに入れた。数時間かかってとても面倒くさかった。ユーザーの事も考えて欲しい。
とりあえず、パート先でストレスが多く聴きたい曲、良い香りは大事だからプレイリストに入れられて本当に良かった。

ついでに記録しておくと、スマホのゲームはピクミンブルーム、おべみ、ほしの島のにゃんこをまだやってる。まんぷくマルシェも1作目をやって2も落としたけど2は合わず数日ログインしなかったから今日消しました。あと広告で嫌と言うほど見る、王様をいじめるゲームではなく寒い暖炉と窓をなんとかするハゲのゲームも落としたんだけど、評判通り暖炉をなんとかするゲームよりパズルのほうが多いから3日で消しました。
おべみは、去年の年末、誕生日の時に期待していたようなプレゼントはなく、その時にやってたイベントで溜まっていたチケットを全部使ったが大した成果もなく、不発に終わってなんだかなーとなりつつも、ダラダラと続いてる。
相変わらずデイリーのためだけにイベントの戦闘?やってるけどストーリーはスキップしてる。メインストーリーのために続けるはずだったけど全然進めてないし。でも、ちょっと前にやってみたらカードが前よりたくさん増えたせいか応援なしでもクリアできるようになってたからこれから少し進めようと思う。

ほしの島のにゃんこは相変わらず可愛いから飽きてない。

猫の日のこのセコいプレゼントには苦笑したけれど。
ルピー2個って。
あまり欲しい服もなく、飾りはよく見たら欲しいのありそうだけどショップをよく見てないのでルピーがたまってきて、最近サーモンの燻製用のサーモンが足りないよ!となっていたので初めて「つくるかざり」のレッドサーモン、最近実装されたニュースを見てオプション含めて全部のやつを衝動買いしたら、貴重なレッドサーモンがポンポン出来てしまい、この分だと燻製用の材木(一回に3個も使う)が足りなくなってまた材木不足に陥りそうなので、早々に倉庫にしまった。よく考えて買わないと・・・
一応、今はちょくちょくやってるからミルク、卵、豆腐などちゃんと作れているけど放置するようになるとすぐ足りなくなりそうだから、作る飾りはそのうち大事になると思ってる。今でもたらこ用タラとチーズ、クリームがいつも足りないし。

こうした、くだらないゲームの話、たとえやってなくても弟は相手になってくれていたので、ここに吐き出すしかない。この先もずっと。
私の世代ではゲームをやってる友達を探すのは大変だったし、それでなくても普通に友だちを作るのが苦手な私はこれからも孤独なのだ。また息苦しさが襲ってくるけど、さみしくても頑張って生きていこう。
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パートもうすぐ一周年。辞めたい

2024年02月17日 16時36分43秒 | 日記
最寄り駅から一駅のビルで清掃のパートを始めて月末で一年経つ。
始め、前のパートと違い人の多さと休憩時間の長さに驚いた。
午前中しか働かないのに休憩が30分もある。
前は勤務時間中、椅子に座ることはなかった。トイレにも行けなかった。
力仕事で手首をやられた。真須美と美子というモンスターが居た。
今のところは仕事内容が私の一番やりたくなかったトイレ掃除が主だけど、人がたくさんいるのに嫌いな人が誰も居ない。(同僚では。一人だけ変なおじいが居るけどそいつとは仕事中関わらないし、ほぼ全員が嫌ってる)
社員のおじさんもいい人。でも所長は嫌な野郎。というバランス。
前の職場も真須美と美子が強烈なだけで周りは良い人がほとんどだったけど、あいつらの影響力は凄まじく、かつ仕事がきつかったので今のパートが大変な時期でもあそこよりはマシに感じてる。

師匠おばあとはうまく行ってると思う。
何度か、このおばあの相手は疲れるなと思った事はある。
やきもちやきというか、私がもう一人のおばあとちょっと親しげにしてたら大きな声で「どうせ私がやめろと思ってるんでしょ!私は邪魔なんでしょ!」とか言われた時にはびっくりした。そしてめんどくさい。
でも本人もあちゃーと思っているような、気にしてるような素振りだったのでなかったことにしてたらそのまま終わった。
思い込みが激しく、何度説明しても勘違いのまま話を進められたりする。
それでも基本良い人だから、真須美と美子に比べたら(略)
師匠おばあともう一人の、映画とテレビと相撲好きおばあと3人で担当をうまく回してたのに、映画好きおばあが年末に辞めてしまった。
師匠おばあともう一人はベテランだから、頼りにしてたのに。そして私のあとに初めて新人が入ることになった。私は先輩になるのだ。
ちなみに前の職場だと私が入って2ヶ月後にすぐ後輩ができ、その後も3年で6人辞めて7人後輩ができた。そうだった。あそこで一部の業務がハードになったから人員が一人増えたのだ。
今の職場も前と比べて仕事量がハードになってるから、本当なら2人入れるべき、というか3人ぐらい取るべき、と周りのパート仲間が言ってる。
人がいない時、前の職場だと社員の人や他の支社からヘルプが来たりしていたけど、今のところだと社員は一切手伝わない。
勤続が長い人にボーナスとかでなく、賞状を出す。今どき賞状って・・・要らなさ過ぎる。こういう所が古臭いというか、改善されない会社っぽい。
このせいで今、去年おばあが辞めて以来私と師匠おばあは3人分の仕事を二人でやらされてる。
実際は二人新人が来てるんだけど、一人は一週間、もうひとりは2週間で辞めてるからその人達がいない時期、募集をかけて人が来るまでの間やらされてる。
ただでさえ仕事量が多いのに、頑なに一人しか取ってくれないし、その一人がすぐやめたらまた次が決まるまでやらされる。
しかも始めの人が辞めた時、師匠おばあにパワハラされたからとか一方的に言ったせいで師匠おばあが落ち込み、さらにカス人間の所長がそれを責め立てた。
次の人もすぐやめたけど、その頃は私の弟の葬式も被ってててんてこ舞いだった。
私は師匠おばあが大変なのと、仕事してた方が楽だから4時に起きて早朝に出勤して一人で自分の分の仕事をしてくるのを数日やった。
余裕を持って人を入れておいてくれたら、こんなことにならなかったのに。
今また私と師匠おばあは早出して休憩無しで1.5人分の仕事をしてるんだけど、次に来る人がまたおばあらしくて、その人がまたこの仕事量は無理と判断する可能性は高い。なのにまた一人しか取らない。そしてまた私たちが二人でやらされる。うんざりなので今、辞めたくなってる。仕事を探すのって本当に面倒くさいよな。あーあ、良いことないな。
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葬式から以降

2024年02月11日 10時56分05秒 | 日記
弟の葬儀は一番安いタイプで坊主も呼ばず火葬のみ。
だから葬式も葬儀もしてないけど(オプションで)お花とかいろいろつけて綺麗なお別れは出来た。
予想通り写真が全然なくて、私が持ってる30年前の、私がドイツに行く前に空港で撮ったやつしかなく、とてもいい顔のそれは使いたくないのでスマホで直撮りし、加工した。最近の技術は素晴らしくてとてもプリント写真を撮ったようには見えなかった。
葬儀場には父もカートを押しながらやってきた。
時間が少し押したけど滞りなく終わり、私とMは帰りにパート先の師匠おばあへの贈り物など買い物し、夜7時頃に駅のバスに乗ったんだけどその時の運転手さんの名前が、弟と同姓同名でびっくりした。漢字も同じだった。
名字も名前も珍しくはないけどよくあるものでもないので、今まで生きてきて弟と同姓同名な人は見たことがない。特に名前の漢字は他であまり見なかった。
弟は保育園の頃に(夏休みは私が毎日送り迎えしていた)大きくなったらバスの運転手さんになりたいと言っていた。それが可愛くて私はずっと覚えてるんだけど、弟はとっくに忘れていた。それを思い出して病室でも私は話していた。
涙が溢れて、運転手さんの名前を写真に撮った。
弟がもう転生してバスの運転手さんになっている。またはパラレルワールドの弟が、子供の頃の希望通りバスの運転手になっていて慰めに来てくれている、そう思った。
落ちていた気持ちがそれでぱっと、救われたような、慰められたような気持ちになった。兄に送ったらやっぱりとてもびっくりしていて「すごい!奇跡だな!」と、大げさに喜んでいた。
Mもとても不思議に思っていたから、不思議なのだと思う。私も、弟の意思を感じたし、ずっとそう思ってる。あれだけ私の新しい家に遊びに来てもらいたかったから、来てくれたのだと思ってる。運転手さんに話しかけたかったけど、我慢した。
きっとこれからも、弟は見守ってくれると思う。龍が如くの8が出たから、弟はやるんだろう。私はしばらくアラン・ウェイクから離れてて今は「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」の完全版シリーズを見返してる。
弟が見てたアニメ「メイドインアビス」も見てる。
定番アニメとして勧められた「蟲師」や「夏目友人帳」も見る。
弟ががんと言われてから一年しか経っていない。5年後の生存率が半分以上あるがんだったのに。最初の手術でちゃんと全部取っておいてくれたら、と兄が言っていた。あっという間に弟がいなくなったから、まだ実感がない。
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弟のこと

2024年01月24日 13時58分51秒 | 日記
20日の土曜は私は安心していたのと疲れていたので二度寝して昼過ぎに起きた。
一応その日も向かったら、弟の様子は前日と同じように見えたので少し安心した。お水も飲んでる。
でもあまり起きてると、呼吸が苦しいことも実感するし、疲れるから寝かせた方が良いと兄が言うので起こさないようにしていた。
その日も兄が泊まるというし、弟の容態も落ち着いていたので15時から17時ぐらいまでしか居なかった。その日は家で夕飯もちゃんと支度した。

次の日の21日は、兄がさすがに疲れたので家に帰りたいから私と交代。でもバイクで来てて天気が悪いと帰れないから来るのは昼でいいと言われた。
11時頃に行って、21時半まで居た。
弟は前日よりも意識が戻らなくなっていた。血圧をはかりに来たり熱をはかりに来たりすると嫌がるけど、基本朦朧としている。モルヒネは打ってないのに。
呼吸は相変わらず苦しそうに見える。朦朧としいれば見た目ほど苦しくないと言われたけれど。
兄はしきりに「起こすなよ」と言ってたからそっとしておいた。
熱が高い。でも手の指先は冷たかった。
兄も母も弟にあまり触らないけど私はベタベタと触り、手もよく握っていた。
夕方を過ぎたあたりから、黒目が戻ったと思うとばんざいしてマスクを嫌がって外そうとするようになった。そのたびに手を握って甲をトントンすると落ち着いた。
兄はその前の晩、弟がそれをやるから眠れなかったと言ってた。
「一度やりだすとずっとやるかもな」
昼前から夜まで居るつもりはなかったし、兄はいつ帰っても良い、夕方でも良いと言ってくれたけど弟を一人にしないようできるだけ長く居ると決めた。そこでの食事は禁止されてるので、途中外に出てコンビニで買ったサンドイッチを道端で食べた。
時間を持て余すと思ってたけどずっと見てたり、小さな声で話しかけたり、酸素マスクの番をしてるとあっという間に過ぎていった。
弟がマスクを嫌がる時、私の手を握る指には力がこもっていた。痛くはなかった。弟は優しいから。
兄が次に来るのは夜中らしい。バスの最終を考えると私は21時半頃までしか居られない。3時間ほど弟を一人にしてしまう。
普通の病院と違ってホスピスには医者が常駐していない(医者が来るのは週1または2週に1度らしいけど、弟は緊急事態なので3日連続できてくれていた)
24時間面会できる。基本、器具があまり充実していない。でもナースコールで看護士が駆けつけるのは早い。でも弟は10分おきぐらいにバンザイしてしまう。
私が帰る時、近くに看護士さん、職員の人が誰も見当たらなかったので、私が帰ったこと、弟がマスクを外したことにすぐ気づいてもらえるようにドアを全開にして帰った。

22日月曜は私はパートだったので、帰りに寄るつもりだったが昼から母がくるというので、私は母と交代で、また夜中の兄とのつなぎになった。
パートからそのまま電車で昼頃行くのが楽だったけど、弟を一人にする時間を少なくしたい。私はまた9時過ぎまでしか居られないし。前の日は家に帰って風呂に入ると寝るのが0時過ぎたので、パートから一度家に帰って風呂に入り、飯の支度をして夕方出直すことにした。
準備していると兄からLINEで「今先生が来てた。今日を含めてあと3日ぐらいらしい」とあったので、そんなに早いのかと愕然とした。わずかでもここから持ち直してくれる可能性を信じていた。全快して欲しいとか、歩けるようになって欲しいとかじゃない。少し回復して欲しい、また持ち直して、長くて春までと言われてたんだから春まで待って欲しい、一日数時間でも話せるぐらいに、たまにお水を飲むぐらいに戻ってほしい、慎ましい希望しか持ってないのになんでこんなにむごいのか。
ホスピスに移ったら、緩和ケアがうまく行けば車椅子ぐらい乗れるかも。
泊まりは無理でも数時間外出はできるかも、と言われてたのに。病院にいれば肺気腫も対処できたかもしれないのに。
移ったばかりの時には兄が言うにはベッドの縁に座れたと言ってた。車椅子も間近だと思ってた。なのに結局あと3日と言われてむかむかした。
着くとモルヒネも投与されてて弟はもうバンザイもしなかった。
交代する前に母と少し話したけど、弟は母にもお別れの挨拶をしていた。
「産んでくれてありがとう」と言ったらしい。素晴らしい弟だと思う。
兄にもなにか言っただろうと思う。本当にあの時が最後のまともな会話だった。
母が帰ったあと私はずっと弟の手を握っていた。子供の頃によく嫌がられたけどほっぺにキスをしてたからそれを数回やった。
大好きだよ、意地悪したのに仲良くしてくれてありがとう、一番の仲良しだよね、また私の弟に産まれてきてね、と言い続けた。
あと、昔元夫の祖母の葬式で数日留守にする時に、猫の世話をしに千葉まで泊まりに来てくれてありがとう、龍が如くの喧嘩やってくれてありがとう、セキロ上手だったねとか言った。弟は抗がん剤をやめて毛が生え始めた頭と、首に汗をかいてたからちょこちょこ拭いた。その時に涙も流れていたので拭いた。どちらも何度も拭いたんだけど、涙は目が乾いたかなにかした事からの反応だと思っていた。
猫の最期の方でもあったけど、時々カフー、カフー、という呼吸のリズムが乱れ、カ・・・と、呼吸を忘れたようにぼーっとなるからそうすると握った手の甲をぺちぺちして促した。

21時過ぎに兄が到着して、交代した。「また明日もこんな感じで頼む」と言われた。兄はまた夜中に来る予定だったけど繰り上げてきてくれた。
私は21時25分の電車に乗るために15分頃に出て、ピクミンブルームの青カトレア花植えをして、最近のいつものようにザ・スミスを聴きながら駅に向かい、MにLINEしてから来た電車に乗ったら兄から「逝っちゃったよ。先生を呼ぶ」と来た。
電車に乗る前だったら私は戻ったと思う。弟は私が帰るまで、電車に乗るまで堪えてくれた。優しいから。私を家に帰してくれたのだと思う。
兄が「戻らなくていいだろう、今まで会ってたんだし」
「全然苦しまなかったよ」と、
「これは本当のことなんだけど、涙を流してた」と送ってきた。
ずっと弟を見てきた兄が言うのだから珍しいことなのだ。そう思うと、弟は夕方からずっと泣いていたんだな。かわいそうに。
でも、カフー、カフーの呼吸が休む、あの感じでそのまま止まったのなら、苦しまなかったのなら良かった。
もう弟に会えないなんて、本当に信じられない。でも、いい子だから家族全員から見送ってもらえたんだと思う。私はこの分で行くと全員見送る立場になる。こんな思いをこれから何度もするの嫌だな、長生きしたくない。
この先の人生、弟が居ないなんて半身無いような気持ちだ。
去年の初秋から弟とまともに会話を出来ていなくて、ストレスが溜まっていた。
私から一方的に話し、弟が二言三言返してくれる。会話が展開していかない。
その不満が今の時点で胸に溜まってる。これをこの先抱えていく、この先話したくても一言も返ってこない、と思うと窒息しそうになる。
この家に、人生の最後には弟と二人で住むと思ってきた。それもいいなと楽しみにしてた。
葬式は金曜になった。
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2024年01月24日 13時02分27秒 | 日記
13日に私が弟の見舞いに行った時、「姉ちゃん、足の爪切ってくれない」と言われて切った。
あと加湿器を求めていたから見舞い中にスマホでホスピスに持っていく用のを選んでいたが、その場でも加湿したがったから部屋の空清の加湿を、タンクに水を入れ稼働させた。看護士さんに聞かずに勝手にやったので、11月に弟が入院してから毎日見舞いに行ってる兄に後で叱られなかったか聞いたら大丈夫で、さらに次の日にも稼働させるため「これどうやるんだ?」と聞かれた。私が勝手に稼働させた加湿器を、弟がまたやって欲しがってる、のが細かいけど嬉しかった。

弟は15日からホスピスに移った。
異常が何もなければ移ると聞いていたので16日に「転院した?どんな感じ?」と送ったが返事が来なかった。
18日に、兄から私に今週はいつ来るのかと連絡が来た。
前日まで調子良かったがその日から呼吸が苦しいと言われ、肺気腫らしく酸素マスクを外せなくなった。モルヒネ投与。血栓が破裂しない限り会話は出来る。
と、言われた。転院はした。火曜には風呂にも入った(今度のところはベッドのまま風呂に入れると前に弟から聞いていた)スマホを見ない。タブレットも見なくなり、よく紙の漫画を読んでるらしい。
私は、土日どちらでも良かったが、その週は早出の1.5倍勤務で疲れるから土曜に休んで日曜に行こうと思ってそう伝えた。

早出の週の勤務がやっと終わった19日の金曜、帰りの電車を待っている時に母からの着信履歴に気づいた。兄からはLINEがあり「母から電話が来た。よくないから来てくれって」とあり鼓動が早まった。
師匠おばあと上の空で会話して駅についてから母に電話すると、「日曜に来るの?今日の方がいいと思う。日曜は天気が悪いし、今日来た方が」と普通に言われた。多分私に心配させないように具合の悪さは言わなかったのだと思う。
私はホスピスに行ったことがないから、母に駅まで来てもらい向かった。
前に入院していた病院よりも、私には電車一本で行きやすい場所にあった。
着くと弟は意識がなく、マスクをして大きくお腹を揺らして呼吸していた。目は裏返っていた。
先生から説明があったけれど、ぼんやりしたことしか言われなくてあまり覚えてない。要するに今日死ぬってことですか?ここから回復はしないんですか?ここを乗り切ればまた安定するんですか?知りたいことは聞けなかった。聞いてもはっきりとは答えてくれないと思う。とにかく今夜にも危ない可能性はあるということだった。最後の最後まで、朦朧としていても、呼びかけや家族が会話してるとか、触れられてることなど、わかるので話しかけたりしてあげてくださいと言われた。

私はその日は13時から17時過ぎぐらいまで居た。
母は家に一人にしている父が心配だから先生が帰ったら帰って、私と兄が残っていた。
途中から、15時過ぎぐらいか、弟の意識が戻ってはっきり目の焦点が合った。
喉乾いた?お水飲む?と聞くと「うん」と言い頷くのでベッドを起こすと、コップの水を飲んだ。ちょっと前の弟の感じだ。私と兄は「あーよかった」と言い合い、兄は「お前はしぶといからまた復活だな」とか言った。
それからふと弟が、「姉ちゃんは、姉ちゃんは」と言い、「もう言えなくなるかもしれないから」と言って「一番、楽な相手だった」と言ってくれた。
弟の唇は下が腫れ上がり、何を言ってるかよく聞き取れないんだけどその時ははっきりと言ってくれた。「感覚が合うから」と言ってて、私は「かんかく?間隔ってなんだ」と思って何度も確認した。「ああ、感覚か!センスの感覚か!そうだよね、一番仲良しだもんね」と言ったら気持ちが溢れてきて、泣き崩れて色々言ったら弟がびっくりしていた。
私は子供の頃、弟と二人で留守番してる時よく、死んだふりをして弟を泣かすことをしていた。ウウッ!苦しい!といきなり苦しみだして死んだふりをする、そうすると弟がそのうち不安になり、泣き出すのだ。本当に悪趣味な遊びだ。何度もやってた。それがずっと気がかりだった。やっと懺悔の時が来たので他にも色々、いじめていたことを謝った。それなのに、仲良くしてくれてありがとう。一番の仲良しだから。私の一番の友だちだから。もう少しでいいから頑張って、家に遊びに来て欲しい。と言ったら「それはできないな」と悲しそうに言われてしまった。
弟は私がしていたひどいいじめのことを全部「覚えてない」と言ってくれた。
弟はその後、何度もお水を飲んだし、ポカリも飲んだ。
話をして疲れたから寝かせることにして、その日は安心して家に帰った。
帰ってから(その夜が心配だったから泊まる)兄に連絡すると、落ち着いてて漫画も読んでるというので、さらに安心して、次の日は寝てまた日曜に行こう。もう大丈夫だ、と思っていた。
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