金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

格差のもとになる知識とは?

2016年09月15日 | ライフプランニングファイル

少し前に「よくぞ言ってくれた『言ってはいけない格差の真実』」というエントリーを書いたところ、色々なところからアクセスがあった。このエントリーは文芸春秋に橘玲さんが書いた「言ってはいけない格差の真実」という記事を紹介しながら、私の意見を加えたものだったが、「格差の原因となる知識とは何か」という点についてあまり言及しなかったので、ちょっと触れていきたいと思う(間接的にはソフトスキルが重要だとは書いたが)。

以下は私がビジネスパーソンとして、「採用される立場」「評価される立場」「評価する立場」「採用する立場」を経験し、転職した同僚・先輩後輩の成功事例・失敗事例などを見たことをベースにしている。したがって統計的な根拠がある話ではない。一人のビジネスパーソンの感想である。

経済格差の元になるのはソフトスキル

経済格差の元になるのは、ソフトスキルである。ソフトスキルとは「論理的思考力」「折衝力」「チャレンジ精神」「リーダーシップ力」などの総称である。大雑把にいって人間力と考えてよい。ただしその定義や範囲は人によって異なるがっこでは深入りしない。「狭い意味の知識」「技能」をテクニカルスキルというので、人間の持っている知的能力の中でテクニカルスキルを除いたものと考えても良いと私は考えている。そしてそのソフトスキルの差が経済格差の一つの原因になっていると私は考えてきた。

テクニカルスキルが学習で身につくことは容易に理解できると思うが、ソフトスキルが学習で身に着けることができるかどうかは議論のあるところだ。ある種のソフトスキルは学習することで向上することは間違いないが、ある種のソフトスキルは先天的なものではないか?と私は考えている。

今年8月初めに文部省の諮問機関である中教審は今後「アクティブラーニング」を重視するという新しい指導方針を提言した。アクティブラーニングとはソフトスキルを高めるということなので、教育の専門家はある種のソフトスキルが学習の成果であると考えていることは間違いないし、私の同感である。

求められるソフトスキルは環境によって異なる

求められるソフトスキルは時代や環境・職業・地位によって異なる。私が会社に入った頃(昭和50年)は、高度成長の余韻が残ている頃で、業務の量的拡大が業績拡大の推進力と考えられていた。だから「独創性」「発想力」といった能力より「数値目標への執着」「集団帰属性」といった特性が着目された。

しかし時代は国際化に移り、低成長やがてバブルそしてバブルの崩壊、失われた時代へと進んでいく。同じことの繰り返しでは利益を上げることができなくなってくると「独創性」「新規分野へのチャレンジ精神」といった特性が「協調性」などよりも重視される時代となった。

このように見てくると重視される特性、ソフトスキルというものは時代環境で変わっていくということができる。その中で変わらないものがあるとすれば「環境適応力」であろう。環境の変化に対して持っているソフトスキルの引き出しの中から必要なものを取り出して対応できる能力があると経済的に成功する可能性は高い。

私自身は自分が「環境適応力」が高いかどうかはわからないので、私の後輩のKさんの話をしてみよう。彼は私のいた会社に海外経験を買われて中途入社してきた。そして私のいた会社が海外業務を大幅縮小した後、ある電機メーカーに転職し、最終的には役員になった。私は彼のような人間は環境適応力が高いと考えている。海外経験や英語力を持っている人は他にも沢山いたが、彼のように上手くいった例は私の周りでは少ない。

人間の本能には「現状維持をしたい」という本能と「新しいことをしたい」という本能が併存している。新しいことをするにはリスクが伴うので「リスク選好度」と考えても良いだろう。ある程度のリスクを覚悟で新しい環境に身を置き適応していく能力=環境適応力は勇気を必要とする。人の人生は「現状維持」と「勇気」のバランスで決まると考えても良いが、私は居心地の良い「現状維持」と「勇気」のバランスは人によって異なると考えている。「現状維持」指向が強い人間が過度の「環境リスク変化」を取るとストレスから心身のバランスを崩すことになる。私は「現状維持」と「新しいことへのチャレンジ」のバランスはかなり固有のものだと考えている(長期的には文化・経済環境の変化で変わっていくとも思うが)

ソフトスキルの中には資質と才能が混じっている?

ソフトスキルと一括りに話をしてきたが、恐らく「資質」と「才能」の二つに分解することができると私は考えている。

資質とは例えば「やり始めたことをやり抜く持続力」のようなもので、才能は文才だとか計算能力のようなものだと私は考えている。

環境適応力も一種の資質である。人間の資質には違いがある。違いがあるから色々な環境変化に対応でき、人類全体として発展を続けることができるようになっているのだと思う。

そしてこの資質の部分は先天性がかなり高い。そしてその資質の部分が実は経済格差の一つの要因になっているのではないだろうか?

むしろ知能テストで測定されるIQの数値よりも資質の方が大事ではないか?と私は考えている。

 

 

 

 

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銀行預金が遺産分割協議の対象になる可能性(相続法改正中間試案)

2016年09月15日 | 相続

「銀行預金が遺産分割協議の対象になる可能性がある」というと、今まで相続手続きをされてきた方の中には怪訝に思われる方も多いと思う。

相続時に亡くなった方の銀行預金を払戻・解約のために銀行に行くと「相続人全員の方の署名・押印した遺産分割協議書が必要です」と言われ、時間と労力をかけて、遺産分割協議書を作られた方が多いからだ。

「銀行預金も遺産分割協議の対象である」というのは実務慣行である。ただし最高裁が下している判例によると「預金のような可分債権は当然には遺産分割協議の対象にはならず、相続人全員が遺産分割協議の対象にしない限り法定相続割合に基づいて分割可能」ということになっている(下級審には異なる判例もある)。

今回法制審議会(相続関係)は中間試案で相続法の改正に関するいくつかの提言を行っている。その一つとして「預金に代表される可分債権も遺産分割の対象に含める考え方」を提示しているが、試案には甲案・乙案がある。甲案というのは「預金債権を遺産分割協議の対象に含めるが、遺産分割前でも相続人は法定相続分に応じた預金の引き出しが可能」(分かり易いように「債権の行使」を「預金の引き出し」と言い換えている)というものだ。

そして遺産分割協議が整った後で、実際の遺産相続額を上回るような預金の引き出しがあれば、それを他の相続人に後で返還しなさいという考え方である。

乙案というのは「遺産分割協議が整うまで、相続人全員の合意がない限り、預金の引き出しはできない」という考え方だ。

それぞれにメリット・ディメリットがある。甲案の問題は「銀行窓口で法定相続人が全員で何人いて、自分の法定相続分はいくらでだと示さないといけない点」と「法定相続と異なる割合で遺産分割が行われた場合、最終的な調整が相続人に委ねられる点」だ。つまり預金を引き出してしまった人が他の相続人に現金を返却しないといけない場合に「もうお金はないよ」と開き直る(平たくいうと)リスクだ。

一方乙案の問題は「目先の生活資金に不足する相続人が遺産分割協議が整うまで被相続人の預金を引き出すおとができない点」だ。特にご主人が生活資金の大部分を管理していて、残された奥さんがほとんど現預金を持っていない場合である。

甲案・乙案のメリットは上で述べたことの逆である。つまり甲案だと「生活資金の問題は解決する」。一方乙案だと相続人間のトラブルや銀行の二重払いリスクは回避できる可能性は高いが、生活資金の問題は解決する。

★   ★   ★

この問題について一般社団法人 日本相続学会としては預金にある種の特約(預金者が死亡した場合あらかじめ指定した相続人が一定限度内で預金を引き出すことができる)をつけることで解決できるのではないか?と考え、そのような条件付きで乙案を支持するパブリックコメントを出す予定でいる。

なお預金が遺産分割協議の対象になるかどうかという点については現在大法廷で審議中であり、その結論が法改正に大きな影響を与えると考えられる。

★   ★   ★

さてここからが一般預金者として考えておくべきことである。

法改正がどうなるかはわからないが、実生活上トラブルが発生するのは、預金者であるご主人が亡くなって残された奥さんがほとんど自分名義の預金を持っていない場合である。このような事態を避ける一つの方法は、日ごろから奥さんの預金に葬儀費用や数か月分の生活費などの費用をプールしておくことである。たとえば奥さんに国民年金が支給されている場合、そのお金を残して、生活費をご主人の勘定から支払うことで資金をプールすることができる。

次に銀行が行っている遺言代用信託という商品を使うことだ。遺言代用信託というのは「顧客が銀行に預けた(信託した)資金を相続が発生した場合にあらかじめ指定した相続人(この場合奥さん)に給付する(払戻す)という商品だ。以前は信託銀行だけが提供していた商品だが、最近では都市銀行や一部の地銀でもこの商品を提供している。

高齢化等で複雑化する社会を法律だけ解決していくことは難しい。消費者もまた工夫が求められる時代なのである。

 

 

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【イディオム】Digital natives デジタル社会がインフレを抑制する

2016年09月15日 | 英語・経済

Nativeとは「生まれつきの」「その国に生まれた」という意味でNative speaker というと母国語を話す人という意味だ。

Digital nativesとはインターネットやパソコンのある世界で育ってきた若者を指す言葉で、概ね1980年代後半から2000年くらいに生まれた世代を指している。CNBCのインタビューにHSBCのエコノミストは次のように答えている。

「IT技術に熟達したデジタル・ネイティブ世代の台頭によって、さらにインフレ率は低下する可能性がある。現在この世代の構成割合は8.6%だが、2050年には全世界の5割に達するだろう。タクシーの配車サービスのウーバーがタクシー料金を下げ、アマゾンが本の価格を下げる。そして人々がもっともっとIT技術を消費に活用するようになると物価をさらに押し下げるだろう。もしIT技術革新が低インフレの原因であるなら、中央銀行がインフレ退治のために低金利政策を取るというのは正しい答でない可能性がある」

IT技術やインターネットを利用して、少しでも安いものを手に入れようとするのは若者だけではない。おじさん世代も旅行する時はExpediaやBooking.comを使って少しでも安い航空便やホテル料金を探すようになっている。

私が見たところでは、同じホテルの室料でも利用する旅行代理店(オンライン)によって違うことが多い。Booking.comは各旅行代理店の提示料金を一度に示すサイトだから最安値を簡単に見つけることができる。

おじさん・おばさん世代になってから、IT技術やインターネットを利用するようになった人のことをDigital Immigrant(デジタル移民)というそうだ。

実社会の移民については色々な議論があるが、デジタル移民に関しては反論する人はいないだろう。おじさん・おばさん達も積極的に移民になろう。

ところで身の回りの友人・知人などを見ながら、デジタル移民化する人と移民化しない人の違いについて考えてみた。私の年代(60代半ば)の人で会社勤めを経験した人はほぼ最低限のデジタル化はできている。つまり会社で電子メールや交通費等のネット請求が普及する時代に会社生活を送ったからデジタル化の基礎技術は持っている。

しかしSNSの利用あたりになるとかなり差が出てくる。その差は何に起因するのだろうか?

まずデジタル移民する人は「新しもの好き」だ。好奇心がある。次に「多少目立ちたがり屋」だ。自分がどこに行った、どこで美味しいものを食べている、ニュースについてこんな風に感じたということを発表したがる。

そして概ね「活動的」だ。旅行好きの人は少しでも安いホテルを探すため、インターネットサイトを活用する。非デジタル移民が総て非活動的だとは思わないが、私の周りを見るとデジタル移民の方が総じて活動的である。

「新しもの好き」(好奇心が強い)「多少目立ちたがり屋」(自己主張がある)「活動的」といった行動特性は概ね人生を楽しくする特性と考えてよいだろう。

そしてそれらの特性は概ね企業社会や非営利的な社会活動において求められる特性なのである。もっとも過度の目立ちたがり屋は目障りだが。

 

 

 

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