S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

「たったひとつのたからもの」:知的障害者の社会参加

2004年11月02日 | たったひとつのたからもの
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「たったひとつのたからもの」と入れた結果は、
11月2日夕刻現在、408件です。
コツコツと読みつつ、まだ読破できていません。

「たったひとつのたからもの」
そのドラマの中に仕込んであったのは、
ダウン症児の「子役」と、
ダウン症児・者の「ダンス教室での姿」と、
ダウン症者の働く姿として出てきた「ノスモ」ですね。
実在する店と、実在する「店長」とで、
ドラマの中に仕込まれた「ドキュメンタリー」ではあったのですが、
このシーンをどう見るか、
視聴者の判断にゆだねられている部分だと思います。

いろいろな方のブログでの感想を読んでいく中で
「子役」と「ダンス教室」にふれられているものは多いですが、
この「働く姿」に関して出てきていないのは、
(もしくは見つかっていないのは)、
とても残念に思います。
ドラマの中で出てきた、
とてもていねいな「いらっしゃいませ」という姿、
黙々と変わらずに働く姿が
感想の中に出てきて欲しかったかな、とは思います。

この光景は、ドラマの展開の「背景」として出てきていました。
知的障害の軽い重いということで、
彼らが社会に出たときに「何ができるか」という違いは、
個々であるのですが、
個々の個性に応じた社会参加の姿が
普通のドラマの背景シーンなどで使われるようになっていくことも
望みたいなとは思います。

働く姿といえば、
非常に残念なことがありまして。
何かの記事、タウン誌だったか、福祉関係の情報誌だったか、
忘れてしまったのですが、
自閉症の方がエスプレッソを淹れるコーヒー店があるそうで。
自閉症の方は、その障害からくる行動特性に、
「ある特定のことに強いこだわりを持つ」ということがあるのですが、
この方は
「毎回同じ味を淹れることにこだわりを持つ」ということで、
その味は、いつその店を訪れても、変わらずに絶品なのだそうです。

是非、行ってみたいものです。

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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして! (ビッグママ)
2004-11-03 10:52:13
ちょくちょくお邪魔していたのですがコメントは初めてです。

私のとこには4歳の自閉症の息子がいます。



自閉症の子というのは障害ゆえのこだわりがあって私も息子のこだわりにはキリキリしていました。



自閉症だけではないと思いますが仕事上こだわりゆえトラブルが絶えないというのも事実です。

でもいつも同じ味の絶品コーヒーかぁ。飲んでみたいものです。



私はダウン症のお子さんがうらやましくて仕方がありません。自閉症の子にかけているもの私が息子にほしくてたまらないものをあふれんばかりにもっていると思っています。



「ダウンちゃん」という言葉が嫌いだと書いておられましたが私はいいと思っていたんです。実は・・・

でも嫌と思っている方がいるのがわかってよかったです。心の中でしか言った事はないですがしらないと言ってたかもしれないし。



こうやっていろいろなお話がきけてよかったです。

返信する
こんにちは (S嬢)
2004-11-03 17:33:25
わたしはあなたのところを知っていますよ。

かなり前に閲覧しました。



「障害がわかるまで」

「ジューに向き合えるまで」

この二つのカテゴリは、とてもいい、ですよね。

とても素直な文章だと思う。

実は、これは、友人何人かにURLを渡して、

「いいよねえ」という会話をしていました。

ブログのカテゴリに埋もれてしまうのではなく、

この二つのカテゴリの中の文章、

HPの形にまとめませんか?と勧誘したいくらい。



このあたりのところで、特にコメント入れなかったのは、

なんかね、出かけていって、

「これはいいです」なんて、

ほら、すごく変な人というか、偉そうでやらしいでしょ。

で、ま、いっか~~というとこで。

それに、なんだっけ、

ここのブログの誰かんとこのコメントレスで書いたんだけど、

ネットの人間関係ってのは、

無理になんか言ったり、無理に関わろうとしたりしなくても、

必要な好機ってのは、ちゃんと回ってくるんじゃないかな、と。

出かけていって、「コレはいいです」は偉そうで、気持ち悪いけど、

いらしていただいて、自分ちだったら、言ってもいいかな、と。

ま、そんなとこで、

アレはよいです、とても!



ちょっと長くなりますけどね。

今回、もう「カテゴリ」にしちゃった「たったひとつのたからもの」、

この最初の記事で、このドラマに関して

「見なくてもいいかな」と思っていたことのひとつですけどね。



・あ、ダウン症のドラマね。。。



ってのがあったんですよね。

ダウン症ってのは、障害に縁の無い方にとっては、

入りやすいですよね。

ダウン症っていうのは、知的障害というものに対しての怖れを、

ふっと薄くする部分がある部類の障害だと思う。

ほんわかキャラ、というかね。

これは、まちがいなく、「行動障害の悩みが薄い障害」

だからだと思う。



ダウン症の取り上げ方を見ると、

いつも、自閉症の子のことを考えてますね。

同じ取り上げ方、できないよねって、思うというか。

こういう「外向け」の素材として、

「ダウン症は、障害児界の癒し系?」

「扱いやすい障害児?」とか、

そういうとこ、あるんじゃない?とか、思っちゃうんですよね。



「ダウンちゃん」ね、

嫌いですよ、わたしは。

「じゃ、自閉ちゃんって言ってみろよ」とも思うし、

「重心ちゃんとか、言えるのか」とも思うし、

「筋ジスちゃん、とか言ってみるか?」とか、思う。

「ダウンちゃん」の言葉を聞く度に、

「いいわよねえ、ダウン症って」という、

今まで言われたことのある、ため息まじりの言い方のようなものが、

こう、よみがえるような気がしますね。



と、障害の症例別、ってとこで、

いろんなこと、考えたことは多かったですが、

今は、ダウン症というのは「障害」に関しての「窓」ではないか、

と思うようにしています。

つまりね、

「障害」に関して縁の薄い方が、ダウン症をおずおずとうかがい、

「障害」に関しての抵抗感を薄くする。

はい、チャンスです。

次、いきますよ~~、こういうのもありますよ~~、

って、

そういう感覚が、人の中にうまく入っていかない、か、な~~、

なんてね、思ってるんだけどね。

だから、今回のドラマも、

100人見たら、その中の一人でもいいから、

その窓で開いた「その先」の視点を持ってくれる人が出ればいいなあと思うし、

そのことを、どこか信じたいな、とも思うんですよね。



まあ、あせらず、かな。
返信する
ところで (S嬢)
2004-11-03 17:48:59
自閉症の子って、

「美少年」多いですよね。
返信する
神戸より (ジャスミン父)
2004-11-05 13:38:00
あ、ビッグママもいますね。

うちは2歳の自閉症の娘がいます。

もしかして、もう訪問済でしょうか(笑)?



起承転結の結の後、それにつきますね。

ただラブロマンスものの映画でもその後の夫婦生活もあるだろうし、ホラーものはまだ殺人鬼が生きているような匂いを残すし、まぁ良いかな、と(全然、例えになってませんか?)。



自分は障害を持って生きていくこと、それ自体の困難さと周囲の環境の問題は切り離して考えていきたいと思っています。

周囲の環境の問題は差別を含みますが、その根底には“無知・無理解→誤解→偏見→差別”といった連鎖があるといいます。

お涙頂戴もののテレビドラマ、自分のblog…。

考えるキッカケさえない人へ提言を続けることは意味のあることだと信じています。



またうちもお寄りください。
返信する
こんにちは (S嬢)
2004-11-05 15:20:42
すみません! お初です!

行ってません!



行ってきました!

すみません!

開設から二ヶ月読んで、途中で挫折しました。

えっと、あのう、

黒地に赤文字が、

ちょっと、目にきつかったです。



いや、あのう、

ちょっと思ったんですが。

もちょっと、カテゴリ分け、しません?

そうすると内容にある程度の予測つけて飛べるので、

ラク、なんですが。



でも、いいですねえ、内容。

愛情あふれていて、それでいて、さらっと書かれていて。

何気なく、自閉症に対して理解をすすめられるような記載があって。



「偏見は、無知から始まる恐怖」って言い回しを

わたしはよく使うのですが。

その上で、時々思うのは、

障害児の親だって、無知から知に向かっていくのに、

ある程度の時間を要するのに、

障害児の親ってのは、他者に関しては、

「最初っから理解」を要求しがちだなあと。

待ってあげる時間ってのがあってもいいよね、と思うことは

あるかな、と。



で、その「待ってあげる時間」に、実に有効に働くのが、

「本人の生きている姿」と、

そのことと周囲との接点の、「日常的な連続した線」だよなと

思うことは多いんですよね。



ダウン症の娘は、学区の小学校の障害児学級に通って、

今年、養護学校の中学部に進学しました。

その弟は、現在4年生。

先日、弟の授業参観で、学校に行ったときのこと。



まあ、学校で、他の保護者とおしゃべりなど、しますわな。

「ドラマ、見た?」

「見た、見た。

 ねえ、あのさ」

と、ここで全然別の話が始まる。



通学路で横断の危ない交差点で、

その交差点の近くの地域の保護者が交替で旗持ちをして、

子どもたちを安全に登校させるという活動があるのですが。

当番は、交差点のあっちとこっちと、二人で担当。

毎日、当番の方は変わるのですが、この時に、よく交わされる会話があるそうで。

「ちぃちゃん、なんで来ないの? 休みかな」

「卒業した、じゃない~~~」



入学から低学年時代は、この交差点は付き添って渡っていました。

そのうち、隠れて見守って、本人に横断させるようになりました。

そして、付き添いなしで、登校できるようになっていったという経緯。



「保護者がいないのは、危険」と学校に連絡されたこともありました。

「親が当然、見て然るべき安全を旗持ち当番に押し付ける」

と言った人もいたようです。

「全然心配いらない、隠れて見てなくてもだいじょうぶ」

と言ってくれた人もいましたし、

当番の方々に理解がされるようなことを言ってくださった方も

いました。

いつの間にか、すたすたとそこを渡っていく娘の姿は、

旗持ち当番をする方々に「自然な風景」として

とけ込んでいきました。

この旗持ち当番の方々の、最近の会話は、

「ちぃちゃん、卒業したんだよねえ」

「そうだねえ」になってるそうです。



これで思ったのは、

何年もの経過の中で、娘の存在自体が「普通」になった光景かな、と。

何人かの方に「ドラマ、見た?」と聞きましたが、

ドラマは、話題のほんのきっかけで、

ほとんどの方との会話の流れが、この方向になりました。



なんかね、

ヒントのようなもの、感じましたね。
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