金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

アマゾンKindleで注文していない本が買ったことに・・・

2016年09月27日 | デジタル・インターネット

昨日アマゾンから「注文のご確認」のメールが入ったので、確認すると注文していない電子本(コミック)が買ったことになっていました。

早速ヘルプデスクにチャットで連絡したところ、確認してメールで連絡しますという返事がありました。そして暫くすると「購入を取り消しました」という連絡があり、一件落着しました。ただし「どうしてこのような問題が起きたか、分かれば教えてほしい」という質問に対しては回答はありませんでした。

なぜこのようなことが起きたのか?疑問です(ひょっとすると当方の誤操作で発注したとか?)が、まあ、迅速に対応してくれたので、引き続きアマゾンは利用します。このような経験は初めてですが、ネット社会ではあり得ないことではないだろう、と文系的?な理解で済ませました。

そして改めてネット取引をしている場合は、「注文の確認」メールを速やかにチェックしておくことが重要だと思った次第です。アマゾンのヘルプデスクの対応は迅速だったと評価しておきましょう。

さてそのアマゾンの株価ですが、昨日は米国株全体が軟調な中、同社株も少し下げて、799.16ドルと800ドルを切りました。9月22日には804ドルという高値を付けていたのですが、800ドルの壁は一度では超えることができなかったようです。

もっともアナリストの見方はかなり強気でみずほは先週金曜日にアマゾンのターゲットプライスを855ドルから950ドルに引き上げました。すでに幾つかの証券会社が同社の株価ターゲットを900ドル~1000ドル程度に引き上げていますから、アマゾンの株価にはなお2割程度の上昇余地はあると判断している証券会社が多いということです。アマゾン株の価格上昇力は円高を跳ね返す力を持っているので、私もしばらくホールドを続けようと考えています。

消費者の立場でネット取引会社を判断する場合、「取引のしやすさ」「価格競争力」「デリバリーの速さ」などに目が向きますが、大切なポイントは「トラブル時の対応の迅速さ」にあると私は思っています。昨日の小さなトラブルはアマゾンの対応力を判定する良い試金石だったと思っています。

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Digital dividesの時代からDigital readinessの時代へ

2016年09月26日 | デジタル・インターネット

Digital dividesデジタル・ディバイドという言葉は通常「情報格差」と訳されている。主にインターネットを中心とした情報通信技術の恩恵を受けることのできる人とできない人の間に生じる経済格差を指す概念で、「情報通信技術にアクセスできる/できない」という二進法で分類されてきた。格差は英語ではdisparityというのが一般的だが、デジタル技術にアクセスできるかどうか?でばっさり切った点ではここではdivideという表現が適していると思う。

話はいきなり余談になるが「差と格差」という言葉について考えてみた。格差は「同類のものにおける価格・品質などの差」であるから、基本的には「差」と同じ意味(格差は差の大きなもの)だと思うが、格差はしばしば是正という言葉を伴うように、価値観を伴って使われることが多いと私は思う。格差はしばしば不均衡の同義語として使われ、是正すべき対象と考えれるようだ。

本題にもどると米国の調査機関Pew Research CenterがDigital readiness Gapsというレポートを発表していた。Digital readinessデジタル・レディネスという言葉は「直訳するとデジタル情報に対する準備」だが、それでは分かり難いので、ここではデジタル・レディネスのまま使うことにして、まずPewの説明を見てみる。

Pewはデジタル・レディネスの要素を「コンピュータを通じてデジタル情報にアクセスする技術への自信」「オンラインで得られる情報の信ぴょう性を判断する能力」「e-ラーニングを学習手段として利用している度合い」に分解している。

「情報格差」は単にデジタル情報にアクセスできるかどうか?という時代から「インターネット上に氾濫する情報の中から信頼できるものを選ぶ」能力や「インターネットを学習手段に活用できる」能力で評価される時代に入ってきたようだ。

Pewはクラスター分析の結果、デジタル学習を物差しとしたデジタル・レディネスの観点からアメリカ人を5つのグループに分けている。

【準備ができていないグループ】 全体の14% 女性・50歳以上の人・低所得層・正式な教育水準が低い人

 コンピュータ技術が低く、オンライン情報の信頼性に自信が持てないグループ

【伝統的な学習者】 全体の5% 女性・少数グループ・50歳以上・低所得層

活動的な学習者である程度のコンピュータ技術を持っているが、コンピュータを学習機材として使っていないグループ

【気乗りのしないグループ】 全体の33% 男性・50歳以上・低所得層・正式な教育水準が低い人

上の二つのグループに比べると高いコンピュータ技術を持っているが、新しい教育システムに対する知見が低いグループ

【慎重なクリッカー】 全体の31% 高いコンピュータ技術やインターネット上の情報を判断する自信を持っているが、デジタル学習に熱心でないグループ。相対的に所得が高い。30代から40代

【デジタル学習の準備ができているグループ】 全体の17%。デジタルツールを積極的に学習に活用しているグループ。所得・教育水準が高い。30代から40代

★   ★   ★

Pewの調査は、デジタル学習(e-ラーニングやオンラインリサーチの活用)という切り口から、コンピュータの活用度合いでアメリカ人のユーザをグループ化したもので、e-ラーニングの普及度合いからみてそのまま日本に適用することは難しいと思う。

ただしデジタル情報の利用が、単にアクセスできるかどうか?の時代を超えて、その信ぴょう性を判断する能力の時代に入っている点では日米の共通性は高いと思う。

要はハード面からソフト面の格差が新しい情報格差を生む時代になってきたということである。

 

 

 

 

 

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初秋の晴れ間の三渓園

2016年09月25日 | まち歩き

今日(9月25日)ワイフと横浜の三渓園に出かけました。

三渓園に行くのは初めてです。少し前に購読先の新聞店から9月末期限の招待券を貰っていたのですが、天候不順で出渋っていて、漸くチャンスが巡ってきました。

私が住んでいる西東京市から三渓園は遠い。乗り換えのない西武新宿線Fライナーという元町中華街駅直行電車を選んで出かけました。

明治から大正にかけて生糸貿易で財を成した原三渓が作った庭園の規模は素晴らしい。

京都など遠隔地から寺院などの建物を移築していますので、寺院等は「死んでいる」(つまり信仰の対象にはなっていない)という問題はありますが、まず関東一円では第一級の史跡の集合体?といって良いと思いました。

写真は京都相楽郡の旧燈明時(廃寺)の三重塔です。

塔の横から大池を望みます。

今日は最近では珍しく、日が差すと汗ばみましたが、秋は確実に近づいています。曼殊沙華が咲き誇っていました。

早めの昼食は待春軒で「シメジの炊き込みご飯」を頂きいました。@1,200円。値段の割にはカロリー不足という気もしましたが、健康のためにはこれ位が良いでしょう。

待春軒に近い旧矢箆原(「やのはら」箆の字の入力には苦労しました)家住宅はボランティアさんのガイド付きで内部を見学することができました。

白川郷から移転された建物の内部は一見の価値ありです。

数寄屋風の臨春閣は風格があります。

都合2時間ほど見学に費やしました。

9月は天候に恵まれず、山らしい山には行きませんでした。三渓園の三重塔のある丘に登ったのが、唯一の山(丘)歩きになりそうです(苦笑)。

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「金融レポート」を深読みすれば見えてくる国民の資産形成問題の障壁

2016年09月21日 | 金融

 

金融庁は9月中旬に「金融レポート」を発表した。以前よりも消費者寄りの姿勢になっていて中々興味深い。

中でも「国民の安定的な資産形成の促進:『貯蓄から資産形成へ』」は我々に直結する部分なので、少し詳しく読んでみた。

概論として金融庁は次のように書き出す

  • 我が国の家計金融資産は増加傾向にあり、2015年末で1,700兆円を超えている。・・・現預金は約900兆円に達している。
  • 米国と資産構成内容を比較すると米国では株式・投信等を直接保有している比率が3割を超えているのに対し、我が国では1割強に留まっている。

別に他国のことは他国のこととして、真似はする必要もないという意見もあるかもしれないが、資産構成比率の違いは家計所得の源泉に大きな違いをもたらしている(筆者コメント)。

  • 米国では家計所得のうちの勤労所得と財産所得の比が概ね3:1で推移し、家計をサポートしているが、日本では8:1で財産所得が家計所得に貢献できていない。

ということで金融資産の構成を変えることで、もっと家計所得を増やすことができるはずだというのが金融庁の意見

ではその阻害要因は何だろうか?

金融庁はまず家計の金融・投資リテラシー不足を指摘し、投資教育の重要性を指摘する。重要な課題ではなるが、今回の論点から外れるので言及しない。

次に金融庁は金融商品やサービスを提供する金融機関側の問題をいくつか指摘している。

例示的に言えば次のような点だ。

  • 例えば(投資信託の)販売会社については、短期的な手数料収入等の足元の利益を優先させるあまり、顧客の長期的・安定的な資産形成に貢献し、そのことにより自社の収益基盤の拡大も図っていく、という姿になっていない状況が推察される。
  •  銀行において、投資信託販売額や収益が増加してきた一方、残高や保有顧客数が伸び ていない状況を見ると、今なお、いわゆる回転売買が相当程度行われていることが推測さ れる。

  • (総合的に見て) 金融機関においては、短期的な利益を優先させるあまり、顧客の 安定的な資産形成に資する業務運営が行われているとは必ずしも言えない状況にある。

 だが私は金融庁が声高には指摘していないある点を問題視したいと考えている。

我が国の投資信託は、米国のものに比べ、1本当た りの規模が小さく、設定以来の年数が短く、手数料が高いという結果となっている。また、 長期的に見た場合(10 年間)の運用結果(収益率)にも大きな違いが出ている

という点だ。

以下の図は金融レポートからコピーしたもので、日米の純資産額が大きい5つの投資信託について比較したものだ。

次のようなことが分かる。資産規模で米国投信は日本の20倍。販売手数料は日本が米国の5.4倍。信託報酬は日本が米国の5.5倍である。

なお過去10年の平均的な収益率は「販売手数料を加味」したものである。資産規模の大きい投資信託の運用内容は相当違う(米国はインデックス運用が多く、日本はテーマ型のアクティブ運用が多い)ので、ここでは運用内容までは踏み込まない。ただ過去10年において米国で投資信託を買った投資家はハッピーで、日本の投資家はアンハッピーだったということになる。

ここで問題としたいことは「日本の投資信託は運用規模が小さく、販売手数料や信託報酬が高い」という点である。

パッシブ運用の場合は資産規模の大小がコスト比率に直結し、信託報酬に大きな影響を与える。つまり「国民の資産形成上根幹となる株式等のパッシブ投資信託で規模の小さいファンドしか存在しない」ということは壮大な無駄ではないか?と私は考えている。

つまり規模の利益を享受できていないのである。

もし金融庁が本気で「貯蓄から投資」を推進するのであれば、その受け皿となるパッシブ投資信託(具体的にはETF)を作るように強力なイニシアティブをとるべきだろう。

ETFは株式と同様取引所で売買されるから、売買委託手数料は0.1%(ネット証券の場合)程度と投資信託の販売手数料に比べて極めて低い。

実は証券会社がETFの販売に熱心でないのは、投資信託の販売の方がはるかに儲かるからである。

この低成長・低金利の時代に資産形成につながる投資の鉄則は、同じリスクであれば徹底的に低コストの商品を利用することである。

消費者が販売手数料や信託報酬の低い商品の選択を強めれば、小規模で割高な投資信託やそれを販売している証券会社や銀行は淘汰され行くはずだ。金融庁が守るべきは高コスト体質の投資信託や販売会社ではなく、投資家なのである。

 

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健康促進は多生の縁から

2016年09月20日 | うんちく・小ネタ

昨日(9月19日)夜のNHKスペシャルで取り上げていたのが「健康格差と所得や地域の格差の問題」でした。

健康と所得の間に相関関係があることは、所得の高い人ほど健康診断や予防医療に取り組む機会が大きいことなどから、推測できますが、私が注目したのは、健康と社会的なかかわりの関係でした。最近の内外の研究では社会的かかわりが多い人ほど健康面で優れているということが明らかになりつつあるそうです。一般に所得が高い人ほど外部とのつながりが多いと仮定すれば、この面からも所得が高い人ほど健康面で恵まれる機会が大きいということになります。

しかし社会全体の健康レベルを高めるためには、所得水準にかかわることなく、多くの人が社会的活動に参加できるような社会を目指すことが必要でしょう。

そのためには行政や各種の団体のイニシアティブが必要でしょうが、個人レベルの気持ちの持ち方も大切だと私は考えています。

他人とかかわりを持つと「いつどこで会う・どこそこの集まりに顔をだす」など予定が生まれてきます。つまり用事ができ、行くところができる。

これをシニアには「教養(今日用)」「教育(今日行く)」が必要だと言っている人がいました。

人とのつながりは「多生の縁」から生まれます。小さなつながりを大切にしていくという意味では「多少」と書きたいところですが、これでは「多生の縁」の誤用と思われてしまいます。

多生の縁というと「袖振り合うの多生の縁」というように、袖を触れあうようなちょっとした出会いも前世からの因縁によるという仏教の教えだそうです。

仏教の教えというと「一期一会」という言葉もあります。人との出会いをおろそかにしないという意味です。

いずれにせよ、人とのつながりを大事にして、多くの人が社会的かかわりを持って生きていく社会を目指したいものだと思います。

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