地域の子ども会行事で「ハッピーバースデー 命かがやく瞬間」という映画を観ました。
本も映画もよく知られているもので、前々から興味があったので、子ども会行事に自分も参加。
内容は、テーマと山が盛りだくさんで、こんなにたくさんのテーマを盛り込んだら、子どもにはきついかもとも思って見ていました。
タイトル通り、命の大切さを主要なテーマにしています。
その中で、「暴力の連鎖」、「障害児のいる家庭におけるきょうだい児が持たされる心理的ハンディ」というものも盛り込まれていました。
途中で飽きて、ごそごそと動く子どもがいる中で、わたしは「コレは息子にも長かろう」と思っていました。
後で、何気なく、彼に聞きました。
「どうだった?」
「すっげ~~~~~~~~~~~、おもしろかった」と答えた。
ちょっとびっくりした。
あら、あんなに主要テーマが盛りだくさんの内容についていけたんだこの子、と思った。
その後で、ちょっと胸が痛んだ。
ドラマの中で出てくる、主人公に精神的虐待を加える母親は、「重度というところに位置する肢体不自由児の姉を持つ」障害児のきょうだいという立場。
映画の中ではこの母親が思春期に書いた「姉に両親の全てを取られる嫉妬で苦しむ日記」が出てきます。
この母親の両親である主人公の祖父母からも、「上の子の障害に対しての対応で精一杯で、下の子をかえりみなかった日々があった」という言葉が出てきます。
下の子が母親になったときに、娘に精神的虐待を加えるようになったのは、自分たちの「罪」なのだと。
ウチの息子も幼児期「みんながちぃちゃんにばかり注目する」「ちぃちゃんばかりかわいがる人がたくさんいる」と荒れていたこともありました。
彼にとっては姉の「障害」よりも、自分への注目を奪う相手という概念が姉に対してあった。
成長と共に「障害」という概念を理解し始め、今は納得してきている部分もあれど、この映画に出てくる「きょうだい児の心境」が理解できる部分があるのだろうなと。
うちは「両親の全てを取られる」まではいかないけれど、娘優先を彼に「話して理解してもらう」ことは、彼の成長の中で増えてきていますから。
ウチはわたしが「息子に甘い」ことは衆知ってのがありますが、その原点として、ヨソ様から「あそこんちは甘いから」と言われる程度を維持して、彼にとっては「とんとん」かな、ってとこはあるなあとも思う。
もちろん、先を考えない「甘やかし」はしませんが。
「すっげ~~~~~~~~~~~、おもしろかった」の直後に、彼はこうも言いました。
「おかあさん、泣いたでしょ」
そう何度も言った。
これは多分、ドラマの中で主人公の友達である障害を持った子どもが死ぬシーンがあったからだな、と思った。
息子は幼稚園の年長児の時に、ずっと同じクラスだった友達を亡くしています。
たった6歳にして、友人の葬儀というものを経験している。
意味がつかみきれない彼に「死」というものを話しながら、わたしがその話になるとべーべーとよく泣くということを彼は知っているわけです。
べーべーと泣く割には、その子の話を何年も何年もやめない。
「あの子のことを忘れないで欲しい。
あの子が生きていたことを知っている人が忘れていってしまったら、あの子は本当に死んでしまう」と。
この映画の中でも言ってました。
生きている時に友達だった子の中で「生き続ける」ということを。
それを観ながら、彼の思考は「母」に結びつき、それゆえの「おかあさん、泣いたでしょ」ってことかなあと思った。
で、彼はそのシーンを見ながら「おかあさんが泣く」と思ったのだろうと。
最初は「ん?」とかやり過ごしてましたが、あんまり「泣いたでしょう」とウルサいので、「泣いたよ」と答えました。
ホントは泣いてないんだけどね。
だって、この障害児を描くシーン、観る人に対してのサービスのようなトコ、感じちゃってたから。
だって、コレに出てくる障害を持つ「友達」の子、わかりやすいんだもん、笑顔と喜ぶ声が。
なんか、「観てる人が美談と思うように」って感じが、ちょっと匂ってしまったので。
養護学校が出てきて、いろんな子の「映像」が出てくる割には、そのうちの「たった一人」だけが登場人物で、周囲の子どもが関わるのも、その「たった一人」だけだし。
しかも、髪に花をつけた女の子だしね。
「色の無い」、「ただの風景」として出てきた男の子たちが、ちょっと気になってしまったわたしなのでした。
結局のとこ、息子は「すっげ~~~~~~~~~~~、おもしろかった」と「おかあさん、泣いたでしょ」しか言ってくれません。
この辺が、まあ、男の子の成長ではあるのだろうけど、ちょっとつまらん。
でも、こうした成長が見える時期でなければ逆に「すっげ~~~~~~~~~~~、おもしろかった」ってのは出なかったかもしれないので、まあよしとしますわ。
本も映画もよく知られているもので、前々から興味があったので、子ども会行事に自分も参加。
内容は、テーマと山が盛りだくさんで、こんなにたくさんのテーマを盛り込んだら、子どもにはきついかもとも思って見ていました。
タイトル通り、命の大切さを主要なテーマにしています。
その中で、「暴力の連鎖」、「障害児のいる家庭におけるきょうだい児が持たされる心理的ハンディ」というものも盛り込まれていました。
途中で飽きて、ごそごそと動く子どもがいる中で、わたしは「コレは息子にも長かろう」と思っていました。
後で、何気なく、彼に聞きました。
「どうだった?」
「すっげ~~~~~~~~~~~、おもしろかった」と答えた。
ちょっとびっくりした。
あら、あんなに主要テーマが盛りだくさんの内容についていけたんだこの子、と思った。
その後で、ちょっと胸が痛んだ。
ドラマの中で出てくる、主人公に精神的虐待を加える母親は、「重度というところに位置する肢体不自由児の姉を持つ」障害児のきょうだいという立場。
映画の中ではこの母親が思春期に書いた「姉に両親の全てを取られる嫉妬で苦しむ日記」が出てきます。
この母親の両親である主人公の祖父母からも、「上の子の障害に対しての対応で精一杯で、下の子をかえりみなかった日々があった」という言葉が出てきます。
下の子が母親になったときに、娘に精神的虐待を加えるようになったのは、自分たちの「罪」なのだと。
ウチの息子も幼児期「みんながちぃちゃんにばかり注目する」「ちぃちゃんばかりかわいがる人がたくさんいる」と荒れていたこともありました。
彼にとっては姉の「障害」よりも、自分への注目を奪う相手という概念が姉に対してあった。
成長と共に「障害」という概念を理解し始め、今は納得してきている部分もあれど、この映画に出てくる「きょうだい児の心境」が理解できる部分があるのだろうなと。
うちは「両親の全てを取られる」まではいかないけれど、娘優先を彼に「話して理解してもらう」ことは、彼の成長の中で増えてきていますから。
ウチはわたしが「息子に甘い」ことは衆知ってのがありますが、その原点として、ヨソ様から「あそこんちは甘いから」と言われる程度を維持して、彼にとっては「とんとん」かな、ってとこはあるなあとも思う。
もちろん、先を考えない「甘やかし」はしませんが。
「すっげ~~~~~~~~~~~、おもしろかった」の直後に、彼はこうも言いました。
「おかあさん、泣いたでしょ」
そう何度も言った。
これは多分、ドラマの中で主人公の友達である障害を持った子どもが死ぬシーンがあったからだな、と思った。
息子は幼稚園の年長児の時に、ずっと同じクラスだった友達を亡くしています。
たった6歳にして、友人の葬儀というものを経験している。
意味がつかみきれない彼に「死」というものを話しながら、わたしがその話になるとべーべーとよく泣くということを彼は知っているわけです。
べーべーと泣く割には、その子の話を何年も何年もやめない。
「あの子のことを忘れないで欲しい。
あの子が生きていたことを知っている人が忘れていってしまったら、あの子は本当に死んでしまう」と。
この映画の中でも言ってました。
生きている時に友達だった子の中で「生き続ける」ということを。
それを観ながら、彼の思考は「母」に結びつき、それゆえの「おかあさん、泣いたでしょ」ってことかなあと思った。
で、彼はそのシーンを見ながら「おかあさんが泣く」と思ったのだろうと。
最初は「ん?」とかやり過ごしてましたが、あんまり「泣いたでしょう」とウルサいので、「泣いたよ」と答えました。
ホントは泣いてないんだけどね。
だって、この障害児を描くシーン、観る人に対してのサービスのようなトコ、感じちゃってたから。
だって、コレに出てくる障害を持つ「友達」の子、わかりやすいんだもん、笑顔と喜ぶ声が。
なんか、「観てる人が美談と思うように」って感じが、ちょっと匂ってしまったので。
養護学校が出てきて、いろんな子の「映像」が出てくる割には、そのうちの「たった一人」だけが登場人物で、周囲の子どもが関わるのも、その「たった一人」だけだし。
しかも、髪に花をつけた女の子だしね。
「色の無い」、「ただの風景」として出てきた男の子たちが、ちょっと気になってしまったわたしなのでした。
結局のとこ、息子は「すっげ~~~~~~~~~~~、おもしろかった」と「おかあさん、泣いたでしょ」しか言ってくれません。
この辺が、まあ、男の子の成長ではあるのだろうけど、ちょっとつまらん。
でも、こうした成長が見える時期でなければ逆に「すっげ~~~~~~~~~~~、おもしろかった」ってのは出なかったかもしれないので、まあよしとしますわ。
今も口を利く、と言った程度で。
まともな会話をしてない。
母は話したい事あるのだろうけど、
私のダメな部分を注意するのに忙しく(笑
本心を語る暇はない。みたい。
正直、私は母が苦手です(汗
そして母もそれを知ってる模様・・・
直さないとなぁ
ってS嬢さんに話してるアホな自分。
でもねーこの苦手意識なかなか手ごわいんですよ(汗
いや、いいんではないですか?
と、思う。
子どもに苦手意識を持たれるってのは、「親側」の問題だから。
>母は話したい事あるのだろうけど、
私のダメな部分を注意するのに忙しく(笑
本心を語る暇はない。みたい。
「親」の「子ども」に対しての期待像や要求がイメージとしてある場合、難しいですよ。
親なんて、もともと、「精神奉仕事業」です。
さて、ちょっと申し訳ないのだけれど、「発達心理学」のお勉強につき合ってください。
「教材」はココね。
キーワードは「基本的信頼感」と「自己肯定感」です。
http://homepage3.nifty.com/mukiau/child.htm
「自己肯定」ってのは、親が子どもに長年かけて手渡していく「旅立ちのためのきびだんご」です。
「あなたがあなたになるために、
あなたが生きていくための旅に、
わたしはあなたに自己肯定の獲得を与えよう」
そのためにはポジティブな感情もネガティブな感情も、受け入れられる必要があるのですよ。
ところが、「親」が自分の精神的葛藤や状況的困難がある場合や、子どもに対してのイメージが強かったりすると、そんな余裕もなくなってくる。
でも、「親」だって人間ですからね。
生きていくにはそんな事情も山ほどあるだろ。
だから、関係性の「個性」のままに、親を、親の人生を理解しようとする作業で充分なんではないかと思う。
Oriasuさん、ブログ読む限り、ちゃんとその作業にとりかかってるではありませんか。
だから現在の関係性そのままに、母親を理解していくってことで、それをわざわざ努力してお母様と「共有」しようとしなくてもいいんではないかと。
自然な流れに任せていけば、いつかきっと、努力しなくても「共有」できる日が来ると思う。
ブレーキペダルの「遊び」のような部分の「余裕」が無いときに無理なことをすると、関係がきしんで新たな傷を発生させる危険も抱えてしまうのでね。
十月十日の便秘だった
と言われた事があります(笑
幸い?叔母がそばに居て、
叔母の相槌により笑い話で流れましたが。
その言葉がでるまでの話の流れは
覚えていません。
母の真意を良く解りません(笑
発達心理学 読んだ限りでは、
やや否定よりかなぁ~とも思ったり・・・
問題らしい問題は、万引きとタバコ位ですから、
可愛いほうですが。
でも、自分は嫌いです。
好きになりたいとも思いません。
自分を否定しつつ、外面は良く。
そうやって生きてきたかな。
自分で見る自分は、そんな感じですよ。
父に関しては、本当に何も知らないんですよね。
血の繋がった「他人」ってイメージのが強いです(笑
だからかえって考え易いんですよね。
なんて自己肯定できるくらいは安定してる・・・
って事なんですかね?(笑
親になってみないと解んない事なのかな。
コレはねえ。
「親になってみないとわかんない」っていうか、男性には難しいと思うのですが。
わたしは体質が難産系なので、ちょっとよくわからないのですが、よく聞くんですよ、こういう言い方。
つまり、陣痛が来て、うんうんと苦しんで。
そのとき、最後に「生む」って感触がね、「長い便秘のウンコ出した時と似てる」ってのはよく聞くんですわ。
で「十月十日の便秘」っていうフレーズになったんではないかと。
だから、叔母様の相づちが出たんでしょう。
まあ、子どもの前で言うことでもないんですけどね。
特に男の子の前でってのは、まあ複雑かもしれないですね。
それと、子どもに甘いコト言うのが苦手なタイプってのもいますから。
わざと憎まれ口たたくっていう、そういう言動は子どもに対してもしてしまうタイプってのもアリだと思います。
「親になってみてわかる」ということは、教育の中のどこかで刷り込まれてきた「親の愛情は絶対だ」ってのは、案外もろいものなんだってことです。
絶対なのは、親の子に対する愛情ではなく、子どもが親に愛されたいという切実な欲求の方なんだな、と。
「親」として、どんな失敗をしても、子どもというものは「許す」接点を探し続けるものなのかもしれないと。
親が親として自己卑下したいことがあっても、子どもが無心に愛を求めてくる姿に救われるというか。
心理学上の研究を見ていくと、子どもというものは自分を変えてまで親の愛情を乞い求めるものなんだって思うことですね。
さて「発達心理学」の教材の方ですが。
ここで出てくる「問題傾向」というのは、かなり極端な例でして。
もっと簡単なとこでいえば、自己肯定感を獲得しているかどうかってのは、特に恋愛経験上、影響していくもんなんではないかと思う。
そして、「親になる」という部分でしょうね。
どちらも、「相手との関係」で、逆転していけるものだとわたし個人は思いますけどね。
「自己肯定感」久々に読んで滝涙です。
そうですね、そうなんですよね。
12月に紹介して頂いて以来、
ブログずっと読んでます!
数日前の
「よいことと悪いことと、悪いことや歓迎したくないことの方が、絶対数としては多い。
うれしい、楽しいと思うことよりも、つらいことや苦しいことの方が、絶対数としては多い。」って言葉をはじめ
S様の言葉の数々ずっと心に持ち歩いてます。
夫とはいよいよ離婚できそうなので
今ブログをセッセと書いてます。
また紹介しますね。
ROMしてましたが「自己肯定感」読んで
出てきてしまいました。
また来ます!
ホントだよ。
ったく、ご無沙汰ぶっこいて、こんなトコ出て来ちゃって。
ブログ記事での「弁護士さん」の講演会。
資料として配られた彼の事務所のリーフレットに「価格一覧」があって。
すぐ見ちゃったわよ、離婚相談。
「着手金52万5千円 成功報酬52万5千円」
自由になる闘いってのに、こんなに金がいるんだって思ったわ。
>「よいことと悪いことと、悪いことや歓迎したくないことの方が、絶対数としては多い。
うれしい、楽しいと思うことよりも、つらいことや苦しいことの方が、絶対数としては多い。」
コレは、タマキって女がいまして。
って、タマキの話はしなかったでしたっけ。
生きていることのつらさにおててばっか切ってたので、家に連れて帰って自宅の自室で数日一緒に住んでたのは確か24のとき。
衰弱しきった顔で、それでも爪をたてる猫のような顔で、
「さとみちゃん、人はどうして生きてるの?」ってつきつけてきた質問の答ですね。
全てが上記を「認める」ことから始まった、と思う。
「認める」ことを始めないと、歩き出せないことって、ある。
わたしにとっても、この考え方は大きい。
タマキには、心底、感謝していますね。
いや、「不幸」ばかりでもなく、楽しかった日々でもありますわ、タマキとの日々。
車道に向かって軽く突き飛ばしたり、軽く頭つかんでブロック塀に激突させようとしたり。
「いや、死ぬかな、と思って」
すっげー、ジョーク。
「何すんのよ、死んじゃうじゃない!」って。
「え?そお?」とか言うと、
「何が嬉しくて、アンタに殺されなきゃいけないのよ!」とかえらい剣幕で。
それがまた、おっかしくってねえ。
深刻ばっかじゃなくて、バカみたいなことやって、よくいっしょに遊んでたなあと。
>いよいよ離婚できそう
本当に、よくがんばったと思う。
鼻の骨折られてから、そろそろ一年ではなかったっけ。
たくさんの「大切」を見つけて、その経験からたくさんの人に「大切を見つけることの大切さ」を渡し続けたあなたの功績は大きいですわ。
わたしの「自己肯定感獲得のすすめ」は長年に渡りしつこいけれども、でもやっぱりとても大切。
「自分の人生を自分の手に」ってのを、確実にしていくためにね。
弱いっす。涙腺にピリピリ響きます。
今日も一日、数ヶ月前にあなたに聞いて知ったとき思考がぶっとんでしまった
「基本的信頼感」と「自己肯定感」について考えていました。
数日前のあの、「大丈夫だよ」もそうです。
「大丈夫だよ」って言ってほしいんですよね。
そういう私の弱いところに、ぴったんこにはまる
キーワードをいくつも持っているんですよね。
URLはS様のを見て、書いてみたくなったから
始めたブログです。
これもまた1ヶ月弱前に
「貼り付け禁止」と(笑)書いてあったから
ああ~貼り付けは禁止だよなぁと思いつつ
せっせと日記はつけてたのでした。
タマキさんの言うことよくわかるし
どれだけSさんに助けられたかわかる。
だってこんなに遠隔操作でも十分人を助けられる人だから。
>本当に、よくがんばったと思う。
鼻の骨折られてから、そろそろ一年ではなかったっけ。
そおです。
まさに本日、2月15日が私の鼻折記念日。
>たくさんの「大切」を見つけて、その経験からたくさんの人に「大切を見つけることの大切さ」を渡し続けたあなたの功績は大きいですわ。
Sさんに、怒られる事も随分ありましたね。
けど、どんなときもあったかくやわらかく受け止めてくれていた。
あの状況で、あの環境の中で、私ができたことがあったとすれば
そういうあったかいふとんがあったからこそできたことだと思います。
>わたしの「自己肯定感獲得のすすめ」は長年に渡りしつこいけれども、でもやっぱりとても大切。
「自分の人生を自分の手に」ってのを、確実にしていくためにね。
実はへなちょこな私が、いつもなんでもないフリしていて
やっぱりこういう言葉には思い切り
へなちょこです。
でも同じへなちょこでも今は
少しだけ前向きなヘナチョコだと思いませんか?
ありがとう、いつもそこにいてくれて。
ブログは昨日、見つけました。
読んだ。
知っている話が多いとはいえ、フラッシュバックもきつかったろうと思った。
でも、こうして残していくことはやっぱり貴重。
今の時期は今しか過ごせない心境の時期とも言えると思うしね。
長いこと「みな」を使っていたのが、「まちこ」を出してきたことにも、心境の変化ってのを感じたかな。
さて。
gooですね。
入力には是非、「略さまツール」を使っていただきたい。
gooの編集画面からの入力よりスグレモノですので。
http://ryak.net/tool/edit.html
http://blog.goo.ne.jp/rd-xs40user/e/6f1077363225184510d7fd29963fe8a9
「貼り付け禁止」は未知の人の「なんでそうくるか?」というトラックバックに関してでございます。
つい先日も、不可思議なトラックバックが入りまして、ぶつくさ言いながら削除しております。
早速滝の涙です。
個人的なことですが、私は母に褒められた記憶がありません。母は私がおれがおれがな人間になることを畏れていたようなのですが、おかげで「褒められたことがわからない」という病理をもつことになりました。
そして、今、二歳の娘を持っているのですが、望んで苦労してやっとえた大切な一人娘なのに、自分が病に倒れたため、充分なケアをしてあげることができません。してあげたいことはたくさんあって、心の病なのに、彼女に対してのイライラはまったくなくて、とにかくしてあげたいことばかりなのに、実際はできない。こういう母親に育てられて(といっても普段は保育所におりますが)自己肯定感を持てるだろうか、とそれが今一番心配です。
私のような母親に育てられてしまったばかりに、病理をもってしまったらどうしよう。そればかり思って、無力感がつのるばかりです。
話は替わりますが、ダウン症は二次障害っていうんでしょうか?心臓などの疾患を持っていると、短命と言われますね。実は私は10歳のとき、同じクラスにダウン症の男の子がいました。先生もいい先生でしたし、お母さんも毎日通っていましたから、とても大変だったんだろうと思います。
けれど、私は、その子がとっても好きでした。普通に友だちとして、家に遊びにいったり、一緒に帰ったりしていました。それは、上と矛盾するようですが、母が「偏見や比較」という概念を私(や私のきょうだい)に教えなかったおかげだと感謝しています。
それから数十年がたち、私は引っ越して彼と別れてしまったので、その後どうなったか心配しておりましたが、偶然そのときのクラスの子に再会した折りに聞いたところ、元気にバザーなどで見かけるとのことで、なんだか嬉しくなりました。
と、上記のようなことを、ブログの記事で書いたところ、「私はそういう『心のひろい』ことはできないかも」というコメントがついて、哀しくなりました。心が広いから付き合ったんじゃない。すきだったから付き合っただけだ。けれどたぶんその方にはそれはわからないでしょうね。
なんかいきなり長くなってしかもヘヴィで申し訳ありません。
それでは。
ぶんだばさんとこの「鬱病闘病記」のカテゴリ、読破してきました。
ブログ、機能させてますねえ。
こうしたアウトプットがどんなにあなたを助けてきただろうか。
そんなこと考えながら、読んでました。
道具を自分のために機能させるということ。
充分に「120点」?「200点」?かなと思った。
それと、お嬢さんに対して「母親」という部分で、ご自身を責められている記述の数々。
痛かったです。
極論ですがね。
乳幼児期というのは、どんな風に育てるだの、どんな風なしつけをするだの、なんだのかんだのとありますけど。
わたしは「死なせないだけで一生懸命な時期」だと思います。
そこらじゅうに事故だのなんだのと、「死」と実は隣り合わせのこと、山ほどありますよね、乳幼児期。
育児に負担があるというのは、個々の事情なんだから、支援は堂々と受けりゃいいんです、と思う。
個々の事情同士を照らし合わせる必要なんて無いんだろうな、と。
だって、個体、人間がちがうんだから。
だから事情を比較することは、実はできないんではないかと。
必要ってのは、必要ってことで、必要なんだから、「必要なケース」として進めばいいんではないかと。
お嬢さんに関しては
)自己肯定感を持てるだろうか、とそれが今一番心配です。
> 私のような母親に育てられてしまったばかりに、病理をもってしまったらどうしよう。そればかり思って、無力感がつのるばかりです。
「見つめる」「見つめ合える」時間に、「微笑む」「微笑み合う」ってのができればそれで充分「自己肯定感」を持たせてあげられる「母」になれるとわたしは思いますよ。
人間の育つ過程の中で、人間は全てを記憶しているわけではない。
凝縮された濃密な記憶を組み合わせて、記憶は構築されていると思います。
だから、「チャンス!」と思うときに、あげられるものをあげればそれでいいんではないかと。
この「あげられるもの」に、そんなにぜいたくはいらないんじゃないかと。
わたしなんて、たいしたかーちゃんでもないのでね。
「チャンス!」と思ったときに、「記憶の売り込み」かけちゃいますよ。
ホント、たいしたかーちゃんでもないので、変な叱り方もしちゃいますしね。
「ヤバイ!」と思ったら、即「ゴメン」です。
子どもって、母親に「ゴメンなさい」ってあやまられると、なんというか、こう、なんとも言えない顔、しますね。
自分の思いを理解されたというか。
ああ、自己を肯定されたという感覚なんだろうな、やっぱり。
そういう、イヤな叱り方をしたとき、そして「ゴメンなさい」が母から出たとき、
叱られた行動に対しての修正も、謙虚で自然な感じで動きますね。
自己を肯定されることで、オノレの態度や言動で傷ついた母を助けるというような感覚になるんだろうなと。
ダメな母からも、子どもって、ちゃんと学べるんですよね。
あとね、お願いがあるんですが。
こっちにちょっと飛んで欲しいんです。
http://blog.goo.ne.jp/satomies/e/8f27fe390236f774c10c90f551ddbae9
この記事のコメント欄で、
「肉体のトレーニングと『自己愛の育成』を、わたしが勝手に組み合わせた『まっち~救出”オレ流”大作戦』ってのがあるんです。
よかったら、コレ、検証してみてください。
彼女だけに機能するものか、ぶんだばさんにも機能するものか、
わたしの興味につきあっていただけたら、ありがたいです。
はい、そして「ダウン症」ネタ。
わたしやぶんだばさんの世代のダウン症は、短命でした。
それは、合併症に関しての治療を、医療の現場が積極的に進むことをしなかったケースが多かったからです。
染色体検査を日本で行えるようになったのも、昭和40年代に入ってからです。
それまでは採取した血液を外国に検査に出していたので、検査自体が高額で、それゆえ「合併症の存在が推測つきながら放置」ということが多かったようです。
当然、合併症の発見も治療も遅れていたわけです。
今は染色体の検査もすぐに国内のどこでも行うことができますし、きちんと合併症に対して向かい合うことが当たり前になっていますので、不幸なケースも少なくなってきています。
それでも、逝ってしまう命を見送ることはあります。
> と、上記のようなことを、ブログの記事で書いたところ、「私はそういう『心のひろい』ことはできないかも」というコメントがついて、哀しくなりました。心が広いから付き合ったんじゃない。すきだったから付き合っただけだ。けれどたぶんその方にはそれはわからないでしょうね。
コレはあるみたいですね。
娘の仲良かった子どもたちも、「先生の前」や、「理解しない大人の前」で、不自然なことをやったりしていましたよ。
娘が一番仲良かった子は、「えらいわねえ」みたいな顔をする大人に対して、斜めに見上げる、すっげ~かわいくない表情をよくしていたなあと。
(アンタ、バカじゃない?)みたいな顔が、おっかしかったです、とても。
それはそれ、コレはコレ。
ってとこでいいかな、と思う。
娘本人は、なんかもっと自由なとこで生きてるみたいなんでね。
> なんかいきなり長くなってしかもヘヴィで申し訳ありません。
この言葉、そのまま「お返し」。
それでは~。