いつも投稿している雑誌に今月は「混迷する政局を明治維新に重ねてみる」という小文を寄せることにした。
何故明治維新を重ねるのか?というと最近読み終えた「明治維新1858-1881」(講談社現代新書 坂野潤治+大野健一)という本の中に幾つか今日の政治問題を考える上でのヒントがあったからだ。
「明治維新 1858-1881」は次のように述べる。「幕末維新期は、政治制度が整わないなかできわめて成熟した政策論争が行われた時代であった。・・・・・しかしながら、民主主義が次第に制度化され、政治のルールが確立されていくにしたがい、政策論争の内容はむしろ形骸化していった。・・・・戦後日本の民主主義は、国家主権、人権擁護、三権分立、平和主義のいずれをとっても完璧に近い制度を享受するにいたった。・・・・だがこの恵まれた制度の下での近年の政策論争が幕末維新期のそれよりも高度であったかと問われれば、我々は首をかしげざるを獲ない。」
この本は幕末維新期を日米修好通商条約が締結された1858年(安政5年)から明治14年の政変が起きた1881年までの23年間ととらえる。この時期に変革期のリーダーは「富国」「強兵」「憲法制定」「国会開設」の4目標を並立的に掲げ、リーダー間の合従連衡や政治目標の優先順位の柔軟な組み換えを行いながら、国の変革期を乗り越えていった。
冷戦の終結やバブルの崩壊が起きた1990年頃を一つの時代の転換点とするとそれから20年の歳月が流れた。概ね世の中は20-30年位のサイクルで回転していくという見方ができるが、我々は1990年以降どれほどのことをしてきたのだろうか?
時代は20-30年で転換していくという仮説にそって近代の日本史をみると、1851年から81年が幕末維新期、それからの約30年つまり明治年間は近代日本が「富国強兵」面で飛躍した時代、次の20年つまり大正年間から昭和の初期は民主主義が発展した時代、そして1930年代の中頃から1960年位の30年間は戦争・敗戦・戦後の混乱期、そして次の30年が高度成長期となる。現在はポスト高度成長の混乱期と位置づけられる。
「明治維新 1858-1881」は「柔軟な連携の組み換えが長期にわたって持続した理由として、ナショナリズムや尊王思想が社会的エトス(社会集団を特徴付ける気風)が政治闘争をある一定枠内にとどめて暴走を回避させたのである」と述べている。
社会的エトスというと高度成長期を特徴付けたのが「勤勉・終身雇用」などのエトスであった。ポスト高度成長期の政治的混乱の大きな理由は社会的エトスが確立されていないことではないかと私は考えている。
政治が立ち尽くしているのは日本だけではない。米国もドイツもフランスも政府は支持率の低下に悩んでいる。だが社会的エトスの混乱という意味では日本は一番深刻かもしれない・・・・